天才アルケオロジスト
「……ふぅ。行ったか」
揺れが収まると、セーレは岩陰からバムを動かし再び湖底を進み始めた。
ここは本当に水中なのか、さっきからそういう疑惑を感じている。
ドラゴンが泳いでいる姿もそうだが、翼を羽ばたかせて宙を進む姿はとてもじゃないが泳いでいるという感じではなかったからだ。
僕らがそこを水中だと判断できるものが魚と水草程度しかない、ということも原因だろう。
だから魚が泳いでいるという、それだけの風景に異様さを感じる。
本当は泳いでいるのだろうけれど、僕の目にはそれが飛んでいるように見えているのだ。
空飛ぶ魚なんて、どこかの絵本か何かにありそうなものだ。
これならもしかして水中でも普通に生活できるんじゃないかと、そんな感覚すら覚える。
全く、僕らは目に見えるものから得られる情報がほとんどだなんて言われながら、その精度は実際こんなに簡単なことで惑わされてしまうほどに低い。
物理的な力というのは世界に確かに存在しながら、それを目で見ることはできない。
そんな目で見えないものを見つけた人たちには世界がどんな風に見えていたのか。
やはり数字だろうか。
それとも、見えない線とかそんなものが見えているのだろうか。
力は確かにある、でも見えない。
それはつまり、イメージで世界を捉えるか、光の反射を目で捉えるかという大きな違いだ。
イメージも事実だし、形も事実だ。
何かが違うこと、それを惑わされていると感じることはどちらかの世界に偏っていて、どちらかを信じていないということではないのだろうか。
そう考えると、世界は個人ごとに違う存在ではないのかとそう思えてくる。
他との違いを補正し、共通認識の元で生活できるようにしているのが本来の脳の効果なのではないかと。
「うーん……」
水草の森に入り込んでから、セーレはずっと唸っている。
「どうしたんですか?」
「いやね、これから行こうとしている家が見つからなくてさ……」
「迷った……ってことですか?」
「んー? いや、そういうわけでも……。あ! みっけた!」
鬱蒼とした水草の隙間の向こうに何か大きなものの姿が見えた。
「待て、このやろ! 逃がさないぞ、っと」
セーレがブツブツ言いながら水草をかき分けて進んだ先にあったのは、馬鹿でかい貝殻だった。
渦を巻くその貝殻の下部には巨大なハサミを持つカニかエビのような姿の甲殻類がいる。
そのスケールこそ異常だが、きっとこれはヤドカリで間違いない。
「セーレさん。こいつが家なんですね?」
「そうよ。察しがいいわね」
「いや、まあ……」
ヤドカリに本物の宿を引きずらせるなんて、僕にとっては最早普通の発想だ。
「さ、入りましょ」
「入りましょって、どこから……」
するとセーレは迷うこと無くヤドカリの正面へバムを動かした。
しかし、不思議なことにヤドカリは目の前に立ちふさがる僕らに対して敵対行動をとらない。
そもそもヤドカリがそんなに凶暴だという印象はないが、それにしてもこのヤドカリは、僕らを敵視するわけでもないし、それに止まろうとも軌道変更しようともしない。
「セーレさん、このままじゃぶつかっちゃうんじゃ」
「いいのよ、大丈夫」
セーレがそう呟いた最中にもうすで目の前までヤドカリは迫る。
そして辺りが暗闇に包まれたかと思うと、ヤドカリの口の中へ吸い込まれるようにバムは地面を滑り、上昇を始めた。
徐々に明るくなっていくヤドカリの体内。
今がどの辺りなのかはわからないが、道と思しきその両端には明かりが連なっている。
「……これって、ヤドカリの体内じゃ?」
「違うわね。これが彼女の家よ」
「これが……家?」
てっきり僕は背中の貝殻が家なんだと思っていた。
しかし、彼女の言うところではヤドカリの体内であるこの場所こそが家だと。
微妙に足元をすくわれた気分だ。
ベルトコンベアによる引き上げが終わると、バムは停止した。
広いとはいえないが、窮屈でもない絶妙に狭い空間が広がっている。
「さ、降りて。行くわよ」
僕らはバムから降り、セーレの後に着いて行く。
きちんと整備された通路。
こんなのは生物の腹の中ではあり得ないだろう。
僕は人間の体の中くらいしかちゃんと見たことはないが、それでももっとぐにゃぐにゃしているはずなのに。
まさか、生物の体の中に鉄板やら何やらを持ち込んで、少しずつ整備したのだろうか。
そうして余計なことを考えている内にセーレは一つの扉の前に立った。
その両開きであろう通常より大きな扉の脇には、操作盤付いている。
「まるで、宇宙船みたいですね」
「ん? ウチュウセンって何よ。またわけのわからないことを言って」
「あ、いや。なんでもありません」
セーレはそれが日課であるように慣れた手つきで操作盤のボタンを押している。
こういうのは指紋認証とか眼球認証とかそういう個別に違うものを利用するのものだと想像していたけど、これだけハイテクっぽい空間でこの操作盤は意外にも旧式だ。
そして開かれた扉の先は、またハイテクから遠ざかっていた。
壁一面の本棚と古びた木の机や椅子、それにソファのまるで小洒落たカフェみたいな部屋だ。
なぜ、これだけボルトと鉄板をむき出しにしておいてここはこんなにカジュアルなのか。
「セーレかー? こっちこっちー」
何を察したか、どこか遠くからセーレを呼ぶ声が聞こえる。
彼女は部屋を横切り、声のする奥の方へと更に進んでいく。
本棚の隙間みたいになっている道をすり抜けると、その先にはマッドサイエンティストの研究所のようなよくわからないものばかりだが確実に科学的な何かを彷彿とさせる空間が広がっていた。
その中心、何やら怪しげな機械が天井から伸びるベッドの上に一人の少女が寝転がっている。
「ジーナ……。またそんなところで寝て……」
「いーのいーの。ここが一番気持ちいいんだもん」
「そう。ま、いいけど」
「で? 今日は何の用? なんだか変わったお客さんも連れてきてるけど」
そう言ったジーナという少女が寝転ばったまま僕を見つめている。
「は、初めまして、僕……あの、その名前を忘れちゃって。えと、初めまして」
「えー? 記憶喪失? もしかしてなんかに噛まれたりしてない?」
「何か……? あ!僕、噛まれました。その、廃墟のダンジョンでマウスフェイスってあの触手の塊に口が付いたような奴に……」
「まうすふぇいす? なんだそれ」
「砂漠のダンジョンにいたのよ、そういう奴が」
「砂漠のダンジョン……。ああ、あいつかぁ。でも、そいつじゃないね。そいつじゃ記憶を錯乱させるような毒はないもん」
「……そうですか」
「気にしてるの? 記憶が無いこと」
「えーと……」
そう言われてみると、自分でも不思議なくらい名前を思い出せないことが気になっていない。
自分の名前、それって結構大事な情報だったりするはずなんだけど。
僕のアイデンティティではないってことなのだろうか。
「全然、気にならないです。そう言われてみれば」
「あははは! 何それ! 変なのー。まあ、気になってないならいいか。もしどうしてもっていうなら僕が調べてあげてもいいよ?」
「えっ! 本当ですか?」
「……やめときなさい。下手したら改造人間よ? 君……」
「何ですか……? 改造人間?」
「そう、この子変態なのよ……」
「こらぁ! 変態ってなんだい! しっつれいな奴だなぁ!」
どうやら彼女は怒っている様子だが、それでもベッドから起き上がろうとはしない。
「僕は天才アルケオロジスト! 究極の知識を誇る考古学者の神だよ! それを変態だなんて! セーレ、君失敬だよ! 君!」
「はいはい、わかったわよ。もう、面倒くさいやつだな」
「あー! 面倒くさいってなんだい! しっつれいな……」
「あーっ! もう、わかったてば! そんなことより、聞きたいことがあって来たのよ」
「ふーん……。何?」
「何? じゃないわよ。言ったでしょ? マーマンの子供のこと」
「ああ、そのことなら、もうとっくに調べてあるよ。何せ天才だからね!」
そしてようやく起き上がったジーナは雑然とした机の上から一束の資料を抜き出した。
「これ、どぞ」
差し出された資料は、とんでもない分厚さだ。
これを読めって言うのか。
さすがにこんな量、読むのに数日はかかりそうだ。
「あ、あの。掻い摘んで説明とか……してもらえます?」
「えー! 面倒くさいよそれ!」
「ジーナ……、あんたからすればこの量は普通なのかもしれないけど、私たち常人からすれば神の所業には到底近付けないのよ?」
「うーむ。まあ、確かにそうだね……じゃあ、特別に掻い摘んで説明したげようね」
天才から説明されたマーマンについての内容はおよそ伝説というか、そういう現実味のない話だった。
でもそれは、微妙にズレているあの世界とこの世界とを繋ぎ僕の矛盾を解消するみたいで、僕はそれがとても不気味だった。