姉と弟、兄と妹 2
あの後、飲み物を抱えて教室に戻ったところ、入り口で吉田に出会した。
トイレにでも行くのと尋ねると「そんなところだ」と返されたけれど、ヴィリーが「お前が遅いから心配して探しに行こうとしてたんだよ」とネタバレしてくれた。
どこまでも大親友の吉田が愛おしくて苦しい。
『なんでこんな遅いんだよ。腹でも痛かったのか?』
『ま、まあね』
ルカと「絶対に誰にも言わない」と約束をしたし、正直な理由を説明するわけにはいかない。
大切な友人達にもひとまず黙っていようと、私は心の中で涙を流しながらデリカシーのないヴィリーの言葉に同意し、乙女としてのプライドを捨てた。
それからも真面目に勉強を続け、私は夕食の時間ギリギリにウェインライト伯爵邸に帰宅した。
慌てて食堂に駆け込むと、既に私以外の全員が揃っていて、気まずさを感じながら席につく。
「おかえり、レーネちゃん」
「ただいま」
唯一、笑顔でそう言ってくれるユリウスの存在に、どれほど救われているか分からない。
さっさと退席したいけれど食事に罪はないし、この家のシェフの腕は良く、料理はどれも美味しい。毎日おかわりまでしてしっかりいただいている。
「ずいぶん遅かったんだな」
「放課後に友人と勉強をしていまして」
「そうか」
父は興味なさげに、こちらを見ることもないまま冷やかし程度の声がけをしてくる。
「次の試験も頑張りなさい」
「はい」
意外にも、まだ私を見捨てていなかったらしい。前回のランク試験の朝にも「期待しているぞ」なんて言われて驚いた記憶がある。
「結局、前回も偉そうな顔をしていたのに、Dランク止まりでしたものね。恥ずかしいこと」
そんな中、ジェニーがくすりと嘲笑う。Aランクをキープした彼女には、言い返すこともできない。
けれどあの時は悔しくて泣いてしまったものの、ユリウスや吉田、友人達に励まされた私はもう、これくらいでは全く傷付かない。
無視をしようと、パンを口に放りこんだ時だった。
「──お前さ、不愉快だから黙ってくれない?」
ユリウスのひどく冷たい声が、食堂に響く。
驚いたのは私だけではないようで、両親やジェニーも食事をする手を止め、ユリウスへ視線を向けている。
両親の前ではいつも飄々とした態度だからこそ、みんな困惑しているようだった。
当のユリウスは平然とした様子で、炭酸水の入ったグラスに口をつけている。
私を庇ってくれたのだと思うと、胸が温かくなった。
「…………っ」
ジェニーは悔しげに唇を噛むと、乱暴にフォークとナイフを置き、食堂を出ていく。
母は慌てて追いかけようとしたものの父に止められ、何故か私をきっと睨んだ。こういう理不尽なところを見ると、やはり親子だなあと実感する。
意外にも、強い言葉を使ったユリウスに対して父は怒らなかった。やはり優秀であること、ジェニーの発言にも非があったからなのだろうか。
その後は誰も言葉を発さない地獄の空気の中、黙々と食事を続けた。
食堂を一緒に出たユリウスは、廊下を歩きながら自然に私の手をすくい取った。
すれ違う使用人の視線を感じ、そわそわしてしまう。
「こんなところで繋いで大丈夫なの?」
「どうでもいいよ。結局、俺達が結婚するんだし」
そんなことをあっさりと言ってのけるユリウスに、心臓が大きく跳ねる。
結局、ユリウスが好きな私は嬉しいと思ってしまい、ひとまわり大きくて温かい手をぎゅっと握り返す。
すると「OKってこと?」なんて言われ、思わず笑ってしまった。
「さっきの、ありがとう」
「さっきのって?」
「ジェニーに怒ってくれたやつ」
「ああ」
ユリウスは礼を言われるようなことじゃないと、なんてことないように微笑む。ふとした瞬間に、何度も「好きだなあ」と実感してしまう。
「少し俺の部屋に寄ってくれない?」
「うん、大丈夫だよ」
いつものようにお茶を飲むのかなと思いながら、後をついていく。
ユリウスの部屋に入ると、相変わらずふわりと良い香りが鼻をくすぐった。
何の香水を使っているのか気になっているけれど、そこまで知ろうとするのは気持ち悪いかな、なんて考えては聞けずにいる。
ユリウスは机の上にあったノートを数冊手に取り、「はい」と私に差し出した。
「これは……?」
「二年のランク試験の範囲、出そうなところとかレーネが苦手そうなところをまとめておいた」
「……え」
突然のことに戸惑いながら、一番上のノートを捲ってみる。そこにはユリウスの丁寧で綺麗な字や、わかりやすくまとめられた図が並んでいた。
数冊分もこんな風にまとめるなんて、どれほどの時間がかかったのか想像もつかない。
「いらなかったら捨てていいよ」
「そ、そんなこと、するわけない……!」
胸がいっぱいになって、悲しくないのに涙腺が緩む。
試験前、ユリウス自身が努力を重ねていることも私は知っている。だからこそ、時間のない中で私のためにここまでしてくれたのだと思うと、心を打たれていた。
前回の試験の後、私が大泣きしてしまった後、ユリウスは一緒に悲しんでくれた。私のためにできることは全部してあげたいと言ってくれた。
その言葉をこうして形にしてくれたことも、どうしようもなく嬉しかった。
「なんで泣きそうになってんの、かわいいね」
「う……」
こんなの誰だって泣きそうになるし、好きになってしまう。既にユリウスのことが好きな私は、余計に好きが溢れて止まらなくなった。
ノートをそっと抱きしめ、ユリウスを見上げる。
「ユ、ユリウス、大好き。本当に、ありがとう」
「どういたしまして」
よしよしと涙ぐむ私の頭を撫でてくれるユリウスはやっぱり、私の「好き」に恋愛感情が含まれているとは思っていないみたいだった。
絶対に次の試験でCランクになって、この気持ちをユリウスにちゃんと伝えたい。
そして喜んでくれたらいいなと、心から思った。