第八章:第二次人森戦争・前編-35
『……また、か』
一柱の神が、床で大の字になって一人愚痴を垂れ流し続けるユウナの姿を神域より覗いていた。
神の通称を「魔導神」。世界の〝魔力〟に関するあらゆる事柄、事象、概念を司り、支配管理する大神である。
『一体どうなっている?』
彼──というか神域に住まう神々に顔は無い。
そもそも所謂人型と形容される頭部、胴体、四肢で構成された形態を取っている神々の方が稀有なのだが、そんな顔の無い魔導神の頭部に見える部位に、露骨に不満気な様相に歪む。
『遅くなり申し訳ありません。魔導神様』
そんな魔導神の元に、彼の分神の一体が何の前触れもなく右斜め背後に恭しく現出する。
彼は以前も魔導神がユウナを覗いていた際に同席していた分神であり、魔導神の秘書の様な役割を仰せ使っていた。
『来たか。報告は本当のようだな』
『はい』
魔導神は自身が覗いていたウィンドウを分神にも見易いよう大きく拡大する。
すると旧約魔導書「名高き術」がユウナの傍に転がっているのを見遣り、少しウンザリするような態度を取る。
『まさか二冊目をこんな短期間でとは……。発見した際は驚愕致しました』
『ううむ……。加えて言えば名高き術にも認められておるな。オマケに吾輩が創生せしユニークスキル《万物読書家》をすら体得せしめおった』
『なっ!? あのスキルをっ!? 確かあのスキルは……』
『そうだ。アレは吾輩が欲神と作ったスキル……。彼奴の甘言に乗せられて作り、その権能の支配力故に体得条件を厳しく定めた筈のユニークスキルだ』
ユニークスキル《万物読書家》。
クラウンの持つ元ユニークスキル《万物蒐集家》と同系列のスキルであり、《万物蒐集家》が汎用的な性質を持っているのに対し、《万物読書家》はあらゆる〝本〟に関連した事柄を支配する権能を持つ。
『本来アレは……いや、まあ良い。今はあの〝二冊目〟を手に入れた事の方が重要だ』
『そう……ですね』
『あの若さで二冊目の魔導書……。本来有り得ぬ事だ』
『有り得ない、ですか?』
『左様。魔導書には吾が分神と強力なスキルが内包されている。故に吾輩は予め分神達に同じ所有者の元へ行かぬよう命令していた……。分神同士ならば容易に連携が取れる故な』
旧約魔導書には、分神が宿っている。
魔導神の加護を受け、様々な学問、知識を究めし賢者達が著作、製本した書。それに魔導神が己が力の片鱗である分神達に命じ、宿った物が所謂旧約魔導書である。
旧約魔導書に分神が宿っている理由は先に魔導神が述べた通り、魔導書が二冊以上で同じ所有者の元に存在しないようにする為。
仮に同じ所有者の元に二冊以上旧約魔導書が存在しているとその者に力が偏り過ぎてしまい、様々な面でバランスが取れなくなる可能性がある。
それ故に旧約魔導書には分神達が宿っている。筈なのだが……。
『むう……。一体何が……』
『……あの。もしかして、なのですが……』
『ん? なんだ? 理由が解るのか?』
魔導神が分神へと振り返り、その威容から放たれるオーラに分神は圧倒されながら言い辛そうに言葉を紡ぐ。
『い、以前教えて下さりましたよね? 私の先輩にあたる分神達が魔導書に宿ったのは何千年も前だと……』
『む。そうだな』
『その……だとしたら』
『うむ』
『……飽きたんじゃ、無いですかね? ずっとただ本に宿っているのが……』
『……何?』
魔導神は首を捻る。勿論彼に首という部位はないのだが、それにあたるような箇所を捻り、どういう意味かと分神に問い返した。
『飽きた、だと?』
『だ、だって魔導書の分神達って〝あの方々〟ですよね? 好奇心の塊というか……知識の怪物というか……』
『……分神とて神。大神である吾輩の命と好奇心を天秤に掛け好奇心が勝るなど……』
『その大神である貴方様から何千年と連絡が無かったら多少は揺らいでしまうのでは? 期限など設けてはいなかったのでしょう?』
『む……』
『私達は知識を愛し、究める魔導神様の分神です。そんな私達が期限も無く何千年もただ本に宿り続ける……。難しい話です。寧ろあの方々が何千年も我慢した事の方がある意味凄い事ですよ』
『むむぅ……』
魔導神は唸り、再びウィンドウの方に視線を落とすと賢者の極みと名高き術を凝視しながらその内に居るであろう自身の分神達を思い起こす。
(星神、術神……そして他の吾が分神達よ……。本当に貴様達は吾輩の命に辟易し、放棄したというのか? 本当に……)
時間、という概念は神域には存在しない。
故に現界に顕現している分神が体感しているであろう〝時間〟は、彼等にとってある意味では魔導神が与えた命令の価値観を変えるのには充分な物だったかもしれない。
だがそれでも、彼等は神である。
(或いは……吾輩には見えぬ何かに気が付き、命令に叛いてでも為さねばならんとしているのか?)
大神は現界に直接的な関与は許されていない。
故に既に魔導書の中に宿っている分神達に何かしらの命令や手段を行使する事は叶わず、またその真意を確認する術も無い。
ただこうやって趨勢を見守るしかないのだ。
『……所で以前命令したあの混ざり物に他の変化は無かったか? それと〝例の封印〟については何か判明したか?』
『あ、ああいえ。あの少女に関しては今回の件以外ですと賢者の極みの造詣を深めた程度、です。封印については変化無しと報告を受けました』
『他の大神や分神達との連携は?』
『貴方様の命と伝えたら早急に対応する、と。特に転生神様が分神達を回して下さるようで』
『……何?』
それはまるで台風一過の如く。
濃密な攻防が終結し、三人はただただ心と体を休ませていた。
ディズレーは未習得の《精神魔法》発動による反動に苛まれた結果、落ち着きを取り戻し始めたものの重度の精神的疲弊と混乱に見舞わられ今は眠りに就いている。
四肢を己が使用していた魔術によって焼かれたオルウェはその場を一切動く事が出来ず、ただただ敗北した事実とこの先の己が運命を悟り茫然自失としている。
そしてユウナは……。
「もうやだァァァァ……。疲れたァァァァ……。動きたくないィィィィ……」
勝利の余韻とは程遠い、無機質な愚痴ばかりを吐き捨てながら大の字になっていた。
「はぁ……。でもクラウンさんに報告しないとなぁ……。心配掛けちゃうよなぁ……」
そう呟きながらユウナは傍にある新たに彼女の持ち物となった旧約魔導書「名高き術」を見遣り、それを手に取りながら表紙を眺める。
最初の旧約魔導書「賢者の極み」に描かれた天球儀のような紋様とは違い、一切判読が出来ない見た事が無い文字群が魔法陣のように描かれた藍色の装丁は美しく、ユウナはそれに思わず見惚れた。
「こんな凄い本が……私の……。うふふ」
そう零しながら「名高き術」を抱き締め、嬉しそうに転げ回り始めるユウナ。すると──
「『気楽な奴だ……』」
そんな冷たい声音にユウナは反射的に身体を起こし、緊張した面持ちで声の発生源の方へと視線を向ける。
そこには障害物に凭れ掛かり、力無く明後日の方向へ顔を向けたままのオルウェが薄い笑みを浮かべていた。
「『な、何よ……。私なんかに負けたくせに』」
「『クク……。それを言われると返す言葉も無いが、これはある意味で僕からの警告だよ』」
「『け、警告?』」
「『聞くだけ聞け。どうせ暇なんだから』」
戦意が完全に無くなっている様子のオルウェの表情と声音に少しだけ警戒心を解きながら、ユウナは彼の言う警告に耳を傾ける。
「『そ、それで、何よ。警告って……』」
「『フン。お前……本当にその魔導書が自分の物になるとでも思っているのか?』」
オルウェにそう言われ、ユウナは一瞬思考が停止する。
そして数秒としてから漸く首を捻る。
「『……え。違うの』」
「『ハァ……。当たり前だろう? 世界的遺物だぞ? 国が管理するのが道理であってお前の様な個人が管理して良い物じゃない』」
「『い、いやでも「賢者の極み」は私が……』」
「『それが俺には理解出来ん。何故それをお前が持てているんだ? 普通ならば発見次第国から何かしらの接触があって然るべきなんだ』」
「『う、うーん……』」
彼の言葉を真に受ける、というよりも言われてそういえば、と今まで考えて来なかった問題に気付かされ、今更何故だろうと考え始めるユウナ。
そんな彼女の様子に眉を顰めるオルウェだったが、そこでそもそも、と考え至る。
「『おい』」
「『な、何よ』」
「『そもそもお前、どうやって旧約魔導書を手に入れた? アレは世界中でも数点しか存在しない筈だぞ。お前みたいな奴が一体どうして……』」
「『それはクラウンさんが手に入れ──あっ』」
そこまで口にし、気を抜き過ぎて余計な事を言ってしまったと気が付き、ユウナは急いで自らの口を手で塞ぐ。
だが既に名前を出してしまった以上耳聡いオルウェがそれを聞き逃す筈はなく。
クラウンの名前を聞き、念の為にと記憶していたユーリ女皇帝が示した最重要要注意人物の一覧に同名の人族が居た事を思い出す。
「『それは……まさかクラウン・チェーシャル・キャッツの事かっ?』」
「『んぐっ!?』」
まさかフルネームが急に飛んで来ると思わなかったユウナは口を塞ぎながらも過剰に反応してしまい、露骨なそんな彼女の態度にオルウェは様々推察し始める。
(コイツ……。まさかアレに書かれているクラウンとかいう奴の関係者……下手をしたら直属の部下か? だとすれば……)
ユーリが示した最重要要注意人物に記されたクラウンの経歴。そこには現在の彼の齢でもあるたった十五年という歳月では考えられない功績が羅列されていた。
その経歴、そしてユウナがクラウンの部下である可能性を鑑み、今回の奇襲作戦を予め察知し、迎撃を主導したのがクラウンだったのではないか、と至る。
(ここ一箇所だけ迎撃された……なんて愚かな希望的観測はあり得ないな。残り三箇所にも相応の相手が迎撃に送り込まれてるだろう。しかも──)
そこでオルウェは警戒心を取り戻したユウナ、それとその側で眠りに就いているディズレーを見遣る。
(思えばこの二人、僕と相性最悪だ。《屈折魔法》はコイツが〝何故か〟躱すし、《呪怨魔法》はあの男に通じない……。という事は他の軍団長達も、最悪な相性の敵を送られてるかもね。つまり……)
オルウェは唐突に身体の力を抜く。
すると四肢が動かず、傾くのを支えられない身体はそのまま床に横たわり、やる気なく天井を見上げ嘆息を漏らす。
「『つまり僕達の情報が事前に漏れてた可能性が高い、かぁ……。あぁやってらんないマジで』」
戦争に元々前向きではなかったオルウェにとって、戦いの場は自身が開発した新約魔導書のテスト程度のモチベーションしか持ち合わせていなかった。
故に敗北する事など彼にとって前提に無く、ましてや既に作戦が看破されていたと知った今、オルウェはアヴァリの才能に出会う以前の様に生きる気力が目減りし始める。
「『……なぁお前』」
「『んぐ……』」
「『僕はこれからどうなる? 捕虜にはなるだろうけど、その後さ。人質交渉に使われるならまだ運良いけど、下手したら見せ締めに処刑かな? ククク……』」
「『……何笑ってんのよ』」
オルウェの諦め切った表情を見たユウナは口から手を退け、そう呟く。
「『死ぬかもしれないんだよ? なのに何笑ってんのよ』」
「『いやだって……。僕にもう手立てなんて無いし、人望無いから助けてくれる人も居ない……。まあ姉さんなら何かしようとするだろうけど、あの人割と単細胞だからなぁ……。捕虜になった僕を助けられる程の交渉術なんて持ち合わせて無いだろうしで、もう笑うしかないでしょ?』」
早口気味に捲し立てるオルウェ。
諦めの境地に達し、最早どんな死に方が一番楽かを夢想し始めた、その瞬間。
「『せいっ!!』」
「『ッ!? 痛ッッたッ!! ハァッ!?』」
横たわり側頭部を晒していたオルウェの顳顬に、にじり寄ったユウナの名高き術の背表紙による一撃が炸裂。
余りに突然な出来事と激痛に思わず飛び起きそうになるオルウェであったが、それを支える為の四肢が動かず上体を仰け反らせながら彼女を睨んだ。
「『な、なんだ急にッ!?』」
「『貴方、何の為に生きて来たのっ!?』」
「『な、何?』」
「『私達さっきまで本気で殺し合ってた。必死で逃げて、必死でやり返して、必死で殺そうとして必死で生きようとしてたっ!! 貴方もそうでしょ? 貴方だって生きたい理由があったんでしょっ!?』」
「『それは、そうだけど……。でもアレは生き残る前提での話で……』」
「『勝手に決めんなバカヤロウっ!!』」
そうしてもう一発、オルウェの顳顬に魔導書の背表紙を振り下ろし、側頭部から鈍い音を鳴らす。
「『いっっったいってのッ!! 頭割れるだろうッ!?』」
「『へぇ〜? 今から死ぬかもしれない奴が頭割れる心配? 随分とユルっユルな諦めじゃない?』」
「『ぐ……揚げ足取りやがって……』」
「『取るわよ揚げ足ぐらい。貴方が〝諦める事を諦める〟ならね』」
オルウェはユウナの言葉に混乱する。
王国にとってエルフなど生かしておく価値は無く、寧ろ憎っくき敵の死は普通望まれるものの筈。
なのに何故この女ハーフエルフは死を見据えている自分を振り返らそうとしているのか……。オルウェにはそれが全く理解出来なかった。
「『い、意味が解らんっ! なんで僕を励ますような真似なんか……。僕達は敵同士だぞっ!?』」
「『関係無いよ』」
「『は、ハァ?』」
ユウナは立ち上がり、両手を腰に当てながら胸を張る。その今までに無い程自信に満ち溢れ、誇らし気の顔は戸惑うオルウェを見下ろし、高らかに語り始めた。
「『もう名前出しちゃったから言っちゃうけど、私の上司はクラウン・チェーシャル・キャッツっ!! 今回の貴方達の作戦全部見抜いて私達を寄越した凄い人っ!! そしてぇ……』」
「『あ、ああ……』」
「『そして何よりっ!! 差別が大嫌いで優秀な人材が大好きな変わり者っ!! 私みたいな本が好きでちょっと運が良いだけの取り柄の少ない女を貴方に仕向ける程度には無茶苦茶な人よっ!!』」
「『う、うん……』」
「『ここまで言ってわかんないっ!?』」
「『な、何がだよっ!?』」
「『貴方もっ!! もしかしたらっ!! やり方次第でっ!!』」
「『え』」
「『クラウンさんの興味を引いてっ!! 貴方を生かすよう交渉出来るかもしれないでしょっ!!』」
「『っ!!』」
オルウェに詰め寄り、顔を接近させるユウナ。その近さに思わず顔を赤らめる彼を無視し、続きを告げる。
「『クラウンさんはね、本当に無茶苦茶なの。あの人が「欲しい」って思った物は何だって手にいれようとする……。例え敵国で軍団長やってたハーフエルフの捕虜だろうがね』」
「『い、いや……。いやいやいや。僕は知ってるぞっ!? クラウンって奴は確かまだ齢十五だろっ!? そんな奴が敵国の捕虜をどうこう出来る権利なんて持ってる筈無いだろっ!!』」
「『それはそうだけど……。多分何とかするわよ。あの人なら』」
「『な……。なんだよ、それ……』」
「『これまでも散々、あの人は色んな無茶を貫いて現実にして来たの。だから本来ならもっと上の人がやるような奇襲迎撃作戦を主導出来たし、今だって最前線で笑いながら働いてる……。貴方をどうにかするくらい、あの人ならお茶の子さいさいよ』」
「『……それを』」
「『んん?』」
「『それを、僕に信じろって?』」
オルウェはユウナの眼を見据えながら言葉を紡ぐ。
己の内に湧いてしまった余りに小さな可能性の光に戸惑いながら、まるで確認するかのように疑問を重ねていった。
「『僕はさ。自慢じゃ無いけど本国じゃ人望ゼロな程に他人を信用してない』」
「『うん。だから「名高き術」持って来たんだもんね』」
「『それに基本独善的だし、他人に気も遣えないし他人を見下すのも当たり前』」
「『うん。私達に対してもそんなんだったから知ってる』」
「『自分の才能を伸ばす事にしか興味は無くて、魔導書の研究も所詮はその一環ってだけで好きかどうかも解らないし』」
「『うん。新約魔導書の製本、酷かったからそうなんだろうなって何となく分かってた』」
「『それに……それに……』」
「『……』」
「『……そんな僕を、そのクラウンが気に入るって信じるのか? クラウンが僕の為に無茶をする事を、信じろって言うのか?』」
そうして見詰めるオルウェの目には期待の感情が宿っており、その目でユウナを見詰める。
そんな視線を受けユウナは……。
「『ううん。別に言ってないけど……』」
割と冷たく、突き放した。
「『……え』」
「『私はただ気に入らないだけ。そうやって勝手に死ぬ事受け入れてるのが気に食わないって』」
「『いや……でもクラウンに気に入られるどうのって……』」
「『それはただ私達が一番迷惑被らなくて、且つ貴方が生き残るって一挙両得な選択肢を私が言っただけ。それを信じるかどうかは貴方次第よ』」
「『は、はぁ?』」
「『ただ貴方の選択肢は限り無く少ないよ? 私の選択肢を選ぶか、それでも死を受け入れるか、それとももっと別の可能性を模索するか……。私としてはオススメは私の選択肢だけどね』」
「『ぐ……』」
「『……私はさっきまで殺し合ってた貴方を信用なんか出来ないし、私の事を気安く信用して欲しくもない……けどね』」
「『……なんだ』」
「『多分、今ここで貴方に手を差し伸べなきゃきっと私が目指すものから遠ざかる。同じハーフエルフで、敵国の軍団長である貴方に可能性を教えてあげなきゃ、私の中の正義……みたいなものが揺らいじゃう。それは嫌だから』」
「『……随分な綺麗事だな』」
「『そうね。でも良いの。だって正義って──
綺麗事を、現実にし続けられる事を言うんだから』」
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今回二人どちらかのスキル構成の開示は少し後になりますので悪しからず……