思っていたのと大分違う
「……あー、これはヒロイン。ヒロインの顔だわ」
目が覚めたら見知らぬ部屋、視界に入った髪色も長さも記憶の中の自分とは違う。ふらふらと起き上がった私は広く豪華な部屋の中にあった鏡の前に立ち、そう呟いた。
そして自身の記憶が、乙女ゲームがぎっしり詰まった棚が倒れてきたところで途切れたこともまた、思い出していた。
もしかすると、私は死んだのだろうか。推しに埋もれて死にたいと思ったことはあるけれど、解釈違いにも程がある。
けれど特殊な訓練を受けてきたオタクの私は、すんなりと現在の状況を理解した。これは最近流行りの、異世界転生というやつではないだろうか。
「うわあ……本当に可愛い、お人形さんみたい」
栗色のふわふわのロングヘアに、小さな顔。真っ白な肌に映える、ぱっちりとした桃色の瞳。改めてじっと鏡を見つめてみると、まさに愛されヒロインの顔をした美少女がこちらを見ていた。
──それにしても、ここは一体何の世界なのだろう。部屋の中も私の装いも、まさに貴族令嬢という感じだ。
仕事や現実に疲れ「異世界転生したい」なんて思ったこともあったけれど、いざこうしてその立場になるなんて思ってもみなかった。なんだかドキドキしてしまう。
もしかするとこれから、モテモテでキラッキラのリア充生活が始まるのだろうか。ついつい浮かれてしまいながらも辺りを見回すと、数冊のノートが目に入った。
「レーネ・ウェインライト……」
近くにあったノートの表紙には、そう記されていた。きっと、この身体の名前だろう。けれど全く覚えがない。
そもそも、基本的に各ゲームのヒロインの名前なんて記憶にない。何故なら、いつもオープニング後はすぐに自分の名前を入力していたからだ。よほど好きな作品かアニメ化くらいしていないと、覚えることはなかった。
この顔にも見覚えもある気はするけれど、やはり思いだせない。通常画面でもヒロインフェイスはオフにする、自己投影型だったのが凶と出てしまった。スチルでは攻略対象の顔ばかり見てしまっていたのも敗因だろう。
長い時間をかけて数百もの乙女ゲームをしてきた私にとって、よほど好きな作品以外の記憶は薄い。まあ、そもそもここが乙女ゲームの世界なのかすら、分からないのだけれど。
とにかく、これからどうしようと思っていた時だった。
「レーネお嬢様、目が覚めたのですね……!」
そう言って、美人メイドが部屋へと入ってきたのだ。やはり、彼女の名前も思い出せない。この身体の記憶というのは、ほとんどないらしい。
とりあえず名前を尋ねれば、彼女はこの世の終わりのような表情を浮かべた。
「まさか、階段から落ちたことで記憶が……?」
「階段から、落ちた?」
「ああ、それすら覚えていらっしゃらないのですね……!」
やがてローザと名乗った彼女は泣き出しそうな顔で、私が2日前からずっと意識がなかったことを教えてくれた。
「……ねえ、金髪の女の子とか知ってる?」
そして階段から落ちていく瞬間、金髪の少女が笑顔を浮かべこちらを見ている映像がふと、頭の中に思い浮かんだ。もしかすると、この身体の記憶だろうか。
「はい。ジェニー様ですね。とてもお美しい方で、同い年ではありますがレーネ様の妹にあたります」
同い年の妹とは一体。複雑すぎる。けれど顔ははっきりと思い出せないし、姉が階段から落ちていく様を笑顔で見ているなんてあり得ない。流石に別人だろう。
とにかくローザから色々と話を聞こうと思っていると、不意に突然「レーネ」と名前を呼ぶ声が聞こえて。
「目が覚めたんだ」
声がした方へと視線を移せば、あまりの眩しさに目が痛くなるほどの超絶イケメンが、部屋の入り口に立っていた。
白金の少し癖のある髪に、透き通るような碧眼。もはや芸術作品では、と言いたくなるくらい正確に美しく作られ並べられたパーツ。間違いなく現実では拝めないレベルだ。
その整いすぎた顔に思わず見惚れていると、彼はそんな私を見て思い切り眉を顰めた。
「俺の顔が、何か?」
「その、見たことあるような、ないような……」
「は」
思わずそう呟くと、彼は余計に困惑した表情を浮かべた。
「ユリウス様、レーネお嬢様は頭をぶつけたショックで、記憶が失われているようなんです」
「本気で言ってる?」
ユリウスと呼ばれたイケメンは、口元を押さえ私を改めてじっと見つめた。こんなレベルのイケメンに見つめられ、普通に照れてしまったところ、引いたような顔をされた。
「ローザさん、あの人は一体……?」
「ユリウス様はレーネ様のお兄様にあたります」
「えっ」
兄妹だけでも情報量が多すぎる。自身も含め美形兄妹のようだけれど、全然似ていないような気がした。
「とにかく、私はお医者様を呼んできますね」
そう言ってローザは私と彼を置いて、部屋から出て行ってしまった。兄は相変わらず、戸惑いを隠せずにいるようだ。
妹がいきなり記憶喪失らしい上に、見つめただけで照れたような反応をすれば、そうなるのも当たり前だろう。
やがて、先に口を開いたのは彼の方だった。
「記憶喪失って、本当に?」
「えっと、はい」
「学園に行きたくなくて、嘘をついてる訳じゃなく?」
「……と、言いますと?」
学園、行きたくないとは一体、何のことだろう。
首を傾げる私に対し、彼は何故か気まずそうな表情を浮かべた後、再び口を開いた。
「お前、虐められた末に階段から飛び降りたんだよ」
「ええっ」
そんな予想もしていなかった言葉に、先程までの浮かれていた気持ちは一瞬で吹っ飛んだ。
……キラキラ生活、始まる前に終わってない?