なんちゃって貴族令嬢の嗜み 2
「あ、レーネちゃん! おはよう」
「ユッテちゃん、おはよう!」
翌日、ユリウスのせいでなかなか寝付けず睡眠不足の中で登校したところ、玄関でユッテちゃんに遭遇した。
別クラスになってしまった彼女にもユリウスとのことを報告したかったけれど、いつ教室を訪れても休みだったのだ。
体調でも悪いのかと心配していたけれど、家族で旅行に行っていたらしく安心した。近々、放課後に一緒にお茶をする約束をして、教室へと向かう。
「みんな、おはよう!」
「あ、おはよう」
「おはよう、ウェインライトさん」
教室に入って大きな声で挨拶をすると、当たり前のように返ってくるのはやっぱり嬉しい。
ふんふふんと鼻歌を歌いながら自席へ向かうと、後ろの席には既にテレーゼの姿があった。
「おはよう! テレーゼ」
「ええ、おはよう。もしかして寝不足?」
やはり親友のテレーゼには隠せなかったらしく、心配されてしまう。けれどキスされそうになって寝付けませんでした、なんて言えるはずもなく「大丈夫だよ」と笑顔を向ける。
一時限目の授業道具を机の上に出し、鞄を机の横にかけると私はくるりと後ろを向いた。
「ねえねえ、テレーゼってデビュタント舞踏会のパートナー、決まってたりする?」
「私? 私はセオドア様よ」
「ええっ」
まさかの返事に、目を瞬く。
けれど思い返せばテレーゼは以前、王子とお見合いをしていたくらいだし、身分的にも家の関係的にも良い相手なのかもしれない。
「お互いに特定の相手はいないし、立場的にもちょうどいいみたいなの。私も友人のセオドア様がお相手ならとても気が楽だし、助かっているわ」
こういう時、やはり友人達もみんな貴族なのだと実感する。なんちゃって伯爵令嬢の私も、もっとしっかりしなければと己を戒めた。
そんな会話をしていると、登校してきた吉田が斜め前の席に腰を下ろした。
吉田の後頭部をじっと眺めているだけで心が凪いでいくのを感じていた私は我に返り、吉田に声をかけた。
「ねえねえ、マックス」
「…………」
「ダーくん」
「…………」
「すみません、吉田さん」
「なんだ」
「差し出がましいこととは存じますが、私をデビュタント舞踏会のパートナーにしていただけませんか?」
ようやく返事をしてくれた吉田は眉を寄せ、その顔にははっきりと困惑の顔が浮かんだ。
もしかして嫌だったのかなと、不安になる。
「……ああ、いいだろう」
「ダンスもマナーも頑張って練習するし、吉田に恥をかかせないようにするから……」
「分かったと言っているんだが」
「えっ」
思ったよりもあっさりとOKされ、驚いてしまう。
てっきり「デビュタントの場でもお前の面倒を見るのはごめんだ」と言われ、縋り付くまでがセットだと思っていたのに。
「な、なんでいいの……?」
「お前から誘って何だそれは。特に予定もないしな」
くいと眼鏡を押し上げた吉田の言葉に、納得する。
「確かに吉田はピュアボーイだし、自分から女子を誘うとかできなさそうだもんね」
「余計な世話だ」
「でも吉田と一緒に参加できるの、すっごく嬉しい! ありがとう」
とにかくこれで無事にパートナーも見つかったし、あとは勉強とワルツの練習に励むだけだ。
デビュタントの日、女性は白いドレス、男性はタキシードという決まりがあるらしく、ドレスはユリウスが用意してくれることになっている。
「当日まで、またダンスの練習もしてくれる?」
「そうだな。俺も助かる」
「私、吉田に感謝されると叫び出したくなるんだよね」
「俺は逃げ出したくなった」
──そんなこんなで私は周りの協力を得ながら、当日に向けて準備を進めていった。
◇◇◇
いよいよデビュタント舞踏会当日を迎えた私は、全身鏡の前でくるりと回ってみていた。
「うん、やっぱりすっごくかわいい!」
純白のドレスを身に纏い、白い花の飾りを髪に刺した姿は、見かけだけなら完璧な貴族令嬢だ。
ユリウスがプレゼントしてくれたドレスは、シンプルながらもとても丁寧に作られていて、洗練されたデザインと細かなレースが美しい最高級品だった。
何より私が一番似合うものをよく理解してくれているようで、胸が高鳴る。
「き、緊張する……」
その一方で、できる限りのことはしてきたけれど、ドキドキはするもので。やはり私にとって社交界というのは未知の世界だし、自分の失敗が家や家族の評判に関わってしまう。
両親やジェニーは正直どうでもいいけれど、多忙な中でしっかり社交の場に顔を出して地位を築いているユリウスに迷惑はかけたくなかった。
吉田が迎えに来るまで、あと三十分ほどある。
黙って座っていても落ち着かないし、この後会場で顔を合わせるものの、せっかくだからユリウスにドレス姿を見せに行くことにした。
「レーネ、準備できた?」
「あ、ユリウス! 素敵なドレス、本当にありがとう。ちょうど見せに行こうと思ってたんだ」
そうして部屋を出ようとしたところ、ドアの向こうからユリウスの声が聞こえてきた。
すぐに開けたことで驚いたらしいユリウスは、私の姿を見てさらに目を見開いた。
「…………」
「ユリウス? どうかした?」
「ごめん、あまりにも可愛くてびっくりした」
予想していなかった返事に、動揺を隠せなくなる。
今度は私が言葉を失う中、ユリウスは続けた。
「レーネはどんどん可愛くなるね。本当に綺麗だ」
「……っ」
以前はユリウスに褒められても、かわいいと言われても「はいはい」と流せていたのに。今ではいちいち嬉しくて恥ずかしくて、過剰に反応してしまう。
そんな私を見てユリウスは満足げに笑うものだから、照れを隠すように急いで中へ通した。
「お、お兄さんこそ今日もかっこいいですね」
「ありがとう」
「ドレスのお礼、何でもするから言ってね」
「……何でも、ね」
ソファに並んで座りながら、深緑のジャケットを身に纏ったユリウスへ視線を向ける。今日は髪を少し後ろへ流していて、とんでもない色気を醸し出していた。
ユリウスはやがて読めない表情でこちらを見つめ、私の前髪にそっと触れる。
「ねえ、今日はこのまま二人で過ごさない?」
「また訳の分からない冗談を」
「……結構本気なんだけどな」
どういう意味だろうと気になったものの、すぐにユリウスは舞踏会で気を付けるべきことのおさらいをしてくれて、私は吉田が来るまで必死に頭に叩き込み続けた。




