知らない過去 2
一年生の夏休み、体育祭のご褒美にと出かけた先で、私はユリウスにそう告げられた。
なんとなく聞けずにいたものの、ユリウスはいつも通りの調子で「ああ」と呟き、続ける。
「この家を乗っ取るのに手っ取り早かったからだよ」
「えっ?」
「あいつらを消したところで、ジェニーと結婚させられていたら色々と面倒なことになるからね。結婚と違って離婚はかなり面倒なんだ。財産だって女性にかなり持っていかれるし」
いつもと変わらない笑顔でそう言ったユリウスに、心臓が嫌な音を立てていく。
「ああ、でも今はもちろんレーネのことが好きで結婚したいと思ってるよ」
「……そう、なんだ」
なんというか「消す」という言葉に全く温度がなくて、本気なのだと思い知らされる。
「ああごめんね、大丈夫。殺したりはしないから。死ぬより辛い思いはさせるけど」
俺も人殺しにはなりたくないし、なんて笑うユリウスの声も明るいものではあったけれど、普段とは全く違う冷めたものだった。
その様子は私のよく知るユリウスとは違い、なんだか知らない人のようで。私はまだまだユリウスのことを知らないのだと、改めて思い知らされる。
「……嫌いになった?」
私が黙り込んでしまったせいか、ユリウスは眉尻を下げてそう尋ねてくる。
「レーネを利用しようとしていたのは本当にごめんね。でも、俺のすべきことは変わらないよ」
「そ、そうじゃなくて」
嫌いになったりとか、傷付いたりとかはしていない。
ただユリウスの抱えているものが、私が想像している以上にずっと暗くて重くて大きいものである気がして、心配や不安になってしまった。
それを一人で抱え込むのは、とても辛いに違いない。
私は手のひらを握りしめると、ユリウスを見上げた。
「……ユリウスはどうして伯爵夫妻に復讐をするの?」
きっと触れられたくないことだから、今まで私に話していなかったと分かっている。
それでも私たちの関係だって以前とは変わっているし、少しでもユリウスの辛い気持ちを共有できたらと、勇気を出して尋ねてみる。
ユリウスは表情を変えずに無言のまま私を見つめていたけれど、やがて静かに口を開いた。
「俺の母親を殺したからだよ」
「──え」
「正確には自死に追い込んだから、かな」
言葉が出てこなくなり、ガラスに似たユリウスの瞳を見つめ返すことしかできない。
ユリウスのお母様が亡くなったのは知っていたけれど、私はそれ以上何も知らなかった。
「レーネのことは信用してるけど、あまりこの話はしたくないんだ。ごめんね」
「……私こそごめん。話してくれてありがとう」
「いいえ」
ユリウスは私を気遣うように眉尻を下げて微笑むと、よしよしと頭を撫でてくれる。
そんな形でお母様を失ったユリウスの悲しみも怒りも恨みも、私には想像もつかない。
けれどユリウスがこれほど復讐にこだわることに、納得がいった。私だって同じように大切な人を亡くしてしまったら、同じ道を選んでいたかもしれない。
──それでも復讐をした末に、本当に人は幸せになれるのだろうか。
私は詳しい事情だって知らないし、やめた方がいいなんて無責任なことは言えない。けれど本音としては、ユリウスが誰かを傷付けてしまうのは嫌だった。
過去は決して消えないし、いつか悔やむことになる日が来るかもしれない。
『……俺はずっと何かを楽しむことで、復讐への気持ちが薄れてしまう気がして、裏切りになると思ってた』
以前そう話していたユリウスはとても悲しげで、傷付いた顔をしていた。
裏切りというのは、亡くなったお母様に対してのことだったのだろう。
『何でも全力で楽しもうとするレーネといると、そんな考えが馬鹿らしくなったよ』
『レーネといると楽しいんだ』
『眩しいレーネのお蔭で、俺の世界まで明るくなる』
けれど、そう言ってくれていたことも思い出す。
私はユリウスが大好きだし、これまでたくさん助けられてきた。だからこそ、ユリウスの人生が楽しく明るくなるよう私ができることは、何でもしていきたい。
「夏休み、たくさん遊んで楽しもうね!」
ユリウスに腕を回して抱きつき、笑顔を向ける。
元のレーネとの関係など気になることはまだまだあるものの、とても聞けそうにはない。今、私にできるのはきっとユリウスが楽しいと思えるような日々を、一緒に送ることだ。
そしていつか心の内を全て話してもらえたら嬉しい。
「……レーネちゃんは優しいね。本当、俺なんかにはもったいないくらい」
ユリウスはそんな私を抱きしめ返し、頭にぽすりと顎を乗せる。優しい温もりと大好きな香りに包まれながら、ユリウスを幸せにしたいと改めて強く思った。
「やっぱり卒業したら、すぐに籍だけ入れない?」
「ごめん、流石にそれはちょっと早いかもしれない」
私は夢見る拗らせ乙女だからこそ、なんだって順序をきちんと踏みたい。
ドラマチックにプロポーズをされて結婚式をして、周りからは盛大に祝われて──という、口に出すのも少し憚られるくらいの絵に描いたような理想があった。
「なんでそんなに急ぐの? 伯爵たちのことを気にしてるから?」
「人気者のレーネちゃんが誰かに取られないか不安で」
「ユリウスって鏡、見たことある?」
間違いなく杞憂だと告げ、ユリウスから離れてぐっと両腕を伸ばす。
「よし、宿題を再開します」
「あはは、すごい切り替え方。ほんと真面目だね」
私にとってもユリウスにとっても最高に楽しい夏休みになるよう、まずは宿題を倒さなければ。
そうして気合を入れ、再びペンを取ったのだった。




