変化と約束と 2
そして甘えるように、私の肩にそっと頭を乗せる。
「……俺に完璧じゃなくていいなんて言うのは、レーネくらいだよ」
「そうなの?」
「生まれた時から、欠点のないように厳しく育てられてきたんだ。周りからも期待されて、少しでもそれから外れると勝手なことばかり言われて生きてきたし」
「…………」
レーネも伯爵家に来た頃、厳しい教育を受けていたと聞いたけれど、ユリウスは生まれてからずっとだったのだろう。父の歪みを知れば知るほど容易に想像がつく。
そしてユリウスはいつも、自分は努力型だと話していたことを思い出す。
その言葉の裏には私が想像もつかないほどの努力があったのだというのを実感し、胸が締め付けられた。
甘え方が分からないと言っていたのも、甘えることなんて一切できない環境にいたからだ。
私はユリウスに向き直ると、ぎゅっと私よりもずっと大きな身体を抱きしめた。
「レーネ?」
「……もっと早く、ユリウスと仲良くなりたかったな」
もっと早く出会いたかったという気持ちを、不自然にならないように言い換える。
「あと過去に行けたら、そんなムカつくような人達に文句を言って回るのに」
小さなユリウスが傷付かないようにしたい、甘えられるような存在になりたいと思う。
けれど、そんな過去のもしもの話をしたところで、どうにもならないことも分かっている。
「私の前では何も気にしないで、思いっきり我が儘を言ったり甘えたりしてほしいな。何があっても私はユリウスのことを嫌いになったりしないし、好きでいるから」
けれど、今は違う。今の私にだって、きっとできることはあるはず。
いつも私はユリウスに助けられてばかりで、良くしてもらってばかりで、何か返せたらいいなと思っていた。
できるのなら、頑張り屋の彼が心を許せる、安心できる場所になりたい。
拙い言葉で一生懸命に伝えると、ユリウスは深い溜め息を吐いた。
「……困ったな」
「えっ?」
「どこまで俺を沼に沈めれば気が済むの?」
私の首筋に顔を埋めたまま、ユリウスはそう呟いた。
「俺、これ以上レーネに依存したくないんだよね」
「どうして?」
「もっと我が儘も言うし、面倒な男になるから」
私にできることなら我が儘くらい、いくらでも何でも叶えてあげたい。
そんな気持ちを込めて深く頷くと、ユリウスは顔を上げて私を見つめた。透き通るガラス玉みたいなアイスブルーの瞳から、目を逸らせなくなる。
「じゃあこの先、俺以外を絶対に好きにならないで」
「それはもちろん」
「他の男と仲良くならないで。今いる友達だけにして」
「わ、分かった……? なるべくだけど……ごめん……」
友人の友人と友人になる可能性だってあるし、そこは確約できない。
だからこそ、大口を叩いたのに申し訳なく思って苦しんでいると、ユリウスはふっと笑った。
「レーネのそういう適当に返事をしないところも好きなんだよね、俺」
そして私の背中に腕を回し、そっと抱き寄せる。
少しだけ早いユリウスの胸の鼓動を聞きながら、自身の心音も早くなっていくのを感じた。
こうして触れられた時の反応だって感情だって、以前とは違う。もうしばらくこうしていたくて、きゅっとユリウスの上着を掴む。
すると私を抱きしめるユリウスの腕に、より力がこめられた。
「……本当に、好きだよ」
切実な声音からは、想いの大きさが伝わってくる。
「俺はいつもレーネに救われてるから。さっきの言葉も嬉しかったよ、ありがとう」
ユリウスのまっすぐな言葉に、声が詰まってしまう。
大好きなユリウスのために何かできているのなら、それ以上に嬉しいことはなかった。
「こちらこそ、いつもありがとう」
「レーネってよくありがとうって言うよね」
「そうかな? でも私は絶対に、何でも当たり前だと思いたくないんだ」
今の私を取り巻く環境の何もかもが奇跡みたいで、大切で。感謝の気持ちを決して忘れたくはなかった。
「……だからみんな、レーネが好きなんだろうね」
ユリウスは柔らかく微笑むと、優しい手つきで頭を撫でてくれる。
「ドレスのお礼にお願い聞いてくれるんだっけ?」
「うん、私にできることなら」
ルカの件でも大変お世話になったし、もはやドレスの件だけでは足りないくらい、ユリウスへの返しきれていない恩が溜まっている。
だからこそ、私にできることは何でもする心づもりだったのだけれど。
「じゃあ夏休みの間に、キスさせて」
「へ」
「約束ね」
ユリウスは眩しい笑みを浮かべ、呆然としている私の手を取り、小指同士を絡めている。
かなりハードルが高いものの、いつまでも恥ずかしいと言って逃げているわけにはいかない。
告白をする時、恋人になる時に、私だってそれなりの覚悟はしたのだから。
「……わ、分かった! 約束!」
「え、本当に?」
「もしかして冗談だった?」
「いや本気だったけど、まさかレーネがいいよって言ってくれるとは思わなかったから」
まだ私にはキスをしたい、という欲求は分からないけれど、ユリウスが望むことはしたい。
そう話すと、ユリウスは綺麗に口角を上げた。
「大丈夫、したいと思わせるから」
自信満々のユリウスがそう言うと、本当にそうなってしまいそうで怖い。
とんでもない約束をしてしまったものの、夏休みまで時間はあるし、心の準備をしなければ。
「好きだよ、レーネちゃん」
一年前とは全く違う、幸せそうなユリウスの笑顔につられて笑みがこぼれる。
──そしてユリウスの言葉はきっと現実になってしまうという予感も、この胸の中にあった。




