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~二の章 義父と父 上~

 天正十三年、夏。依然として道雪、紹運は筑後に在軍していた。筑後地方を治めていた龍造寺(りゅうぞうじ)隆信(たかのぶ)の死去を受け、此の機を逃すまいと筑後奪還に向けて動き出したが、先の耳川の戦いにて数多くの猛者を失い、衰退への道を歩み始めていた大友軍は、思いの外攻略に手間取っていた。今後の激戦を予想した統虎も従軍を願い出たが、長期戦になることと、近頃の筑紫氏、宗像氏等、近隣大名の不穏な動きを牽制するという目的の為、立花城の護りを任されていた。現に今年の春先、立花領内に侵入してきた秋月の密偵を薦野(こもの)増時(ますとき)に排除させたばかりだ。栄華を極めていた頃には、大友領内に曲者(くせもの)が入り込む等論外であったはず。其れ程迄に今の大友の立場は(あやう)い。流石に誾千代だけに城の護りを任せる訳にはいかなかった。


「義父上が苦戦されるとは。筑後・柳河とはどの様な城であろうか」

噂に聴く、難攻不落の城、柳河。

「伝え聴いた処に拠りますれば、何でも町中に堀割(ほりわり)が張り巡らされた水郷との事で御座いますな」

昨年秋に道雪からの使者により(もたら)された、柳河攻略断念の報。沖端川から引く水流は、城内・城下を縦横に走っており、まるで(みち)の様でも城壁の様でもある。大友軍は城を取り囲む堀割に阻まれ、道雪、紹運両将を以てもなかなか進軍出来なかったのだ。誾千代も興味があったのだろう、二人して拡げた地図を覗き込んだ。

「斯様に(みお)が通っておると…まるで龍が町を護っておる様にも見えるな」

「左様…で御座いますか。まあ見え無くも無い、とでも申しておきましょう」

右から見たり下から見たり、眉間に皺を寄せながら誾千代は応えた。

「ならば彌七郎殿、てて様は龍造寺に勝て無かった訳ではなく、龍を手懐けられなかっただけに御座いますね。であれば次の柳河攻め際に私をお連れ頂ければ、龍を手懐けてみせます」

「誾千代は相変わらず面白いことを言うな。では其れ迄に龍笛(りゅうてき)代わりの一節切(ひとよぎり)の腕も上げて於いて貰わねばな」

「む。彌七郎殿よりは私の方が上手(うも)う御座いますよ」

然り、誾千代の腕前はかなりのものなのだが、統虎はわざと誾千代を煽ってみせた。と言うのも、近頃陣営より寄せられる文には、道雪の体調不良を記したものが多く、便りがある度、誾千代は表情を曇らせていた。そもそも齢七十三にて戦場に出ておると言うのが奇跡的な訳だが、父を想う誾千代の気持ちは良く分かる。少しでも気を紛らわさせてやりたいと言う、統虎の優しさだった。

「そうか、ならば頼もしいな。きっと義父上も此度の戦にもお主を連れ参れば良かったと思うであろうな」

現在、道雪・紹運ら大友軍は、島津の動向もあり、陣取っていた高良山(こうらさん)から北野天満宮へ陣を移していた。

「北野への陣替えが、何らかの好機に成れば良いが」

一年という年月。其れは余りにも長かった。変わらない戦況を前に兵の士気は下がり続け、とうとう道雪に黙って勝手に帰郷する者まで現れてしまった。元来結束力の堅い道雪の隊から、規律を犯す者が出る等、前代未聞。軍の行く末に関わると判断した道雪は、これら三十六名を即座に打ち首に処した。体調の芳しくない道雪にとって、大切に思っている兵を自ら罰せねばならぬという此度の事態が、どれだけ病に影響を与えるか…誾千代は其れを考えただけで憂鬱になるのだった。

「我が父紹運も義父上の傍に居ることであるし、拙者達は義父上が此の立花城の心配だけはせんでも良い様に、しかと留守を護ろうぞ」

優しく肩を叩く統虎の掌の温かさ。其のぬくもりにひとときの安らぎを感じる誾千代であった。

 だが、事態は最悪の方向へ動き始める。一時は回復に向かっていた道雪の病状は悪化の一途を辿り、とうとう九月十一日、帰らぬ人となった。火急の使者の報告を受けながらも、何処か他人事の様にぼんやりと聞いていた統虎であったが、はっと我に返り、隣の誾千代の肩を揺すった。

「誾千代、しっかりせい」

統虎の声を耳にし、縁に控えていたはなは、初めて誾千代の目が虚ろな事に気付いた。

「誾千代…城督」

其の瞬間、びくっと誾千代の躰が震え、大きく咳き込んだ。ヒューヒューという音と共に、荒い呼吸が繰り返される。その間中、統虎は隣で誾千代の背中を擦り続けた。

「誾千代、良いか、ゆっくりで良い。ゆっくりで良いから呼吸を止めるな」

統虎は誾千代の顔を自分の胸に押し当て、背中を擦り続けた。

「待たせてすまんかった。報告を続けよ」

一瞬呆気に取られていた使者は、其の声で何事も無かったかの様に報告を続けた。

「道雪様は鬼籍に()られる前に遺言をなさっておられました」

「何と残されておったのだ」

「其れが『我が遺骸に甲冑を纏わせ、柳河の方角に向け高良山中に埋めよ。したらば、我必ず柳河を祟るであろう』と」

「何と。して、其の遺言通りに義父上を埋葬したのか」

「いえ、其れは紹運様がお止めになられました。『現当主は統虎殿だ。統虎殿の判断を待て』と」

父上、感謝致します。統虎は心の中で礼を言った。

「良く解った。御苦労であったな。お主は暫し休息を取ってから陣に戻るが良い。して誰か、北野まで拙者の名代として立て」

傍に控えていた若衆が統虎の前に歩み出た。

「良いか、義父上の遺骸は立花城へ戻す、と伝えて参れ。いくら遺言と言えども、いずれ戦場と化し、踏み荒らされる処に義父上を埋葬するなど、人の道を外れる。義父上は此処、立花山に葬る故、丁重にお連れせよ、と」

若衆は直ぐに馬屋へ走った。依然として誾千代は統虎の胸に頬を着けたまま、微動だにしなかった。ただ、胸部に懸かる不規則な吐息が、誾千代が生きていると統虎に告げていた。

「誾千代、聞いておったな。義父上は此の立花城へご帰還なさる。もう直ぐお会い出来るから、お主は背筋を延ばして待っておれ。では拙者はお迎えする支度をして参る。はな、此処に参れ」

統虎は誾千代に語り掛けながら、はなを呼び寄せた。

「はな、良いな。此れは拙者の命令だ。どんなことをしても構わん。誾千代をいきさせよ」

はなは名実共に当主となった(あるじ)の夫に、恭しく頭を垂れた。此の方は誰よりも誾千代様の隣に居られるのが相応しい、と。

「姫様。統虎様、いえ、殿が道雪様をお連れくださいますよ。はなが居ります故、姫様は此処で一緒にお待ち申し上げましょう」

はなは統虎に代わり、誾千代の背中を擦り続けた。誾千代の息吹を絶やさぬ様に。

 道雪の亡骸は筑後攻略に携わっていた兵千人により、立花城へ運ばれた。此の時ばかりは戦の最中とは言え、島津軍、その他大友に敵対する勢力でさえ、矢を射るものは居なかったと言う。其れだけ偉大で、敵と言えども尊敬に値する武将だった戸次道雪は、統虎の判断により立花山の麓の梅岳寺に弔われた。道雪の遺言にある様に甲冑を着せ、柳河の方角を向かせ、そして生前は実の母子の如く仲睦まじかった、継母の養孝院の隣に埋葬した。


 あの後、統虎が出した(めい)に、古参の家臣は激しく抗議したと言う。しかし「故人の遺言を反古にしろと命ずるならば此処で腹を召す」と(いき)り立つ小野和泉(おのいずみ)由布雪下(ゆふせっか)の重鎮相手に、原尻鎮清(はらじりしげきよ)が一言、「何故その命を若き立花を背負う統虎様に使おうと思われないのでしょうか。其の方が道雪様への御供養になると存じまする」と思い止まらせたと言う。其処で進言した鎮清にも、其の進言を聞き入れた和泉と雪下にも、統虎は感銘を受けた。義父上は、誠に素晴らしき家臣を拙者に遺してくれた。義父と共に帰城した雪下に統虎は礼を述べた。

「雪下、戻って来てくれた事、礼を申す」

すると雪下は「礼には及びませぬ」と、言葉を続けた。

「何、鎮清殿の言い分が理に叶っており、最もだと思うた迄。もし、道雪様が祟られると仰るなら、此の由布一族が喜んで罰を受けましょうぞ」

それに、と雪下は続けた。

「姫様の…あのお姿を見れば、統虎様のご判断は正しかったと言わざるを得ませぬ」

雪下の視線の先には、柩の縁に頬を乗せ、虚ろな目で道雪の遺骸に寄り添う誾千代が居た。威厳のあった父の姿は、暫く見ない間に随分と小さくなっていた。誾千代は…其れでも父に逢えて良かった、そう思うであろうか。

「統虎様、姫をお頼み申しましたぞ」

雪下は静かに其の場を離れた。

「誾千代」

其の後の言葉が続かなかった。「気を強く持て」だの「落ち着け」だの、どんな言葉を掛けようが、直ぐに嘘だと気付かれるであろう。何せ己自身が義父の死が信じ難く、動揺しているのだから。暫しの沈黙が二人の間に流れた後、先に口を開いたのは誾千代の方だった。

「彌七郎殿。てて様は斯様にも小さかったのですね。此のおみ足の悪いお身体で、夏の暑さも冬の寒さもお耐えになられていたのですね」

誾千代は続けた。

「偉大だ、偉大だと思い続け、否、そう思う事で己の小さき事を正当化していたのやも知れませぬ。私は小さい。其れはてて様が大きいが故、小さく見えるのだと誤魔化して居ただけで御座いました。こうしててて様が()らぬ様になっても、私は一向に大きく見えませなんだ」

淡々とした口調で語る誾千代の言葉が痛かった。其れは拙者が思うておった事。いずれ義父に近付けば良い、歳を重ねれば直に追い付く、そう思っていた。まさか突然此の様な日が訪れる事になるとは。後悔と不安と悲しみで押し潰されそうだった。

「誾千代、すまぬ」

ずかずかと隣まで来た統虎は、すとんと隣に腰を落とすと、誾千代を抱き締めた。

「え、や、彌七郎殿」

困惑する誾千代を余所に、肩に顔を預けたまま統虎は嗚咽を始めた。

「誾千代、すまぬ。今此処に、弱さも悲しみも全て義父上に預ける。今後、拙者は義父上に恥じぬ生き方を選ぶ故、今だけは義父上を偲ばせてもらえぬか」

「彌七郎殿…恐らくてて様は『(おのこ)が涙を流す等言語道断』と仰られるでしょうが、私も一緒でしたらお許しくださいましょう。てて様、彌七郎殿と共に、私もてて様に涙をお預け致します」

誾千代は統虎にしがみつき、道雪の死に接して初めて泣いた。


 大友の魂とまで言われた道雪の死は、大友のみならず近隣大名の動向にも影響を与えた。鎮西にて勢力を伸ばしたのは既に過去、大友も今や高橋紹運、戸次統虎の父子を残すのみ。俄然勢い付いたのは島津だった。龍造寺、筑紫そして秋月、反大友を掲げる大名はこぞって島津に付き、大友は完全に孤立無縁となった。この状況を打開すべく、己が力のみでは保身出来ぬと踏んだ時点で、義鎮は関白の座に就いたばかりの豊臣秀吉に忠誠を誓っていた。関白秀吉は島津義久に同年十月、大友との和解を促す書状を送った。しかし島津から見れば、秀吉等下級の出、名門である我が一族は従うに足りず。命令に従わぬばかりか、鎮西平定への策略を巡らせていった。焦慮した義鎮は翌年三月に自ら上京、改めて島津の横暴な振る舞いを関白へ切々と訴え、援軍を乞うた。関白秀吉は義鎮の懇願に応え、援軍を確約したが、遺憾にも先に動いたのは島津の方だった。

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