追われる女(ローエン視点)
俺に降り注いだ艶やかな栗色の髪は、先が燃えるように赤く、それはまるで花が咲き誇るように見えた。
逃げ足が早く、隠れるのが上手い、手のかかる賊を見付け出そうと警備兵も動かして街を歩いていた最中。それと出会った。
街のど真ん中で、賊達と剣を交じり合わす。他の民に被害が及びかねないため、戦いにくい。
そこで、一人が勢いよく向かってきた。腕に自信があるのかと、迎え討とうと思ったが、剣を抜かない。なにをするつもりかと思いきや、地面に転がる賊の一人に躓いた。よろけたが勢いを保ったまま、俺にぶつかる。気を取られてしまい、共倒れとなった。
一体、なんなんだ。すぐに起き上がろうとしたが、その時だ。顔を隠した布を俺が外したらしく、長い髪が垂れた。
俺と共倒れたのは、少女。
丸く大きな瞳は、栗色。丸い輪郭で、幼い子のような顔。真珠のように、白い肌色。桜色の唇。
彼女は俺を見つめる。息を止めていたようで、唇から息が溢れた。彼女は立ち上がると同時に、剣を抜いた。そして、賊に向かって振り上げる。雪のまじないが発動し、賊達が倒れた。
俺の腕を掴んで引っ張る彼女の腕は、とても細い。それだけではなく、小柄だ。なのに、何故だ。惹かれるものを感じる。
「逃げましょ!」
賊が増え、逃げた方がいいと俺の手を引く彼女の声を、はっきりと聞いた。
逃げずとも、俺に勝ち目ならある。だが、その手を振り払えなかった。
宛がないらしく、周りを忙しなく見る彼女の腰に腕を回して抱き寄せる。
「こっちだ」
路地裏に彼女を押し込めて、俺の身体で隠す。抱き締めれば、簡単に腕の中に閉じ込められた。
俺の顔を見上げる彼女は、桜色の真珠のように頬が赤い。走ったせいだろう。唇から、乱れた息が小さく漏れた。
小さくとも、少女には思えない。なんとなく。
賊が通りすぎたとわかったが、彼女を放さず、栗色の髪を手に取る。毛先にはまじないの気配。では、元は栗色一色の髪か。
まじないと言えば、剣だ。白い鞘の魔剣。賊に盗まれた品物の一つだ。
どこで手に入れたのか問えば、彼女の唇から、少ない言葉が零れた。ちゃんとその声が聴きたいのに、言葉を詰まらせている。もどかしい。
彼女を知るために、その声で教えてほしいと言うのに、もどかしい。
焦る気持ちがわくのだが、その声を待ってしまい、見つめながら耳をすます。
聞こえたのは、他の女の悲鳴。賊が危害を加えていると知り、俺は飛び出した。片付けている間に、彼女が追ってきた他の賊を引き付けて走り出す。
俺を庇ったのか。さっきも、俺を助けるために飛び込んできた。
呼び止めたくとも、この状況では無理だ。名前すらも、知らない。
目の前の賊を叩き潰して、駆け付けた警備兵に任せてから、彼女を追う。しかし、残りの賊まで見失い、彼女を見付けられなかった。
捕まってしまったかもしれない。
栗色と赤色の髪と、白い肌の小さな少女。
聞き回れば、最近よく見かけると情報が出た。美しい花柄の着物で、物珍しそうに街を眺めている少女に食べ物を与えると、大きな瞳を見開き愛らしい笑顔になると言う。一品だけでも、舞い上がるような笑顔になるらしい。
見かけたり、話した者がいるが、誰一人として、彼女の名や素性を知る者はいなかった。
見付け出せないまま数日が経つと、苛立ちが募った。賊もあの少女を捜していて、捕まっていないことはわかった。唯一の朗報。
「ローエン。女は見付かったか? 珍しいな、お前が女にご執心とは」
将軍が俺を笑う。将軍だけではなく、他の者も彼女の行方を捜し回る俺に注目している。不快だ。
「……どうやら、鏡源郷の者の可能性があるのです」
彼女の素性がわからない理由。風変わりな容姿と、街に慣れていない様子。
異なる世界から人を誘う池、鏡源郷。百年に数人、必ず異なる世界の人間が現れる。その孫や子孫と言う者は周りにいるが、俺も将軍も実際には見ていない。三十年ぶりらしい。
福を招く者だと言う迷信のせいで、他国にも浚われてしまうこともあり、鏡源郷の者ならば尚更見付けなくてはいけない。賊よりも危険だ。
円満という名の店の亭主が、つい先程、例の少女と話したらしい。なんでも、彼女が賊と関わったのはこの店が始まり。亭主を助けるために、賊を二人伸したと言う。目に浮かび、笑ってしまいそうになった。
店にまた来たら、捜していると伝えてほしいと頼んでおいた。
一番会える可能性がある店に、日を改めてまた向かえば、騒ぎを耳にした。駆け付けようとすれば、後ろを向いた栗色の髪の女とぶつかる。
謝って離れたのは、捜していた彼女。やっと見付けて、手を握った。
情報で聞いた通り、美しい花柄の着物に身に纏っている。前は男物の着物だった。俺を見上げる大きな瞳、毛先が赤色に染まる栗色の髪。間違いない。こうしてみると、小柄で幼い顔の女性に思えた。
おかしなことに、彼女の着物には森の妖が三匹もついている。森から離れるはずのない妖が、彼女にしがみついて離れない。
頭に、妖狐憑きの鏡源郷の者のことが浮かんだ。
……いや、まさか、な。
彼女はまた、賊に終われていた。どうやら、また円満の亭主を助けるために賊を引き付けたらしい。全く、危なっかしい女だ。
俺がそれを引き受けることにし、隠れろと先を行かせた。
賊が逃げ出したあと、待ち合わせに選んだ店で待ったが、彼女が来ない。行かせるべきではなかったと、後悔をした。
森の妖を連れていたのなら、森から来たのだろうと思い、鏡源郷の池に向かった。そこにも彼女の姿はないが、街の民から貰ったであろう食べ物が紙袋の中に置いてあった。ここにいたらしい。一晩、そこで待ったが、彼女は現れなかった。
行かせるべきではなかった。後悔で苛立ちながらも、一度自分の家に戻り休んだ。すぐに賊の根城を見付けたと報告が来て、俺は苛立ちをぶつけるべく向かう。賊を片付ければ、彼女が逃げ惑うこともなくなり、ゆっくり話が聞けるはず。
そうして、ある塔に隠れていた賊を討伐した。これで彼女を見付けることに専念できる。将軍に許可を貰おうと、階段を上がっていれば、落ちてきた。
俺の腕の中に、忽然と現れたのは、紛れもなく彼女だ。
絶対に放すものかと、しっかり抱き締めた。
彼女は賊の根城を見付けようと、また賊の格好をしたらしい。本当に、危なっかしい女だ。
ふと、彼女が俺の腕の中で綻んだ。何度も思い浮かべていた笑顔。よく見ようと顔を近付けた途端、彼女は顔を真っ赤にしたため、驚いた。
俺を、意識している。
胸の奥が擽られた。
下ろしてほしいと、林檎のように真っ赤に染まった顔を俯かせて言う彼女を、下ろす。手を放していると、また見失う気がして手首をしっかり握った。
彼女の名は、アカネ。
まだ恥じらうように頬を赤らめたアカネと、見つめ合う。見上げた大きな瞳に熱を感じた。
アカネを、知りたい。胸の高鳴りを抑えながらも、俺は訊ねた。
彼女は鏡源郷の池について聞くと、納得したように肩の力を抜いた。
鏡源郷の者は保護の対象。恩返しのためと言うが、一番の理由は放したくないからだ。アカネを、目の届く場所に置いておきたい。もう二度と、見失わないように。
嫌とは言わないアカネを連れていこうとすれば、将軍が訊ねた。
「アカネ、狐見てねーか? 鏡源郷の池で」
狐。妖狐憑きの鏡源郷の者。
鏡源郷の大半は妖が視えると聞く。だが、魔剣を使えた鏡源郷の者は聞いたことがない。
将軍にはまだ話していないが、妖のなつき様も普通ではなかった。
アカネは、特別なのかもしれない。
特別な鏡源郷の者と言えば、妖狐憑き。
「いいえ、見てません」
彼女は否定をしたが、声音少し違った。俺には嘘のように思えたが、気付かぬフリをする。
もしも、妖狐憑きならば――――俺の手が届かなくなってしまう。
そうでないことを願い、車で邸宅に戻る。その中でアカネから、今までどこにいたのかを聞いた。
緊張も滲んでいたが嬉しそうな笑みを浮かべる。民の親切や、賊と戦いや逃亡を語る。そんなアカネの声に耳をすませながら、見つめた。
妖の話を一切口にしなかったことに引っ掛かりを覚えたが、それも気に留めないフリをする。
やっと、こうして落ち着いて、言葉を交わすことが出来るようになった。
亡き親の遺産である屋敷に、唖然とした様子のアカネを、使用人達に紹介する。戸惑うアカネを中に案内した。
ここなら、追われる心配もない。屋根の下、布団で眠れる。贅沢をさせてやれる。
捜し回っていた間の苛立ちや焦りは、跡形もない。心地よさを感じるのは、彼女がそばにいるからだろう。
民達が見たという愛らしい笑顔でいられるように、アカネをここで守る。
もう二度と、見失わない。