そうして物語は始まる
「ごめんなさいね、丁度魔法学の教科書が売り切れで」
「そんな……」
今日もヴィリーのせいで後始末に時間がかかってしまったものの、なんとか魔法薬学の授業を終えて教室へと戻ってくると、ロッカーの中の教科書やノート、体育着まで泥だらけのぐっちゃぐちゃだった。
王道の虐めなのだ、予測できたことではあった。何の対策もしていなかった私が悪い。そもそも、こんなことをする人間が間違いなく悪いのだけれど。
溜め息を吐き紙類は全て捨てて、昼休みに売店へと来たものの、次の魔法学の教科書のみ買うことが出来なかった。
仕方なくそれ以外の真新しい教科書とノートを買い抱えて戻れば、くすくすと嫌な笑い声が聞こえてきた。
「やだ、可哀想」
「そもそも、バカに教科書なんていらないんじゃない?」
そう言って笑っているのは、登校初日に机を蹴り飛ばして来た女子生徒達だった。間違いなく、彼女達の仕業だろう。とは言え、証拠もないのだ。問い詰めることもできない。
そして最近は、以前よりも嫌がらせが悪化しているような気がしていた。ランク試験を前に、クラスの雰囲気自体がピリピリしている気がする。
きっと皆、余裕がなくなっているのだろう。この学園ではランクが全てなのだから。
「……気にしない、気にしない」
ここで私が悲しむような素振りを見せては、彼女達を付け上がらせるだけだ。ヴィリーに私の教科書類を見張るよう言い、泥だらけのロッカーを拭くため廊下に出る。
その際、偶然通りがかった吉田に魔法学の教科書を借りることができた。他クラスに友人もおらず、テレーゼも今日は休みだったから本当に助かった。
ノートも全滅したことを知った彼は「写しておけ」と言ってきっちりと書き込まれたノートまで貸してくれた。
「ふっ、ふふ……げほっ、ごほっ」
「ウェインライトさん、何をふざけているんですか」
「す、すみません」
そして授業中、吉田の美しい字が並ぶノートを眺めていたところ、大事なポイントではオリジナルキャラクターらしき謎の生き物が吹き出しで色々と喋っていて。つい声を出して笑ってしまい、教師に怒られてしまった。
吉田、壊滅的に絵が下手だ。ほんの少しへこんでいたものの、彼のお蔭で元気が出た私は気合を入れ直した。
◇◇◇
放課後、泥だらけの体育着を軽く洗ってから持ち帰ろうと思った私は、裏庭の水道へと向かっていた。
裕福な貴族令嬢である私は、びっくりするほどのお小遣いを貰っている。新しいものを買い直すお金はあったけれど、まだ使えるものを捨てるのも勿体ない気がしてしまうのだ。
「あっ、こんにちは」
「…………」
歩いているとセオドア王子に出会し、いつものように挨拶をする。もちろん返事は返ってこなかったけれど、いつもすぐに通り過ぎていく彼の足が止まった。
その視線は、泥だらけの体育着に向けられている。
「…………」
「あっ、すみませんお目汚しを……」
なんだか申し訳なくなり、小さく会釈をして再び歩みを進める。そうして裏庭に到着したところ、先客がいて。
「さっさと居なくなれよ、クズ」
「っう、」
なんと、三人がかりで一人の男子生徒に対して暴力を振るっていたのだ。地面に蹲っている彼を思い切り蹴り飛ばしているところを見てしまった私は、慌てて駆け寄った。
「何をしてるんですか!」
「お前、Fランクの中でも最弱の……」
そんな四天王みたいな言い方があるだろうか。どうやら、私がFランクの中でもビリらしい。実質学年最下位だ。
とにかく大声で教師を呼ぶと言えば、彼らは舌打ちをして「Fランクが移る」なんて言い、去っていった。結局、弱いものいじめをする人間は気が小さいのだ。
私はすぐに振り返り「大丈夫?」と声を掛ける。
やがて顔を上げた彼の胸元では、私と同じ真っ赤なブローチが光り輝いていた。初めて自分以外のFランクの生徒を見た私は親近感を覚えてしまいつつ、片手を差し出した。
恐る恐る私の手を取った彼は、ふらふらと立ち上がる。
「す、すみません、貴女の体育着が泥だらけに……」
「あっ、これは元々です」
とにかく、怪我が酷い。私はもちろん治癒魔法は使えないため、彼を連れて保健室へと向かうことにした。
保健医によって無事に手当をされた彼の表情は、暗いままで。なんとなく放っておけなかった私は、お茶でも飲まないかとカフェテリアに誘うことにした。
「ありがとう、ございます……」
温かいお茶を差し出すと、俯いたまま彼は小さな声でお礼を言ってくれた。周りからは「Fランクカップル誕生か?」と小学生レベルの冷やかしをされたけれど、無視をする。
青い髪と分厚いメガネが印象的な彼は、ラインハルトと言うらしい。やけに格好いい名前だ。
「初めてです、この学園に来て、誰かに優しくされたの」
「そっか」
あちこちに見える痛々しい怪我の跡から、彼が今までどんな目に遭って来たのかは想像が付く。女子の虐めは陰湿だけれど、男子の虐めというのは直接的のようだ。
彼は家庭環境にも恵まれていないようで、余計に親近感が湧いてしまう。
「レーネさんは、すごいですね。僕はきっとこのまま、退学になってしまうと思います」
「そんな……」
虐めは辛いものの、退学は彼の本意ではないらしい。退学になれば家族からどんな仕打ちを受けるか分からないと、彼は先ほどよりも俯いた。
その姿は、前世で可愛がっていた男の子に似ていて。やはり放っておけないと思った私は「ねえ」と続けた。
「良かったら、私と一緒に頑張らない? 二人でFランクを脱出して、周りをぎゃふんと言わせようよ」
「レーネさんと、一緒に……?」
「うん。きっと一人より二人の方が頑張れるし」
私としても、Fランク仲間を見つけられたことは嬉しい。彼はしばらく戸惑ったような様子を見せていたけれど、やがて小さく首を縦に振ってくれたのだった。
とは言え、次のランク試験までは時間がない。翌日の放課後から、私は毎日ラインハルトと共に勉強と魔法の練習を始めることにした。
ユリウスは「また浮気?」なんて言いつつ、彼にも魔法を教えてくれ、テレーゼも私達二人の勉強を見てくれた。吉田も他の教科のノートを貸してくれた。
改めて自身が周りに恵まれていることを実感しつつ、ラインハルトにもそう思える日が来て欲しいと思う。
「……レーネちゃんといたら、何でもできる気がする」
「そう?」
放課後、図書室で二人で勉強を終えたある日の帰り道。彼は突然、そんなことを呟いた。
「僕、頑張るから」
「うん、頑張ろうね」
「ユリウス様や吉田さんみたいな、魅力的な人になりたい」
「そっか」
身近に目標となる人がいるというのは、良いことだ。私もテレーゼという女神に少しでも近付きたいと思っている。
そうして歩いていると、前方から来た男子生徒が思い切りラインハルトにぶつかって。彼はそのまま地面に倒れ込み、カシャンと音を立ててメガネが地面に転がった。
「だいじょ……えっ」
心配になり慌てて彼に駆け寄った私は、言葉を失った。
長い前髪とメガネで隠されていた彼の素顔が、超絶イケメンだったからだ。そんなバカなことがあるだろうか。
「メガネ、割れちゃった」
「だ、大丈夫?」
「大丈夫だよ、伊達眼鏡だから」
「あっ……そうなんだ……」
柔らかく細められた薄いグレーの瞳は、信じられないくらいに美しかった。本当に待って欲しい。そもそも、どうして伊達眼鏡をかける必要があったのだろうか。
「レーネちゃん」
こんなイケメンが長年虐げられ、優しくされたのが初めてだなんてあり得ない。けれど此処は、ベッタベタの展開からクソゲーと呼ばれていた世界なのだ。あり得てしまう。
そして気が付いてしまった。こんなにも設定が大盛りすぎるのだ、彼が攻略対象なのかもしれないということに。
「レーネちゃん」
とは言え、吉田と髪色が被ってしまう。兄弟でもない限りは、同じ髪色の人間が攻略対象だなんてことはあり得ない。
大体、ファンタジーもののゲームのパッケージは攻略対象の髪色でレインボーなのだ。きっと、どちらかは違うはず。
「レーネちゃん、レーネちゃん、レーネちゃん」
「あっ、ごめんね! ちょっと考え事してて……」
慌てて顔を上げれば、きゅっと手のひらを握られる。
「いつも心配ばかりかけてごめんね。レーネちゃんのために僕、頑張るから。レーネちゃんのことを虐める人間なんて居なくなるように、強くなるから」
「うん……?」
なんだか不穏な空気が漂ってはいるものの、彼がやる気を出してくれたなら良かった。
そんな私の頭の中は、2人目の攻略対象は一体どちらなのかということで一杯だったけれど。
既に5人の攻略対象が出揃っているなんてことには気が付かないまま、ランク試験まで残り一週間を切ったのだった。
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