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馴染む体とレボーアップの意味

 大好きな動物を、倒さなければならなかったとはいえ、それがいくら地面に溶けるからといって、やはりそれは衝撃的な出来事だった。

 しかしぼくはその壮絶な体験によって、この世界について一つ知ることができたわけだ。

 それは、ここはたぶんゲームの世界宛らにモンスターが出てくるし、それを倒すことでアイテムを得られるということだ。すると、この世界はどうやらやはりぼくの現実とは違い、ゲームの世界だと考えても良さそうだ。しかし、モンスターの出現に予兆があるわけでもなく、エンカウントしたモンスターに名前が表示されるようなことはないので、それはまたゲームとしての違和感を拭えない。

 それなら、表示されないステータス諸々は無理として、せめて名前を考えて少しでもこの世界に馴染む必要があるだろう。

 ぼくが今までに出会ったモンスターは四匹。

 叩くとグミ状になる青いゼリー、ゼリーを奪っていったペリカンのようなくちばしの黒鳥、あの巨大なウツボの怪物、そして今出会ったばかりの砂狼サンドウルフ。


「青いゼリー……は、ブ、ブルーグミ。ペリカンはそうだな……」


 泥棒だからシーフバード。サンドウルフはすでに命名したので良しとして。


「後はあの怪物か……」


 インパクト抜群のあの怪物の名前は、インパクタスとでもしようか。非常にわかりやすく、見た目通りの素晴らしいネーミングセンスだと思う。なによりこれなら忘れないだろうし。

 名前は決めたが、レベルアップという行為に対して問題が一つある。

 それは、奴らの強さをどう順位付けるかということだ。特殊なロールプレイングゲームでなければ、基本的にその設定で弱いモンスターの経験値は少なく、強いモンスターの経験値は多くなっている。つまり、この世界基準でそれをいえば、ぼくがしんどければしんどいほど敵が強いということになり、その分筋力が増強されやすいというわけだが、インパクタスは現段階における最強として、次点サンドウルフまではいいが、筋肉疲労という点で言えばブルーグミがその次、シーフバードが最下位ということになる。

 だが、実に経験談として言えば、ブルーグミよりもシーフバードの方が圧倒的に強い、といって良い。

 まあ、最下位がどうかなんていうのはレベルアップに関してはどうでもいいことだと思われてしまうかもしれないが、それは今のぼくには当てはまらない。

 なぜなら、今ぼくがレベルアップするためには、確実に生きているものを殺すという行為のそれになるからだ。つまりぼくは、できれば一番生き物らしくないものでレベル上げをしたい。


「でも、それだとぼくは強くなるのに時間が……。でも……」


 ここをゲームの世界として楽しもうかとも考えたが、やはり殺生を日常行動にするのはなんとも。

 そんな究極の選択を考えていると、数ある建物の残骸の中で一つ、その建物としての形を留めている小屋を見つけた。とはいっても、それがただの建築物でないことは明らかだ。

 扉はあっても窓がないそのレンガ造りの建物は、まるでゴミ捨て場のようで一切中の様子が窺い知れない。

 

「完全に怪しいだろ……これ」


 ここで思う怪しさとは、ゲーム的にいうフラグというやつだ。

 例えばボスの部屋とか、モンスターが飛び出してくるとか、とにかく平常を覆す展開が起こるための引き金になるだろう。

 かといって、開かなければ中の状態はわからない。

 物事ないし、他人の現実を俯瞰で見ることが当たり前になっているテレビ世代。サッカーの試合を見ている時なんか特にそうだが、何やってんだ、なんて簡単に思ってしまうが、これが現実だ。俯瞰で見れるから先が見えるのであって、実際の視点では死角が多すぎる。

 つまり怖いのだ。

 ぼくは恐れを払うことはできないものの、これから起きるかもしれない非常事態に備えて呼吸を整え、その古びた扉をゆっくりと手前に引く。


「…………か、階段か」


 それはつまり、この階段を下りれば狩場ないし土地が変わると言ってもいいだろう。

 あのマイクの男が言っていたダンジョンとはこのことだったのだろうか。


「それなら……、ここからが本番だ。気を引き締めていかないと」


 そこでぼくは一度開いた扉を閉め、辺りを見回し、あのブルーグミが無限に湧き出るポイントを探した。

 サンドウルフを倒してから、歩いていた赤い砂漠との境目である外周を巡っていたわけだが、それはこの廃墟地帯がどれくらいの広さがあるのか調べるつもりでもあった。しかし、ぼくはダンジョンを見つけた。

 それならば、もうこの辺を調べることも必要ないだろう。

 どうせここをクリアすることだけが目的なのだから。

 ぼくは記憶を頼りに再び廃墟地帯の中へと足を踏み入れる。


「そうだ。地図、描いておかないとこの場所忘れちゃうな……」


 ジャケットの内ポケットから小さなメモ帳とボールペンを取り出し、目に付く限りの風景を俯瞰図に描き起こそうと考えた。しかしここらがどれくらいの広さがあるのかわからないので、この小さな一ページに全てを収めるのは無理だろう。どうしようか。

 そこで思うのは、地図を描く者というのはどうして地図を描けていたのかということだ。

 ぼくがここにくる前の世界で生活といえば、自宅から会社までの道のりは舗装され、行くべきところには道が伸びていたし、道標も多数点在、だから日本語さえ読めれば大抵道に迷うなんてことはなかった。

 いつも俯瞰でゲーム画面を見ていたから、地図を付けるなんて考えもしなかった。

 そういう習慣じみた怠慢が、地図は買うもの見るものであって自分で描くものではないという価値観を育んでいたのだ。

 だからぼくは、自分がいる場所を地図に起こすこともできない。

 この状況、情けないと思えば良いのだろうか。


「しかし、こんなんじゃあの場所に戻ることもできないな。参ったぞ」


 ところでぼくが思うのは、ダンジョンを下りるのか、ということだ。それはぼくが考えていることなのだが、なぜぼくはそうしようとしているのか。

 本来ならば、この唐突な出来事にもっと混乱するべきだろうし、それが健全な人間というものだろう。それなのにぼくは、特に何の疑問も持たず、ただ死という現実を突きつけられたことに恐怖しているだけだ。

 ここがどこなのかと考える以前に、ぼくがどうなったのか考えるべきだろう。

 自分の体が変わったことに驚愕する前に、この現象がなんなのか考えるべきだろう。

 それが夢なのか、ゲームの世界なのか考えるのではなく、現実がどうなのかを考えるべきだろう。

 なぜぼくはこの状況に疑問を抱かない。

 どうしてこの世界ありきでここでの生活を考えている、使命を考えている。

 モンスターに名前を付けたり、ダンジョンを下りることに対してレベルアップすることを考えてみたり。

 違う、そうじゃないだろう。

 助かるべきだ、この世界から現実へ戻ろうとするべきだ。

 夢から覚めようと必死になるべきだ。

 まるでぼくでありながらぼくでないような不思議な感覚。 

 ぼくは、この世界に馴染んでいる。


「……遠吠え! サンドウルフか!」

 

 小屋の入り口前で放心するぼくの耳に高く空を射抜くような遠吠えが聞こえた。

 僕はバットを構え、どこからか来るかもしれないサンドウルフに警戒する。

 扉を背にし、見える限りできる限りの遠目を効かせると、視線の端に動くものの影を捉えた。

 さすが狼といったところか、サンドウルフは点在する地面から飛び出した配管の影を利用しながら徐々にぼくとの距離を詰めてきているように見える。


「クソっ! 速い!」


 つい最近まで常人だったぼくに、獣の速さを見切るには要領が悪すぎる。

 一瞬その姿を捉えたかと思った次の瞬間にはもう奴を見失っていた。


「……や、やばい」


 これがエンカウントのリアルか。

 突如した建物の陰からの物音に慌てて振り向いたその時、足元の地面が盛り上がり、そこからサンドウルフが飛び出した。

 気付くのが一瞬遅ければ喉元に噛みつかれていただろう、間一髪上半身を逸らしたことでその難を逃れることはできたが、そのせいで崩れた体勢、その上からサンドウルフがのしかかる。

 完璧なマウント状態を取られてしまったことで、防戦一方だ。


「や、っばい! くっ!」


 その鋭い牙で遠慮なしに噛み付いてくるサンドウルフの口に金属バットを挟み込んで凌ぐが、このまま長くは保たない。


「く……っ! こ、このっ!」


 押し込まれる力の強さ、それを目一杯の力を込めて耐えていたが、一瞬の閃きでぼくはそのバットを思い切り引き抜いた。バットを体の外に引きぬいたことでぼくの体は剥き出しになる。

 だが、突然支えを失ったサンドウルフは首元に噛みつくどころか、勢いそのままに地面に頭を突っ込む形でつんのめってぼくの体に密着した。

 これが狙いだ。

 ぼくはサンドウルフがその姿勢を戻す前に抱き締め、否、全力で締め付けて立ち上がると、暴れ藻掻くサンドウルフをできるだけ遠くへ放り投げた。

 空中で体をくねらせるその姿は、釣り上げられた魚とそっくりだ。

 そうしてぼくの前方に姿を晒したサンドウルフ。

 こうなればぼくのものだ。

 すれ違いざまの一撃を首根っこにお見舞いし、再びモンスターを土に溶かした。


「ひっ……! あ、あぶ、あぶ」


 危なかった。本当に死ぬかと思った。

 中々収まろうとしない乱れて上下する胸を無理矢理両手で押さえつける。

 何が残酷か、何が犬好きか。

 そんなこと考えている暇はない、油断なんかしている暇はないんだ。

 ぼくはどこかでレベルアップしたことに奢っていた。レベルが一上がったことで初めの雑魚敵を一撃で倒せるようになるように。特にぼくの場合、初めから一撃で敵を倒せていたから、だから完全に錯覚していたのだ。

 一撃で倒せればそれは苦戦しないのだと。

 だがそれは違った。


「一撃貰えば……ただじゃ、済まないんだ」


 死んでもそれはそれで伝説。


「ぼ、ぼくは……。ぼくは死なないぞ!」


 これはメッセージだ。ぼくをこんなところに落としたあの男への。


「戻ってやる……! この武器を仕上げて、それでクリアなんだろ。いいさ……やってやる。あんなクソみたいなところでも、それでもここよりはずっとマシだ……」


 死にたくないんじゃない、死ぬのが怖いんだ。ただ、生きていることのほうがマシだと思えるから、だからぼくはぼくの世界に戻りたい。


「ん? あれ?」


 ふと撫でたバットの先端に違和感を感じた。

 見た目で少し歪んでいるのには気づいていたが、どうやらそういう歪みではない。

 歪に盛り上がった小さなでこぼこからそれも小さな鉤爪のような突起がランダムに飛び出ている。


「いつの間にこんな……。あっ!」


 そうか。

 レベルアップ、そういうことだったのか。

 闘いの記憶がこの金属バットを鍛えあげるというのはつまりそういうことだったのか。

 ぼく自身の体の成長ではなく、武器そのものが成長するということだったんだ。

 一撃で敵を倒すことができたのは。


「それなら……」


 ここにいても意味はない。

 闘いの記憶がこの武器を鍛える手段なのだとすれば、同じような強さの敵をいくら倒してもきっとこれを強くするには至らないだろう。

 困難でなければそれを記憶に刻むことはできない、それならぼくは、嫌でも、元の世界に戻りたければこの階段を下りなければいけないんだ。

 上から見下ろす階段は視界十メートルくらい先からが暗くてよくわからないが、その先には明かりが見えている。暗い夜道、実家の真っ暗な二階、暗がりで恐怖を煽られるというのはとりあえずお化けを連想してのことなのだろうが、今のぼくはそれとは違う。

 単純に命を脅かす輩がいるかもしれないという恐怖だ。

 サンドウルフがそうであったように、シーフバードがそうであったように、奴らはどこからやってくるのかわからず、しかも命を取りにくる。

 すると、慎重に下りようとする階段の一歩一歩に自然と力が入る。

 上から見えていた明かりはこれだったのだ。

 天井から垂れ下がった裸電球、それはゆっくりと揺れ、影を操っている。


「いぐっ!」


 突然、入り口の扉が閉まった。

 何かが入ってきたのだろうか。ぼくは一旦歩みを止め、後方の物音に耳を澄ませる。

 しかし微かに聞こえる裸電球の揺れる音以外には何も聞こえない。

 螺旋に下る長い階段、その道を照らす裸電球の列。

 この不気味な雰囲気にぼくはもうすでにここに入ったことを後悔していた。

 そうして螺旋階段を下る内、ぼくの方向感覚は失われ、なんとなく見当をつけていたあの大穴の方角がわからなくなってしまった。

 なぜあの大穴の方角を覚える必要があるかといえば、それは当然ぼくが下りているという状況と大穴が深くまで続いていたことが理由だ。あれに見えていた横穴、そして地上に幾つもあった大穴の様子から、きっとインパクタスはこのダンジョンのそばを回遊していることは確かだろう。それならぼくがインパクタスに出会う確率が上がる行為がつまり今やっていることだ。どれだけ複雑にインパクタスの通り道が地下を巡っているのかはわからない、だから大穴の方角を覚えていたとて意味はないのだろうが、ぼくは少しでも奴に出会わない方法を取りたいのだ。

 とはいっても、ここはダンジョン。

 彼の言葉を引用するなら、凶悪なモンスターが跋扈する最悪のステージ、なわけだ。そしてその凶悪なモンスターがインパクタスであることは明白。

 嫌でも出会うことになるだろうし、対峙することになるだろう。

 思わず漏れそうになるため息を飲み込もうとすると、ぼくの喉が鳴り、いわゆるこれが生唾を飲むという行為なんだと思った。


「随分長いな……。もう飽きてきた」


 ここが螺旋階段だからだろう、直線的に下りるよりもよっぽど長く、しかも風景に変化ないのだから飽きるに決まっている。

 そして、いつまでも続くように思えたレンガ仕上げの壁は、唐突に終わった。


「うわあ……」


 螺旋階段の終点、その先に広がるのは何かの工場のような光景だ。

 大穴の壁面宛らに、幾つものパイプがイモ虫とか蛇みたいに壁や天井、あげく床にまで這っていて、そのどれからそれが聞こえるのかは判別できないが、地上で聞いたあのもごもごという音が周囲に響いている。

 まず間違いなく「でる」だろう。

 右に行くか左に行くかそんな些細な事でぼくの運命が変わるとは到底思えないが、しかしできれば安全な道を選びたいものだ。階段の出口から左右に伸びるその道を、ぼくはできるだけ明るく見える方目指して歩き始めた。

 


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