知らない過去 3
それから四日後の昼下がり、私はウェインライト伯爵領にあるカフェにて、俺様美形従兄弟であるセシルと向かい合っていた。
「お前と会うのはデビュタント舞踏会以来だな」
「そうだね、アンナさんは元気?」
「あいつが元気じゃない時は見たことがねえよ」
──無事に宿題を終えた私は昨日の晩に伯爵夫妻とジェニー、ユリウスと伯爵領へやってきた。
セシルは今年も姉のソフィアと共に、伯爵領に三日ほど滞在予定らしい。そして今はユリウスが忙しそうにしている隙に、セシルと街中へ抜け出してきている。
「で、聞きたいことってなんだよ」
「実は記憶がなくなる前の、私とユリウスの関係について知りたくて」
ユリウスからは聞きにくいけれど、第三者として周りが知っていることくらいなら、私にも知る権利はあると思ったのだ。
その結果、こっそりセシルから話を聞くのが良いという結論に至った。
「前も言ったような気がするが、俺はお前とユリウスのことなんて大して知らねえよ。ああでもお前の母親が死んだのはユリウスのせいだ、って言ってたのは聞いた」
「……やっぱりそれ、本当だったんだ」
以前、ジェニーからも同じことを聞いた記憶があり、冷や汗が止まらない。
それが事実だとすれば、レーネがユリウスに「一生許さない」と過去に発言したこと、一度入れ替わった際にユリウスを突き飛ばして拒絶したことにも納得がいく。
「でも、ユリウスがそんなことをするとは思えないや」
原因は分からないものの、ユリウスが誰かを死に追いやるなんて信じられない。
「それに私のお母さんって、病気で亡くなったんじゃなかった? ユリウスのせいなんてありえるの?」
「ああ。だがその病気ってのが何なのか、俺も親戚の奴らも誰も知らないんだよな。俺が知る限り入院後は誰も会ってないみたいだし」
「…………?」
そもそも娘のレーネとのやりとりも手紙だったことにも、実は違和感を抱いていた。仲の良い親子関係なら、お見舞いくらい普通は行くはず。
それなのに大事なことを手紙で伝えるくらい会っていなかったなんて、不思議だった。なんだかミステリーのようになってきて、混乱してくる。
「まあ、お前の家は昔からめちゃくちゃだったしな。伯爵と今の伯爵夫人との関係も長かったし」
「関係も長かった? とは?」
「ああ、それも覚えていないのか。あの伯爵夫人は伯爵がお前の母親どころか、ユリウスの母親と結婚していた時からの不倫相手なんだよ」
「えっ、ええええ……」
「向こうも既婚だったからダブル不倫ってやつ?」
「…………」
ウェインライト伯爵家、やはり昼ドラを超えている。
闇が深すぎて、私はもう突っ込むことすらできない。ひとつだけ分かるのは、ウェインライト伯爵がどうしようもない人間だということだけ。
「レーネの母親と結婚したのは隠れ蓑にするため、とかいう噂も聞いたことあるな」
「お母さんはどうして、そんなゴミクズのような伯爵なんかと……」
「実家にすげえ借金があったとか聞いたけど、本当かは知らん」
セシルは「これ以上話せることはない」と言い、優雅にティーカップに口を付ける。
色々と新情報を得ることができたものの、謎は深まるばかりだった。けれどやはり、今の伯爵夫妻がユリウスのお母様を自死に追いやったのは事実なのだろう。
何よりレーネの母に関して、過去に元のレーネとユリウスに何があったのか、気になって仕方なかった。
「でも、私のお母さんが亡くなった原因がユリウスって本当? なんて聞けるはずないしなあ……」
今は恋人という関係なのだし、それも将来的に一緒にいるつもりなのであれば、避けては通れない問題だというのも分かっている。けれどこの問題についても今はまだ、とても聞けそうになかった。
肩を落としながらだいぶ溶けてしまったアイスクリームを掬って食べていると、向かいのセシルから強い視線を感じた。
「お前、ユリウスとくっついたのか」
「げほっ……そ、そうですね」
「だよな。あいつ、目に見えて浮かれてるし」
「浮かれてる……?」
私はいつも通りだと思っていたけれど、セシルからはそう見えたらしい。
そしてふと、セシルはレーネのことが好きだったのを思い出す。
「…………」
「おい、分かりやすく気まずい顔をするな! 俺は大人しい女が好きなんだよ、やかましい今のお前のお蔭で百年の恋も冷めたわ」
「やっぱり恋、してたんだね……」
「ああもう、放っておけよ! くそ!」
セシルの恋心の行き場がなくなってしまったことに罪悪感はあるものの、初めて会った時も「ブス」「バカ」と暴言を吐いていたし、元の気弱なレーネにとってはストレスだったに違いない。
確かユリウスも「俺以上にレーネに嫌われていた」と言っていた。
「セシル、好きな子には優しくしないとだめだよ」
「うるせえバカ、そんなことくらい分かってる! ……でも、上手くできないんだよ」
顔を赤くして堪えるような様子のセシルは年相応でかわいくて、ほっこりしてしまう。俺様タイプには萌えない主義ではあるものの、不器用ツンデレは推せる。
「次からは好きな子ができたらお姉さんに話してね。相談に乗るから」
ぽんと向かいに座るセシルの肩に左手を置き、ウインクをしながら右手で親指を立てる。
するとセシルは呆れたような眼差しを返してくれた。
「誰がお前に話すかよ、つーか誰がお姉さんだ。お前、同い年だろ」
「精神年齢はずっと大人だから」
「嘘をつくな、お前は誰よりもガキだろ」
そんなやりとりをしていると、不意にセシルの肩に乗せていた手がべりっと剥がされる。
まさか、と恐る恐る私の手を掴んだ腕を辿っていくと、眩しい笑みを浮かべたユリウスとばっちり視線が絡んだ。一体なぜ、どうして、いつからここに。
「お姉さん、俺の相談にも乗ってほしいな」
「あ、あの……」
「かわいい恋人が浮気性で、俺の目を盗んで他の男と隠れて会うんだけど、どうしたらいい?」
これは間違いなく怒っている顔で、再び冷や汗が止まらない。一方、向かいのセシルは知らん顔で呑気に紅茶のお代わりを頼んでいる。
ユリウスはそれはもう自然に私の隣に腰を下ろすと、同じく紅茶を一杯注文した。
「い、一体いつからここに……?」
「ついさっきだよ」
レーネを取り巻く過去について尋ねていたのは聞かれていなかったみたいで、胸を撫で下ろす。
ユリウスは片肘をついてそんな私を見つめ、指先で頬をつついてくる。
「それで、この状況はなに?」
「な、仲良しな従姉弟どうし、健全な交流をしていただけです。ね、セシル?」
「さあ」
「俺に聞かれて困る話をしてたんだ?」
「…………」
「レーネはほんと嘘が下手だよね」
ユリウスはそう言って笑ったものの、それ以上は何も尋ねてくることはなかった。
これに関してもいつものことで、自身も私に対して隠しごとをしている意識があるからなのかもしれない。
「そういえばジェニーとソフィアが喧嘩してるから、しばらくは屋敷に戻らない方がいいよ」
「えっ、喧嘩?」
「久しぶりだな」
どうやら過去にも何度かあったらしく、それはもう壮絶なものらしい。
ジェニーの性格が悪いのはそうだし、ソフィアもソフィアでかなり「良い性格」をしていた記憶がある。私は彼女のことが好きだけれど。
「女の喧嘩って怖いよね。よくそんな酷い言葉をすらすら言えるなって感服するくらい」
「……ああ。俺はソフィアを見て育ったから、大人しい女が好きなのかもしれない」
今もなお恐ろしい戦いが繰り広げられているらしく、巻き込まれないように三人でこのままお茶をして過ごすことになった。
そういえば、最近のジェニーはやけに大人しかった記憶がある。
私が挨拶をしても無視なのはいつものことだけれど、食事の席でもずっと静かなまま。以前は伯爵夫妻と楽しくお喋りをしていたのに、黙々と食べては食堂を後にすることが多くなっている。
何かあったのか少し気になったものの、私が尋ねたって教えてくれるはずがない。
「レーネちゃんってば、また俺以外のこと考えてる? 妬いちゃうな」
「……そう言うユリウスさんはずっと私のことを考えているんですか?」
「寝ても覚めてもレーネのことだけを考えてるよ」
「こわ」
「こわ」
見事に私とセシルの声が重なった。ユリウスは「へえ、仲良しだね」「俺に見せつけてる?」と笑顔のまま圧をかけてきたけれど、一般論だと思う。
それから数時間後に屋敷へ帰宅したところ、ジェニーとソフィアの戦いにより広間がめちゃくちゃになっていて、早く王都に帰りたいなと心から思った。




