ランク試験(一年夏) 1
「あれ、もう食べないの?」
「……うん。あんまり食欲がなくて」
ランク試験を2日後に控えた私は、緊張で食欲すらなくなっていた。流石に大丈夫だろうと分かっていても、やはりドキドキしてしまう。センター試験前のような気持ちだ。
食事をする手が止まった私を見て、ユリウスは「かわいいところあるじゃん」なんて言って笑っている。お蔭で隣のジェニーからは、射殺さんばかりの視線を向けられた。
筆記試験は何とかなるにしても、緊張で失敗しそうな魔法の実技や、目に見えない魔力量測定がやはり不安だった。
間違いなく、王子からの好感度は上がっていない。攻略対象疑惑のある2人に関しては、多少上がっているかもしれないけれど。この世界に馴染み始め、この世界の人々を好きになった私は、そんな風に彼らを見るのが嫌になっていた。
最初の頃のようにゲームだから、ゲームキャラクターだからと割り切りその感情を利用するなんて、もう無理だった。この世界で私も彼らも、生きているのだ。
だからこそ、今後は好感度による魔力量についてはもう気にしないようにしようと思う。まだまだ、他の部分での伸び代だってあるのだから。むしろ伸び代まみれだ。
「そうか、もうすぐランク試験か。二人とも頑張りなさい」
「はい、お父様。Sランクを目指して頑張りますね」
「……私も頑張ります」
自信満々のジェニーが羨ましくなりつつ、私は食事の席を立つと自室へと戻り、すぐにペンを手に取った。
「おはようございます」
「…………」
「あ、画伯もおはよう」
「誰が画伯だ、バカ」
今日も校門付近で出会した、セオドア王子と吉田画伯に挨拶をして教室へと向かう。好感度は気にしないようにと思っていたものの、挨拶はもはや癖になってしまっていた。
ちなみに画伯には先日ノートを貸してくれたお礼に、彼への愛を綴った手紙と共にペンを贈った。テレーゼや兄にも色違いを贈り、自身にも同じものを買ってしまった。皆使ってくれているようで、とても嬉しい。
教室へと着くと、私はすぐに鞄から自作の単語帳を取り出して、すかさず勉強を始めた。
「うわ、お前朝から勉強してんの? すごいな」
「あと1日しかないからね」
そんな私を、通りがかったヴィリーが信じられないものを見るような目で見つめている。元のレーネと同じレベルの学力だというのに、余裕な彼が羨ましい。
「レーネ、無理はしないで」
「ありがとう。テレーゼの友人として、恥ずかしくない人間になってみせるからね」
「今だって、恥ずかしくなんてないわ」
なんて優しい友人なのだろう。そんな彼女と堂々と上位クラスの食堂で昼食を取るためにも、頑張らなければ。
そうしてひたすら真剣に授業を受け、あっという間に放課後になった。今日もラインハルトに声をかけて、図書室で勉強をしようかと思っていた時だった。
教室の入り口付近が、なんだか騒がしい。
机に掛けていた鞄を手に取り、一体何事だろうとドアへ何気なく視線を向けた私は、言葉を失った。
「レーネちゃん」
そこには前髪を切り、伊達眼鏡を外したラインハルトの姿があった。キラキラと眩しい笑みを浮かべる彼に、クラスの女子生徒達は釘付けになっている。
イケメンを前にすると、ランクは関係ないらしい。現金なものである。
「なんで眼鏡……」
「変かな?」
「いえ、大変素晴らしいと思います」
「良かった。ずっと義姉にお前の目は変だからかけてろって言われてたんだけど、レーネちゃんが褒めてくれたから」
もしかすると彼の義姉は、彼を独り占めしたかったのかもしれない。そういう歪んだ愛情パターンもよくある話だ。
「メガネを外してから、クラスで男子生徒に言い掛かりをつけられても、女の子達が庇ってくれるようになったんだ」
「でしょうね」
あまりの眩しい美貌に、多少目への嬉しいダメージはあるものの、彼にとっては間違いなくプラスになるだろう。
それに出会った当初よりも、彼は明るくなった気がする。
「一緒に図書室に勉強しに行こう?」
「うん」
「レーネちゃんの鞄、持つね」
「これくらい自分で持てるよ」
「持ちたいんだ」
私の鞄を嬉しそうに持つ彼は、なんだか可愛い。それから私達は下校時間ギリギリまで勉強をして、帰路に就いた。
◇◇◇
その日の夜、部屋でひたすらに勉強をしていたところ、コンコンというノック音が部屋に響いて。
ローザだろうと思い「どうぞ」と声をかけたところ、部屋へと入ってきたのはユリウスだった。彼がこうして私の部屋を訪ねてくるのは初めてで、少しだけ驚いてしまう。
「どうしたの?」
「遊びに来ちゃった」
「ふふ、なにそれ」
よく分からないけれど、私はペンを机に置くと椅子から立ち上がり、ソファに腰掛けた兄の向かいに腰を下ろした。
「これあげる」
そう言って彼が私に差し出したのは、可愛らしいお菓子の詰め合わせだった。見た目もとても可愛いそれに、テンションが上がってしまう。
お礼を言って受け取れば、そのうちのひとつを口に押し込まれてしまった。甘さが口に広がり、幸せな気分になる。
「それにしてもお前、よくそんなに頑張れるね」
ソファの背もたれにぼふりと背を預けると、ユリウスは感心したようにそう言って。私は「野望があるから」と答えつつ、もうひとつ包み紙を剥がして口に放り込んだ。
今日の夕食もあまり食べれなかったけれど、これならぱくぱくと食べれてしまう。
「野望?」
「そう。とにかく、楽しい学園生活を送りたいの。それにはまず、最低でもFランクを脱出しないといけないでしょ?」
そう答えれば、彼はなにそれ、と言って笑った。
「楽しい学園生活ねえ……例えば?」
「友達と遊んだりとか、あとは恋をしたりとか」
「へえ? お前、恋愛に興味なんてあったんだ」
「それはもう」
「あはは、全然そんな風には見えなかった」
今はまだ恋愛に現を抜かしている場合ではないから、と言えば兄は納得したようだった。
「俺も恋とかしてみたいなー」
「嘘つき」
「本当だよ。お願いね、レーネちゃん」
「何それ」
相変わらず、兄は訳がわからない。それに、彼が本当に誰かを好きになりたいと思っているようには見えなかった。
「とにかく、今日は区切りのいいところでやめて寝なよ。お前、十分頑張ってたから大丈夫だろうし」
「あ、ありがとう」
「俺は落ちこぼレーネも好きなんだけどね」
「ちょっと」
やがてユリウスは「それじゃ、おやすみ」と言うと、ひらひらと手を振って部屋を後にした。
──もしかすると、兄は私を励ましに来てくれたのかもしれない。このお菓子だって、最近食欲がなかった私を気遣ってのことではないかと思ってしまう。
「……嬉しい、なあ」
こうして自分を気にかけてくれる人が側にいることが、とても嬉しい。それにユリウスの言う通り、この1ヶ月間やれるだけのことはやった。きっと、大丈夫。
彼からもらったお菓子をまたひとつ食べ、机へと戻ると教科書を閉じ、寝る支度を済ませて布団へと潜り込んだ。