涙のワケ
もうすぐ、今年が終わる。立花美緒はコタツに寝転がって紅白歌合戦を眺めている。何年ぶりだろうか。こうして実家で大晦日を過ごし、家族と共にテレビを観るのは。東京へ働きに出てからは初めての事かもしれない。
会う度に孫の顔が見たいとせがむ母親は、何も言わない。きっと美緒の胸のうちを察してのことだろう。
うとうとしながら、ふと去年のクリスマスの夢を見た。隣で笑う達哉がいた。とても寒くて、雪がちらついて、つないだ手の暖かさが切なく甦る。
「いつか、結婚しよう」
そう言って、肩を抱き寄せてくれた。街のイルミネーションがとても綺麗で、これほどない幸せを感じていた。そんな彼は、今年の春、自分ではない別の女と姿を消した。その女を一度だけ見たことがある。美緒とは全く違ったタイプの、草花に例えるなら『すずらん』のような女性。達哉はよく、美緒のことを『赤いバラ』のようだと言っていた。なんだ、結局男は、自分が引き立てられることを望んでいるんじゃないかと、嫌気が差した。そして悲しくなった。私は、そんな女にはなれない。
気分の悪いまま目覚めると、母が、年越し蕎麦を運んできた。そっと溢さないようように気をつけながら、コタツの上に二つ並べた。熱々の母自慢の手作り出汁と、いつも決まっているメーカーの程よく湯がいた乾麺の上に、もやしと、豚肉と、葱が乗せられている。子どもの頃からずっと食べてきた、懐かしい“年越し蕎麦”。美緒は、その美味しい空気を鼻からいっぱいに吸い込んだ。
「みんなは?」
「台所で食べるって」
父も、弟たちも、いつの間にか部屋からいなくなっていた。ふーん、と美緒は答えた。
もうすぐ、紅白が終わる。
「いただきます」
「どうぞ」
表情を崩さずに二人で蕎麦をすする。湯気で鼻水が出そうになるのを堪えながら。美緒は、気が付くと涙を流していた。母は何も言わず、向かいで食べている。無言の優しさが、胸に沁みた。
出汁を全て飲み干して、ごちそうさま、と手を合わせた。
「洗い物してくる」
美緒が立ち上がろうとすると、母がそれを止めた。
「こんな時ぐらいゆっくりすれば」
手際よくお盆に丼と箸を乗せ、母が立ち上がる。そして襖のそばまで行くと、ふいに足を止めて、向こうを向いたまま立ち止まった。
「……あんたさぁ、帰ってくれば」
それだけ言うと、台所へ戻って行った。
美緒は、なぜが吹き出して笑ってしまった。嬉しくて、悔しくて、どうしようもなくて。そして、泣いてもいた。おかあさん、と、少女のように呟いた。
これからどうするか、まだ答えは出せない。歳も歳だし、そろそろ真剣に人生を考えなければと、思う。けれど今は、この家で守られていようと、温かいコタツの中で目を閉じた。部屋の中に、まだほんのりと、出汁のいい匂いが残っている。