雪の女王
しばらくベヒーモスの獣のような叫び声が響き渡っていたけれど、やがて先程までの過酷な戦いが嘘みたいに辺りはしんと静寂に包まれた。
「…………」
地面に倒れた巨体の周りにはじわじわと血溜まりが広がっていき、ベヒーモスは金色の目を見開いたまま、ぴくりとも動かない。
ユリウスはずるりと剣を引き抜き、息をついた。
「あー、久しぶりにこんな疲れたかも」
そのままベヒーモスの死体からひょいと降りると、座り込んだまま呆然とする私の元へやってきて、私と目線を合わせるようにしゃがみ込む。
次の瞬間には左腕できつく抱きしめられており、その大好きな体温に視界が滲んだ。
「お疲れ様、頑張ったね」
「わ、私より、ユリウスやみんなの方が、たくさん頑張ってくれたよ! 本当にありがとう!」
私はただ安全な場所から、みんなの作ってくれたタイミングに合わせて矢を射るだけだった。命の危険と隣り合わせの中、みんなが戦い抜いてくれたからこそ、変種ベヒーモスという恐ろしい敵を倒せたのだ。
とにかく全てが終わって良かったと、脱力した私はユリウスの肩にぽすりと頭を預けた。
「……本当に、良かった」
とは言え、私自身も頑張ったのは事実だし、ユリウスが無事だったことも嬉しくて。なんだか甘えたい気持ちになってすり、と小さく頬ずりしてみる。
するとユリウスは動揺したように、ほんの一瞬、身体を強ばらせた。
「かわいいんだけど、なに? 俺をどうしたいの?」
「ユリウス、レーネ、楽しげにいちゃいちゃしているところ悪いけれど、さっさと下山するわよ」
「はっ、すみません!」
「邪魔しないでくれないかな」
いつの間にか二人きりの世界的なものを作ってしまっていたようで、慌てて顔を上げる。
人前でこんなことをするなんてと照れていると、ミレーヌ様はくすりと笑い、頭をよしよしと撫でてくれた。
激しい戦いによりどんなに服が汚れていても傷ついていても、やっぱりミレーヌ様は綺麗だった。
「レーネと吉田を戦わせたくはなかったんだけれど、巻き込んでしまってごめんなさい」
「そんな! 本当に本当に、ありがとうございました」
ミレーヌ様と私達はたった一歳しか変わらないというのに、その優しさや責任感、気高さなど何もかもに心底憧れてしまう。
前線で戦う姿も本当に格好良くて、いつかミレーヌ様みたいになりたいと思った。なりたいというのは流石に烏滸がましいため、近づきたいくらいにしておく。
「吉田もよく頑張ってくれたわ、ありがとう」
「……いえ」
次にミレーヌ様は吉田の頭を撫で、吉田も流石に照れたのか、くいとメガネを押し上げた。
美女に撫でられて照れるとはピュアボーイ吉田め、やはり可愛いところがある。
「それにしても、何でレーネの攻撃だけがベヒーモスに効いたんだろうね」
「な、何でだろう、やっぱりTKGのおかげかな?」
まさか私がヒロインだからです、なんて意味の分からない理由を説明する訳にもいかず、誤魔化すほかない。
そんな中、「ねえねえ」と呑気なアーノルドさんの声と共に、ざくざくと雪を踏みしめる音が聞こえてきた。
「俺の腕、なんか大変なことになってるんだけど」
「えっ……ぎ、ぎゃあああああ!」
笑顔でこちらへやってきたアーノルドさんの腕は存在してはならない場所に関節が増え、本来曲がるはずのない方向へ思い切り曲がっている。
私は絶叫し、吉田は引いた顔をして数歩後ずさった。
どう考えても痛いとかいう次元ではないだろうし、ホラーすぎる光景に思わずユリウスにしがみつく。
すると今度はユリウスが「……っ」と小さく呻いた。
「ど、どうかした? 大丈夫?」
「レーネの前で格好つけているだけで、ユリウスも相当ボロボロなのよ。一番ダメージを与えていたし」
「お前さ、ほんと空気読んでくれない?」
ユリウスは苦笑いを浮かべると左手で私の腕を掴み、立ち上がる。右手は特に痛むようで、下ろしたまま。
それ以外の部分も複数怪我をしているようで、私もジェニーのように治癒魔法が使えたら良かったのにと、思わずにはいられない。
「とりあえず帰ろっか。アーノルドの腕もあれだし」
「うん、そうだね!」
「すごく痛いや。レーネちゃん、慰めて」
「よ、よしよし……」
流石のユリウスもアーノルドさんの腕を心配しているようで、私も慰めずにいられない。
「レーネ、ベヒーモスに保存結界用の宝石だけお願い」
「あ、そっか! そうだよね」
「間違いなく私達が今年一番でしょうね。むしろ過去と今後合わせても、一番じゃないかしら?」
すっかり生き延びることに必死で、狩猟大会のことは頭から吹っ飛んでいた。変種ベヒーモスなんて滅多にお目にかかれない上に、倒すなんて普通は無理だろう。
すぐに小さな宝石を取り出し、もう動かないとは分かっていても恐る恐るベヒーモスに近づき足先に載せる。
するとブォンという軽い音と共に、その巨体は青白い光に包まれた。このサイズも大丈夫なのかと心配していたけれど、どうやら余裕らしい。魔法ってすごい。
「ふふ、のんびり雪兎狩りなんて、全然違ったね」
本当に散々な目にあったと私達は五人で顔を見合わせて笑い、魔法で一気に下山したのだった。
◇◇◇
「じゃじゃーん! どう、似合う? かわいい?」
「うん。世界一かわいいよ」
「……ごめん、冗談で聞いたのに普通に同意されて恥ずかしくなってきた。忘れて」
「なにそれ」
翌日、ウェインライト伯爵家の自室にて、私は大きなサファイアが輝くティアラを頭に乗せ、ユリウスに見せびらかしていた。
ソファで隣に座るユリウスは、笑顔でぱちぱちと拍手をしてくれている。
──これは今回の狩猟大会にて、雪の女王へ与えられたものだ。流石のクオリティで、改めてシアースミス公爵家の力を思い知らされる。
「本当に私で良かったのかな」
「うん、全員がレーネにって言ってたし」
私達が遭難していたことで閉会式は行われておらず、結果、変種ベヒーモスが一番の獲物となった。
まさか実在するとは誰もが思っていなかったこと、学生の私達だけで倒したことで騒然となり、なんと今朝の新聞にまで取り上げられたそうだ。なんだか有名人になったみたいで気恥ずかしい。
とは言え、公爵様や吉田父らは必死に捜索してくれていたみたいで、私達は悪くないものの、それだけは申し訳なくなった。
そして無事に治療を受けた後に行われた閉会式で、みんなは私を雪の女王にと言ってくれたのだ。ユリウスの怪我もアーノルドさんの腕も治って、本当に良かった。
怪我は治ってもやはり疲れは溜まっており、今日はひたすらゆっくりして過ごそうと約束している。
「それ、嬉しい?」
「うん。狩猟大会、すっごく楽しかったよ! もう二度とあんな怖い目には遭いたくないけど」
「本当に? レーネがそう思えたなら良かった」
ベヒーモスの件は思い出すのも嫌だけれど、それ以外は全部全部楽しかった。それはもちろん一緒に参加してくれたみんなのお蔭で、改めて大好きだと実感する。
「ユリウスもありがとう。とっても格好良かった!」
「好きになった?」
「うっ……す、少しなったかもしれない」
「あはは、嬉しいな。ベヒーモスに感謝しないと」
「もう」
ユリウスはこうしてふざけているけれど、実際あの時は痛みも苦しみも相当感じていたはずだ。
それでも私を心配させまいと、ずっといつも通りの様子で振る舞ってくれていた。本当にユリウスこそ、世界で一番格好いいと私は思っている。
「あ、そうだ。TKGのこともあるし、何かお礼をしたいんだけど、何がいい?」
後日、他の三人にもお礼をしたいなと思いながら、そう尋ねてみる。ユリウスは少しだけ考え込む様子を見せた後、にっこり微笑んだ。
この顔をするときは大体、よくないことを考えている時だと私は知っている。
「キスしてほしいな」
「うん、分かった」
「──え」
それでもユリウスの顔に手を伸ばし、そのまま頬に唇をほんの一瞬だけ押し当てる。こういうのは勢いでしないとダメな気がして、すかさず行動に移した。
本当にするとは思っていなかったようで、本気で驚いたのかぽかんとした表情を浮かべ、目を瞬いている。
ユリウスのこんな様子はとてもレアで、逃げ出したくなるくらいの照れも吹き飛び、思わず笑みがこぼれた。
「ふふ、変な顔──ってわ、っ!」
けれどあっという間にソファの上に押し倒され、形勢逆転してしまう。私を見下ろすユリウスの顔にはもう、照れなんてなくなっていた。
「今のは反則じゃないかな。俺もしていい?」
「そ、それは違うしダメ」
「やーだ」
「ごめんなさい調子に乗りました許してあああああ」
なんとかキスされるのは防いだものの、それからしばらくユリウスは私にべったりでドキドキが止まらず、全然ゆっくりなんてできなかった。
これにて「地獄の狩猟大会編」は終わりです。
次は「初めてのお誕生日編」に続き(短いです)、レーネ達が1年生のお話は終わりです。
4巻も順調に制作しているので、今のうちに1~3巻の紙書籍をなにとぞ買ってください(懇願)
引き続き「チート兄」をよろしくお願いします( ˘人˘ )♡