影の守護者-6
※前回のあらすじ
・お祭りが始まりますが、厄介なのが入り込んでます。
・排除がお仕事です。
・あと、ハーデースさんは愉悦部部員です。
-fate アリス-
多種多様。
その世界が単一の種族で構成されていても、あるいは単一であろうとも『様』は生じる。そんな、どうしようもなく当たり前なのに、受け入れることが難しい言葉。
同じ種族であろうとも個体差、性能差、選択の違いやその瞬間の座標の違い。ありとあらゆる違いが生み出す心。
劣等感、羨望、忌避、悪意。
尊敬は恐怖と諦観から生じ、自尊心が混ざり込めば嫌悪と拒絶に染まる。
天才。化物。超常。異常。
違う事。己は正しく、相手は異常。なればこそ異常こそが悪である。
あらゆる『優』をイレギュラーという言葉で悪に変換する。
あれは『劣』である。故に正さねばならない。
正す権利はこちらにある。なぜなら己こそが正常である。
壊せ。認めるな。あれは優ではない。あれは先ではない。あれは歪みで、害で、悪だ。
認めるな。認めるな。我は劣ではない。我が正であの優は異常に過ぎない。
認められぬ。進化は劣を排除する工程。
なればこそ、排除できる我らこそが優である。
己が優で、正であると叫ぶ狂乱の中、彼女は言った。
「人間はね、私が生まれたときには終わっていたのよ。
だから、貴方が付き合う必要はないわ」
そうして。
数多の墓標の立ち並ぶ廃墟で私は、彼女を失い、居場所を失い、
そこにある理由を失い────
彼女と出会って世界を捨てた。
-fate Free-
「のぅ、前から聞きたいと思っておったのじゃがな」
ケイオスタウン妖怪種特区。
和風の屋敷、その縁側に鎮座する大鬼と、体積からすれば10分の1もあるかわからない少女が並んで座っている。少し離れたところにもう一人、金の髪を持つ少女が座っているが、自分はおまけとばかりに小さくなっている。
「なんだ?」
「おぬし、京から娘を攫ったというのは本当かのぅ?」
大鬼は盃に酒を満たし、一度彼方を眺め見てから心底面倒そうに揺れる水面へと視線を落とす。
「答える必要があるか?」
「おぬしが招いた『頼光さん』はどうして応じたのじゃ?」
鬼に怖じ気を見せることなく、似て非なる質問を突きつける少女に、酒呑童子は敵わんと杯を掲げる。
「遺恨だな」
「現の遺恨に鬼が惑うのかや?」
「鬼は現からしか生まれん。生じるのも変じるのも人だ」
或いは、変じていなくとも『鬼』と呼ばれ、鬼に生る。
離れていても声の届く位置にあるアリスが小さく肩を震わせた事を察しながらも、それに触れることなく手の中の湯飲み、その縁を撫でる。
「わしは魔女、あるいは悪魔と呼ばれたのぅ」
「摩訶迦羅の化身のような娘に随分と可愛い表現なこった」
「人をなんと……」
「力に溺れ、欲に沈み、柵に焼かれて羅刹にまで至った者はいくらか見たが、覚悟でその域に至る者など聞いたことが無い」
文句を遮っての言葉に少女は ぐ と口を噤み、ややあって「羅刹、のう」と舌の上で言葉を転がす。
「如何な変生があれば欲望の妖が煩悩断つ存在とされるのやら」
「一番うまい酒を知っている酒飲みが、そこらの酒に興味を示さなくなるようなものだ。
傍から見れば酒の欲を断ったようにも見えようよ」
「ならばわしには合わぬ言葉じゃ。酒になる前の糖蜜の味すら知らぬ」
「お前は至高の酒の作り方を知っているのだろ?」
少女の口の端に小さな、そして自嘲の笑みが浮かぶ。
「話がそれておる」
「頼光は生まれながらに『鬼殺し』の宿業を持った怪物だ。
それだけならば幸せに死ねただろう。しかし、アレは知性と、理性、そして貴族の業まで持ち合わせていた」
喉を潤し、乾いた杯に鬼は何かを写し見る。
「大江山が鬼の巣窟? 馬鹿を言え。鬼の巣窟は足元に広がる京の方だ。
情念一つで鬼に変じる世に、汚泥のような欲望を閉じ込めた蟲毒の壺だ。
今を思えばあいつは京を滅ぼすために生まれたのかもしれんな。
しかし、あれは己の心を鞘として、鬼のために鬼を狩る刃になった」
朗々と、深く重い声音が静謐な庭に染み渡る。
「鬼狩りの刃の封は堅く、しかし、いや、故に一度許されれば鬼を狩るまで止まることはない。止めることができない」
「じゃがおぬしは生きておる」
「あの時抜き放たれた刃。その行先は俺でないとあいつ自身が良く分かっていたからだ
最初から向かう方向は俺じゃなかった。或いはすでに狩った後で来たのかもしれん」
伝承によれば頼光が大江山討伐を命じられたのは京より貴族の娘を酒呑童子が攫ったからだという。
だが、
「最初の質問に戻るわけだが。
お嬢、お前はどう思っていた?」
「女の身勝手な情念に鬼にされたおぬしが、好き好んでより深き鬼の種を持つ女を攫う物か」
ハと小さく笑い、瓢箪を軽く振って残りを杯に注ぎ入れる。
「夜這いにかち合って大立ち回り。勢い余って女まで殺したそうだ。
挙句の果てには『暴風のように部屋を荒らした犯人は鬼に違いない』と嘯いたんだとよ」
官位の高い貴族の息子。その言葉が嘘とわかっていても、追従せざるを得ないのが人の世であり貴族の社会。だからそれは事実と成り果てて天皇の耳に届く事になる。
「その話のどこに遺恨が残る?」
「理由はどうであれ大鬼に相対し、敗退した。遺恨を叫ぶのは宿業の方だ」
夕暮れの空に星は無く、壁よりほんの少し上に三日月が白く浮かび上がっている。
「一度蠢いた宿業を抑えられるものか。
そんな状態で鬼に誘われれば気も狂わんばかりだろうよ」
足音も無く、黒髪の美女が現れて新たな瓢箪を横に置く。それを掲げて見せるが、美女、茨木童子は微笑みと共に首を横に振り、屋敷の奥へと引っ込んでしまった。
「なのにあいつは他の鬼がこちらに来ることを見逃した」
「その礼、と?」
「いや……ああ、そうだ。俺も不完全な戦いは気持ち悪くて仕方ない」
「仲が良いのか?」
「気色悪い事を言うな」
嫌そうな顔を作りながらも嫌悪を示さぬ声音に少女は冷めた茶を啜る。
「鬼として、あれは気に入らん存在だ。
己を律する事を悪くは言うまい。だが己を殺すなど愚かに過ぎる。
殺し合う事が無かったのは利害の一致があったに過ぎん」
新たな瓢箪を持ち上げて、鬼は嗤う。
「はっきり言おう。これは嫌がらせだ。
狼、いや大虎のくせして犬のように飼われるあいつは気に食わん。
だから見せつけようと思ったまでよ。
狭い折の中で飼われた犬に、俺の姿はどう映るだろうかとな」
言い放ち、ちらりと見れば少女は一つ肩を竦めるのみ。
鬼はわずかにしかめっ面をして酒を呷る。
一分足らずの沈黙。風がわずかに流れ、花の香のする酒の水面を揺らした。
「話は分かった。
なるほど『こちらの世界に来ること』が、一つの解法であろうな」
少女の理解が正しいと鬼は小さく首肯し、そして黄金の瞳で握りつぶせそうなほどに小さい少女を見据えた。
「アレとの事についてはそれほど迷惑をかけんつもりだ。
だが、悪いが払うに多い他は任せる」
「良かろう。この茶を一袋、貰おうか」
「安いな」
「安い方が有難みもあろう?」
「おっかねえ」
鬼に畏れられた少女は口の端を僅かに上げ、残った茶を飲み干すのだった。