つかの間すぎる休息
「あー……しあわせ……」
試験を終えた翌日。この1ヶ月間、睡眠時間を削り続けていた私は昼前まで思い切り爆睡した。
朝食なのか昼食なのかわからない食事を部屋へ運んでもらい、のんびりと食べる。デザートまでしっかりいただいた私は再びベッドにダイブし、クマのぬいぐるみを抱きしめた。
貴族令嬢、万歳すぎる。何でも誰かがやってくれて、欲しいものがいくらでも出てくるのだ。油断するとうっかりダメ人間になってしまいそうだ。
とは言え、今日はひたすら自分を甘やかすと決めた私は、このままもうひと眠りするのもありだなあなんて思っていたのだけれど。不意に、室内にノック音が響いた。
「どーぞー」
「……え、まだ寝てるわけ?」
寝転がったままの私を見て、やがて中へと入ってきたユリウスは呆れたような声を出した。
彼はそのままベッドまでやって来ると、私の腕の中からクマを取り上げ、ぎゅっと抱きしめた。この男、可愛らしいぬいぐるみですら似合っている。
「この家の女の子は、引きこもりばっかりだね」
「ばっかり?」
「ジェニーも部屋から出てきてないってさ」
「ああ」
昨晩、私がDランクに、ユリウスがBランクになったと知った時のジェニーの驚きようは、かなりのものだった。
そして兄のランクが下がった原因が私だと知った途端、彼女は食事の途中にも関わらず、食堂を出て行ってしまったのだ。私もユリウスも悪くないというのに。
「ほら、出掛けるよ」
「えっ? ムリムリ、今日は絶対にここから動かない」
「レーネの服を買いに行くんだから、お前がいないと話にならないんだけど」
「私の服……?」
話を聞いてみると、どうやら来月の兄の誕生日パーティー用の、私のドレスを買いに行こうという提案だったらしい。レーネは地味な暗い色のダサいドレスしか持っていなかったようで、気を遣ってくれたようだった。
裕福な伯爵家である我が家で行われるパーティーはかなり盛大なものらしく、招待客も多いんだとか。そんな中、ダサいドレスを着るのは私としても本意ではない。
今日は一日中ベッドの上で過ごすくらいの気持ちだったけれど、仕方ない。それにお世話になった兄の気遣いを無下にするほど、私は恩知らずではなかった。
ありがたく連れてってもらうことにして、支度をしようと何気なくクローゼットを開けた私は、言葉を失った。
「……ふ、服を買いに行く服がない」
「そのまま行って、買って着替えようか」
裕福な貴族令嬢とは思えない地味で質素で変な色をしたドレス達に、驚いてしまう。制服で通っている学園以外への外出をしていなかったせいで、気付かなかった。
今着ている地味すぎるものも、どうやら家着でなくお出かけ着だったらしい。その上、数も驚くほどに少ない。
このままでは、いつかテレーゼと休日に遊ぶことになったとしても間違いなく無理だ。突然デートの予定が入った時だって、困るに違いない。そうだ、買い物に行こう。
そう思った私は適当なショールを羽織ると、家着のような芋臭いドレスのまま、ユリウスと共に屋敷を出た。
◇◇◇
「うん、かわいい。これ全部買うね。このまま着ていく」
「ありがとうございます」
一時間後。私はユリウスと共に、王都の中心にある高級な雰囲気が漂うドレスショップにいた。初めての街中は、歩いているだけでもドキドキしてしまう。
そしてとても可愛らしいドレスに身を包み、美しいアクセサリーを身に付けた私は浮かれてしまっていた。こうして着飾るのは、やはり女性の夢だろう。
何より、レーネの可愛い顔には何でも似合うのだ。ユリウスはかなりセンスが良いようで、彼が選んでくれたものはどれも素敵だった。その上、褒めるのが上手い。
店員の若い女性も、時折頬を赤く染めて彼を見つめていることに気が付いていた。罪な兄である。
「後はオーダーで数着頼むけど、好きな色とかある?」
「えっ? わざわざ良いのに」
店内に並んでいる既製品も、十分素敵だ。サイズだって合うものも沢山あるのに、と首を傾げる私に彼は続けた。
「レーネには、会場で一番の女性になって貰わないと」
「…………?」
何故そんなにも、妹を飾り立てる必要があるのだろうか。とは言え、兄の言う通りにしておいた方がよさそうで。私は大人しく彼と共に、ドレスをオーダーしていく。
やがて合計金額を聞いた私は日本円に換算し、気絶しそうになりながらも手を引かれ、ドレスショップを後にした。
その後は、お洒落で高級感のあるカフェへと移動した。流石と言いたくなるほど、女性の好きなものを心得ている。
いくらでも食べて、というお言葉に甘えケーキ2つと紅茶を頼んだ。ユリウスはコーヒーのみを注文し、美味しいそれらを頂きながら他愛ない話をしていく。
……この世界に来て初めて、こんなにのんびりと過ごせている気がした。1週間くらいはこの生活をしても罰は当たらないだろうと思いつつ、ティーカップに口をつける。
「気が抜けてる所悪いけど、明日からまた忙しくなるよ」
「えっ?」
「今月末は体育祭があるし、来月は俺の誕生日パーティーもあるし1年は宿泊研修があるからね。あと、秋には音楽祭」
「そんなことある?」
イベントが大渋滞している。間違いなくこのゲームのシナリオライターは、スケ管ができないタイプだろう。
とは言え、行事自体はとても楽しみだった。こういったイベントは学園生活の要と言ってもいい。これをきっかけに友人を増やしつつ、ときめきを探していきたい所存だ。
そんなことを考えているとふと、疑問が浮かび上がった。
──そういえば、共通ルートってどこまでなんだろう。
乙女ゲームというのは大体、前半の好感度や選択によって後半の個人ルートの相手が決まる。
個人ルートに入ってしまったところで、好感度が低ければノーマルやバッドといった恋愛以外のエンディングを迎えられるため、私はそこを狙いたいと思っていた。
大体何らかのイベントの後に分岐する気がするけれど、これだけあれば判別は不可能そうだ。そもそも、エンディングが一年の終わりなのか卒業時なのかもわからない。
とは言え、まだまだ先だろうし今は考えないことにする。今日はとにかく脳を休めたい。
「そうだ。体育祭って、どんな感じなの?」
「普通に走るような競技もあれば、剣術やアーチェリー、球技なんかもあるよ。障害馬術なんかも」
「めちゃくちゃだね」
「うん」
もう私はこれくらいでは驚かない。とにかく魔法は禁止のようで、ほっとした。そういえばこの身体の、レーネの運動神経は良いんだろうか。
「成績にも反映されるからね。頑張らないと」
「ええっ」
ランク制度の他にも普通の成績表は存在し、卒業後の進路に影響するんだとか。今の私は目の前のことに精一杯で、数年後のことなんて考えてみたこともなかった。
「将来のことなんて、全然思いつかないな」
「俺のお嫁さん」
「はいはい」
兄お得意の、つまらないシスコンジョークは聞き流し、私は2つめのケーキを切り分けていく。
「体育祭、楽しみだね」
「そう?」
「うん。友達を増やすチャンスだもの」
「あはは、そうだといいけどね」
「…………?」
なんだか意味深なその反応に、実は兄は運動が苦手だったりするのだろうかなんて考えてしまう。
──数日後から体育祭に向けて、アーノルドさんとの意味の分からなすぎる練習や、吉田によるスパルタ特訓が始まることなど露知らず、私は呑気にケーキを頬張った。