そんなの見たことない
目の前に広がる光景は、街というよりもまるで蟻の巣だ。
山肌を抉って作られた洞穴が幾つも並んでいて、その一つひとつに看板が付いている。
不思議なのは、これだけ原始的な姿の街でありながら、電飾がなされているところだ。
ネオンやら電光掲示板やら見た感じだとバブリーな雰囲気といっていいんだろうか。
節電もクソもないとりあえず派手にしておけ、という感じの街並み。
アイロスと同じくらいの大きさのパワードスーツらしき姿の者や、最低限の装甲を身に着けただけの者、それからこのロードバムらしき機体もそこら中行き交っている。
「ロードバムって色んな形があるんですね」
「そうよー。私のはロードバムだけど、他にもスカイバムとアクアバムっていうのもあるわ。まあ、どれも基本の形ってことだけどね」
「走るのと飛ぶのと泳ぐのとってことですよね?」
「そうそう、そういうこと。そして、さらに面白いバムもあるのよ」
「なんです?」
「ファイトバムよ。今言った三つの基本形体を戦闘用に仕上げたバムでね、陸上戦、空中戦、水中戦ってそれぞれあるの。そしてそれらを使ったバトルトーナメントがもう、楽しくってね!」
バムの話をするセーレはとても興奮している。
そもそも血の気の多い印象ではあったが、この興奮度合いからするともしかして戦闘狂なのかもしれないとすら思える。
「昔はあの人とよく行ったのよ。アイロスのバムさばきを見せてあげたかったわ。あの人元チャンピオンなのよ! すごいでしょ?」
僕は見たことのないバムのバトルトーナメントの話だったが、興奮して楽しそうに話す彼女を見ていると、どうしてもわくわくしてくる。
「アイロスさんはもうバムに乗らないんですか?」
「乗らないでしょうね、きっと」
しまった。
「よし、降りて。まずは君の装備から整えましょ」
道端に停められたバムの扉が開いた瞬間、熱風が吹き込んできた。
サウナというかこたつの中というか、そういう蒸し暑さで辺りは充満している。
そこで浮かぶ一つの結論。
「セーレさん、この山ってもしかして……火山ですか?」
「そうよ。地熱エネルギーが豊富だしね」
僕は山の高いところを見上げた。
「噴火なんてしないでくれよ……」
「ほら、行くわよ」
赤と緑のネオンがぐにゃぐにゃに組まれた文字らしき看板の店と思われるそこへ入ると、突然熱気が消えた。
どういう原理かはわからないが、この入口を境に空気が変わっているのだろうか。
とにかく中は外と違って涼しい。
奥へと続く道を進んでいくと、道は鉄格子によってその先に進めなくなっていた。
鉄格子の向こうには、ボロボロの机に肘をつき、タバコをふかして本を読む一人の女が座っている。
「イリク、いらっしゃいませは?」
「……いらっしゃい」
「今日はね、この子に装備を見繕って貰いたいのよ」
「……んっ」
「えーっと。君、ダンジョンで拾ったアイテムあるでしょ? それ出して」
「え、あ、はい」
僕は財布から回収していた結晶と砂金を取り出し、テーブルの上にそれを置いた。
「……ん?」
「あ、あの、それじゃダメですか……?」
イリクは僕がテーブルにおいた結晶を摘み上げると、何やらじっくり観察している様子だ。
「……これ、何?」
「え? えーっと、マーマンの死体と言いますか、その塊と言いますか……」
無言で奥へと入っていくイリク。
「ねえ、今の本当?」
「ほ、本当ですよ。このバットでマーマンを倒したらキラキラした結晶に変わったんです」
「……そんなの見たことない。……まさか、死んだモンスターが結晶化するなんて」
そんな、まさか。
モンスターを倒すと金銭に変わる、という事実はゲームの世界では当たり前だ。
もちろん僕はそういう世界を基準にこの世界を体験しているわけで、それがおかしいなんて思いもしなかった。
「じ、じゃあ、セーレさんはどうやってお金を得ているんです?」
「ダンジョンパーツとかモンスターの部位とか拾ったアイテムよ。とは言っても、ダンジョンパーツもモンスターも、どちらも大抵はアイテム製造のために使われることが目的で、契約した人ごとに欲しいものが違うの。だから私みたいな仕事をする人はクライアントによってトープする場所も変わるし、ハントするモンスターも違ってくる。まあ、それだけじゃなくて、依頼がなくても材料を売りに来ることはあるんだけどね」
「なるほど……」
つまり、基本的には使えそうなものじゃなきゃ買い取ってもらえないというわけだ。
となると、今僕は渡したマーマンの結晶はどうなるのか。
少し楽しみだ。
「……遅いわね」
「……そうですね」
「おーい! イリクー! まーだー?」
セーレが鉄格子の向こうへ叫ぶと、ちょうどよくイリクが大きな箱にタイヤが付いた台車を押して現れた。
「さてさてー。どんなのが出てくるか楽しみね!」
「え、ええ。でもこういうのって自分で選ぶものじゃないんですね」
「選べるわよ、当然。あの箱の中にあなたの対価に見合ったアイテムが入ってるのよ、こういう武器屋みたいなところは基本的にこうね」
鉄格子の外まで運びだされたその箱にイリクが触れると、箱は四方に開き、中身が露出する。
三つのマネキンにはそれぞれに装備が着せられている。
それとバックパックにウェストポーチ、それからピストルが一丁と刃物が数点置かれている。
「へー! 結構出たわね! イリク、あの結晶ってなんだったの?」
「……わからない。初期投資」
「ふーん……」
「……装備、どれか一色。ピストルか刃物どれか一つ。バックパックとポーチに少しおまけ入れた、それは全部」
「うーん……、どれがどうとかあります?」
「…………ない」
「あーっと……。そうね、君におすすめなのは一番左のやつかな」
「一番左……」
そこにあるのは、フルフェイスゴーグルを被った防弾チョッキの様な胸当てと何やら歪な黒い小手のマネキン。
僕にはその格好がとても暴力的に思えるが、セーレもイリクもそれにそこらを歩いている人々も大概こういった世紀末風の格好だから、これはこの世界の流行りというか自然な格好なんだろう。
「じゃあ、これを」
フルフェイスのマスク姿の防具にバット。
こんな格好で街中を歩けば、当然警察に引き止められる。そんな格好を人生で初めて身に着けた。
「これ、案外着心地良いんですね」
「でしょ? だからイリクんとこの店は最高なのよねー」
今までスーツ姿だったからだろうか、それともこんな格好だからか、僕はとても気が大きくなっていた。
服装が変わると気分が変わるというのは本当だ。
むしろ、僕はあのコンビニにたむろするような人たちがどうしてあんな格好でイケイケなのかも少し理解できてしまっているくらいだ。
イメージ通りの凶悪性を明らかにすることで、自分自身の実力なんか忘れてしまうんだ。
思い出してみれば、初めてスーツに袖を通した時もそうだった。
僕はすでに、自分自身の虚栄というなの凶暴性を姿に表していたんだ。
そう考えると、真の意味でファッションを楽しんでいる人なんてほとんどいないのかもしれない。
「……毎度、また来て」
結局セーレもそこで銃弾を補充して、それから店を出た。
「うん。似合ってるわね!」
「そ、そうですか……。でも、なんか気恥ずかしいですね」
「なんでよ? むしろさっきまでの血まみれの変な布切れのほうがひどかったじゃない?」
確かに。
「それで、セーレさん。これからどうするんです?」
「そうね、銃弾も補充したし。マーマンのこと、聞きに行きましょうか」
マーマンはモンスターだから、基本的には誰も気にしないと彼女は言っていた。
でも、それを知っているという人がいるとも言う。
それってつまりは変人というカテゴリーの人ではないのだろうか。
どこにでもいるが、普通の人が気にしないようなことを気にするのは大抵変人扱いだ。
それは結局、一般的という巨大な思考がイレギュラーを排他するということなのだろうけど、広い目で見れば変人なんていないし、そんなカテゴリーを設けること自体変だというのが僕の見解だ。
バムは街を抜け、そして再び山を下り始めた。
しかし、それはここに来た時のような高速移動ではない。
「セーレさん。あの、その……」
「なーにー?」
「いや、その……」
このまま行けば湖の中に突っ込んでしまうんですけど。
そんな簡単なこと聞いてしまえばいいのに、それでも僕がその言葉を口にしなかったのは、湖に突っ込むんだろうという確信と普通そんなことしないだろうというあの世界での常識とのせめぎ合いからだ。
僕はなんとなく、少しずつ自分のイメージの使い方がわかってきているのかもしれない。
湖が目前まで迫っても、セーレはバムの速度を落とさない。
結局バムは僕の予想通り湖の中へと突進していく。
沸き上がってくる泡で視界が覆われ、それが晴れると、目の前はありえないほどの透明度の水で満たされていた。
まるで外との違いを感じないほどだ。
上から見た時は、確かに緑色に濁った水が溜まっていたように見えていたのだが、入ってみればこの透明度とは。
数百メートル先であろう対岸までよく見えているし、深さはどのくらいかわからないが、しっかり底までも視界が透き通っている。
水草と思われる水に揺らめく様々な植物と岩がそこら中に転がっていて、魚みたいなものも泳いでいる。
宛ら、整備されたアクアリウムだ。
「綺麗ですね……」
「そう? そんなことないわよ、私はこんなとことっとと抜けたいわね」
そう言ったセーレはバムの速度を上げた。
「なぜです? こんなに綺麗なのに」
「まあ、見てなさいよ。たぶん、出くわすことになるだろうから」
「はあ……」
出くわす、か。
そいう言い方をするってことは間違いなく強いモンスターなんだろうけど、僕はもうすでにインパクタスを見ているし、それに彼女だって奴を見て驚いていた。
それでも、ここの生物は脅威であるというなら、それは一体どんなモンスターなのか。
気になるけど、触れ合いたくはない。
バムが湖底に到達する。
すると、セーレはバムを大きな岩の陰に隠れるように移動させた。
「どうかしたんですか?」
「見てなさい。来るわよ……!」
セーレがそう呟いた次の瞬間、バムが大きく揺れた。
地上をあれだけ走ってもほとんど揺れないバムがこれだけ大きく揺れるというのは初めてだ。
「セーレさん! 何が起きているんですか?」
「向こう、見てみなさいよ」
そう言って正面を指差す彼女の指先は地面と平行ではなく、上を向いている。
前方上方、山のように突き出た岩の陰から何かが翼を広げて現れた。
大きな翼を広げて、水中をまるで飛んでいるかのように泳いでいるあれの姿を僕は知っていた。
「ドラゴン……ですか?」
「そう、よく覚えていたわね。この湖はあいつらの棲家でもあるのよ。だから、あんまりここには長居したくないわけ……」
「でも、なんでドラゴンが水中に? 奴らには翼があるじゃないですか」
「さあ? そんなの知らないわ」
しかし、不思議だ。
ドラゴンがいるのは僕らよりもずっと高いところなのに、なぜバムが揺れるのか。
「セーレさん、ドラゴンはわかりましたけど、それとこの揺れと関係あるんですか?」
「そりゃあるわよ! ドラゴンは自然の化身なんて言われていて、奴らの通り道は大地が呼応するの。これ、常識でしょ? それは忘れちゃっているのね」
生物と大地が呼応するなんて常識、当然僕にはない。
でも、それはドラゴンなんて知っているだけで、何も知らないあの世界での常識であって真実ではない。
真実はきっとこれだ。
僕は、ドラゴンが優雅に飛び去る様を目で追いながら、大地の呼応を感じていた。