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トランスポーター 1

 予想外に強烈な反発力。

 僕の振り下ろしたバットが跳ね上げられた。

 しかし、アンデッドマーマンの首はひしゃげている。

 ということは、今の弾力はマウスフェイスの方か。

 アンデッドマーマンの首が落ちかけて左右に揺れている。


「あれ?」


 マウスフェイスがいない。

 そして感じるバットの重み。

 ローションくらいの粘度の液体が小手の隙間に入り込んでくる。

 僕はそれを確認せずにバットを壁に思い切り叩きつけた。

 しかし、またあの反発力によってバットが跳ねのけられてしまう。

 視界の端にバットに絡みついたマウスフェイスが映り込む。

 やっぱり。

 触手がバッと伸びて、顔とかそういうのに覆いかぶさるようにして絡みついてくるものだとばかり思っていたが、一体こいつはいつの間に僕のバットにくっついたのか。

 僕が先端に張り付いているマウスフェイスを眺めながら考え事をしている間に、二本の触手がバットを伝って伸びてくる。


「うわわわ!」


 慌てた僕は、何度も床にそれを叩きつけた。

 すると、何度も叩きつける内にだんだんと反発が弱くなっていき、いずれべちゃべちゃと床に張り付き振り上げるのが困難になるようになった。

 

「し、死んだ?」


 紫色の粘液を垂れ流しながすマウスフェイスは絡みついた触手を残して原型を留めていない。

 そして突然水風船が弾けるように液化して床に溶けた。

 バットの先にはたぶん噛み付いていたのであろう、マウスフェイスの歯が一本、鉤爪部分にひかかっている。

 こんなのいらない。とは思ったが、一応戦利品として入手するべきと思った。

 しかし、こんな気味の悪いものどうやって保管するべきか。

 僕は、背負っていたビジネスバッグからビニール袋を一枚取り出して、それにマウスフェイスの落し物を入れ鞄にしまい込んだ。

 コンビニの袋をとっておいて良かった。

 

「これで後一匹か……。また、不意打ちでいこう」


 再び戻った三叉路の左の道の先には、さっき僕に気付かなかったアンデッドマーマン一体が未だ通路の幅を往復しているようだ。

 忍び寄り、ある程度までは近付くことができたが、三メートルの幅をうろうろするだけのアンデッドマーマンには意外に隙がない。

 後ろを振り向いた瞬間に駆け出したとしても、ぎりぎり間に合わないだろう。

 

「そうだ……」


 僕はバックポケットから財布を抜き、十円硬貨を取り出した。

 お賽銭作戦だ。

 意味もなくお金を投げ捨てるということに若干の迷いを感じつつも僕はそれを道の向こう側、アンデッドマーマンよりも先へ放り投げた。

 飛んでいった十円硬貨は床を這う配管に当たって鈍い音を立てた。

 アンデッドマーマンの動きが止まり、向きを変えると見事十円に引きつけられた。

 始めの五歩は忍び足、残りは。

 ダッシュ。

 

「ふぬぅん!」


 上手くいった。

 床に落ちているマーマンの結晶を拾い、壁に立てかけられたカプセルに目をやる。

 もしかして、もっと別の何かもあったりするかもしれない。

 三つ並んで立て掛けられているカプセルを一つずつその中を確かめる。

 どのカプセルの中にも鎧はあったが、それ以外には特に何も見つからない。

 

「そう上手くはいかない、か」


 なんとなく視線を下に向けながら先へ進む。

 他よりも広いこの主要通路と思しきこの道は、湾曲しているようだ。

 そして、それまで連なる裸電球の薄暗い光景から一変する。

 高さが天井までだから、三メートル位だろうか。その位の高さで幅が湾曲する向こう側までずっとある巨大なガラス窓。

 その向こう側にはここまでの風景と同じく配管の張り巡らされた広い空間が広がっている。

 僕は、この光景に見覚えがある。

 窓に張り付いて上を見上げると、微かに陽の光が見える。

 あの大穴だ。


「もっと深いんだ……」


 自分は随分深くまで降りてきたとなんとなく思っていたが、全く光の届いていない下方の暗闇を見ると絶望感というか恐怖感というか、先の見えない胃が重くなるような感覚に襲われる。

 それに、インパクタス。

 下っ腹がくすぐったくなる感じ、隠れんぼなんかしていると僕はよくこの症状に悩まされるんだが、これは一体何の意味があるのか。

 そうした途端に訪れる尿意。

 本当に僕はこの世界に慣れてきたんだと感じた。

 しかし、当然ながら辺りにトイレなんてあるはずもない。

 十円を放り投げたこともそうだが、ここにいると僕は現実での価値観を捨てなければいけない場面が当たり前にやってくるんだ。

 馴染まない努力よりも馴染む努力。

 僕は思い切って今いるところに用を足すことにした。

 その時、低く唸るような深い音が聞こえ、そして、大窓に奴が姿を現した。

 

「イイ、インパクタス……!」

 

 窓に張り付くようにして中を覗きこんでいる。

 最中であるにも関わらず、僕の尿意はぴたりと止んだ。

 インパクタスに出会うことになるだろうと、予想はしていた。

 しかし、心の準備とかそういう問題じゃない。

 他のモンスターを倒してきた今でも、こいつは別格に恐怖を煽ってくる。

 対処できない、圧倒的な力の差。

 これから先、このダンジョンをもっと深くに潜ることになるということは、いつかこの恐怖の偶像と戦うことになるやもしれないんだ。

 そう考えただけで、僕は地上へ戻り、明るい陽の光の中で死ぬまでブルーグミを倒し続けてなんとかしようかという気持ちになってしまう。

 

「大丈夫だ、大丈夫……」


 今は。

 とりあえず、インパクタスと対峙しなければいけなくなる状況が生まれるまでまだ時間があるはずだ。

 逃げるかどうするかはその時に考えればいい。

 僕は自分を納得させ、気付けにグミを齧った。

 本当にこれは優秀な食物だと感じる。

 体に広がる回復感、これを感じながらネガティブになるのは無理だろう。

 体力の低下は思考回路を低下させる。

 疲労感を感じていなくても時々このグミを齧ろうと思った。

 少しして、窓から離れ、上へと上っていくインパクタス。

 上から見た時には見えなかった下半分が目の前を通り過ぎて行く。

 膨れてぱんぱんになった腹、そして横に広がる尾びれ。

 ただ、その尾びれの形が妙だった。

 二つのヒレがくっついたように真ん中が窪んで筋が通っている。

 それはまるで何かが進化してそうなったような、そんな印象を受けた。

 そしてその何かが何なのか、今の僕の情報だけで推測は容易だ。

 マーマン。

 たぶん奴がなんらかの関係でインパクタスまで進歩したんだ。

 腐ったマーマンと大きなマーマン。

 また僕の中に嫌な予感が渦巻き始めた。

 薄明るくなってはいるものの、およそ暗いガラスの向こう側を眺めながら僕は道を先へと進んで行く。

 

「水族館か……」


 どれくらい振りだろう。

 小学生の頃には両親に連れられて行った記憶はある。

 あの時僕は何を考えて水槽を眺めていたんだろうか。

 きれいな魚がいることよりも、気持ち悪い魚がいることの方が気になっていたような気がする。

 思い出せば、僕は綺麗なものよりも不気味なものへの興味が深かったんだ。

 熱帯魚よりも深海生物、べっぴんさんより癖のある人。

 そういうのって世間では――専って言われるのか。

 それともセンスが奇抜と言われるのか。

 どちらも同じじゃないかと僕は思うけれど、後者がカリスマと呼ばれる可能性は世間の目に付かない新たな可能性を引き出したことによるんだろう。

 誰も欲しがらないものと誰も気付かなかったもの。ということだ。

 残念ながら、僕は前者なんだろう。

 だから、つまらない奴だと言われてきたんだ。

 それに大きな違いは、世間だけじゃない。

 羨望という感覚の違いだ。

 カリスマは人を羨んだりしない。だからカリスマなんだし。

 僕は、人が羨ましいと思ってしまう。

 自分に無いものを持っている人を尊敬してしまう。

 人と違うものを手に入れるという気持ちが重要だったんだ。

 人と同じになろうとした時点でそれは同じ椅子に座ろうとする、邪魔者なんだ。


「僕は、無害なんかじゃなかったんだな……」

 

 僕はグミを齧った。

 それからガラス窓を通り越してさらにその前へと進むと、そこで道は途切れてしまった。


「こっちじゃなかったか……」


 それでも何かないかと、念の為壁の側まで近寄ってみる。

 すると、右手側に小窓のついた扉のようなものを発見した。

 鉄板で作られたその扉は錆び、小窓には格子が取り付けられている。

 背伸びで小窓から中を覗く。

 

「なんだよこれ……」


 誰もいないことを確認した部屋の中に入る。

 広くはない円柱状の作りの部屋の中まではさすがに配管されていない。

 なんのためにあるのかわからない天井のファン、そして壁にダクトみたいなスリットがあり、そこから冷たい風が流れこんできている。

 そして、この部屋で一番目立っているのが、横一列に並んだ六台のモニタとデスクいっぱいに埋め込まれたキーボードのようなボタンの羅列だ。

 画面はどこかの様子を映し出している。

 一つは、地上の廃墟。地面の匂いを嗅ぎながらうろついているサンドウルフがいる。

 一つは、別角度からの地上の廃墟。大穴が見えている。

 一つは、ここらと似た風景。どこだかはわからないが、今通ってきた通路に似てる気もする。

 一つは、三叉路を地上への階段方向に向けて映されている。

 一つは。

 

「なんだあれ……!」

 

 大きな台車に六つのカプセルを乗せて、それを押している太って大きな背中。

 ここに落ちる前の僕みたいだ。

 しかし、あの背中は人のものじゃない。かといってマーマンでもなさそうだ。

 映像ではその大きさがわからないが、カプセルと同じくらいだから、少なくとも二メートルはある。

 そいつは、配管だらけの風景の中を進んでいき、そして見えなくなった。


「アイツがマーマンを運んでいるのか」


 画面に映っている風景はこの階層のものに似ているが、僕はこの階層の全てを見てきたわけではない。

 地上から降りてきた階段を出たところで道は左右に分かれていたわけだし、もしかするとあの巨大な何か、トランスポーターは僕とは反対側の同じ層にいるのかもしれない。

 

「どうしよう……」


 あれと出くわしたくはない。

 強そうだし、何より怖い。

 下っ腹がくすぐったくなってきた。

 その時、最後の一つの画面に何かが映り込んだ。

 

「人間か!?」


 同じく配管だらけの通路を走って行く大きなリュックサックを背負ったたぶん女性。

 思わず画面に食い入る。

 女は逃げていた。

 その後からマウスフェイスアンデッドマーマン二体が追いかけて行く様子が映っている。


「まずいぞ……!」


 なぜ、そう思ったのか。

 それは僕が男だからだとしか言いようがない。

 女は弱い者とかいう既成概念というか、僕の世間知らずな性質がそう思わせたのだと思う。

 僕はあたふたしながら部屋の中をうろうろするが、意味は無い。

 なにせ彼女がどこを走っているのかわからないからだ。

 もしかしたらどこかに映るかもしれない。

 そう思った僕は、四つの画面全てに集中した。

 

「いたっ!こっちに来るぞ!!」


 一瞬三叉路の画面に映った女の子。

 画面の右端に消えたということは、あの主要通路に入ったに違いない。

 僕は、部屋から飛び出した。が、ノープランだ。

 二体のマウスフェイスアンデッドマーマンを相手にするのは、正直怖い。

 どうしよう。

 そうこう考えている内に向こうから足音が近づいてくる。

 時々後ろを振り返りながら、大きなリュックサックを背負って走りこんでくるのは、画面で見たとおり長い髪にガスマスクを装着したたぶん女性。

 僕の姿に気付いた女は、一瞬動きを止め、たじろいだ。


「こっち、こっち!」


 聞こえているかはわからないが、囁き叫んで彼女に手招きで促した。

 もう一度振り向き、意を決した様子で僕の方へ駆け込んでくる女。

 僕は扉を開け、彼女を中に押し込むと、追ってくるはずのマウスフェイスアンデッドマーマンに身構えた。

 程なくして二体のモンスターはやってきた。

 どうしよう。

 

 

 

 

 

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