楽しい夏休み(嵐の前のなんとやらパート)1
「わあ! すっごく綺麗な海、底まで見えるね!」
「まじで透けてるじゃん、見たことねえ魚もいるぞ!」
「本当だ! カラフルで不思議な色、かわいいね」
「確かにかわいいな。よだれ出てきたわ」
「食べる気なの?」
隣国・トゥーマ王国に到着し、馬車に乗って滞在するホテルへやってきた私は、ヴィリーと共に眼前に広がる美しい青い海に胸を弾ませていた。
どこまでも透き通る青さで、鮮やかな青空と合わせて見ると、目が痛くなりそうだ。
「お前らは子どもか」
はしゃぐ私とヴィリーを見て、馬車から降りてきた吉田はやれやれという表情を浮かべていた。
そう言いながらも、吉田がこっそり海の生き物図鑑を持ってきているのを私は知っている。好きだ。
「…………」
王子は黙ってじっと海を見つめており、美しい海を背景にしたその横顔はあまりにも綺麗で、宗教画か何かかと思った。
この世界では貴族女性は足を出すべきではないとされているため、水着なんてもちろんない。
とはいえ折角だし、こっそりスカートを持ち上げて足だけ入るくらいはしてみたい。
「あ、ユリウス! さっきぶりだね」
「そうだね、寂しかった」
「またまた」
「あはは」
三年生組が乗っていた馬車から降りてきたユリウスに声をかけると、さりげなく後ろから腰に腕を回され、顔のすぐ横に顔を近づけられ、どきっとしてしまう。
「そういえば大丈夫だったの? あんなにすぐ領地から帰ってきちゃって」
「ああ、問題ないよ」
ユリウスはさらりとそう言ったけれど、去年は六日ほどいても王都に戻るのを伯爵に反対され、夜に裏口から逃げ出し馬車に乗り込んで逃亡したのだ。
それなのに今回はたった三日ほどの滞在で、堂々と二人で帰ってきてしまった。
「あいつに金を貸したんだ。それもかなりの額」
「えっ?」
「だからしばらく俺には何も言えないと思うよ。くだらない事業に投資して失敗したせいで家を潰されるなんて、俺としても困るし」
「…………」
父親が息子に大金を借りるなんて、どう考えても普通ではない。そもそも伯爵が投資に失敗していたなんて話だって、初めて聞いた。
どうやら伯爵夫人もジェニーも知らないらしく、よほど伯爵にとって都合が悪いのだろう。
「だから気にせずに楽しもうか」
「そうだね、そうしよう」
私が気にしたところでどうにかなる話ではないし、ひとまず今は全力で旅行を楽しもうと思う。
「ねえユリウス、見て! 砂浜もキラキラしてる!」
「ちゃんと見てるよ。後で一緒に行こうか」
「うん!」
何もかもが楽しみで、ただこうして過ごしているだけでも胸が弾んで仕方ない。
浮かれすぎてついくるくると回っていると、ミレーヌ様がくすりと笑う。
「かわいいわね。こんなに喜んでくれるんだもの、どこへでも連れて行き甲斐があるわ」
「本当にね。俺たちもはしゃいでみる?」
「ふふ、たまにはいいかもしれない」
ミレーヌ様とアーノルドさんも楽しげで、より嬉しくなった。付き添いの使用人たちに荷物を中へ運んでもらいながら、私たちもホテルの中へ入っていく。
「着くまであっという間すぎて、実感が湧かないや」
「ね、私も屋敷を出てからまだ二時間も経ってないし」
「ラインハルトはずっと、爆睡するヴィリーに膝枕してあげていたのよ」
「俺も姉さんにしてもらえばよかったな」
ラインハルトとテレーゼ、ルカと話をしつつ、ホテルの中を見回す。さすが王子が手配してくれただけあって、恐ろしく豪華で広くて洗練されている。
調度品や飾られている絵までお高そうだし、まさに五つ星ホテルという感じで緊張してしまう。
「お部屋までご案内させていただきますね」
仰々しく専用のラウンジで出迎えられた後、部屋へと案内された。
なんと今回は最上階の二フロア貸し切りで、スイートルームを十人で四部屋も使うことになっているそうだ。
「うわあ、家じゃん……すごい……」
まず一番広い部屋に全員を案内してもらったところ、なんというかもう家だった。
私の知るホテルとは全く違い、広すぎるリビングにいくつもの部屋、食堂に複数のベッドルームまであり、大家族で暮らせそうなくらいの間取りに驚きを隠せない。
壁一面ガラス張りの窓辺からは、先程の美しい海を一望できる。この一年で貴族生活に慣れた気でいたものの、前世では縁のなかったラグジュアリーな待遇を受けると、まるで石油王にでもなった気分になる。
「えっ、家じゃん」
「姉さんてば何回言うの? かわいいね」
「いやいや、だって家じゃんこんなの」
興奮してあちこち見て回っているのは私だけで、みんなは慣れた様子でくつろいでいる。
平民育ちのルカも一切戸惑っておらず「いつものお願い」くらいのノリで飲み物を頼んでいた。
「仕事で来るんだよね、こういうところ」
「ルカって何のお仕事をしてるの?」
「ナイショだよ」
「…………」
かわいらしく口元に指をあててウインクをされ、ぐっときたものの、危ないことだけはしないようにと何度も念を押しておく。
実はルカの持ち物やアクセサリーもどれも高そうだし、今回の学生とは思えない驚きの高額な旅行費用も私が払うと言ったのを断り、あっさり自分で払っていた。
「ええと……あ、ここもベッドルームなんだ」
それからも部屋の中を探検していると、不意に後ろからユリウスに抱きつかれた。
「わっ、びっくりした」
「つかまえた。レーネ、楽しそうだね」
最近は以前よりもずっとスキンシップが多くて、心臓は悲鳴を上げ続けている。
「こんなにいいホテルは初めて来たから、面白くて」
「これくらいで喜んでくれるなら、いくらでも手配するよ。二人で旅行に行こっか」
「いや……それはちょっとまだ……」
一緒に暮らしているとはいえ、まだ早い気がする。
ユリウスは「じゃあ冬休みね」と勝手に決めると、私の手を引いて広間へ向かう。私が想像していたよりも「まだ」の期間が短すぎる。
「あ、レーネたちも戻ってきたわね。今日と明日のことを決めようって話していたの」
広間では既にみんな大理石の大きなテーブルを囲んでおり、お茶の準備もされていた。
ミレーヌ様に頷き、空いていたソファの右側にユリウスと二人で腰を下ろす。
「今日と明日はこの辺りをのんびり自由行動にしようかと思うんだけど、いいかしら」
「はい、ぜひ! そうしましょう」
常に十人という大人数で行動するのは大変だろうし、これだけ個性豊かなメンバーの行きたい場所が一致するとは思えない。
朝と晩の食事はみんなでとると約束し、それ以外は三つのグループに分かれることとなった。
「じゃあ私とミレーヌ様、ユリウス様で地下遺跡を見に行ってくるわね」
「うんうん。俺とラインハルトくん、ヴィリーくんは街中に行ってくるよ」
「そして私とルカ、吉田とセオドア様で船に乗りに行くと。完璧ですね!」
私と一緒がいいというかわいいルカ、そしてよく二人で幼い頃から船に乗っていたという吉田と王子の四人で行動することとなった。
吉田は去年の夏も趣味で激ダサボートに乗っていたくらいだし、船が好きなのかもしれない。
ユリウスも私と一緒がいいと言ったものの、ルカと喧嘩になること、意外にも船酔いをすることをミレーヌ様に指摘され、強制的に私と違うグループにされていた。
「…………」
「…………」
どう見ても納得していない視線を隣から感じ、明後日は一緒に遊ぶ約束をした。
この近くにある港は常に賑わっていて、観光船も多く出ているらしい。
「楽しみだね、姉さん。もしも姉さんが船から落ちて溺れたら、俺も後を追うから安心して」
「そこはぜひ一緒に助かる道を探そう」
ユリウスと反対の私の隣に座るルカは、私の腕にぎゅっと抱きついて頬ずりをしてくる。
自分が世界一かわいいこと、どうすればよりかわいく見えるかを知っていてえらい。言動、存在の全てに一億点満点をあげたい。
たまに選択肢を大幅に間違えることもあるけれど、そこは姉として私が正していこうと思う。




