正しい距離感の保ち方
「お前、また距離感ボケしてる」
そんなユリウスの言葉に、アーノルドさんは「あ、ごめんね」と言い慌てて私から離れた。色々な汗をかき始めていた私は、ほっと胸を撫で下ろす。
「アーノルドはド天然の人たらしだから、気を付けた方がいいよ。こいつのせいで何人の女が泣いたんだか」
「わあ……」
ユリウスはやはり呆れたようにそう言うと、しっしっと追い払うような手つきをして見せた。
確かにアーノルドさんのような人にこんな風に触れられては、期待したり勘違いしたりしてしまう人は出てきてしまうだろう。それも無自覚とは、なんとも恐ろしい。
「レーネちゃん、本当にごめんね。普段は気を付けてるんだけど、ユリウスの妹だと思うと親近感が湧いちゃって」
「いえ、大丈夫です」
申し訳なさそうな表情を浮かべる彼に、両手を振って気にしないで欲しいと伝えれば、ほっとしたように微笑んで。その破壊力に、油断していた心臓が悲鳴を上げた。
とにかく私は、さっさとこの作業を終わらせたいのだ。今日の授業でわからなかった部分も復習したい。
そう思い再び花壇に向き直った私の手を、何故かアーノルドさんがしっかりと掴んでいた。
「もう一回最初から教えるね」
「ええっと……」
気持ちはとても嬉しいけれど、また最初からあのポコっとかふわっとかいう話を聞くのは避けたい。けれど、断る理由も思いつかず、困ってしまう。
「お前、教えるの下手すぎるからやめた方がいいよ」
ユリウスはそう言って2階の窓から飛び降り、風魔法を身に纏いふわりと着地すると、私の手を掴んでいたアーノルドさんの手を払い除けた。
「いちいち触らない」
「……最近、治って来たと思ってたのにな」
アーノルドさんはと言うと、叱られた子犬のような表情を浮かべている。天然の魔性キャラ、恐ろしすぎる。
「それにこいつは天才型だから、多分俺達には分からない感覚で魔法を使ってる。時間の無駄だよ」
そんな言葉にふと、引っかかりを覚えた。
まるで自身は天才ではないとでも言いたげな、いつも自信満々の兄らしくない口ぶりだったからだ。
「さっさと終わらせて帰りたいんだろ?」
「うん」
「土魔法は今度教えてあげる。これ、終わらせるよ」
「あ、ありがとう」
「どういたしまして」
そうして、彼は見事な土魔法であっという間に作業を終わらせてしまった。あまりの優しさに、戸惑ってしまう。
再び「ありがとう」とお礼を言えば、ユリウスはふわりと微笑んだ。周りからは悲鳴が聞こえてくる。
「俺もレーネちゃんみたいな、可愛い妹が欲しいな」
そんな私達を見て、アーノルドさんは羨ましいな、と呟いた。彼は一人っ子で兄妹というものに憧れているらしい。
アーノルドさんのような兄がいたら、心臓に負担がかかりすぎて早死にしてしまう気がする。
そう思っていると、ユリウスはいつかのように私の身体に腕を回し、ぐいと引き寄せた。
「あげないよ」
◇◇◇
その日の夜。遅くまで勉強をしていた私は小腹が空いてしまい、なにか夜食を作ろうと厨房へとやって来ていた。
「あれ、こんな時間にどうしたの?」
「レーネこそ」
そうして脳内の少ない引き出しからメニューを考えていたところ、ユリウスが現れたのだ。どうやら彼も同じ理由で、此処に来たらしい。
「こんな遅くまで何してたの?」
「勉強してた」
「えっ」
「俺だって再来週はランク試験だからね」
学年によって内容は違うものの、ランク試験は全学年同じ日に行われる。そしてその日のうちに結果が出るのだ。
「なんか、意外だった」
「そう? 俺はお前が思ってるほど、天才じゃないよ。かなり努力もしてるし」
そう言いきれるほど、彼は努力の人なのかもしれない。勝手に何でも出来てしまうのかと思っていたけれど、その意外な事実にまた少し兄の株が上がった。
「それなのに、私の指導で時間を使わせてごめんね」
「いいよ。俺の為でもあるし」
「……それ、どういう意味なの?」
「内緒」
やはり、兄はよく分からない。とりあえずいくつかの野菜とお肉を取り出した私は、くるりと振り向いた。
「簡単なスープとパンでいい?」
「……レーネが作るの?」
「うん」
スープを作りパンを焼くくらいなら、レシピがなくとも作れるだろう。やがて首を縦に振った彼の分も、作り始める。
「いつの間に料理なんて覚えたの?」
「一昨日にも、ローザと夜食を作ったから」
「ふうん」
一昨日もお腹が空いて此処に来たところ、ちょうど廊下でローザに会って、厨房の勝手やこの世界の食材や調味料なんかも教えてもらったのだ。
一人暮らしをしてからは毎日節約料理をしていたから、手際は悪くないはずだ。とても美味しい! というものを作れる自信はないけれど、形にはなるだろう。
やがて簡単に作ったそれらを皿に盛り、自身と彼の前に並べた。ユリウスは少しだけ驚いたような表情を浮かべたものの、すぐに食べ始める。
「……美味しい」
「本当に?」
「うん、本当。結婚する?」
「バカじゃないの」
風呂に入った後だからか普段癖のあるようにセットしている髪は落ち着いていて、少しだけ幼く見えた。耳元には彼によく似合う、金色のピアスが輝いている。
まだまだイケメンすぎるこの顔には慣れないな、と思いながらスープを掬う。未だに、鏡に映る自身の姿にすらびっくりしてしまう時があるのだ。
「ごちそうさま。本当に美味しかったよ」
「良かった」
あっという間に完食し、レーネのお蔭で頑張れそうだという彼の言葉に、胸の奥が温かくなった。思い返せば、前世では誰かに料理を食べてもらうことなんてなかったのだ。
家族って、こんな感じなのだろうか。そんなことを考えている私の手を取り「戻ろうか」とユリウスは歩き出す。
……この大きくて温かい手のひらには、少しだけ慣れ始めてしまっている私がいる。
「距離感ボケしてるよ」
「俺はいいの」
不思議と今夜は、私もまだまだ頑張れそうな気がした。