とある弟のひとりごと
「ルカーシュくん、もうお昼は食べた?」
「うん、食べたよ」
「そっかあ。次は一緒に食べようね」
「もちろん、楽しみにしてる」
廊下で名前も覚えていない女子生徒に馴れ馴れしく声をかけられ、笑顔を返す。
面倒で仕方ないものの、俺みたいな人間はこうして愛想を振りまいておくのが一番良いと、これまでの人生で思い知っていた。
女なんてみんな、俺の上辺しか見ていないのだから。
「……そろそろかな」
人気のない場所へ移動し、足音が近づいてきたのを見計らって、ゴミ箱の中に手を入れる。
唇を引き結び、悲しげな表情を作って顔を上げると、こちらへ歩いてくるマクシミリアン・スタイナーとセオドア・リンドグレーンと視線が絡んだ。
「お前は、レーネの……」
二人が毎日この時間にここを通るのは知っていた。だからこそ、出会すタイミングを狙ったのだ。
その視線はやがて、俺の手の中の青い不恰好な人形へと向けられる。
──これは昨日の放課後、姉さんから盗んだものだ。
「さっき、レーネ先輩が捨てていたのが見えて……」
人形に目を落とし、戸惑うような演技をしながら、そんな嘘を紡ぐ。
こんな不細工な人形なんてもらっても迷惑だろうが、友人から贈られた物を捨てる行為自体は軽蔑されるに違いない。そう、思っていたのに。
「何かの間違いだろう」
「──は」
間髪を入れずに、何の迷いもなく否定される。
俺の心のうちを見透かすような金色の瞳にまっすぐ射抜かれ、小さく心臓が跳ねた。
「なんで、そんなことが言い切れるんですか」
「あいつは絶対にそんなことをしないからだ」
はっきりと断言したその様子からは、姉さんに対して強い信頼があることが見て取れた。
彼らと姉さんはまだ、一年ほどの付き合いのはず。
クラスだって別だったと聞いている。それなのに何故そこまで信じられるのか、理解できない。
だが、ここでこれ以上食ってかかっては、俺が怪しまれてしまう。仕方なくへらりとした笑みを浮かべると、困ったように肩を竦めてみせた。
「……そうなんですね、じゃあ俺の勘違いみたいです」
「ああ」
マクシミリアン・スタイナーはこちらに向かって、右手を差し出す。
「俺から渡しておく」
「分かりました」
人形を受け取り、汚れを払うように指先で撫でる仕草からも、姉さんを大切に思っているのが伝わってくる。
心の中でふつふつと強い苛立ちが募っていくのを感じながら、きつく両手を握りしめた。
「ありがとうございます。レーネ先輩に、今日も会いにいくって伝えておいてください」
「ああ」
「…………」
教室へ戻っていく二人とすれ違う瞬間、第三王子から鋭い視線を向けられたのが分かった。
まるで余計なことをするなと、牽制するかのように。
寡黙で何を考えているのか全く分からなかったものの、想像以上に厄介な相手かもしれない。
「……あーあ、つまんねえの」
二人の姿が見えなくなった後、ゴミ箱を思い切り蹴り飛ばし、舌打ちをする。
記憶喪失だか何だか知らないが、完全に別人になったらしい。本当に姉さんなのか信じられないほど友人に囲まれ、上手くやっているようだった。
今の様子からも姉さんを大切に思っているのが伝わってきて、呆れた笑いが込み上げてくる。
──先日も姉さんがいない間に、周りに色々と吹き込んでみたものの、誰一人として信じる様子はなかった。
『まさか。レーネは悪口なんて絶対に言わないわ』
『うん、きっとルカーシュくんの聞き間違いだよ』
『そうそう。あいつはバカみたいにいい奴だからな』
どこまでも信頼を寄せられていて、吐き気がする。
本当の姉さんは、そんな人間ではないというのに。
『わあ、ありがとう! ルカはいい子だね』
能天気な笑顔を見ていると、苛立って仕方がない。
早く姉さんから、何もかもを奪ってやりたい。全てを失って、泣き喚く姿を見たい。自分だけ忘れて幸せに暮らしているなんて、絶対に許せるはずがなかった。
絶望して自分の過去の行いを後悔しながら、ひたすら許しを乞えばいい。
それが俺達を見捨てた、姉さんへの復讐なのだから。