変化と約束と 1
「それで? 何でかわいいレーネちゃんは、そんなに拗ねたお顔をしてるのかな」
舞踏会の帰り道、馬車に揺られている私の頬を、ユリウスはつんとつつく。
普通にしているつもりだったのに、分かりやすく顔に出てしまっていたらしい。理由は分かっていて、先ほどユリウスと踊った時のことが原因だった。
やはりユリウスは常に注目されていて、私達を見た女性達が話をしているのが聞こえてきたのだ。
『ユリウス様のお相手の方は誰ですの? どなたのお誘いも受けなかったのに……』
『ご令妹のレーネ様だそうよ』
『まあ、そうでしたか。仲の良いご兄妹ですこと。それなら安心ですわね』
そんなやりとりが絶えず聞こえてきて、胸の奥がもやもやしてしまった。
妹だと思われるのは当然だし事実だし、これまでだって日常のようなもので、何も思わなかったのに。
「……付き合ってるって言えないの、いやだと思った」
素直な気持ちを口に出すと、ユリウスは形の良い唇で綺麗な弧を描いた。
「かわいすぎると、人って腹が立つんだね」
「なんて?」
ユリウスは私の頬をふに、とつねると満足げに笑う。
「他人に好かれるなんて面倒でいいことなんて一つもないと思ってたけど、今日だけは良かったと思ったよ。レーネちゃんにやきもち焼いてもらえるから」
「くっ……」
「まあ、俺は学園でも毎日そう思ってるけどね」
ユリウスは本当に嬉しそうで、恥ずかしくなる。ユリウスが好きだと自覚し、伝えて関係が変わったことで自分の気持ちが変わっていくのを感じていた。
自分が自分でなくなるようで少しだけ怖くて、けれど胸が弾むような感覚もする。まだまだ恋というものは分からないことだらけだと、改めて思う。
「でも、今日は本当に楽しかった! 吉田が大好きだって改めて実感したし、ユリウスとも踊れて嬉しかった」
「俺もだよ」
「本当? それに社交の場に出てもっと友達も増えるかもしれないと思うと、楽しみだなって」
デビュタント舞踏会には魔法学園に通っていない令嬢も数多くいて、新たな出会いもあり、今度みんなでお茶会をしようという約束もできた。
流行りのドレスや化粧品、アクセサリーやお菓子についてなど、女性だけならではのかわいらしい会話ばかりなのは新鮮で楽しかった。
何よりみんな言葉づかいや所作も綺麗で、あんな風になりたいとも思った。
「……そうなんだ」
ユリウスはそう呟くと、じっと私の顔を見つめた。
急に真顔で黙り込んでしまったユリウスを不思議に思いながら、彫像のような顔を見つめ返す。
肌は毛穴ひとつないし、睫毛だって恐ろしく長い。こんなに近くで見ても粗が見つからないなんて、とじっと顔を眺めていた時だった。
「嫌だな」
「えっ? 何が?」
「俺はとても心が狭い人間なので、レーネの世界が広がるのを喜べないんですよ」
頬杖をついて笑顔でそう言ってのけるユリウスに、私はぱちぱちと瞬きを繰り返す。どうやら私が社交界デビューするのが嫌、いうことらしい。
「レーネは記憶がなくて学園っていう狭い世界しか知らないから、俺を好きになってくれたのかもしれないし」
「…………」
「そもそも俺は学園でも裏でレーネに近づく男を追い払っているような、碌でもない人間だからね」
いつも飄々としているユリウスがそんな不安を抱えていたなんて、私は考えてもみなかった。
『ねえ、今日はこのまま二人で過ごさない?』
『……結構本気なんだけどな』
けれど舞踏会に来る前、私の部屋で言っていた言葉の意味が、ようやくわかった気がした。
──ユリウスこそ私よりもずっとずっと人気者で、広い世界で生きている。
活躍の場は社交界だけではないし、どんな仕事をしてどんな人達と付き合っているのか、私は知らない。
どこか遠く感じて寂しく思っていたのは私の方だと思っていたから、驚いてしまった。
「あーあ。俺はこんな人間じゃなかったはずなのに、レーネといると本当におかしくなる」
自嘲するような笑みを浮かべる姿に、私は自然と口角が緩むのを感じていた。
ユリウスもそれに気付いたらしく、眉根を寄せる。
「ごめんね、なんか安心しちゃって」
「安心?」
「うん、ユリウスも十八歳の男の子なんだなって」
いつだって完璧だと思っていたけれど、普通の男の子みたいな悩みや不安を抱える姿に、ほっとしてしまう。
「それくらいの方が助かるし、むしろもっとこう、ボロを出してくれた方がいいな。ユリウスが完璧じゃない方が、不完全すぎる私はほっとしちゃう」
だからもっと隙を作ってほしいと言うと、ユリウスは戸惑ったような表情を浮かべた後、ふっと笑った。




