狩猟大会 9
「あはは、そんなこの世の終わりみたいな顔しないで」
ユリウスは安心させるように私の手を握ってくれたけれど、冷や汗は止まらない。
──アンナさんは間違いなく『マイラブリン』をやり込んでいた、ガチプレイヤーだ。そんなアンナさんが何度も失敗したなんて、かなりの難易度のはず。
そしてロードを繰り返すほどの失敗があるとなると、変種ベヒーモスを倒すにはヒロインの頑張りが相当必要なのではないだろうか。
あんな巨大な化け物に対して、私に一体何ができると言うのだろう。雪でほとんど見えなかったけれど、それはもう恐ろしい姿をしているに違いない。
恐ろしくてたまらなかった大蜘蛛ですら、ベヒーモスと比べれば赤ん坊のようなものだろう。
何よりこれは現実でセーブもロードもないため、やり直しなんて効かないのだ。これまでで最大のピンチのような気がしてきた。超絶やばい。
「……ううん、大丈夫、絶対に大丈夫」
けれど、私はこれまでできる限りのことをしてきた。
これだけは胸を張って言えるし、現時点のステータスは間違いなく低くはないだろう。きっと打開法があるはずだと自分に言い聞かせる。
何より私には、みんながついているのだ。
「とりあえずみんなこれを読んで、頭に入れておいて。作戦はユリウスが明日の朝までに考えるはずだから」
「はいはい」
ひとまず交代で手帳を読むタイムが始まり、一番最後に読むと宣言した私はその隙に、さっさと寝る支度を済ませることにした。
今日は早朝に起きた上に、普段の数倍運動したのだ。疲れていないはずもなく、先程から眠くて仕方ない。
元々足手まといなのだし、たくさん寝てせめてコンディションだけはバッチリで望みたいと思いながら、私はバスルームへ向かったのだった。
◇◇◇
「あー、いい湯だった。生き返る」
「ふわあ……次は俺が入るね」
「あ、うん」
私と入れ違いに、欠伸をしながらやってきたユリウスがバスルームへと入っていく。ユリウスも早起きだったため、眠いのだろう。
こんな山奥だというのにトイレはもちろんお風呂も歯磨きセットもばっちりで、ご丁寧にホテルかと言いたくなるようなパジャマ的なものまであった。
お蔭で今すぐベッドに飛び込める、完璧で快適な状態になっている。このまま寝て起きたら遭難など全てが夢だったらいいのにと思いながら、歩いていく。
「ほら、お前の番だぞ」
「ありがとう」
広間に着くとソファに座る吉田に手帳を渡され、受け取った私はそのまま吉田の隣に腰を下ろした。
そして早速、手帳を開いて読んでいく。ところどころに赤黒いシミがあったりして、とても生々しい。
「両手両足だけでなく、長い棘まみれの尾からの攻撃も要注意……羽で空高く飛ぶため攻撃も困難……うわあ」
読めば読むほど、私に何かできるとは思えない。
攻撃力が非常に高いらしく、とにかく攻撃を食らわないようにすべきだという。それができたら苦労はしないと思いつつ、ページをめくっていく。
「弱点は角だと思われる……なるほど」
この日記の持ち主が片方の角を折ったところ、途端にベヒーモスの様子がおかしくなったという。
苦しむようにもがき、混乱したようにふらつき、明らかに弱体化したんだとか。
「片方の角を少しでこんなに変わるなら、両方折ったらかなり効果ありそうだよね」
「ああ。だが、相手は空を飛ぶらしいからな。それすら容易ではないだろう」
「確かにね。この手帳も古いし、今頃は角も生え変わって頑丈になってそうだなあ」
うーんと首を捻りながら読み進めていたところ、アーノルドさんが吉田とは反対側の私の隣に腰を下ろした。
そして恐ろしく自然に私の肩に腕を回し、顔と顔をくっつけて私の手元の手帳を覗き込んだ。
「????????」
「レーネちゃん、ここ見た? おかしいよね」
「あの、一番おかしいのはあなたですよ」
まるで恋人が一緒にスマホ画面をいちゃいちゃ見ているような距離感に、私は石像のように固まってしまう。
私には刺激が強すぎるため「近いです」と言って身体を押しても、「どうしたの?」と今度は手をぎゅっと握られてしまった。どうしたもこうしたもない。
気が付けばぴったりくっつき片手を恋人繋ぎしていると言う、いちゃいちゃ度が上がった体勢になっている。
もはや私はアーノルドさんの華麗なたらし技術に感服すらし始めていた。これはもう一種の才能だ。やろうと思って、誰にでもできることではない。
「それにこっちのページには──」
「お前さ、俺を怒らせたくてわざとやってるでしょ」
お風呂から上がったらしいユリウスはアーノルドさんの首根っこを掴むと、ソファから引きずり下ろす。
そしてアーノルドさんの頭を容赦なく踏みつけ、冷ややかな笑みを浮かべた。
「明日の作戦はアーノルドを縛り上げて囮にして、ベヒーモスを誘き寄せることにするよ」
「分かったわ。殴ったり蹴ったりして、弱らせておいた方がいいんじゃない? 手伝うわよ」
「俺、縛られるより縛る方が好きなんだけどな」
二年生組の恐ろしい会話を聞きながら、私は平和でほのぼのした一年生組で良かったとしみじみ思っていた。
ユリウスは私の隣に腰を下ろし、大きな欠伸をする。
「髪、ちゃんと乾かさないと風邪ひくよ」
「じゃあレーネがやって」
「明日の髪型、どうなっても知らないからね」
前回の旅行でヴィリーの髪を乾かしてあげようとして失敗したことを思い出し、ユリウスをあんな逆立ちヘアーにする訳にはいかないと緊張しながら風魔法を使う。
それでもこの短期間で成長していたらしく、時間はかかりそうだけど、ほわほわと乾かすことができていた。片手で魔法を扱い、もう片方の手で髪を撫でていく。
「ねえこれ、毎日やってほしいな」
「それはやだ」
「お願い。じゃないと俺、風邪引いちゃうかも」
「…………」
急にタチの悪い子供のような脅しをかけてくるユリウスを無視していると、私達のやりとりを見ていたらしいミレーヌ様がくすりと笑った。
「ふふ、恋人同士みたいだこと」
「そうなれたらいいんだけどね」
「あら、そうなの?」
全く驚いた声色ではないものの、ミレーヌ様は口元に手をあて、驚いたポーズをしてみせる。かわいい。
「うん。俺、レーネのこと好きだから」
その瞬間、私が大いに動揺したせいでユリウスの頭の上で小さな竜巻が発生した。