ヒロインの矜持 1
翌朝、目が覚めた瞬間、視界に飛び込んできたのはユリウスの綺麗な白い首筋で、私の口からは「ひっ」と小さな悲鳴が漏れた。
昨晩は背を向けていたはずなのに、いつの間にか向かい合い、抱きしめられる形で眠っていたらしい。
そして絶対眠れないと思っていたのに、私はあっさりぐっすり眠っていたようだった。乙女力が低すぎる。
「…………」
恐る恐る見上げれば、静かに寝息を立てて眠るユリウスの寝顔があった。銀色の長い睫毛がカーテンの隙間から差し込む朝日によって、キラキラと輝いている。
あまりにも綺麗で、思わず見入ってしまう。至近距離で眺めても一切文句のつけようがない美しさに、こんなの誰だって惹かれてしまうだろうなと納得したりした。
「……う、うわあ!?」
色々なドキドキですっかり目が覚めた私は、そろりとユリウスの腕から抜け出そうとしたものの、不意にきつく抱きしめられ、間抜けな声を出してしまった。
「おはよ」
「お、おはようございます!!!」
「朝から元気だね」
ユリウスは寝起きとは思えないくらい眩しく微笑み、「あと5分」なんて言って私の肩に顔を埋める。
普段、寝起きはいいはずなのにと思っていたものの、私は体温が高いため、くっついてると眠くなるらしい。
「それに次、いつ一緒に寝てくれるか分からないし」
「もう二度と寝ません」
「そのうちレーネから言わせるけどね」
「こ、こわ……」
その自信がどこから湧いてくるのか気になるけれど、ユリウスが言うとやはり本当になりそうで恐ろしい。
そんなこんなで二人で寝室を出れば、広間には吉田とミレーヌ様の姿があった。同じく朝から輝いている二人は朝食の準備をしてくれており、もうすぐ完成らしい。
「ちょうどいいわ。ユリウス、少し外を見てきて」
「無理」
「一番魔力感知に長けているんだから、さっさと異変がないかどうか見てきなさいよ」
「絶対寒いし嫌なんだけど」
「いいから早く」
ユリウスは大袈裟に溜め息を吐くと、大人しくコートを羽織って外へと出ていく。ユリウスをこんな風に使えるのはきっと、ミレーヌ様だけだろう。
そう言えば、アーノルドさんの姿がない。なんとなく朝が弱そうなイメージがあるし、朝食の時間だから起こしてあげようと、私は何気なく寝室2のドアを開ける。
そしてやけに肌色が多いベッドの上を見た瞬間、私は小屋の外まで響き渡るほどの悲鳴を上げていた。
◇◇◇
支度を終えて小屋の外に出ると、昨日の吹雪が嘘みたいに空は晴れ渡っていた。これなら吉田のメガネも曇らず問題なさそうで、ほっとする。
まずはベヒーモスを探し出すため、魔力の気配を辿りながら雪山を歩いていくこととなった。
「ねえレーネちゃん、お菓子たべる?」
「いりません。あっちに行ってください」
「俺、寝る時は裸派なんだ」
「聞いてません」
そう、起こしに行ったところ裸のアーノルドさんを見てしまうという、ショッキングな出来事が起きたのだ。
昨晩、そんな状態のアーノルドさんと同室で普通に寝ていた吉田とミレーヌ様のメンタルがすごすぎる。
「は、初めてあんな……男性のは、裸を見てしまって……もうお嫁に行けない……」
「ごめんね、責任とって俺がレーネちゃんと結婚する」
「アーノルドお前、俺のこと本当は嫌いでしょ? それか本気で自殺願望ある?」
「まさか。ユリウスはお義兄さんになるんだし」
「死ね」
アーノルドさん、知れば知るほど本当に様子がおかしい。アンナさんは最推しと言っていたけれど、アーノルドさんルートだけは恐ろしくてプレイできそうにない。
そもそも、全年齢の枠に収まるかどうかも怪しい。
「南の方角だね」
アーノルドさんを生き埋めにしたユリウスは雪の中をまっすぐに進んでいき、私達もその後をついていく。
どうやらみんなは、はっきりとベヒーモスのとてつもなく強い魔力を感じるらしい。ちなみに私はお恥ずかしながら「なんか嫌な感じがするなあ」程度だ。
けれど、少しずつ気配が強くなっているのは分かる。だんだん緊張してきて、私は吉田のコートを掴んだ。
「ねえねえ、吉田は緊張してないの?」
「していないと言えば嘘になる。流石にこれまで見てきた魔物の中だと、一番の相手だろうしな」
騎士団長の吉田父と狩猟大会以外でも魔物の討伐は何度もしたことがあるらしいものの、やはりベヒーモスのような相手は初めてだという。
私達の会話を聞いていたらしいアーノルドさんは「いい経験になりそうだね」と呑気に笑っている。いつの間に復活したのだろう。
「ま、結局は戦ってみないと分からないし、俺達3人で体力を削りながら、とにかく角を狙っていく感じで」
「結局、殴るしかなさそうね」
「楽しみだなあ、どれくらい強いんだろう」
私は危ないから吉田と少し離れたところで待機しているよう、きつく言われてしまった。
ヒロインというポジションを考えると本当に何もしないで大丈夫なのか気になるけれど、ひとまずは言う通りにして、様子を見ようと思う。
小屋を出てから、30分ほど歩いただろうか。やがてユリウスはぴたりと足を止め、口角を上げた。
「──ああ、あれだ」
その視線を辿った私は、ひゅっと息を呑む。隣を歩いていた吉田の喉元も、ごくりと動いたのが分かった。
白銀の毛に覆われた身体は、首が痛くなるほど見上げなければ視界に捉えられないほど大きく、私が生きてきた中で一番恐ろしい姿をしていた。
遠目でも分かるほど全身が筋肉でこぶのように盛り上がっており、その手足から繰り出される攻撃を一度でも食らえば即死するだろうと、容易に想像できる。
両目の上には日記に書かれていた通り巨大な太い2本の角が生えていたものの、あれを折るなんて本当に可能なのかと絶望に似た感情を抱いてしまう。
私達の存在に気付いたらしく、ベヒーモスの金色の目がぎょろりとこちらを向いた。
「グルアアアアァ!」
同時に耳をつんざくような咆哮が辺りに響き、思わず両耳を手で覆う。腰が抜けそうになり、私はもうその場に立っているだけで精一杯だった。
それでも、ユリウスやアーノルドさんは不安どころか楽しげな様子で、流石としか言いようがない。
「じゃ、行ってくるからここで待ってて」
「本当に本当に、気をつけてね」
ユリウスは私の頭をくしゃりと撫でると、アーノルドさんとミレーヌ様と共にベヒーモスへ向かっていく。
怪我のないよう祈りながら、両手を握りしめた。何もせずただ見ているだけなのは心苦しいけれど、私が加勢したところで足を引っ張るのは目に見えている。
──そう、思っていたのに。
「ど、どうして……」
それから数時間が経っても、ベヒーモスとの戦いは続いていた。ユリウス達は休みなく攻撃を続けており、ベヒーモス側も明らかに弱ってきているのが分かる。
それでも致命的なダメージを与えられていない上に、消耗しているのはこちらも同じだった。そしてそれは、弱点だという角を折ることができていないからだろう。
「ねえ、あの角って何でできてんの? 今の一撃でも折れないって、流石におかしいと思うんだけど」
「私だって本来ならもう、5回は折ってるはずよ」
三人も角に対して集中的に、且つかなりの威力の攻撃を繰り出しているのに、びくともしないのだ。それ以外の部位には攻撃が通るというのに、明らかにおかしい。
やはり誰もが違和感を覚えているようで、不穏な空気が漂っている。このままでは、こちらの体力と魔力が削られていくばかりだ。
身体は普通に傷付くのに、弱点の角だけどうしてほぼ無傷なんだろう……としばらく考えていた私は、ふと最低最悪な仮説に行きあたってしまった。
「──まさか」
そんな馬鹿なことがあってたまるかと思っても、このクソゲー世界ではどんなふざけた展開もありえてしまうから、心底嫌になる。
私はどうかこの予想が外れていてほしいと心底願いながら、背負っていたTKGを構えた。
「おい、お前一体何を……」
隣でもどかしげに三人の戦闘を見守っていた吉田が、突然弓を構えた私を見て、戸惑いの声を漏らす。
何度か深呼吸をすると、私は狙いをベヒーモスの角へと定めた。激しい動きをしているため、なかなかタイミングを掴めずにいたけれど、ユリウスが前脚を切り裂いたことでベヒーモスはバランスを崩し、片脚をつく。
その隙を見逃すまいと、私はすかさず矢を放つ。
「──レーネ?」
私の行動により、三人も驚いた表情を浮かべた。けれど次の瞬間、私を含めた全員が更に驚くこととなる。
「う、うそでしょ……」
これまでどんな攻撃にもびくともしなかった角は、何故か私の矢が当たったことで、先が少し折れたからだ。