ディスワールドイズアンダーワールド
過去、マーマンが住んでいたのはウミと呼ばれる巨大な水溜りだった。
マーマンたちはそこで『生活』を営んでいた。
それはまさしく知的生物のそれと同じで、文明や文化を持ち、家もそして都市も形成されていたのである。
しかしある日、巨大地震が発生、ウミの底に亀裂が生じた。
亀裂は大きく、マーマンの築いた都市を丸ごとその亀裂に落としこむ結果となる。
ウミの水とともに地下へと落ちたマーマンは、その多くが死に、都市も壊滅した。
だが、そんな環境下でも生き残ったマーマンがいた。
生き残ったマーマンは再び都市を築きあげ、自分たちが落ちた新境地をアンダーワールドと呼んだ。
しかしそんなアンダーワールドはウミとは違った。
アンダーワールドに充満する通常あり得ない成分により、幾らかのマーマンが突然変異を起こした。
本来水分を大量に必要とするはずのマーマンだが、新マーマンはその水分を必要としない。
体組織の九十パーセントがカルシウムと鉄分で組織される『骨皮膚』を持つ強固な体の新生態へと変貌を遂げたのである。
以来その新マーマンを鉄骨人類と呼び、彼らと旧マーマンである魚人類は生域を別とした。
鉄骨人類は地上、つまりは水の外での生活を主とし、魚人類はウミの注がれたアンダーグラウンドの溝、つまりは今のダンジョンと呼ばれる場所で生活するようになった。
しかし、ダンジョンに溜まる水の中での水泳生活が続いたことでマーマンは退化、その両足を失う者が現れた。
それからというものマーマンの退化は止まらず、その高かった知能すらも徐々に退化し、そして今のようにただ食欲でのみ活動するモンスターへと成り果てた。
マーマンとの会話がなされていた間はダンジョンも今とはその様相が違っていたが、マーマンの退化が進むに連れて鉄骨人類がそこへ立ち寄ることも難しくなっていった。
結果、荒廃しトランスポーターや奇特な学者程度しかそこへと入り込む者はいなくなったのである。
そのため、退化したマーマンの繁殖法やダンジョン内の生態を知るものはいなくなったとされている。
「まあ、つまり。マーマンの子供ってのはぜーんぜんわからないってことだよ……。しかもその子、言葉を話すんだよね? 僕の調べたとこでは、マーマンが知能を持っていたのは僕らよりも何百万世代も前。だから、その子が言葉を喋れるにしても誰から継承したのかが不明だよ。ぜーんぜんわからないよ……僕は天才なのに」
一頻り話した後、ジーナはため息をついた。
「ふーん、そんなことがあったのね。私全然知らなかったわよ」
「だからセーレはダメなんだよ! 知識は重要だよ? わからないことがあれば知れることも限られちゃう。それって世界を捉えられないってことだよ? それじゃあただの生き人形だよ、つまらないよ……」
「生き人形って、大袈裟な……」
ウミって海だろ。
海の底にはマーマンが住んでいたって?
巨大地震で亀裂?
そんなの、あり得るだろ。
あり得ない。
アンダーワールドは想像の世界だろ。
アンダーワールドは、隙間に落ちた僕の……。
僕は、僕はどうなったんだ。
あの後一体、僕はどうなったんだ。
「ちょっと君、どうしたの? 顔、真っ青だけど……」
「い、いや。なんでもないです、大丈夫」
「おやおや? 具合が悪いならボクが……」
「やめなさいってば」
「はかせ、てんさい、てんさいはかせ」
「え?」
マーマンの子が喋っている。
いつものじゃない。
この子は理解しているんだ、状況や言葉を。
この世界の史実的にマーマンの知能は数千万年以上前に没している。
つまり知能を有する両親から産まれた可能性があるこの子は異常なのだ。
数千万年、それが正しい時間なのかは分からないが、その長い時間知能を保持したまま極小数の旧マーマンが生き続けていたなんて、想像することすら難しい。
一体この子は、何なんだ。
「やっべー! この子、本当に知能があるんだ! すっげー!」
「何よ、疑ってたの?」
「いやいや、そういうわけではないけどさぁ。それでも一応真実を目の当たりにするまで信じ切らないのさ! ボクは天才だからね!」
「あっそ。ま、いいけど」
「それで、あのジーナちゃん。この子、このままじゃいずれ死んじゃうんだよね」
「ちゃん!? いやーん。そんな風に呼んでもらえたのひっさしぶり! うれしーなー!」
そうじゃなくて、僕はマーマンの子供のことを知りたかったのだが。
そんなことよりちゃん付けされたことの方にジーナは興奮しているようだ。
なぜか。
「……言っとくけど、ジーナは私を同い年よ」
「……え?」
「ちょっと! 余計なこと言わないでえ! ボクは永遠の十五歳なの! 歳なんて取らないんだから!」
「ジーナはね、特異体質なのよ。見た目は別として普通なら硬化していくはずの体がそうならないの。不思議でしょ? でも、ジーナのこの体を調べられるような人もいないからほったらかしってわけね」
そう言ってセーレは笑っているが、正直笑える話なのか微妙だ。
体が異常なのに誰も調べられないって。
それはつまり医学が全く進歩していないし、これからもしないってことじゃないか。
でも、この世界の機械技術はあの世界とは比較にならないほど進歩している。
医学を捨てた理由はなんだ。
鉄骨人類が丈夫だからか、それともこの世界に病気そのものがないからなのか。
「そ、そうなんですか……。それで、その、この子の件に戻りたいんですけど」
「ああ、その子の装備のことでしょ?」
「え、ええ。この子、このまま胸当てを抱いたままでもいられないですし。何か新しく地上で生活できる方法はありませんか?」
「うーん。まあ、その防具を作り変えればいいだけなんだけど。少し時間かかるのね? だから、とりあえずこの子を私に預けなよ」
「え? この子を、ですか? でもその改造とか、しないですよね……」
「……しないよー。大丈夫、大丈夫! 安心して!」
なんだその間は。
どうにもその笑顔が信じられない。
でも、今はこの人に頼る他ないという事実。
「……あの、絶対改造とかナシですからね! 絶対ですよ!」
「だーいじょぶだってー。信じなよ、この天才をさ!」
「まあ、大丈夫よ。ジーナだってそこまで狂ってないわよ」
そう言ってセーレは笑う。
彼女が笑っているのは、ジーナのことを信じて良いという意味なのか、とりあえず僕を安心させようとしているだけなのか。
世にも珍しいと思われる、知能のあるマーマンのしかも子供。
彼女が本当に天才学者なら間違いなく興味があるだろう。
「おいおい、そんなに悩むなって。本当に大丈夫だから、ジーナに任せよ? 何かあったら私もこいつをこらしめるの手伝うからさ!」
「えー! ひどいっ! なんでボクがこらしめられるのさ! そんなことしないっての!」
「……ジーナさん。この子、よろしくお願いします」
「うん! 絶対大丈夫! きちんとその子が外で暮らせるようにしたげるよ!」
僕がマーマンに視線を落とすと、マーマンは僕らのやりとりをただ呆けて眺めているようだった。
その姿は、大人の会話についていけない子供そのもので、人間との違いという絶対的なものを感じることができなかった。
知能があるというだけで。
一体僕らは何を基準にして動物らしさを見分けているのか。
言葉の違い、姿形、機能と大きく三つの違いは見るに明らかといったところだろう。
でも、僕らはそれらの遠さばかりを考えて、近いかどうかなんて考えない。
犬だって魚だって、それなりの方法で仲間と通信しようとするわけで、手足を使って行動するのだって似ているし内蔵器官だってそのほとんどが人間にあるものと同じ名前をしているのに。
それなら僕だってマーマンだってモンスターだ。
しかしそこに違いを求めさえしなければ、僕らはいつだって同じ仲間なんじゃないのだろうか。
「それじゃあ、このマーマンはジーナに預けるとして。私たちは一旦アイロスのところに戻るわ」
「はいはーい。っとその前に、この子に名前はなんて言うの?」
「……名前。そういえば、まだ考えてませんでした」
「そんじゃあ、今付けちゃってよ。ボクもその子とお話してみたいし」
「はい。えっと……」
マーマンだからマー君か。
それともマー子か。
「あの、僕この子の性別がわからないんでした」
「性別? どれどれ、それじゃあボクが調べてあげようかね」
「ちょっとジーナ。目がギラついてるわよ」
「おっと、失敬。ささ、君は向こう行ってて? もしもこの子が女の子だったらまずいっしょ」
「あ、は、はい」
僕は三人を研究室に残して本棚の部屋へと戻る。
様々な本が詰め込まれた本棚の背表紙には、やはり見たことのない文字がぐにゃぐにゃに書かれている。
一見して文字特有のパターンは見当たらないし、どうやってこれを文字として認識したらいいのか僕には全くわからない。
この世界の歴史資料をジーナに渡された時、つい読む気でいたけれど、よく考えてみればアイロスやセーレに教わらなければ読めなかったわけで、数日で読むことすら無理だったんだ。
言葉が通じることでそういう文化の違いを忘れていたんだろう。
全く人間の脳は柔軟にして頑固なものだ。
「おーい! わかったよー!」
「はい! 今行きます!」
僕は手に持っていた一冊の本を棚に戻して研究室へと戻る。
「それで、この子の性別はなんだったんですか?」
「じゃららら……、ばん! 女の子でーす! 良かったねー部屋の外にいて。危うくえっちなおじさんになるとこだったよ君ぃ」
「は、はあ……」
「で? 名前、考えてみたの?」
「セン。その子の名前はセンです」
「セン……。ま、いい名前じゃない。よろしくねセン」
「まあ、かわいい名前とは言い難いけど、アリっちゃアリだね! ね?センちゃん」
「てんー、てんさいはかせ、はかせ」
「セン。また後で会いに来るから、それまでジーナさんの言うことをちゃんと聞くんだぞ?」
「んー」
「よし、お前はいい子だね……。ジーナさん、センのことよろしくお願いします」
「オッケー。まっかせなさい! この天才アルケオロジストが立派な陸棲マーマンに仕上げてあげよう!」
そして、僕らはジーナの研究所を後にした。
新しい装備を身に纏い、僕はアイロスのところへ修行に戻る。
どれだけ自分が強くなれるのか、それはわからない。
でも、突然落とされたこのアンダーワールドで僕がやるべきことは一つしかない。
それは、レジェンドアームズを鍛えること。
意味もなく落とされたわけじゃないということは、僕が絶望しないでいられる唯一の希望なのかもしれない。
そしてそれは、レジェンドアームズを鍛えることに意味があるということでもあるのだとなんとなくそう感じるのだ。
「おっと。なんだこれ?」
湖底を駆け上がり、再び周囲が草原となると、何かがバムの窓に張り付いた。
「セーレさん! 停めてください!」
「え? え? 何よどうしたの?」
「お願いします! その封筒僕のです!」
訝しがるセーレを置いて、僕はバムから飛び出した。
窓から滑り落ちる一通の封筒には、星の紋章の封蝋がされている。
(レボーアップ、ランクトリア)
今更かよ。というかなぜこのタイミングなんだ。
しかも、『トリア』の文字の下には何か別の文字を消しゴムで消したのたような後が残ってる。
マイクの男の仕事は相変わらず雑だ。
レベル二としようとしたけど、三に上がったから慌てて書き直したのか、それともただ間違えたのか。
とにかく僕のレベルは上がったようだ。
実感もないし、僕にそれを告げる役目の男がこの有り様。
僕はレベルアップしたことによる変化を確かめるためにバットを眺めた。
久し振りに見るからなんともいえないが、バットが少し細くなって突起が大きくなっただろうか。
余りにも微妙でその変化が目には捉えづらい。
「あっ!」
「どうしたの? 忘れ物?」
「……レジェンドアームズのこと、聞くの忘れてました」
「あらー。そういえばそんなこと行ってたわね……。いいわ、今度私が代わりに聞いといてあげるわよ」
「す、すいません。よろしくお願いします……」