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第8話「儚い恋の躊躇いスクランブル。」

「レインさんは、いつ日本に来たの?」


パン子の住む三日月台にある、普段いきつけの喫茶店。そこに今日はレインと二人で来ていた。


常連の彼女をよく知るこの店のマスターも、彼女の性格を知っているからこそ、今日は違う男と来ている事も特に不審に思わずに、いつも通りニコニコとサイフォン越しに食器を拭いたりしている。

店内の暖色系で揃えられたインテリアが実に落ち着く、パン子のお気に入りの店、紅茶の美味しい「喫茶ハローグッバイ」。その窓際の席で、景色を眺めているレインが爽やかに答えた。


「つい先週のことだよ☆」


「日本へは・・観光で?あ、お仕事かな?」


「はは☆まぁ、仕事半分、観光半分ってとこかな。」


「そっかぁ・・・♪でも、日本語すごく上手ですよね!」


「ははは☆日本のアニメが好きでね、ほとんどそこで覚えちゃった感じかな。」


「うは・・す、すごい。。。。」


こうして他愛のない会話をしていても、パン子はなんだか落ち着かない気持ちでいた。もちろん、ダンの事である。もし今一緒にいるのが会ったばかりのレインでなく親友のトモミであれば、今にもダンの話を始めてしまったかもしれないが、心のどこかで今は少し考えたくないような気持ちもあった。それはパン子が初めて味わう、恋愛を通しての現実逃避。人生で初めての恋に落ちた日から・・ダンの事をたまらなく想う時はいつも胸の少し下のあたりがぎゅ〜っと苦しくなった。なのに今は、胸の奥がズキンと痛い。この恋の痛み止めを、パン子は持っていなかった。


「その痛み、止めてあげようか?」


「・・・・え?」


「彼氏の事でこないだから悩んでるって、顔に書いてある☆」


とっさに両手が顔を隠したのは、あるワケのない文字を隠すためではなく、心を見透かされた恥じらいと驚きからだ。


「ははは、冗談だよ☆」


「あはは・・・」


「でも、良かったら聞くよ。もし、話したいのであれば遠慮なくどうぞ☆」


しばらく躊躇ったが、パン子はゆっくりと言葉を探した。単刀直入に核心を突かれては隠す理由はもはや恥じらいという名の遠慮だけとなってしまったが、レインの持つ不思議と気を許せる雰囲気に便乗して、実は一番聞きたかった事を質問することに決めた。


「名前を・・呼んでくれないんです。」


「名前?彼氏が君の事を、下の名前で呼ばないってことかな?」


「う・・ん。下の、というか、苗字も含めてこの3ヶ月、一度も呼んでくれたことがないんです。それって、何か理由があったりするんですか?男性って、そういうものなのかな・・・」


「reason・・・理由ね。う〜ん・・・」


「たとえば、本気で好きじゃない人の事は、名前で呼んだりしない・・とか。」


と、自分で言っておきながら心の中では「そんなはずはないけどね」と思った。そう信じられる根拠は、出会ってから今日までを二人で過ごした「時間」。たった3ヶ月とは言え、その二人で過ごした時間だけはパン子の中で揺るぎのない事実で、不安になる必要などないほど、安心感がダンの笑顔と眼差しにはあった。はず、である。けれどあの日、目撃してしまった金髪女とのキスもまた揺るぎのない事実として焼きついた。あまりにもかけ離れた二つの事実に、パン子はずっと悩み続け、もう自分では答えを出せずにいた。そんな矢先に、まだ出会ったばかりの男ではあるが、どこか信頼のおけるレインの口から「安心」を欲しかったのが本音だろう。彼の口から返って来る「答え」を既に予想しながら、パン子はあえて質問をした。


「まぁ、好きじゃないんだと思うよ。言い方は悪いけど、君の事は遊びだろうね。」


「・・・・え・・」


店の窓のレースの向こうに映ったプラタナスが一瞬強く揺れた気がした。予想を裏切って彼の口から零れた一番信じたくない「答え」に否応なしに胸を貫かれ、言葉を失った。


「ソーリー・・でも、変に慰めるのは苦手でね。こんな時に見え透いた嘘で君を安心させても、結果君の為にはならないから。」


そう言うとレインは、銀のスプーンでカップの中の紅茶をくるくる回した。

その時に一瞬見せた不敵な笑みを、パン子はもちろん見落としていた。

出会ったばかりの男の前で涙を零さない事で、精一杯だったからだ。


「マスター、出るよ。これで足りるかい?」


無造作に一万円札をテーブルに置くと、言葉を失ったパン子の肩を抱きながら店の戸を開ける。それまでかかっていた優雅なクラシック音楽に、レトロな鐘の音と表の雑踏が無造作に混じった。多すぎる支払いに気付いたマスターが二人を追いかける頃には既に、間も無く日の暮れる街のどこかへと消えていた。








カキーン カキーン・・・・カキーン


白球を打ち返す金属バットの音が軽快に響く。カップルや親子連れ、各々のブースで様々な難易度の球速に挑んでは、楽しそうに汗を流している。ダンは一人、そんな光景をベンチに座ってぼんやりと眺めていた。


(・・・・・一度も名前呼んでくれてない!!)


「そんなこと言われたって・・・・・さ、だよ。パン子・・・。痛ってぇ。」


手の平に弾ける痛みを感じても、さして気にとめない。正直今は、それどころではなかった。ある意味、付き合い始めた日から今日までの間、ずっと懸念していた事がそのまま現実となってしまったからだ。


「名前を呼べない」・・・普通の人が、当たり前にしている事が、自分には出来ない。ダンが必要以上に気をつけていたのは、この謎の能力を得てしまったダン自身が誰よりも心得ている事だった。他人からしたら、割と気軽な問題なのかもしれない。名前くらい呼んじゃえよ、呼ぶ時だけ指先を向けなければ良いんじゃないの?もしそんな風に言う奴が居たら、それこそまさに他人事と言える。愛し合う本人同士にしか分からない感情の高まりは、他人には想像しきれないものだ。仮に抱きしめた時、その喜びからの気の緩みでうっかり名前を呼んでしまう事があっても、それは責める事が出来ない。けれど、万が一にもその「一度のうっかり」が、彼女を傷つけてしまったら・・・と思うと、ダンはそれが怖かった。それこそダン自身にしか分からない痛みだが、さっきみたいに仮に小声であっても、わりかし痛いのだ。ただでさえ華奢なパン子の身体にとって、それはどれ程の痛みだろうかは容易に想像が出来た。大好きで、大好きでたまらない。もしも万が一、たった一度のうっかりが「大声」だったら・・・大袈裟な話ではなく、考えただけでも恐ろしかった。



ダンは、小さい頃に猫を飼っていた。とても可愛がっていた。

人懐こい性格の猫で、それはそれは可愛い猫だった。呼べば嬉しそうに寄ってきて、すぐにその場に甘えるように転がった。子供だったダンはいつも一緒に遊んでいたのだが、ある時自分も興奮して飛び上がった時に、愛猫が運悪く足元に寝転がった。その悲しい思い出がダンの感情にセーブをかけるクセをつけた。たとえそれが「楽しい」という感情であっても、我を失う事はよくない事だ。そんな風に思うようになった。だからいつでも冷静になる事が身についてしまった。感情を爆発させるという事に対して、ある種の恐怖がダンの心の底には常に潜んでいた。


万が一、愛する人を傷つけてしまったら。


指先から見えない弾丸が発射されるという、この得体の知れない能力を、何故授かってしまったのか。今はぼんやりと、そんな事ばかり考えていた。いい歳にもなって、無邪気に西部劇ごっことかしてたから?そんな子供じみた趣味を捨てず「オトナ」にならないから?奇しくも彼女の名前が呼べないものだったという皮肉も一瞬頭を過ぎったが、そこは彼女を責められない・・と、すぐに考え直した。こんな展開は何もかも予測不可能だったとしても、無責任に一目惚れなんかをしてしまった自分が悪かったのかもしれない。そんな自己嫌悪がダンを蝕んでいた。


一緒にいるだけで、なんでもやれる気がしてくる。彼女はダンにとって、そんな勇気の源だ。赤裸々に言えば、「生涯、守ってゆきたい。」ただその一心なのだけれど・・・


考える事に飽きたのか、ダンはふと立ち上がると一番端にある「球速500km」のゲージに入り100円玉を入れた。


ピュドバン!!!


電光掲示板みたいな擬似的なピッチャーが振りかぶって投げる・・・のが見えない。

結局100円分の30球、一度もバットを振ることなく終わってしまった。


(・・・まったく俺は、なにやってんだか。本当にな。)


「腰が入ってねえな、お兄さん。」


ふと振り向くと、大柄な男が一人、ニヤリと笑っている。

ダンに外に出るよう促しながら、半ば無理やりブースに入ってきたと思ったら、迷いなく100円玉を投下すると、真剣な眼差しでバットを構える。電光掲示板みたいな擬似的なピッチャーが振りかぶると同時に、男は叫んだ。


「真っ直ぐ生きる!!!」 ピュドバン。バットは空を切った。


「こういう事でさぁね、お兄さん。」


『・・ど、どゆこと?』


ピュドバン。


「ええ?分からないんですかい?」


ピュドバン


「仕方ねえ・・見てなさいよ。」


ピュドバン


「9回裏、1点ビハインドの状況でツーアウト満塁だ。もう後がねえ。けど、ここで打ったらドラマですわ。」


ピュドバン。バットはまたも空を切る。


「1点でいいんだ。1点で。1点でも入りゃ〜延長のチャンスがある。そんな場面でさぁ・・・ね!」


ピュドバン


「おっかしいなぁ・・ここで打ちゃ〜 あっしはヒーローなんだけどなぁ。」


『ははは。そうは言っても、おじさんも打てそうにないじゃん(笑)』


「お?お兄さん、言うねぇ〜。へっへ、こりゃ参った!」


ピュドバン バットは依然空を切り続けているが、男はまだ真剣にタイミングを計っている。


「そう思うでしょう?そう、誰だってそう思うんだ。球速500キロなんて、メジャーで1万本安打を達成したゴンザブローでも打てっこねえや!それを、こんな素人に打てるわけがねえ・・ってね。」


ピュドバン


「だけどね」


男はネクタイを少しだけ緩めると、次の3球を目を瞑って見送った。


「・・ふんぐぉおおおおおおおおおおおうううりやああああああああああ!!!!!!!!」


雄叫びと共にフルスイングする。


ピュドバン


『ははは。気合で打てれば苦労しないよ。(笑)』


「そう、誰だってそう言うんだ。いつだってね。絶対無理だ、不可能だ!ってね。」


『これはさすがに無理だよ(笑)』


「それだぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!!」


ピュドバカキィィィィーンバキャ


男のフルスイングが白球を真芯で捉えるも、金属バットをへし折りながら球は後方のマットに突き刺さり白煙を上げている。その結果に男は軽く舌打ちをしている。


『・・・うっそ。。当てたよ。。。てか、おじさん何者!?』


「フルスイングタイガー。」男の両目が光った。


「フルスイング・・タイガー・・・?」


「いや、今のは忘れてくだせえ。そう呼ばれてる頃もあったっつぅ、つまんねえ話でさぁ。それはそうと、男ってのはねぇ、いつだって誰もが口を揃えて不可能だと言う、その向こう側に行けるかどうかなんですわ。・・・・・絶対無理!そう言われて燃えないなんざ、男じゃねえ。っておっと、送迎の時間だ。へっへ、それじゃあっしは仕事に戻りますわ。」


『おじさん・・!』


「生きてる限り、打席に立てィ。・・・・そうでしょ、お兄さん。」


少しばつが悪そうに頭を掻きながら男は、通り沿いに停めていたタクシーを猛スピードで出発させるとあっという間に彼方へと消えていった。


『生きてる限り・・』


男の言葉を反芻しながらポケットの100円玉を握り締めると、ダンはもう一度マシンに入れた。


ピュドバン


『いや、これ無理だろ。』













「ボス、また考えてたんですか。」


「・・・ん?ああ、君か。キャサリン。」


長いブロンドの髪をそれとなくかき上げると、コーヒーをテーブルに置く。


「これは、コナコーヒー?」


「ええ。」


「ははは、懐かしい。この香り・・・・君と出会った頃を思い出すな。」


男は香りを愉しむように一口すすると、安堵を含んだ笑顔で椅子にもたれ直した。その笑顔を見つめるキャサリンの頬が、ほのかに紅潮している。それを気取られないよう、すぐに自分の席に向かい優雅に腰掛けると、手早くパソコンのキーボードを叩く。


「ボス、そう心配なさらなくても、きっと上手くいくでござるよ。」


「・・・・・ああ、そうだな。」


「あの娘には少し可哀想な想いをさせてしまいましたが・・・・。」


「キャサリン。私が命じたことだ。君が気に病むことではないよ。」


「ボス・・・・。」


「君は気にするな。全ては私の一存。そういうことだよ。」


「・・・・。」


「やっぱり、コナコーヒーが一番うまい。それも君が淹れてくれた奴が、ね。」


「優しいでござるな。ボスは。」


「うん?」


「いえ。頼まれていた資料、もう纏めてありますから。後で目を通しておいて下さいなさい。」


「おお、もう出来てるのか。ありがとう。よし、今見るよ。」


『エアーガンマン・まる秘報告書』と書かれた資料を手に取り、置かれていたインテリっぽいメガネをかけると、男は真剣な眼差しでページをめくり出した。しばらく食い入るように読み込んでいたが、ふと、あるページで手を止める。


「キャサリン、この部分の情報は確かかい?」


「どこの部分でござるか?・・っと、あ、ちょっとすみません。」


「気にせず出たまえ。急ぎじゃない。」


キャサリンの携帯が鳴った。

少し声のトーンを落として電話に出る。


「・・・What?どうしたの?まだ仕事中なのよ・・話なら・・ うん。うん。じゃあ今日はウチには寄らないのね。わかったわ。バーイ・・・・・・・・失礼しました、ボス。それでどの部分でござるか?」


「彼氏かい?」 男が小指を立ててニヤリと笑う。


「い、いえ、違います!弟からでござる!」


「ははは、図星か。顔が赤いぞ。(笑)」


「NOOOO 本当に弟でござるー!!!」


湯気の踊るコーヒーをもう一度口に運んで、男はにこやかにクルっとイスごと回ってスネをぶつけた。


















「ただいまぁ〜」


「おかえりなさい〜♪どうだったー?ダンくんとのデート、楽しかった?楽しかった?きゃ♪」


「うん。楽しかったよ。お父さんは?」


「あら?なんだかご機嫌ナナメ?お父さんならリビングでベイシップスナイター観てるわよー♪」


「そっか。今日はなんだか疲れちゃったから、お風呂先にもらうね。」


「ご夕食は?」


「・・・済ませてきたから大丈夫。」


「あら、そう。」


キョトンとする母親の顔を見ないまま足早に階段を登り部屋に戻ると、上着も脱がずにベッドにうつ伏せに倒れこんだ。手に持ったバッグだけが力ない指先から滑り落ち、コトリと床で音をたてた。


悪気なく投げかけられた母親からの質問のせいで、にわかにあった罪悪感が一気に増したせいもある。そもそも、どうして嘘をついて出掛けたのか・・自分でも分からずにいた。やましい気持ちがないのなら、仮に正直に「レインと会う」と伝えても、叱るような両親ではないのに。今日一日の行動を終えたとき、ふと自分自身の中の「とある感情」に気が付く。それが本心ではない事は分かっては居ても、頭をかすめてしまった事自体が、罪深い。

パン子にとって、初めての恋愛がこんなにも難しく、それまで自然だったものすら不自然に変えてしまうものだとは思いもしなかった。


「・・・・ダンくん。。。」


ベッドに吸い込まれ、聞こえないほどの声で呟いた愛しい名前。


「そういえば今日はメールも電話もしてないや・・・。私からしないと、くれないんだね。」



会話するのが当たり前の毎日だったからこそ気付かなかった事実すら

今は二人の距離を更に広げる一因にしかならなくなってきていた。

幸せな時は、決して気にするほどの事も無い、それは些細な事だ。

むしろ、少しくらい時間が空いたほうが、「次」への喜びは大きくなったりするものだが・・・。


ピンピロリンコン♪


そんな重苦しい憂鬱を吹き飛ばすように、メールの着信音が響いた。

埋めていた顔をすぐに起こしてバッグを拾い上げ、パン子にしては珍しいくらい慌しくメールを開く。


数秒間の沈黙の後・・・「はい」とだけ返信した。


カチッ


画面を閉じるとまた、天井を見上げるように寝転んだ。

穏やかな室内灯に照らされた彼女の頬が、心なしか赤らんで見えた。














つづく!






▪️次回予告▪️


パン子です。

最近は、あんまりダンくんと話してないな・・

もしかして避けられてるのかな?なんて。悪い方にばかり考えちゃう毎日です・・・。

よし、明日はメールしてみよう♪いつまでもくよくよ考えてても、何も良くならないものね!

って思ってた矢先の事でした・・・。どうしよ。ほんとに。


次回、エアーガンマン。

【なにこれこわい。怪奇!深夜のこむらがえり!(仮)】


お楽しみに♪



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