街へ行こうよ
「さて、と。それじゃあ、そろそろ出掛けるわよ」
「出掛ける? どっか行っちまうのか? この子の戦闘訓練はどうすんだ?」
「そりゃ、やってもらうわよ。でも、その前にこの子はやることがあるのよ」
「やること……」
「そう、その格好じゃ色々不便だし。街へ行って装備を整えなくちゃ」
「ああ、なるほどな」
街へ出掛ける。
すっかり忘れていた。
僕は、自分の体を見下ろし、ムベンベの解体で汚れた服を引っ張った。
「あの……、出掛けるにしても僕、この格好じゃまずくないですか? 返り血浴びまくっているし」
「じゃあ、脱げば? むしろその方がまだマシよ? 見た目としては」
「ぬぬ、脱ぐってセーレさん! そんなの恥ずかしいですよ!」
「気にしないわよ、そんなの誰も。実際返り血の格好のままでもいいんだけど……? 私は困らないし」
「アイロスさん! 着替え、貸してもらえませんか?」
「ああ? あるっちゃあるけど、俺のはでけえぞ?」
そうだった。
この人は図体が僕の二倍はあるんだ。
この世界に来る前の僕だったらもしかして、着れたかもしれないが今の僕じゃ無理なんだ。
再び見下ろした自分の腹を撫でる。
そこで、自分の体の異変に気が付いた。
「腹筋が、割れてる?」
そっと服をめくり上げ、自分の腹を見て僕は愕然とする。
しっかり出来上がった六つの山、筋の入った肋骨。
バッキバキのいい体になってるのだ。
信じられない。
これは、アンダーワールドの恩恵なのか。
素晴らしい体だ。
僕は、シャツのボタンを外し、自分の裸体をさらけ出してみた。
ボディビルダーみたいなパンパンに張った胸筋じゃない、引き締まって鉄板のような胸筋。
「全然、恥ずかしくない」
自分の中から溢れ出してくる何かに僕は耐えられない。
シャツを脱ぎ捨て上半身裸になり、体に力を込める。
初めてだ、自分の体が力を込めて反応を示したのは。
跳ねる筋肉、踊る肉体。
これならもしかして。
僕は立ち上がり、大きく息を吐きだし、勢い良く仰け反って飛び上がった。
「ぐえっ!」
「……後で教えてやっからよ」
「…………ほら、行くわよ」
「は、はい」
すると、ロードバムの方から小さな叫び声が聞こえた。
(あててー、あててー)
「あの子、目が覚めたんだ」
ロードバムへと駆け寄る。
「セーレさん! これどうやって開けるんですか?」
「ああ、ちょっと待って。私じゃないと開かないのよそれ」
ロードバムへと近づいてきたセーレがそのボディを叩くと背面の扉が上に開き、中からマーマンが転げ落ちてきた。
僕はうつ伏せに地面に倒れてしまったマーマンを抱き起こし、地面に立たせた。
マーマンの子供は、胸当てを抱きしめたまま、その大きな目で僕を見つめている。
大きな目は初めて見た時には真っ黒だったが、今は様子が違う。
まるでタイガーアイを詰め込んだようなくすんだ黄土色の瞳、それに白目もある。
「おかしいな……。セーレさん、マーマンの目ってどうなってるかわかりますか?」
セーレは何も言わず、ただ首をすくめた。
「……そうですか」
考えてみれば、僕はこの子のことを何も知らない。
何を食べるのかも、この子が今いくつなのかも。
それに、性別すらもわかっていない。
マーマンは体温を低く保たなければならないとセーレは言っていた。
そのために必要なのはこの子が抱いているマーマンの鎧だ。
しかし、いつまでもこうやって抱いているわけにもいかないだろう。
「セーレさん。街に行けば、この子の装備もなんとかなったりしますかね?」
「んー……。たぶん、無理だと思うわ。ここに来る前にも言ったけど、マーマンはモンスターよ? だからわざわざマーマンを地上で生かすためのアイテムなんか用意していないわね。……でも、もしかしたら」
「心当たり、あるんですか?」
「んー、まあね。じゃあ、街に行くついでにそこにも寄りましょ。装備はないかもしれないけど、マーマンについて何かはわかるかもしれないわ」
僕は再びマーマンの子供を抱き上げると、そのままロードバムへと乗り込んだ。
初めて腰を下ろす一人分の後部座席は、マーマンの体温で冷たくなっていた。
「それじゃ、行くわよー」
動き出すロードバムは、滑るようにこの巨木だらけの森を駆け抜けていく。
「セーレさん、街っていうのはどこの辺りにあるんですか?」
「一旦森を抜けて、それから少し山を登ったところね」
「山ですか……」
このロードバムという乗り物、砂地を自由に移動できるしそれにこんなに速い。
しかも山まで上るとは。
もしかして、空まで飛べたりするのだろうか。
獣の背中に乗って駆け回る感覚を想像しながら流れていく景色を眺めていた。
森を抜ける少し手前でまた、ムベンベとは違う恐竜とすれ違った。
あれはどう見てもティラノサウルスだと僕は思ったけれど、そんなことよりも肉食と思われるあの凶暴な生物が僕らの乗っているこの乗り物に見向きもしなかったことの方が驚いた。
映画で見たあの描写は嘘だった、とまでは言わないが実際肉食だからといってなんでもかんでも襲いかかってくるような野蛮な生き物だとは限らないのだろうか。
この世界に来てから僕の価値観は微妙にズレっぱなしだ。
だからだろうか、僕にはこの世界の方がリアルで、あの世界の方が虚構のように思えるようになってきた。
テレビ、映画、僕らはそういうことから得られる情報というものを勘違いしているように、そう感じる。
僕らは情報で溢れるあの世界で生きる内に、その真意を知るべき知識の重要性を忘れかけているのではないだろうか。
博学であることは、あくまで不特定多数の情報を得ているということであって、その全てを理解しているわけではない、ただ知っているだけなんだ。
一度死にかけた人間は、まるで人格が変わったようになるという話を聞いたことがある。
それってつまり、そういうことなんじゃないだろうか。
死ぬということは、死んだ人間にしか到達することができない未知の世界で、それを見るためにはもちろん死ぬしかない。
普通は戻ってくることはできないのが死の世界だけれど、稀にそこから戻って来る者がいる。
その人たちだけが、多くの人間が想像してきた死の世界の真実を目の当たりにした。
これは、誰かに伝えたとしてもそれは話した者の知識の範囲内でしか伝えることができないということで、本当の姿からは遠ざかっている可能性があるんじゃないだろうか。
全てが人に理解できるとは限らない。
そのために、言葉にできない、なんて言葉が残されているわけだし。
結局、僕らは五感で感じられる情報しか得られない。
そういう絶望的な事実こそが、情報の真髄なんじゃないのだろうか。
人として知れるものは限られている、つまりはそういうことではないのか。
僕は今、死の世界に近い何かを目の当たりにしている。
僕はこの世界で体験したことを誰かに伝えようとするのだろうか。
森を抜けた後、そこは背の低い草花の敷き詰められた草原へと変わった。
その平原にはところどころ不自然にむき出しの巨大な岩が鎮座していて、その場所がもともと荒野かなにかだったのかそれとももとより草原だったのかわからない不思議な光景だ。
近くに山があるとはいえ、僕の視界にはまだその山は見えていないし、後ろは森が広がっているはずだし、だから象の三倍はあろうかというその大岩の出処がまったく想像がつかないのだ。
「ねえ、セーレさん。あの岩ってなんでこんなところに転がっているんですかね?」
「えー? ああ、あれ。たぶんモンスターの仕業よ、あいつら私達じゃ思いつかない不思議なことするから」
驚いた。
彼女はこんなくだらないこと、「知らないわよ」と言うだけだと思っていたから。
モンスターが不思議なことをしている、そういう事実すらこの世界の人々は受け入れているのか。
でも、あの世界の知識に侵されている僕からすると、それは進化の行程なんじゃないかと考えてしまう。
生物がとる不可解な行動は、彼らが何かしようとしていることの結果であって、それは僕らが火を生み出したのと同じく知能を活用しているということじゃないのだろうか。
もし、僕のこの想像が正しいのだとすれば、モンスターは僕が知っているあの世界の動物とはカテゴリーが変わってくる。
強いて言うならカラスや猿みたいな知能の高い生物ばかりが跋扈していると考えて良いわけだ。
単純に力の差だけで種族の違いがあるわけではないという事実は、これから生きていく上で忘れてはいけない見解だろう。
ただの獣だと思い込んでいたら、危うく知能で遅れを取るところだった。
「セーレさん、僕、あなたたちに出会えて良かったです」
「はあ? どうしたのよ急に……。でもまあ、それは私もおんなじよ。あの人の残りの時間、全て貰ってでも強くなんなさい」
そう言ったセーレは笑った気がした。
「さーて、下りるわよ!」
セーレがそう言った途端、僕の体は操縦席の方へと引きずり込まれる。
慌てて肘掛けに掴まりながら向けた僕の視線の先には確かに山がある。
「またやられた……!」
山だから高いという偏見が今自分のいる位置を錯覚させていた。
平原は、この場所を大きな盆地として形成されていた山だったのだ。
盆地の中心に盛り上がる山こそが彼女の言っていた山。
そして、僕は坂を下っていた。
もの凄い勢いで。
「ちょちょ、ちょっとセーレさん! 飛ばし過ぎじゃないですか!?」
「いいから! 口閉じてないと舌噛むわよ!」
山とそれを囲む下り坂で形成されている巨大な湖が目前に迫る。
この速度じゃ突っ込むしか考えられない。
肘掛けにしがみつき、歯を食いしばって次に起こる状況に備えた。
「行っくぞぉぉ!」
セーレがそう叫ぶのと同時に天地がひっくり返った。
今下ってきた坂道が再び目に飛び込んでくる。
次の瞬間、強烈な爆発音が響き、そして僕の景色は逆さまの地面から真っ青な空の風景へと変わる。
ゆっくりと景色が空を撫でていく。
そして、ついに天地がもとに戻ると、機体は落下を始めた。
「おあああああ!」
重力に置き去りにされた体が浮き上がり、マーマンは僕の腕から離れていこうとする。
僕はそれをしっかりと抱き締め、少しずつ僕らを引き戻そうとする力に構えた。
そしてやってきた反発力。
僕は結局、舌を噛んだ。
「到着! どうだった? 楽しかった?」
「たほひくはんはなひへふひょ!」
「あぁ……、だから言ったのに。ごめん」
涙でぼやけっぱなしの視界の中、山肌の歪さから、徐々に色とりどりの景色へと変わっていくのがわかった。
「着いたわ。これが山の街オロスよ」