妖狐憑きの私。
妖狐憑きの鏡源郷の者。
千年に一人か二人、九尾の妖狐が寄り添う相手。理由は今でもわからない。しかし、その者から決して離れなかったという言い伝えがあった。
白い九尾の妖狐。それはこの国の最古の妖。この世界では妖は神に等しい。その妖狐は、この国の神のような存在だ。
そんな妖狐が寄り添う相手が現れた時、国には平穏と繁栄をもたらす。重宝すべき存在。
千年以上前に現れた途端に激しい戦争が勝利に終わり、以来平穏だ。
その事実が広まり、他国から狙われ、異界から来た人間は福を招く迷信が持たれた。
中には飼い殺しにされた例もあると聞いて、私が思ったことは一つ。
ローエンさんになら、飼い殺しにされても構わない。
ローエンさんのお屋敷での生活は、至極快適だ。豪邸で豪華な料理、美味しくて美味しくて。優雅にまったりと過ごす日々を送った。
例の白い狐とまた会ったのは、服を洗おうとした時だ。九本の尾を持つ子狐の姿。神様のような存在だなんて、疑ってしまうけれど、化けることに長けているから別の姿かもしれない。
狐の姿で洗ってほしいらしく、わしゃわしゃと真っ白い毛に泡を立てて洗ってあげる。話しかけてみたけれど、人間の言葉は話せないみたいだ。
洗い終わると、自分を着ろと言わんばかりに、使用人のお姉さんが用意してくれた着物に姿を変えた。
絶対に離れる気はないことはわかった。
私がその貴重な存在だとは理解したけれど、話したらローエンさんと一緒にいられないと思い、まだ黙っておくことにした。
賊の件は、盗まれたものも回収し、全員を投獄できたらしい。
他にも仕事でいない日が多かったけれど、仕事がない日はそばにいてくれた。
「また誰かに追い回されるように、一人で出掛けるのは禁ずる」
そう言って、私を外に連れ出してくれるローエンさん。私が心配だから、出掛ける時は必ず俺といろ、って意味だと解釈して綻んだ。
無表情で冷たい物言いだけど、ローエンさんもとても親切だ。私が退屈しないようにと、仕事の話や、魔法が使える魔剣の話から森の妖のことまで話してくれた。
ローエンさんの穏やかな声を聴きながら、お茶や庭を堪能した。のどかで、好きな時間だ。
ローエンさんの父親は、軍を指揮するトップである将軍だったそうで、ローエンさんは目指しているそう。
「化け物みたいな人達だけど」
自分より上の役職の人達を思い浮かべたであろうローエンさんは、ちょっと遠い目をした。気になる。
「でも、超えてみせる」
ローエンさんは私と目を合わせて、口元を緩ませた。
それが、初めて見たローエンさんの笑顔。強い眼差しと、柔らかな笑み。
心臓が鷲掴みにされたみたいで、たまらなかった。
ローエンさんは仕事が大好きみたいだから、私はどんどん聞き出してローエンさんの笑顔を堪能した。
ある日。
私は妖狐に丁寧に頼んで、一時だけ離れてもらった。きっかけは使用人のお姉さん方から聞いたこと。
ローエンさんには数多くの縁談が来たけど全て一蹴、仕事一筋だったと言う。だから、私を慕っているに違いないと話してくれた。
ローエンさんが私を預かってくれている理由は、恩返しもその一つだとは思う。でも、好意が含まれているとも、思いたかった。
口説く、ようなことはないけれど、ローエンさんの私を見つめる眼差しに熱がこもっているから、私を好き。なのかもしれない。
髪飾りや、領巾という名のストールを贈ってくれた。自惚れてもいいだろう。
でももしかしたら、妖狐が魅了している可能性があり、確認したくて普通の着物に着替えてローエンさんと会ってみた。
庭を眺めながら、二人でお茶を飲んだ。ローエンさんは、全く変わらない。私を見つめる眼差しも、穏やかな声も、安心した。
会話が途切れて沈黙しても、気まずさがなくて、ただ一緒にいるだけで満足していた時間。
そこで。
空から、それは現れた。
降臨した、と言うのがまさにぴったり。
鹿のような身体でも大きくて、鱗が艶めいている。靡く毛は輝く黄色。頭の上には、角。顔は龍。神々しい大きな生き物が、私を見据えていた。
神聖な生き物、麒麟だ。
空を駆ける姿を遠目で見ることが、一生に一度あるかないか、と聞いたばかりだった。それが、目の前に舞い降りたのだ。ローエンさんさえも、固まってしまっている。
それだけではなく、麒麟は前足を折ると、お辞儀をした。そして、まるで階段を駆け上がるように空を飛んで去る。
「……吉兆だ」
ポツリ、とローエンさんは漏らす。動揺を押し隠すように、お茶を飲む。
目撃した使用人達は、大騒ぎ。麒麟を間近に見れたことに興奮していた。
私もローエンさんを真似て、お茶を飲む。ローエンさんの横目が、鋭く私を見張っていた。
薄々感じていたけれど、ローエンさんは疑っているみたい。私が妖狐憑きだって。
いつまでも隠せない。早く白状しないと、ローエンさんに迷惑をかけてしまう。国宝みたいな存在だから、もっと厳重な場所で保護されるべき。何かあってからでは、ローエンさんに責任が降りかかってしまう。
でも、ローエンさんと一緒にいたい気持ちが、躊躇させてしまい、結局その日は言い出せなかった。
ローエンさんの家に住み始めて一ヶ月が経った頃。
ローエンさん達が、戦に行くと聞かされた。
現王に成り代わって国を納めたい者がいて、前々から戦っていたそうだ。今回も、国境で準備をしている情報を掴み、また争うことになったみたい。
「わ、私も同行してもいいですか? ほら、私は迷信ではなく、福を招くみたいですし、お守りがわりにどうですか?」
ローエンさんが心配で心配でならなくて、気付けばそう提案していた。ローエンさんのそばにいれば、妖狐の力で守れるはず。
「……大人しく、戦を見ているとは思えない。だめだ」
確かにそうだ。戦っている姿を見ていたら、助けたくなって飛び込みかねない。そういう無謀なところがあるとローエンさんは知っているからこそ、連れていけないと断った。
「お守りなんて必要ない。俺は殺されるような弱輩じゃないし、麒麟を見たばかりだ。死ぬわけない」
私がしょんぼりと俯けば、ローエンさんが返す。麒麟が目の前に現れた吉兆があるし、ローエンさんは強い。大丈夫だとは思うけれど、心配は払拭できない。ローエンさんから貰ったストールを、もじもじと指を絡めていたら。
「無事帰ると約束する」
ローエンさんの両腕が私を抱き締めたかと思えば、額に唇を重ねられた。
「……アカネはすぐ真っ赤になる」
ローエンさんの腕の中で赤面して固まれば、クスリと笑われる。
絶対に、私の気持ちはバレバレなんだろう。恥ずかしい。そう思いながらも、ローエンさんの着物にすがりついた。
「……約束、ですよ。ローエンさん」
頭を撫でてくれて、ローエンさんは戦に向かった。
私は帰ってくるまで、そわそわそわそわと屋敷を歩き回った。四六時中、ローエンさんの無事を願う。妖狐にも拝み続けた。
三日で、ローエンさんが帰ってきた。怪我一つない様子で、私は大喜びして駆け寄り抱き締めようとした。でも寸前で止まり、堪える。それは、やり過ぎかも。
ローエンさんの胸に顔をぶつけかけたけれど、顔を上げて笑顔で「お帰りなさい!」と言う。
「……ただいま」
ローエンさんはなにか言いたげな様子だったけれど、穏やかな声で返した
祈りが通じたのか、それとも実力だけなのか、ローエン達が圧勝。全員を捕まえることは出来なかったけれど、大打撃を食らわせられたという。ホッと、胸を撫で下ろした。
ずっと屋敷にいた私を、翌日は外に連れてってくれた。円満の亭主に会いに行き、またもや無料で貰う。なんでも儲かりすぎて笑いが止まらないのだとか。改装する予定だという。
「お嬢さんは鏡源郷の人だったんか! どうりで!」
妖狐のおかげに違いないけど、亭主も鏡源郷の者はみんな福を招くと思っているみたい。まぁ、そう言うことにしよう。
「それで、少佐とお嬢さんはいつ結婚すんだい?」
当然するんだろ、と言わんばかりに満面の笑みで問われ、私は笑顔のまま固まった。
隣のローエンさんも、なにも言わない。私は笑って誤魔化して、肉まんにかぶり付いた。
一緒に暮らしていて、まだ一ヶ月。もう少し時間を重ねて親密になりたいけれど、言い伝え通りの効果が現れている以上、私が妖狐憑きだとバレるのは時間の問題。ローエンさんと暮らせるのは、あと僅か。
想いを、告げようかな。その機会があるうちに。
「……あの、ローエンさん。鏡源郷の池に行ってもいいですか?」
帰る前に、頼んでみれば、ローエンさんは頷いてくれた。
告白、しよう。