体育祭に向けて
「あはは、アーノルドは流石だね」
「本当に笑い事じゃないんですけど」
「次回は流石に、馬に乗れるんじゃない?」
「面白がってるでしょ」
「それはもう」
その日の夜、ユリウスの部屋にて今日の馬との触れ合い報告をすると、彼はお腹を抱えて笑っていた。
夕食を終えて部屋へと戻ろうとしたところ、お菓子に釣られてお邪魔したのだ。入り口まで呼びに来たことは何度もあったけれど、中へ入るのは初めてだった。
白と金を基調とした、シンプルだけれどお洒落さも忘れない素敵な部屋だった。彼と向かい合う形でソファに座り、私は兄が淹れてくれた美味しいお茶をいただいている。
「ユリウスは何に出るの?」
「俺? 代表リレーとアーチェリー」
「いいな」
兄のことだ、さらりと全て完璧にこなしてしまうに違いない。女子の黄色い声援が、今から聞こえてくる気がする。
「これからもたまに俺の部屋、遊びにおいでね。勉強も見てあげるから」
「あ、うん。ありがとう」
私としても、兄と話すのは嫌いではなくなっていた。むしろ彼はこの家の中で、唯一気を許せる相手になりつつある。
そんな彼は何故か「そろそろ部屋に戻るね」と部屋を出て行こうとする私を、入り口までわざわざ見送ってくれて。
「おやすみ」
下ろしたままの私の耳元の髪を軽く避け、お揃いのピアスに触れると、ユリウスは満足げに微笑んだ。
◇◇◇
「邪魔、低ランクのくせに突っ立ってないでよ」
翌日の放課後、廊下を歩いていると不意にAランクの女子生徒に突き飛ばされて。Fランクを脱出したと言えど、学園内ではまだまだ弱い立場なのだと自覚する。
次のランク試験では今よりも上を目指したいけれど、Cランクへの壁はかなり高いだろう。
気を取り直して吉田師匠の待つ練習場へと向かう途中、アーチェリー場を通りがかると、ちょうどラインハルトが矢を放とうとしているところだった。
どうやら彼は、アーチェリーに出場するようだ。ラインハルトは私に気が付くなり、仔犬のように駆け寄ってきた。
「レーネちゃん、久しぶりだね」
「えっ? 一昨日の昼休みに会ったばかりだよ」
「一昨日の昼なんて、かなり前だよ」
彼には少し大袈裟なところがある。とは言え、初めての友人である私のことを好いてくれていることも分かっていた。
そして何より、話をするときには常にどこかに触れる癖があるらしく、今も私の手をしっかりと掴んでいる。アーノルドさんのように距離感がボケてしまっては大変だろう。
だからこそ、やんわりと伝えることにしたのだけれど。
「あのね、こういう感じで触れたりすると、色々と勘違いする人も出てきちゃうから良くないと思うよ」
「勘違いしてくれるの?」
「えっ?」
「それに、レーネちゃんにしかしないよ。こんなこと」
それは私しか友人がいないからでは、という言葉を飲み込んで「そっか」と返事しておいた。間違いなく、時間のない時にするような話ではない。
「……早く、テスト期間になればいいのに」
「えっ?」
「そうしたら毎日、放課後はレーネちゃんと居られるから」
斬新な発想だと思いつつ、テスト期間じゃなくても会えると伝え、明日の昼休みにお茶でもしようと約束すると、彼はふわりと嬉しそうに微笑んだ。
「あ、そうだ。足と腰と肩は、まっすぐ重なるようにした方がいいよ。あとは指に力が入りすぎてる」
「えっ?」
「吉田が待ってるからもう行くね。また明日の昼休みに!」
時計を見れば、約束の時間ギリギリで。慌てた私はそれだけ言うと、練習場へと急いだ。
そしてそれからは吉田師匠の指導のもと、私は生まれて初めて木刀を握ったのだけれど。
「足を大きく使え、さぼるな!」
「ひっ!」
「顎の高さまでしっかり振り切れ!」
「すみません!」
ひたすら素振りの練習を続け、体力がないらしいレーネの身体は悲鳴を上げていた。そして何より吉田、容赦がない。
昨日の動物ふれあいタイムが恋しくなるくらい、厳しい練習を数時間続け、やがて「今日はここまでだ」という吉田の声を聞いた私はお礼を言うと、練習場の床に転がった。
本気で疲れた。もう体力の限界だ。
「吉田、先帰ってていいよ。私、本気で動けない」
そう言ったものの、吉田は私の近くに腰を下ろした。姿勢が良く座り方まで綺麗だなあ、なんてぼんやりと思う。
「……よく頑張ったな。腐っても貴族令嬢なんだ、絶対に途中でやめると言い出すと思っていたのに」
「本当に? まだまだ頑張るから、よろしくね」
「ああ。お前のそういう所は評価している」
「よ、吉田……」
クセになりそうな飴と鞭だ。それにしても、手足がだるくて仕方ない。明日は間違いなく筋肉痛だろう。
「どうしてそんなに頑張るんだ?」
やがて吉田は、私にそんなことを尋ねた。
「……もう、後悔したくなくて」
「後悔?」
「うん。何でも一生懸命やって、楽しみたいんだ」
前世での私は勉強の忙しさや自身の環境を口実に、色々なことから逃げていたように思う。人間関係からも、それ以外からも。両立することだって、出来たはずなのに。
その結果、私には何も残らなかった。突然死んでしまっても、なにひとつ困らないくらいには。だからこそ、これからは何でも全力で取り組みたいと思っている。
「それに、吉田との練習も楽しいしね」
そう言えば「変な奴」と吉田は小さく笑った。
──そしてそれから私はひたすらに馬を愛で、剣術の練習をする忙しい日々を送った。
吉田との特訓のお蔭で、剣術に関しては大分形になったように思う。後はアーノルドさんのお蔭で、馬に懐かれた。
そしてあっという間に、体育祭当日を迎えたのだった。