隠しきれない本音
夕食を終えて宿泊する部屋の広間で書類仕事をしていると、ミレーヌがやってきた。
「あらやだ。ユリウスってば、こんな場所に来ても仕事なんてしているのね」
「最近は忙しいから。ミレーヌは何をしにきたわけ?」
「じゃーん」
らしくない声で楽しげに笑うミレーヌの手には、年代物の高級シャンパンがある。
その後ろではアーノルドがシャンパンボトルを引き立てるように、両手をひらひら振っていた。
「私たちも十八歳だし、たまには飲むのもどうかしら」
「そうそう、なんだかんだ俺たち三人で飲むのは初めてだしね。仕事は後にしてさ」
この国では十八歳から飲酒が許可されており、俺がこのメンバーの中では一番最後に十八歳の誕生日を迎えたばかりだった。
とはいえ社交の場──特に祝いの場なんかでは、十六歳から酒で乾杯をすることも少なくない。
そのため過去に何度も酒を飲んだことはあったし、自分の適正量は理解しているつもりだった。
「一杯だけならいいよ」
「ユリウスはかなり強い方じゃない。酒癖が終わっているアーノルドはともかく」
俺の向かいのソファに腰を下ろしたミレーヌは、シャンパンボトルを自ら開栓する気らしい。
アーノルドは飲み過ぎると普段以上に距離感がおかしくなるため、気を付けなければ厄介な事になる。過去にも多くの令嬢が人生を狂わされていた。
「そういえば、最近は社交の場でも全く飲まなくなったわよね。どうして?」
「自制心を保つため」
書類に目を通しながらそう答えると、ミレーヌが飛ばしたコルクが天井に当たったらしく、スコンという間抜けな音が室内に響いた。
顔を上げると大きな目を見開き固まる、珍しい表情をしたミレーヌと視線が絡んだ。
「……あなた、本当にレーネが好きなのね」
「いつだってそう言ってるけど」
書類の束をテーブルに置いて静止するミレーヌの手からボトルを奪い取り、三つのシャンパングラスに金色の液体を注いでいく。
「そんな相手が同じ屋根の下で無防備な姿で暮らしているんだから、俺だって必死だよ」
記憶を失ってからのレーネは、貴族令嬢とは思えない感覚で腕や足を出すようになった。それでいて風呂上がりや夜遅くでも俺の元を訪れるのだから、いい加減にしてほしい。
レーネが俺を異性として好いてくれていることも、今は分かっている。
それでいて、まだ俺に対して「家族」「兄」の感覚も大きいからこそ、俺がどれほどの愛情と欲を抱えているのか気付いていないようだった。
『レーネってほんと色気がないよね』
あんなの、嘘だった。自分に言い聞かせているだけ。
笑顔にも髪を上げた真っ白なうなじや何もかもに、腹立たしいくらいに心臓が高鳴った。
「でもここには私とアーノルドしかいないじゃない」
「酔ったら会いたくなるし、会いに行きそうだから」
そもそもあの弟と二人で一緒に寝泊まりするということ自体、面白くない。今日の夕食だって、二人で昼寝をしていて遅れたと聞いた時には、それはもう苛立った。
血が繋がっている弟だとしても、歳の差もなければほとんど顔を合わせていなかったようなものだから、異常にベタベタしている姿を見ると腹が立つのは当然だ。
「ま、大丈夫だって。ね?」
俺の肩に腕を回したアーノルドにグラスを手渡され、三人で軽くグラスを合わせる。
「あら、美味しい。いい値段がするだけあるわね」
「確かに」
飲みやすくて悪くないと思いながら、グラスにもう一度口をつけた。
レーネは見るからに酒に弱そうな顔をしているし、十八歳になっても俺がいない場では絶対に酒を飲まないよう言い聞かせなければ。
「そういえば、知り合いの女の子がユリウスからお見合いを断られたって悲しんでたよ」
「見合いも縁談も来すぎて、どれか分からないな」
俺宛てには常に数えきれないほどの縁談の申し込みが来ており、どこかで見染められたのか近隣の国の第四王女との見合い話まであった。
最近では強い魔力を持つ身分高い令嬢ならば話を聞いてみるくらいはいいのではと、ウェインライト伯爵が乗り気になり始めたのもあって、余計に面倒だった。
ジェニーがSランクにはなれそうにないこと、レーネには結局それ以上を期待していないこともあってのことに違いない。
「ユリウスって本当にモテるわよね、異常だと思うわ。どうしてなのかしら」
「さあ?」
「一目見るだけで好きになっちゃうらしいよね。なんかオーラがあるんだって」
常に周りからは好意を向けられ、ミレーヌ以外の異性とは友情すら成り立たないくらいだった。
俺としては面倒なだけで、レーネ以外の有象無象なんてどうでもいいというのに。
「肝心なレーネちゃんはさっぱりした感じなのにね」
「殺すよ」
「それでいて、ここ最近のユリウスはレーネに執着しすぎよね。重くて面倒な男は嫌われるわよ。この先もずっと一緒にいるなら、もう少し距離を保ったら?」
端から見ても俺のレーネへの独占欲は度が過ぎているらしく、呆れた眼差しを向けられる。
とはいえ、自分でも原因は分かっていた。
「それくらい分かってる。……でも」
「でも?」
「正直、舞い上がってる」
レーネも俺を好いてくれているという事実に浮かれ、既に自制心を失っている自覚はあった。
そんな本音を話すと、ミレーヌとアーノルドは顔を見合わせた後、二人して口元に手をあてた。
驚きを隠す気はないらしく、目を瞬いている。
「ユリウスってこんなキャラだった?」
「まさか。本当に恋は人を変えるのね」
レーネから告白をしてくれるなんて思ってもみなかった上に、一生懸命でまっすぐな言葉の全てが嬉しくてどうしようもなかった。
きっと俺は一生、あの日のことを忘れないだろう。
『ユリウス、大好きだよ』
『私、人生で一度きりの告白のつもりなんだ。指輪を誰かに送るのだって、最初で最後だよ』
『毎年、一緒に一番を更新していこうね』
──ずっと恋愛なんてくだらない、不要なものだと思っていた。
恋愛感情に振り回されるような、なりふり構わない姿を見ると吐き気がする、なんて言っていたのは俺自身だったのに、滑稽すぎると呆れた笑みがこぼれる。
けれどもう何もかもどうでも良くなるくらいレーネがかわいくて眩しくて、愛おしく思えた。
「……まあ、いい加減そろそろ落ち着かないといけないとは思ってるよ」
俺にとってはレーネが全てだけれど、レーネの中では友人の存在が大きいことも分かっている。
レーネがどれほどこの旅行を楽しみにしていたのかも知っているし、友人や弟との時間だって大切にしたいことも理解しているつもりだ。
上手く線引きができず、レーネからの愛情が少しでも損なわれることは避けたい。
俺とは気持ちの大きさにも差があることは分かっているし、レーネにとっての「良い恋人」でいるべきだろう。俺の良いところなんてこの顔と魔力、外面の良さくらいしかないのだから。
「ユリウスが本音を話してくれるなんて珍しいね。俺、嬉しいなあ」
「抱きつくな」
「ふふ、そうね。記念にもう一本開けましょうか」
やけにご機嫌なアーノルドとミレーヌに呆れを含んだ笑みが溢れ、隠すようにグラスに口をつける。
明日からは少しレーネや周りへの態度を改めようと決めて、グラスの中身を飲み干した。




