体育祭 2
コースの中は、私とミシェルだけになってしまった。そして選手と離れ落ち着いたらしい馬達が、何故かぞろぞろと私の後を付いてきたことで、会場のざわめきは大きくなる。
大勢の観衆が見守る中、私達は悲しい位にゆっくりと進んでいく。もはや謎のパレードと化している。恥ずかしい。
私は何が起きているのかすら分からないまま、なんの見せ場もなく何の盛り上がりも見せず、1位でゴールした。ぱらぱらと、戸惑ったような拍手が聞こえてくる。
けれど間違いなく、一番戸惑っているのは私だった。
「ありがとう、ミシェル。よくわからないけど、一位だよ。後でニンジン持ってくからね」
そうお礼を言って抱きつけば、彼女も喜んでいるような気がして嬉しくなる。そして他の馬達も撫でていると、私の元へアーノルドさんとユリウスがやって来た。
兄は笑いすぎたようで、目尻には涙が浮かんでいる。
「レーネちゃん、一位おめでとう。本当にすごいね!」
私以上に喜んでくれているアーノルドさんに、ぎゅうっと抱きしめられる。「本当に良かった」と安堵したような声を出す彼を、ユリウスは「触んな」と言って引き剥がした。
「あ、ありがとうございます。とても嬉しいんですが、あれは一体何が起きたんですか……?」
「生物室から、小型の魔物が逃げ出したせいらしいよ」
「えっ」
どうやらその魔物の気配に、馬たちが怯えてしまったようだった。すぐに教師によって捕獲されたらしく、安心する。
「きっとミシェルは、レーネちゃんがいるから安心していたんだろうね。一位はレーネちゃんと馬達の絆のお陰だよ」
「アーノルドさん……」
「いやー、すごい強運だよね。トラブルがなかったら普通にビリだろうし。おめでとう」
馬達とのあの触れ合いの日々が、こんな形になるなんて。私はアーノルドさんにお礼を言いつつ、内心意味があるのかと突っ込み続けていたことを心の中で謝罪した。
トラブルのせいと言えど、私にはしっかりと一位のポイントが入るらしい。思わず笑顔が溢れた私の頭を、ユリウスはそっと撫でてくれた。
二人と別れクラスの待機場へと戻れば、クラスメイト達に「おめでとう」「すごいな」と沢山声を掛けられて。悲しくもないのに、少しだけ泣きそうになった。
◇◇◇
それからは次の出番まで、応援や観戦に徹した。テレーゼとヴィリーを応援した後、偶然会ったラインハルトと共にユリウスのアーチェリーの応援に行くことにした。
アーチェリー場は女子生徒で溢れていて、その大半が兄の応援らしく驚いてしまう。端にいる私たちにもユリウスは気が付いてくれたようで、笑顔で手を振ってくれた。
私が妹でなければ、彼は一生関わることのないような遠い人なんだろうなと改めて実感する。
「ユリウス様、格好いいよね」
「そうだね」
「レーネちゃんと仲良いの、羨ましいな」
そう呟いたラインハルトの横顔は、少し寂しそうで。彼の家庭は姉弟仲が良くないからだろうと思うと、胸が痛んだ。
そんなことを考えながら、的の中心に次々と矢を放っていく兄を見つめる。私から見てもその姿は、とても格好いい。
「……ユリウス様が、レーネちゃんのお兄さんで良かった」
思わず見惚れていると、隣に座るラインハルトが私の手をぎゅっと握り、そう呟いた。
その言葉の意味はよく分からなかったけれど、きっと私の心配をしてくれているに違いない。自身が辛い思いをしているというのに、なんて優しい子なのだろう。
やがて兄のクラスが一位で予選を通過したことを確認すると、出口が混む前に私はアーチェリー場を後にした。
それからはラインハルトと別れ、吉田の応援に行こうとしたところ、不意に足をかけられて。思いっきりすっ転んだ私を笑っていたのは、ジェニーとその取り巻き達だった。皆、銀色の体操着を身に纏っている。
「あら、お姉様。大丈夫です?」
「這いつくばっている姿がよく似合うこと」
いよいよ彼女は、学園内でも嫌がらせを始めたらしい。連日転ばされすぎているせいで、男子小学生のような膝になりそうだと私は深い溜め息を吐いた。
そして立ち上がろうとすると、すっと視界の端から手を差し出されて。この学園にも親切な人もいるんだなあと感謝しながら、その白く大きな手を取る。
「すみま、せ、ん……」
やがてその手の持ち主の顔を見た私は、言葉を失った。
「あ、ありがとうございます」
「…………」
なんと、セオドア王子だったからだ。美しいエメラルドのような瞳に映る、馬鹿みたいな顔をした自分と目が合った。
やはりお礼を言っても返事はない。それでも彼がこうして手を差し伸べてくれたことに、私は驚きを隠せなかった。そしてそれは私だけでなく、ジェニー達も同じだったらしい。
ぐいと引き上げられ、立ち上がる。ふわりととても良い香りがして、少しだけどきりとしてしまった。
やがて王子は私から手を離すと、すぐに背を向けて歩いて行ってしまう。呆然と立ち尽くす私の手には、彼のあたたかい手のひらの感覚がまだ残っていた。
「どうして、セオドア様が……」
「ユリウス様やアーノルド様、マクシミリアン様にも媚を売っているみたいだし、余程男好きなのね」
「平民の娘だもの。汚らわしい」
あまりにも酷い言いようだ。その上、知らない人まで混ざっていて、言いがかりも良いところすぎる。そして私達の母は平民だったという新情報をゲットしてしまった。
私の母を馬鹿にするということは、彼女の大好きなユリウスも馬鹿にすることになるというのに。
言いたい放題の彼女達を無視すると、私は膝についた砂埃を払いさっさとその場を後にしたのだった。