体育祭 1
体育祭当日。緊張やワクワクで遅くまで寝付けなかった私は、思いっきり寝坊した。
お蔭で睡眠不足は免れたものの、気合を入れて支度しようという予定は吹き飛んだ。急いで朝食を取り化粧だけ済ませると、玄関へと急ぐ。その途中で、ユリウスに出会した。
今日も完璧爽やかイケメンである兄は、寝癖がついているであろう私の頭を見て笑っている。
「せっかくだし一緒に行こうよ」
「……分かった」
ジェニーが既に学園へ向かったことを確認し、そう返事をする。最近の彼女は、些細な嫌がらせをしてくるのだ。
内心、ストレスが溜まっていた私は絶対に彼女のクラスには負けないと誓いつつ、馬車へ乗り込んだ。
「緊張してる?」
「まあまあね」
「楽しめるといいね」
「ふぉう」
何故か今日も隣り合って座り、私は髪留めを咥えて髪をポニーテールに結びながら会話をしていたのだけれど。元々こういったことは昔から苦手で、なかなかうまくいかない。
そんな私を見かねてか、ユリウスは「俺がやってあげようか」と言い出した。兄のことだ、きっとうまくやってくれるに違いない。そう思い、頷いた時だった。
「??????」
兄はなんと私が口に咥えていたゴムを、何故か自身の口で取ったのだ。唇が触れ合いそうな距離まで整いすぎた顔が近づき、驚きで心臓が跳ねた。何をしているんだ。
「いや、口で取る必要あった?」
普通に兄の両手は空いている。突っ込んでも悪戯っ子のように笑うだけで、ユリウスは何も言わない。一番の距離感ボケは兄なのではないかと、思い始めている私がいた。
学園に着くまで、あまり時間はない。とにかく兄に背を向けると、彼はそっと私の髪を手櫛でまとめ始めた。
なんだかくすぐったいと思いつつ、私はじんわりと胸の奥が温かくなっていくのを感じていた。
「……こういうの、なんていうか」
「うん?」
「すごい、兄妹っぽいね」
そう告げると、何故か兄が吹き出したのが分かった。
前世で私が育った施設には仲の良い兄妹がおり、兄がいつも妹の髪の毛を結んであげていたことを思い出す。一人っ子の私は、彼らが羨ましいといつも思っていたのだ。
「あはは、レーネは手強いね。そう捉えるんだ」
「手強い?」
「なんでもない。ほら、できたよ」
小さな手鏡を覗いてみたところ、驚くほど上手く結んであった。あえて少しルーズに結んでいることで、とても可愛くお洒落に見える。流石だとしか言いようがない。
お礼を言えば、ユリウスはいつものように「どういたしまして」と眩しすぎる笑みを浮かべた。
「俺の活躍、見においでね。格好いいところ見せるから」
「うん。ちなみに私のは見に来なくていいからね」
「なんで?」
「身内には見られたくない」
「へえ? そうなんだ」
ちなみにアーノルドさんにも吉田にも、見に来ないでとお願いしてある。家族や彼らがいると、絶対に余計に緊張してしまう気がするからだ。
けれど、兄は「考えとく」と言うだけで頷いてはくれなくて。そうしているうちに、馬車は学園に到着したのだった。
◇◇◇
登校後、私は緑色のラインが入ったジャージのような体育着に着替えていた。体育着ですらランクがひと目で分かるようにしている、この学園関係者は鬼だと改めて思う。
「レーネちゃん、大丈夫?」
「うん。うっかり心臓が口から出て来そうなだけ」
「怖いよ」
実はここ最近、一部のクラスメイトとも少しずつ会話をするようになった。彼女はCランクのユッテちゃんだ。
少しずつだけれど、自身を取り巻く環境が良い方に変わって来ている気がする。だからこそ、体育祭もしっかり頑張らねばと気合いを入れて、きつく靴紐を結び直した。
「いい天気だね」
「ええ。絶好の体育祭日和だわ」
テレーゼと共にグラウンドへと移動すると、外は沢山の生徒で溢れかえっていた。体操着の色がそれぞれ違うことで、色鮮やかでお祭り気分になる。
午前中の私の出場競技は、剣術の1回戦と障害馬術だ。剣術に関しては、トーナメント形式になっている。
女子生徒の場合は素人が多いらしく、間違って2回くらい勝ち進めないだろうかと思ったりもしていた。
そうして、あっという間に私の最初の出番である障害馬術の時間がやってきた。ちなみにアーノルドさんとは数回、馬に乗る練習もしたのだけれど。
もはや馬から降りて普通に歩いた方が早いのでは? というスピードでかぽかぽ進む私を、彼は拍手をしながら「すごいね、レーネちゃん。歩くの上手だよ、えらいね」と褒めてくれた。歩き始めの1歳児の気分だった。
とにかく、ゴールだけはしよう。そんな低すぎる目標を胸に、相棒となった真っ白な牝馬であるミシェルを撫でた。目を閉じて喜ぶ彼女が可愛くて仕方ない。体育祭後も馬達に会いに行こうと思うくらい、私は馬達が好きになっていた。
障害馬術と言えど、バーはかなり低く設定されている。とにかく落馬だけは避けたい。そう思いながら、コースへと入っていく。ギャラリーもかなりのもので、緊張してしまう。
「レーネちゃん、来たよ! がんばってね」
「ちゃんと見てるからね」
そんな中、聞き覚えのある声に振り向けば、最前列にはアーノルドさんと兄の姿があった。笑顔で手を振っているこの二人、全然私のお願いを聞いてくれていない。
とは言え、こうして応援されるとなんだかんだ嬉しいもので。私は手を振り返すと、指定位置でミシェルに跨った。
「頑張ろうね、よろしくね」
そう声をかければ、返事をしてくれた気がした。
やがて開始の合図と共に、一斉にスタートする。私とミシェルを置いて、皆速いスピードで走り出したのだけれど。
「きゃあ!」
「うわっ……なんだ!?」
突然、馬たちが一斉に暴れ始めたのだ。反対方向へと走り出す馬もいれば、選手を振り落としている馬もいる。
選手たちの叫び声が響く。一体何が起きているのだろう。
「…………?」
そして会場内が騒然とする中、ミシェルだけは落ち着き払い、相変わらずかぽかぽと歩き続けていた。あれ?