姉と弟、兄と妹 6
それから十分後、私はユリウスの隣で馬車に揺られ、座席の上でびしっと背筋を伸ばしていた。
一方、ユリウスは足を組み頬杖をついて、気怠げに私を見下ろしている。
「それで、浮気者のレーネから何か言いたいことは?」
「全て誤解です。本当に誤解で無実です」
馬車に乗るまで必死に考えた結果、とにかく違うと訴えかけるしかないという結論に至った。
「この間も玄関で見てたもんね、あいつのこと。好みだったんだ?」
「本当に違います」
「俺のこと、こんなにも弄ぶのはレーネくらいだよ」
ユリウスは大袈裟に悲しんだ顔で、溜め息を吐く。演技だと分かっていても、罪悪感が込み上げてくる。
「その、理由は言えないんだけど、ルカはそういう相手じゃなくて」
「なんで理由も言えないような奴と仲良くすんの?」
「うっ……」
ど正論すぎて、返す言葉もない。
弟であるルカとはこれからも仲良くしていきたい。けれど、約束を破るわけにもいかないし、今の私と同じ状況になれば誰でも詰むと思う。
何も言えずにいるとユリウスは私に背を向け、窓の外へ視線を移した。
「しばらく機嫌悪いと思うから、放っておいて」
本当に怒らせてしまったようで、焦燥感が募る。
こんな風に避けられるのは初めてだったし、どれほどユリウスが私を想ってくれているのか実感しているからこそ、胸が痛んでしまう。
「ユリウス、本当にごめんね。どうしたら機嫌治る?」
そんな気持ちでそっと制服の裾を掴むと、ユリウスは首だけ少しこちらを向いてくれる。
「……何でもしてくれる?」
「うん、もちろん! 私にできることなら!」
ルカのことを話す以外なら、何でもするつもりだ。
縋るように見上げると、ユリウスは憂いを帯びた表情を浮かべた。
「狩猟大会の後、キスしてくれたの嬉しかったな」
「げほっ、ごほ」
本当に待ってほしい。とんでもないフリがきた。
初めてだった上に、勢いがあったからこそできたことだし、あの後は恥ずかしくて死ぬかと思ったくらいだ。
今この場でもう一度というのは、流石に無理がある。
「そ、それだけは……」
「何でもって言ったのに、レーネはワガママだね」
ユリウスはそう言って笑うと、私の顎をくいと持ち上げる。透き通ったガラス玉みたいな瞳に映る私は、ひどく間抜けな顔をしていた。
「じゃあ、俺がするね」
「??????」
なぜユリウスの機嫌を取ろうとして、私がキスをされるのか分からない。
けれどこの流れに疑問を抱く私がおかしいのかと思うくらい、ユリウスは堂々としている。
困惑しているうちに、顔と顔が近づく。やがて頬に柔らかいものが触れ、口からは短い声が漏れた。
「う……待っ……」
「かわいい」
わざと音を立てて何度もキスを落とすユリウスは、私の反応を楽しんでいるようだった。こんな羞恥プレイ、ちょっとした拷問で逃げ出したくなる。
「俺以外にそんな顔、絶対に見せないでね」
必死にこくこくと頷くと、ユリウスは「お蔭で機嫌、直ったよ」なんて言って満足げに微笑んだ。
私はというと顔を両手で覆い「良かったです……」と呟くことしかできない。
──この場はなんとか乗り切ったものの、今後もルカが弟だと伏せた上で親しくすれば、今回のようなことは何度も起きるはず。
もちろん私はユリウスが一番大切だし、最優先したいと思っている。
けれどルカはレーネの家族で、弟なのだ。私の勝手な感情や判断で関係を変えるなんてあってはならないし、ルカのことも大切にしなければならない。何より私自身もそうしたいと思っている。
そう分かっていても両立する解決方法が全く思い浮かばず、内心頭を抱えていると、ユリウスはぽんと私の頭に手のひらを置いた。
「まあ、分かってるよ。事情があるってことくらい」
「ユ、ユリウス……ってじゃあ今の、必要なくない?」
一瞬、雰囲気に飲まれて理解のあるような言葉に感動しかけたけれど、全然おかしい。
「だって、腹は立つし」
「…………」
笑顔でそう言われてしまい、もう何も言えなくなる。
「とにかく何か嫌なことされたら、俺に言って」
「ありがとう。でもルカはそんな子じゃないんだ。ユリウスにも仲良くなってほしいくらい」
「それは無理かな。間違いなく向こうも同じだろうし」
笑顔でばっさりと断ったユリウスは、アイスブルーの瞳でじっと私を見つめた。
「でも、あいつには気をつけた方がいいよ。絶対に」
「えっ?」
「俺、分かるんだよね。裏がある奴って」
それ以上は何も言わなかったけれど、ユリウスが根拠もなくそんなことを言わないというのは分かっている。
ルカに裏があるなんて、どういうことだろう。ひとまずユリウスの言葉は頭の中に置いておくことにしつつ、馬車に乗ってから気になっていたことを尋ねてみる。
「そういえば、その紙袋はどうしたの?」
向かいの座席の上には、今朝はなかった紙袋が置かれていた。袋の上からは入りきらなかったらしい、封筒や小さな箱のようなものがいくつも見えている。
「ああ、これ? 俺宛の手紙とプレゼントだって。一年女子からがほとんど」
「えっ」
私は驚きが止まらないものの、ユリウスは「毎年のことだし」と慣れた様子だった。こんなの少女漫画でしか見たことがない。
「みんな俺の中身なんて知らないのに、よくやるよね」
全く興味がないみたいだけれど、私は告白はランク試験の後、なんて待たせている余裕があるのだろうか。
ユリウスの気持ちを疑っているわけではないものの、落ち着かなくなる。
「レーネは本当に分かりやすくて可愛いね」
気持ちが顔に出てしまっていたのか、ユリウスは満足げに私の頬をつんとつつく。
「学園では捨てられなかっただけだし、俺はレーネちゃん一筋だから安心して俺を振り回していいよ」
「ふん」
「えっ、なに今の。反抗期? かわいいんだけど」
「もう黙って」
けれど、そんなユリウスの言葉を嬉しいと思ってしまう私はもう、かなりの沼に落ちている気がした。