第八章:第二次人森戦争・前編-44
ちょっと過ぎてしまいましたがご容赦ください!!
「……使ったのですか? あの魔法……」
ジェイドは〝翡翠〟傘下ギルドの一つであり、表沙汰に出来ない死体の処理や偽装工作、証拠隠滅を生業としているギルド「大蜥蜴の熱帯夜」のギルドマスター、ドラモコンド・ウィンドリバーにそう問われる。
彼等の目の前ではドラモコンドの部下達がデネソールの死体を適切に処理し、運ばれて行った。
そしてジェイドはその様子を浮かない表情のまま見つめ、ただ静かに、ゆっくりと首を縦に振る。
「奴は《陰影魔法》の使い手で、弩による遠距離攻撃と《陰影魔法》の魔術を利用した死角からの超近距離攻撃を主軸に戦う厄介な相手だった。格下とはいえ、下手な油断は命取りになっただろう」
ジェイドはこれまでも、どんな相手であろうと敵対中の敵に対して情けを掛けた事は一度もない。
父親からそう厳しく躾けられたし、下手に情けを掛けて酷い仕打ちを受けた仲間達も大勢目の前で見て来た。
故にデネソールが自分より格下の相手であろうとも手は抜かず、情報を与えぬままに瞬殺したのだ。
「で、ですが旦那様……。あの魔法は人目を憚ります。我々ならば兎も角、我々の無知なギルド員がそれを目撃してしまっては……」
「案ずるな。その点は抜かり無く念入りに確認している」
「だ、旦那様がそう仰るならそうなんでしょうが……。もう勘弁願いますよ? 発狂した部下達の対処は御免で御座います」
ドラモコンドは少し呆れたように頭を抱えながら溜め息を吐く。
今から二十年程前。まだジェイドが今回発動した魔法を会得したばかりの頃に、彼はちょっとした〝事故〟を起こしている。
とある任務の終了間際、中々情報を吐かない敵に対して業を煮やしたジェイドが同様の魔法を発動した。
最初は上手くいっていたものの、その様子を目撃してしまった「大蜥蜴の熱帯夜」のギルド員数名が〝発狂〟。
武器を持った状態で無差別に暴れ回り、彼等の同僚二名が死傷し、五名が重体の怪我を負ってしまったのだ。
その後ジェイドは酷く父親に叱責され本人もまた深く深く落ち込み、それ以降は例の魔法の使用を可能な限り制限しながら周囲を厳重に確認するようにし、更なる魔法の制御を心掛けて来た。
が、部下に死傷者が出てしまった過去はいつまでも傷跡としてドラモコンドに残り続けており、未だにジェイドに対して僅かな不信感を抱いている。
「まったく……。お前の信用が無いな、私は……」
「そ、そういうわけでは無いですが……」
「構わん。私とてあの様な魔法、使わないに越した事は無いと考えている」
「ええ……」
「だが事は戦争……。それもカーネリアに進軍中の遊撃部隊隊長相手だ。そんな相手に魔法的優位に立たれては切れる札を切るしかあるまいよ」
あのまま出し惜しみし、《闇魔法》と闇琅玕のみでデネソールを相手にしていたらば、恐らくはもっと苦戦し、長期戦になっていただろう。
もしかしたらデネソールはその間に冷静さを取り戻し、部下を殺された弔い合戦を切り上げて《陰影魔法》を使いカーネリアに進軍されていたかもしれない。
《陰影魔法》はどちらといえば攻撃的ではなく、隠密や移動に向いた魔法。仮にデネソールがそれを戦闘にではなく逃走に全力を注いだ場合、十中八九逃げられていた。
あの場あの時。情報の会得やそういった逃走の可能性を全て考慮すると、あの魔法を使うのが最も効率的だとジェイドは考え、使ったというわけである。
「成る程……」
「安心しろ。再びカーネリアが襲われん限りもう使う事は無いだろうし、戦勝後は余程の事態に陥らん限りお役御免になるだろうからな。お前の心配も杞憂に終わる」
「……坊ちゃんには──」
「ん?」
「坊ちゃんには伝授されるのですよね? その闇琅玕と一緒に……」
「……」
闇琅玕同様、先程の魔法もキャッツ家に代々受け継がれているものである。
歴代当主が最も能力が高く、そしてあらゆる責任を背負える素質を持った我が子に授け、今日まで続いて来た。
それに倣うならば、ジェイドは闇琅玕と併せて例の魔法を継承するのが普通なのだが……。
「……アイツに、コレ等を渡して良いものか……」
「旦那様?」
「アイツは──クラウンは今でさえ強い。最高位魔導師に追い付かんばかりに魔法を会得し、何種類もの武器を使い分け、使い熟している」
「……」
「にも関わらず奴は慢心せずに努力を惜しまず、あらゆる物事に考えを巡らせ一切の油断をしないまま、己が未来が最適に向かう道を模索し続ける……。そんな出来過ぎる息子に、今更コレ等をわざわざ渡す必要があろうか?」
ジェイドは自身が握る闇琅玕に視線を落とし、眉間に皺を寄せながら鋭く睥睨する。
その瞳に宿るのは小さな憎しみ……。
裏稼業というキャッツ家の負の面。それを体現するかのような二つの継承物は、根は情深いジェイドにとってある種自分が裏側に堕ちる切っ掛けとなったものである。
だがそんな小さな憎しみも、次に掛けられたドラモコンドの言葉で霧散する。
「そ、それは多分無駄な事になるかな、と思います」
「何?」
「旦那様なら充分理解しておいででしょうが、坊ちゃんは大変知恵の回るお方と聞きます。例え旦那様が黙っていたのだとしても、それらの存在に坊ちゃんなら何れ辿り着くでしょう。それも極めて短い期間に」
「く……」
「存在を知れば坊ちゃんは必ず貴方様に継承を迫る……。旦那様は、それも跳ね除けられますか?」
闇琅玕と例の魔法。その存在を知るのはキャッツ家の人間と〝翡翠〟傘下ギルドのギルドマスター達、そしてフラクタル・キャピタレウスと国王の面々のみ。
一子相伝の魔法故に受け継ぐ以外の会得方法は独自研究で辿り着く以外に方法は無く、息子のクラウンがこの事を知れば必ずジェイドにその事で詰め寄るだろう。
そうなればジェイドは二つの理由──裏稼業の引き継ぎ、闇琅玕と例の魔法の継承で迫られる事になる。
ただでさえ裏稼業の引き継ぎの際に押し負けそうになり、この上二つの継承物の存在がクラウンに知れればどんな詰め寄り方をされるか……。
父親相手とはいえ、想像に難くはない。
しかしそれでも。やはり父親として大事な息子が自ら危険に身を投じるのを指を咥えて見てなどはいられない。
「だ、だが……。私は──」
「まだ駄々を捏ねているのですか?」
そんなジェイドに少し離れた位置から声が掛けられる。
ジェイドとドラモコンドの二人がそちらに振り向くと、そこには懐から取り出しチェーンに繋がった懐中時計で時間を確認する「蟾蜍の蜃気楼」ギルドマスター・モタグアの姿があり、ゆっくりと二人に歩み寄って来る。
「モタグア……」
「我等の主人として情け無い。本人が望んでいるのならば与えるべきでしょう? 裏稼業の引き継ぎも、二つの継承物の継承も……」
「なっ!?」
「伝統を重んじるという意味ではありませんよ? 聞いた所によると坊っちゃまの資質と人間性は貴方より数段高いですし、後々に我等を導く指導者として、その二つの継承物は明確な御旗になります。実に理想的だ」
「モタグアお前っ!? 私はまだクラウンにお前達を預けると決めたわけでは……」
「では旦那様は我々にアゲトランド伯の元へ行けと? 御冗談を……」
懐中時計を仕舞いながらモタグアは無感情な目で主人であるジェイドを見据え、真っ直ぐその目を見ながら続けて言葉を紡ぐ。
「我々〝翡翠〟傘下の五ギルドは、代々キャッツ家の裏稼業に粉骨砕身で献身し、王国を裏から守り続けて来た。それを我々は誇りを持って遂行し続けて来たのです」
「う、うむ……」
「ギルド員にしてもそう。キャッツ家が与えて下さる仕事は、様々な事情で表に出来ないような技術や知識を有効活用出来る数少ないもの……。我々はキャッツ家に、返し切れない恩義があるのです」
「……」
「それを似たような役割だからとアゲトランド伯の元へ、などと……。我々の気持ちや誇りは無視なさるおつもりで?」
「そ、そんなつもりはっ!! 私は……」
「良いですか旦那様? この期に及んで坊っちゃまを裏の跡継ぎと御認めにならないのは旦那様だけなのです。お分かりで?」
「ぐ……」
モタグアはスッパリそこまで言い切ると「受け継がせるならば早い内に。我々も挨拶せねばならないので」とだけ言い残してその場を去って行く。
ジェイドはその後ろ姿を目で追いながら、深い深い溜め息を吐いた。
「ハァ……。私の気も知らんで好き放題言いおってからに……」
「お、お言葉ですが旦那様……」
「む?」
「それについては私も……モタグアに同意せざるを得ません」
「ッ!? ドラモコンド、お前まで……」
「旦那様。モタグアも言っていましたが、私達が一体何年キャッツ家に奉公して来たかお分かりですよね?」
「それは……勿論……」
「ならば貴方はもっと私達に執着して下さいっ!!」
「──ッ!!」
「正直に言いますよ? 私達〝翡翠〟傘下の五ギルドは坊ちゃん──クラウン様に真剣に付いて行きたいと考えています。何故だと思います?」
「いや……それは……」
正直な話、ジェイドは何故二人がここまでキャッツ家を離れたがらず、またクラウンを担ごうとしているのかよく分からなかった。
キャッツ家の事を思い残りたがってくれているのは、二人が言っていた通りだと理解出来る。
しかしそれはあくまでも〝感情〟だ。
仕事人間の鏡の様な彼等がそれを優先する事はジェイドからしてみれば考えられず、必ずそこには合理的な部分が根っこにあるハズ。
ならば優先順位と彼等の合理性を考えればそのままアゲトランド伯の元へ行き、存分に活躍した方が息子に引き継がせるよりよっぽど良い。
加えて息子クラウンは幾ら優秀といえどまだ齢十五……。クラウンの言っていた通りギルド立ち上げに多少の時間を要しようと彼ならば遅くても数年ばかりだろう。
当主の嫡男とはいえそんな若輩に、自分と自分の大切な部下達を預ける選択をする彼等ではない。そう、ジェイドは思っている。
なのに何故……。
「分かりませんか?」
「……」
「そうですか。なら教えて差し上げます」
ドラモコンドはジェイドの正面に立ち、彼の顔をジッと見詰めた。
それはいつもの少しおどおどとした態度と吃る口調とは裏腹に堂々と背を伸ばし、少し多めに息を吸ってからハッキリと告げる。
「それはですねッ! クラウン様が私達を心から欲して下さっているからですッ!!」
「……何?」
思っていたよりもかなり感情的な理由に、ジェイドは思わず首を捻ってしまう。
「一体、何を言っている? お前達はもっと合理的に物事を判断する奴等だったろう? それが、何故そんな感情的な……」
「感情的にもなりますよ……。主人である貴方様がそんなに腑抜けられてしまっては」
「な……」
「そもそも私達は貴方様とは違いアゲトランド伯を信用していません。預けられた所で私達が優遇されるとも思いませんし、使われるにしても雑に扱われるでしょう」
「いや……いや違うぞッ!! アバはそんな事は決して……」
「それを信用しろと? 私に?」
「そ、れは……」
「はぁ……。良いですか旦那様。私達五ギルドのギルドマスターからすれば、たかが似た役職であり旦那様の親友という理由だけでアゲトランド伯に預けられるよりも──」
「うっ……」
「それよりも何より、若輩でも下手な大人より圧倒的に万能で能力が高く、尚且つ向上心に溢れ果敢に困難に挑み、そして私達を必要としてくれる坊ちゃんの方に魅力を感じるのは、必然では無いですか?」
「……」
「……旦那様」
「……なんだ」
「どうかご決断を旦那様。貴方様の〝ワガママ〟一つで坊ちゃんだけでなく、私達五ギルドの総員が望まぬ未来を歩む事になる……。その事を努努軽視されませぬよう、お願い致します……」
そう言いドラモコンドもモタグア同様にジェイドに背を向け、歩き去って行く。
その背中はまるでもう二度とコチラを振り向かず、そして二度と自分の元に戻って来るつもりが無いと語っているようで、ジェイドは思わず手を伸ばしてしまいそうになった。
だが数秒前に彼に言われた言葉が頭の中を谺し、伸び掛けた手は上がらずに代わりに強く拳を握る。
ドラモコンドは〝翡翠〟傘下の五ギルドのギルドマスターの中で最も腰が低く、弱々しい印象を受けるギルドマスターらしからぬギルドマスターであった。
上司であるジェイドには例の事故があったものの目に見えた反抗心など燃やした事は無く、多少の意見は述べるものの基本的には命令には殆ど首を縦に振る。そんな男だ。
そんな男が自分に対してああも語気を強めて真っ向から反論した……。そんな事を、彼に言わせてしまった……。
「……私は」
「旦那様」
自分を呼ぶ声に咄嗟にそちらに振り返ると、ジェイドはその顔を──カーラットの顔を見て僅かに安心したように表情を綻ばせる。
「ギルドマスターの方々が居りましたので遠慮するついでに事後処理をしておりましたが……。随分と浮かない顔ですね」
「いや、これは……」
「……成る程」
カーラットは少し先で歩き去って行くドラモコンドの姿を見て何となく察する。
そして恐らくドラモコンド以外とも色々あったかもしれない、と。
「裏稼業引き継ぎの件、ですね」
「あ、ああ……」
「でしょうね……。まったく、折角敵軍を退けたというのに主人がこの調子では……」
やれやれ、と頭を抱えながら悩まし気な表情を浮かべるカーラット。
しかしカーラットとしてもギルドマスター達の言っている事や思っている事には内心概ね賛成してはいる。
クラウンが言っていたように、幾ら親友とはいえ他貴族に自分の一族に何百年と仕えてくれていた部下達を預けるのは勢力的に余り頂けないし、アゲトランド伯が彼等に不当な扱いをしないという保証もない。
何より今現在でさえ計り知れぬ成長をし続けているクラウンに任せられれば、より彼等五ギルドを有効的で先進的な使い方をするだろう。
本人の言の通り、クラウンに預けるのが最も綺麗な形でキャッツ家は纏まる……。それに異論の挟む余地などない。
やはり問題なのは……。
「子離れ出来ない父親か……。哀れというか可愛い気があるというか……」
「なんだ? 何か言ったか?」
ふと自分が心中を口に出してしまっている事に気付いたカーラットは慌ててジェイドに「仕事のちょっとした愚痴です」と誤魔化して笑う。
「まあ、何にせよです。一度しっかりと奥様と話し合われた方が宜しいのではないですか?」
「か、カーネリアにかっ!?」
「はい。家族の問題は家族で話し合われるのが一番でしょう?」
「し、しかし……。裏稼業の事は私に一任されている……。それなのに妻に情けなく泣き付くというのは……」
「裏稼業どうのではなく、愛する息子の将来の事として話し合うのですよ。私が聞いている限り、どうも旦那様は坊ちゃんを跡継ぎに、というよりも、単純に危険に遭わせたくないと思っている様に感じます」
「む……。同じではないのか?」
「ふむ……。まずはそこから話し合われる事ですね。そうすれば多少なりとも、その胸中の大時化も凪ぐでしょう」
そう言ってカーラットは手に持っていた物をジェイドへと差し出し、ジェイドは闇琅玕を地面へと突き立ててからそれを受け取る。
「コレは……。先程のエルフ族──デネソールが使っていた弩だな」
それはデネソールが持っていた二対の弩・影弩オッシリアンド。先程までジェイドの命を狙い定めていた豪奢な弩である。
「はい。先程事後処理をしていた際に拾いました」
「これがどうしたのだ? 確かに捨てるには勿体無いが……。今の話に何の関係がある?」
「それを坊ちゃんへの贈り物にしては如何です?」
「……クラウンに?」
「ええ。何にせよ坊ちゃんとは仲直りした方が良いです。貫くにしても、受け入れるにしても……」
「そう、だな……」
「《陰影魔法》使いは希少です。エルフ族のような長寿な種族であるならばまだしも、我々人族には才能無しに《空間魔法》と《闇魔法》の二種を習得するのは困難を極めます。ですが坊ちゃんなら……」
「既に習得済みのクラウンなら使い熟せる、か……。我が息子ながら、凄まじいな」
ジェイドは改めて実感する。
こんな限られた用途の武器であろうと、その類稀なる才能と驚嘆に値する努力で何とかしてしまう。
そしてそれに留まらず先を目指し、求め続ける……。きっとその道程に、裏稼業という修羅の道が含まれているに過ぎないのだ。
ジェイドが生涯悩み続けてきた事など、クラウンにとってただの通過点でしかない。
「まったく……。私の自慢の息子は、どれだけ大きな存在になるのやら……」
「恐らくまだまだ序の口ですよ。あの方は多分、歴史どころか神話になる勢いですから」
「ハハハ、神話ときたか」
「割と本気ですよ? 私は」
「ハハ……。そうだな」
ジェイドは地面に突き立てた闇琅玕に目を移す。
数々の血を啜り、闇で塗り潰し、命を奪い続けて来た死神の大鎌……。
その夜空の様な刀身は最近、何故だか時折何かに反応するかのように鳴動し、周囲に影響が及ばない程度の闇を吐く。
そう丁度、クラウンが《闇魔法》を会得した頃から……。
「……中央拠点に報告」
「はっ!」
「カーネリアに対する敵侵攻遊撃部隊の殲滅を完了。引き続きカーネリア防衛の為、駐屯を継続する」
「はっ! 畏まりました」
「それと──」
「はっ!」
「どうせクラウンの事だ、ろくに休息もしていないだろうから伝言する」
「はい」
「戦時中に徹夜など愚の骨頂っ! 頭も身体も充分に休め、明日に備えろっ!! とな」
「はい。畏まりました。フフッ」
「な、なんだ……」
「いえ、なんでも……。一言一句お伝えしますよ。旦那様がかなり心配していました、とね」
「な……。お前なぁ……」
「フフフッ」
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