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パートナー

 名前が思い出せないし。

 でも、両親も愛犬もちゃんと思い出せる。

 しかしだ、どうしてこんな姿になってしまったのか。

 目も鼻も口も全然僕の知ってる僕じゃない。

 確かに、自分の顔があまり好きでなくて鏡をあまり見なくはなっていた。

 でも、だからといって自分の顔を忘れるようなことは普通ないだろう。

 ああ、困った。

 困ったな。

 母ちゃん、父ちゃん、ゴン。

 僕は僕だよ、……なんとかっていう名前の僕だよ。


「……ねえ、ねえってば! もう着いたっての」

「え、あ、ああ。お疲れ様でした」

 

 鏡を眺めている僕の手からセーレはそれを奪い取り、「はいはいもう終わり」そう言って僕をロードバムの外へと促した。

 一体どれほどの時間僕は鏡を眺めていたのか。

 周囲を見回すと、そこはもう砂漠なんかではなく、やけに大きな樹木が生え茂るジュラ紀の森みたいな風景だった。

 焦げ茶色の皮の剥けた荒々しい木材を適当に組み上げて作ったようなログハウス、と言っていいのかわからないが、そういう無骨な建物が目の前にはある。

 枝すらも加工しないまま一本の木から削ぎ落としたようにしか見えない扉。

 一応窓もあるようだが、ジャングルの動物観測用の即席基地みたいにガラスははめこまれていない。

 砂漠から自然豊かなところというと、僕の勝手なイメージからすると、オアシスなのだがここはどうもそういう感じとは違うようだ。

 つまり、砂漠化するような気配が全くないということだ。


「おーい。アイロス爺さーん」


 セーレはその開けっ放しの窓を覗き込み、住人であろう人の名を呼んだ。

 アイロス爺さん、だそうだ。

 しかし、返事がない。


「セーレさん、そのアイロス爺さんっていうのは?」

「ああ、えーと。元パートナーね」

 

 爺さんが元パートナーとな。

 一体どんな年齢差でパートナーシップを結んでいたんだこの人は。

 セーレさんが今いくつなのかは知らないが、しゃべり方や声色からいくと、せいぜい三十歳くらいだと僕は予想しているのだが、彼女の過去が二年前だろうが五年前だろうが、どちらにせよ中年が爺さんと呼ばれるようになるまでの期間には及びつかない。

 ということは、彼女はそもそも爺さんだった人とパートナーだったということになるわけだ。


「セーレさん、お年寄りなんですよね? そのアイロスさんっていう人は」

「うん、まあそうね……」

「……そ、そうですか」


 参った。

 爺さんで、トープしていたとなると、それはもちろん師匠クラスの猛者なんじゃなかろうか。

 彼女はあの廃墟にいた時、言っていた。

 「特別に私の友達を紹介するわ」と。

 彼女の特別な友達は師匠でした、そんなシチュエーションは平成の世を生きてきた僕にとっては想像するに容易なことだ。

 それはつまり、「数年後……」というフラグってやつじゃないのか? 

 参ったぞ。

 これはまずい。

 この世界を楽しもうと思った矢先に「数年後……」フラグとは。

 体に生傷刻んで、屈強になって、片方の口角を引き上げてにやりと笑う。

 口癖は「まだまだだな……」とかになって、無言で敵を叩きのめすようになってしまうんだ。

 めちゃくちゃ強くなってクールなのに、なにも知らなくて、色々失敗するんだ。

 そんなの、やだな。だったら今のガリガリのままで失敗したい。

 そうして心の中で頭を抱えている時、森の奥から気味の悪い音が響いた。


「……な、何の声ですかね。これ」

「お、来たかな? 」

「いや、何の声ですか! これ! 」


 悲鳴だ。

 指で潰された風船の口の隙間から漏れ出るようなビービーという音。

 それをすぐに声だと認識できたのは、その音に響きがあったからだ。

 胸いっぱいに溜めた空気を吐き出す時の響き。

 怒りとかそういうではない、恐怖から必死に逃げようとするような、そんな叫び声に聞こえる。

 

 近付いてくる悲鳴。それと共に新たに聞こえてくる地面を叩きつける重い音と地響き。

 そして、別の叫び声。


(うるせー! だまってろ、このやろう!)


 そして悲鳴は止んだ。


「……あの、セーレさん。今のがもしかして」

「今のがそうね、アイロスに間違いないわ。ちょっと行ってくるから、そこで待ってなさい」

「え! いや、その。セーレさん!」


 怖い。

 この感覚は、初めて職場に行って職場の人たちを前に行う自己紹介の恐怖に似ている。

 やるべきことの想像がついてはいても、それでもこれからどうなるのかわからないと感じてしまうあの感覚。

 あからさまにわかっているこれから来る人物と僕との差。

 きっとそれができている輪の中、つまりは力の差を感じることで生じる不安とリンクしているのだろう。

 威圧感たっぷりの体育教師に出会った時の緊張ではない。ということだけはなんとなく感じる。

 

 そして、巨木の陰から姿を現した、それを引きずっている人よりも引きずっているものの方に僕の視線は釘付けになった。


「きょ、きょきょきょ……!」


 恐竜。

 ぐったりして動かないその大きな爬虫類らしき生き物の尾を抱え、それを引きずっているのは、身長が二メートルはある岩に手足が生えたようなごつごつした人。

 それを人と呼ぶのには多少躊躇するが、その容姿は別として、振る舞いは人そのものだ。

 そしてその人はどうしたことか、僕の方を向いて手を振っている。


「おい! 無視すんじゃねえよ、てめえ!」


 強く要求されると、だ。

 僕はその岩のような人に手を振り返す。


「なーにビクついてんだてめえ様よ! 俺はアイロスだ、よろしくお願いします」


 その辺に恐竜らしき大きな爬虫類を投げ捨て、僕に歩み寄って来たその人は丁寧に頭を下げた。

 つられて僕も頭を下げる。


「は、はは初めまして。僕は、その、よろしくお願いします……」

「名を名乗れよこのやろう! 挨拶は基本だろうが!」

「ひっ! すす、すいません。でも、僕……」

「爺さん。その子、なんか色々忘れてたり知らなかったりするのよ。記憶喪失? だと思うんだけど」

「ああ、そうだったのか。そりゃあすまねえことをした。ごめんなさい」


 そう言ってまた頭を下げる男は明らかに年寄りではない。

 年齢で言うなら四十前後だろうか、肌がごつごつしていてよくわからないが、その目の輝きや歩き方は力強く、とてもじゃないがそんなに老けては見えない。

 爺さんというのはあだ名とかそういうものなのだろうか。


「いえ、こちらこそ申し訳ありませんでした。説明が不十分で、お気を悪くさせてしまって……」

「いやいや、そんなことはねえ。俺こそ事情を知らずに怒鳴ったりして、ごめんなさい」

「はいはい、もういいから。面倒なのよあなた達。挨拶なんてちゃっちゃとでいいのよ」

「てめえ! そんなんだから新しい貰い手もつかねえんだ! 礼儀をきっちりやるのは人と人との触れ合いで一番大事なとこだろうがよ!」

「うるさいわね……。礼儀が云々言うなら、まずそのでかい声を抑えなさいよ。その子に失礼でしょ」

「その通りだ。ごめんなさい」


 僕は、彼女に一票あげたい。

 この人は面倒くさい人だ。

 やっていけるかという不安が僕の腹のあたりをもやもやさせる。

 

「ごめんね、この人こんなだけど、戦闘においてはとっても頼りになるのよ。あんまり気にしなくても人相手に攻撃してきたりしないから大丈夫よ」


 本当かよ。

 僕は不安だ。胸のあたりがもやもやする。


「おう、こいつの言う通り。人相手に本気出したりしねえよ、約束だ。モンスターだったら二度と起き上がれなくしてやるけどな! ぐはは」


 僕はアイロスに差し出された手を取るべきなのだろうけれど、どうにもそれは無理そうだ。

 もう、限界だ。


「うおぅうぇ……オボッ」

「ぎゃー! 吐いた! なんでよ! なんでそこで吐くのよぉ……!」

「ばっかやろう! 具合悪かったんだろうが! てめえの操縦がへったくそだからだ!」


 どうも、すいません。

 緊張しすぎたようです。

 僕の背を擦ってくれているアイロスの手の平は僕の背中を覆うほど大きい。

 大きくてごつごつしたその手の平は僕の知っている感触ではなかったが、それがとても温かくて、僕は一瞬ホームシックになってしまいそうだった。


 「す、すいません。緊張しちゃって……」

 「……まあ、仕方ないわよ。色々不慣れなんでしょ? ロードバムに乗るのも初めてだったわけだし、こんな奴に会うのもきつかっただろうしね」

 「緊張すんなよな! まあ大丈夫だ。っとそんでセーレ今日は何か用があって来たんじゃないのか? 」

 「うん……。実はこの子、すごく弱いのよ。見ての通り若いしね? だから、戦闘の仕方教えてやってよ」

 「戦闘の仕方だ? ……俺にゃもう時間がねえぞ」

 「……うん」

 「セーレ、お前。この子をパートナーにしようってのか? 」

 「…………そうよ」


 急に深刻な雰囲気になった二人。

 僕は、僕のことだというのにまるで蚊帳の外だ。

 アイロスには時間がない。

 それは彼が年寄りだからなのだろうが、今僕の目に映っている男性は活き活きとしていて、寿命が近いなんて思えない。


「……てめえ様よ」

「はい……」

「セーレにも言ったが、俺にはもう時間がねえ。鉄骨人ならてめえ様もわかるだろ?」

「……あの、どういうことです?」

「そうか……。じゃあ、説明すっか。とりあえず家ん中入ろうや」


 そして僕と彼女はアイロスの家へと入る。

 アイロスの家の中は、かなり殺風景だった。

 部屋に間仕切りはなくだだっ広いばかりの空間で、そこにテーブルと椅子、それからベッドが置かれていて、壁には斧やナタ、そして様々な大きさのナイフが適当に引っかかっているだけだ。

 ガレージに住んでいるような状況。

 この無骨で荒々しい男には似合っていると僕は思う。

 アイロスはベッドに腰掛け、僕と彼女をテーブルの方へ促す。

 しかし、セーレはマスクを外し窮屈そうな彼の隣に腰を下ろした。

 不思議なことに、僕にはそれが完璧に見えた。

 なんの違和感もなく、むしろもとよりそういうものだったのじゃないかと思わせる隙のない絵面。


「セーレさん。その、もしかしてお二人は……」

「あったりー。お目が高いね、君は……」


 そう言って微笑むセーレは予想通り美しい顔立ちで、でも思ったよりもやわらかい表情をしていた。

 セーレのために少し横にずれるアイロスだったが、セーレは結局彼に寄り添う。

 なぜ、この二人は一緒に生活していないのか。

 それも、この世界と僕の世界との常識の違いだというのだろうか。

 しかし、僕はそれを聞かないことにした。

 なんとなく、どうしてそうなのかはわからないけれど、きっとアイロスからの提案だったのだろうとそう思ったからだ。


「久しぶりだな、お前がこうやって俺の隣にいるのはよ……」

「んー? そうかなー……。ほら、それより説明するんでしょ? 」

「おお、そうだな……。さて、てめえ様。さっきも言ったがよ、俺はもう長くねえんだな。長くねえってのはその、死ぬんだ。そろそろな」

「え、え? だって、そんなにお元気なのに……。その、病気か何か……なんですか? 」

「ビョウキ? いや、そんなんじゃねえ……。鉄骨人はな、成長が止まらねえ。どんどん硬くなっていって最後は石になんだ。大体四、五十年も生きれば体が限界まで硬くなる。俺のこの体がその証拠だわな」

「……硬く」

「ああそうだ。俺はもう四十を二つばかり過ぎてる。だから、いつ動かなくなってもおかしくねえってことだな」


 僕は思い出していた、彼女の手の厚みを。

 あれは、彼女の仕事が原因なんかではなかったんだ。

 彼女も硬化が始まっている。

 元よりそれは、生まれた時からなのだろうけれど。


「だからよ、俺がお前に教えてやれる時間ってのはそう長くねえかもしれねえ。それでもいいか?」


 僕は、フラグがどうのと考えていた自分を恥じた。

 厳しく鍛えられて、それで強くなるんだと。

 時間なんて、自分が耐えるだけの期間だと思い込んでいたんだ。

 僕はたぶん、この人にものを教わる最後の人間になる。

 このあからさまな猛者から力を分けてもらえる最後の。

 僕は、このアイロスという人にもセーレという人にも今日初めて出会ったのに、それでもこの人たちには全てを任せるべきだと感じた。

 それだけ、この人たちに羨望を抱き、憧れたんだ。


「よろしく、お願いします……!」

「おうよ、任せとけ。セーレとトープするんだ、てめえ様をめちゃくちゃ強くしてやんねえとこいつに殺されちまうかもしれねえしな! がはは」

「やだなー、やめてよ。パートナーをそんな風にしたりしないって! ねえ?」


 思い当たる節が、ある。

 僕はすぐに起きたフラッシュバックのせいで返事ができない。


「……おい、セーレお前まさか」

「……へへ」

「……てめえ様。俺がお前を守ってやる! 絶対だ、どんと任せとけ! な!」


 そう言って豪快に笑うアイロスは、やっぱり死ぬなんて考えられない。

 体が強くなり続けて最後は死ぬなんて、そんなの矛盾している。

 でも、それだってこの世界では僕だけの常識なんだ。


「よし、そうと決まればさっそく飯だ。良き肉体は良き飯によってもたらされるってもんだ。ほれ、行くぞ、てめえ様よ」


 アイロスはセーレをベッドに残してとっとと家から出て行ってしまった。

 僕は、出て行くアイロスを目で追った後、セーレに視線を送る。

 彼女は、アイロスの背中を見つめていた。

 アイロスが出て行った後もただその先をじっと。


「さーて、私達も行きましょ。あの人の食事は尋常じゃないんだから」


 ガスマスクを装着しながらそう言った彼女の声が少し震えているような気がした。

 もしかすると僕は、彼女がアイロスに会うための口実なのかもしれない。

 でも、それでも僕は良いと思った。

 


 

 

 

 

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