家路
ここ最近、コロナでの自粛生活を余儀なくされている私には、密かな楽しみがある。それはスマートフォンのアプリを使って世界旅行をすることだ。検索画面に「ミュンヘン」だの「パリ」だの「ニューヨーク」だの。とりあえず適当な都市の名前を入力して、検索。そうするとその都市が実際にでてくるのだ。しかも都市の地図を見るわけじゃない。そこには人の流れもあるし、空の青さも周囲の立体も細かく見ることができる。動くわけではないけれど、平面図ではない。3Dの写真として見ることができるのだ。
この仕組みを知ったのは、平日の昼間にやっていたバラエティ番組だった。
普段だったら決して見ることのできない番組は、このコロナ下の生活のおかげ(?)で見る機会が格段に増えた。最近の趣味はリモート授業の合間にバラエティ番組を見るか、スマホで世界旅行をするのがマイブームになっていた。
漫画や小説の世界からでてきたような市庁舎のあるミュンヘンの広場も、空を貫かんばかりにそびえたったエッフェル塔も、人や車の流れを感じることのできるタイムズスクエアも、実際その現場に行かずとも見ることができた。
科学文明ってすごい! 改めてそう感じたものだ。
でも,そうやっていつもは行くことのできない場所が簡単に見られると、今度は普段から行っている場所が気になるものだ。
だから私はちょっとした出来心で、まずは普段通学している(もちろん今は行けない)高校付近を検索してみた。すると現れたのはレンガ造りの学校の校門。そこから閑静な住宅街をひたすら歩くという、いつもの通学路をたどっていくと、やがて見えてきたJR武蔵野線の新座駅のロータリーに着いたときはちょっと感動したものだ。
じゃあ今度はもっと違うところを見てみようと、池袋駅から見える街並みやいつも寄り道してはその香りにお腹を空かせてしまうアップルパイ屋さんを外から眺めてみたりもした。残念ながら、中には入れなかったけど。
そして味を占めた私はとうとう、地元の駅から自分の家までの道のりを進むことに決めたのだ。
で、早速検索。そして驚いてしまった。何故か周囲は真っ暗で頼りになる明かりはポツポツとそこらへんで光っている街頭の明かりくらい。つまり、あたりは完全な夜の世界だったのだから。
今までどの都市を検索してもたいてい昼間か夕方だったから、なんだか面白かった。まあそういうこともあるよなぁ。そう思いながら、私はまず、駅の周辺がどうなっているのか確かめた。
いつも見慣れている駅のはずなのに、アプリで見るとまた違う感じがする。
それにしても、本当に暗いな。日の入りの早い冬の時期なんかは、よくこのくらいの暗さで帰ったりするもんだけど、そういうときは家までの道を自転車で爆走していたりするものだ。だって怖いんだもの。途中の物陰からバァッと何かでてきたらとか。あるいは後ろから突然、肩をたたかれたりとかされたら――。そんな怖いことを考えて、なるべく後ろを振り返らずに帰っていた。
駅から家まではだいたい自転車で10分くらいの道のりだ。だから距離的にはそれほど大したことはないんだけど、このアプリはたまに「行き止まり」を示すことがある。実際には道が続いているんだけど、どんなにいじっても先へ進むことができない。それで仕方なくもとの場所に戻って、違う道から進まなきゃいけないこともあるのだ。
うん、いつもの駅だ。それがわかってなんだか安心してしまった。そして同時に、不思議と冒険心がくすぐられた。なんだろう。世界旅行をしていたときも楽しかったけど、普段見慣れた道をこういう形で歩くのは別の意味でわくわくする。早速歩きだそうとしたところで、街灯の下に変なモノを見つけた。
いや、モノじゃなくて人だ。拡大しようかと思ったけど、タップした瞬間に道が進んでしまった。ありゃりゃ。まあいいや、どうせ通行人か何かだろう。
ロータリーをでて、居酒屋が並ぶ道を進んでいく。さすが夜の風景だけあって、暗いはずなのに駅周辺はめちゃくちゃ明るい。まあ、普段昼間はこのあたり電気なんてほとんどついてないものね。だったら、夜という設定は案外良いかもしれなかった。
駅の近くにある、普段使っている自転車置き場は電気が消えて真っ暗だった。人の姿も見られない。いつ頃撮影されたのだろうか。もしも7時くらいだったら買い食いの高校生たちがうろうろしていたり、管理人が電気を点けっぱなしにしていたりするのに。それがないってことは、もしかして夜中にこの風景は撮られたのだろうか。だとしたらお疲れ様だ。ほぼ楽しむためにこのアプリを使っているけど、このアプリで街並みを再現してくれた開発者さんには感謝しなくてはならない。私は心のなかでひそかに合掌する。
自転車置き場を通り過ぎようとしたとき、またも人陰を見つけた。会社帰りのサラリーマンとかだろうか。今度は街灯からやや離れた位置にいるため、姿がぼんやりしていてわかりにくい。全身黒ずくめなのは夜の闇にまぎれているせいだろうか。あるいは、黒のコートを着ているとか? だったらこの撮影は冬かな。ますます開発者さんに感謝だ。寒い夜空の下で写真を撮り続けた姿が目に浮かぶ。もうそろそろ夏になろうとしているのに、つい冬の寒さを思い出して身震いをした。
普段は車の通りが多いところも、見かけたのは1台だけだ。3Dになっている写真からは車の姿がライトとともに残像となって道を横切っている。ちょっとロマンチックだ。
そして、またいた。
あの人陰が。
車道をはさんで反対側の歩道。今度は街灯の下だからはっきりと見える。黒いコートに黒い帽子を身に着けていた。足元はぼんやりしていてわからないけど、ともあれその人は、さっき自転車置き場で見つけた人陰と体格がそっくりだった。
全身黒ずくめというところに怪しさがあふれている。なんだろう。撮影のための目印として立っているとかなのかな。でも夜なのに全身真っ黒の姿ってのはどうなの? もうちょっと……、例えば赤色の服を着ているとかだったらわかりやすいのに。
変な寒気を覚えながら私は道を進み続けた。横断歩道を渡った先にあるコンビニ、そこを通りすぎると見えてくる住宅街に私の家がある。
指でタップしたところで、私は悲鳴をあげそうになる。
またいたのだ。
今度はコンビニの入り口。しかも今度こそ、全身がはっきりと映っていた。黒いコート、黒い帽子、黒い靴。まじの全身真っ黒の人。今度こそ見間違えようもない。自転車置き場や歩道で見かけた黒ずくめの奴だ。何あれ。まるで今からコンビニ強盗でもしますよって感じの服装。そういえば、駅の反対側のコンビニが1週間くらい前に強盗にあっていたっけ。もしかしてこいつ、その犯人とか?
体じゅうの熱がすぅっと引いていって、無意識のうちに体が震えていくのがわかった。窓は開いていないし、エアコンも使っていない。でもなんだろう。すごく寒い。私はソファの上に畳まれてあった毛布を手にして体を覆った。
ドキドキする気持ちをおさえながら、コンビニを通り過ぎようとしたそのときだった。
人陰が目の前に立っていたのだ。
「ひぃっ!」
びっくりしてスマホを落としてしまう。手まで震えてきた。
何あれ、何あれ、何あれ、何あれ、何あれ!
私はおそるおそるスマホの画面を見返した。
黒ずくめのそいつは、正確にはすぐ目の前に立っているわけではなかった。今いる場所から1メートルくらい離れた場所に立っている。でもそこは進行方向で、しかもその角を曲がれば私の家が近い。なんだろう、まるでストーカーにでもあっているみたいだ。
恐怖と、でもこの先どうなっていくのかという好奇心とを感じながら、私は曲がり角を曲がろうとした――。
ピンポーン
びっくりして顔をあげる。
ピンポーン ピンポーン
あ、家のチャイムだ。気が付いて、私は慌てて立ち上がった。壁にある応答ボタンに近寄ろうとして、けれど思いとどまった。
もし、変な人だったらどうしよう。私の家のインターフォンはカメラが搭載されているからチャイムが押された時点で外にいるのが誰なのかわかるけど、それがもしさっきの全身黒ずくめのあいつだったら?
いや、あの写真は過去に撮られたものなんだから、さすがにあいつが写ってるわけはないけど、タイミングがタイミングだから、応答しようにも腰が引けてしまってうかつにでられなかった。
でもチャイムはさっきからひっきりなしに鳴り続けている。もう夕方になるから家のなかの電気は外から丸見えだろう。つまり居留守はバレてしまっているというわけだ。
今、お父さんもお母さんもいないのに……。
泣きたい気持ちをおさえながら、私はカメラに近づいた。大丈夫。もし怪しい人だったら適当にやり過ごせばいい。しつこかったら警察を呼ぶって言って脅す手だってある。もしも宅急便や郵便配達だったらわかるし。
びくびくしながらカメラをのぞくと、そこにはどこかで見たことあるような制服を着た男の人がいた。帽子の鍔で隠れているせいで顔は見えないけれど、たしか宅急便の制服だ。
ホッとしながら、私はマイクをONにした。
はい、と返事をすると相手の人が口を開く気配がした。
「たっきゅうびんです……」
ぼそぼそっとした、聞き取りにくい声でその人は言った。
「あ、はい。ちょっと待ってください」
私はスマホをカウンターの上に置いて、玄関へ向かった。
ストッパーをはずして、かけていた鍵も開ける。
「はい、ご苦労さまで――」
す……、という言葉が空気となって消えてしまう。
だって扉の向こうにいたその配達員は、スマホのアプリで散々見た黒ずくめのあいつと。背格好がまったく同じだったのだから――。