殺し愛
「別れよう」
彼は私にそう言った。
「どうして、だってあんなに……」
あんなに仲良くしてたのに。ずっと一緒に居たのに。なんで、なんで、なんで。私には貴方しかいないのに。貴方の隣以外に居場所など無いのに。
「ねえ、悪いところがあったなら直すからっ、ねぇ、ちょっと待って」
「もうさ、疲れたんだよ。君と、兎月といるのが疲れたんだよ」
だから、別れよう? と彼は残酷なほどきれいに笑った。待って、待って、待って。私を置いてかないで?
「それにさ、他に好きな女が出来たんだ」
私と居るときに見せる疲れたような表情ではなく、本当に楽しそうで嬉しそうな表情。湧いてきたのは、怒り、絶望、喪失感、なのに――未だに私は彼が好きなのだ。
ああ、憎い。彼はこんなにも私を好きにさせたのに。突き放されてもなお好きなくらい、好きにさせたのに。それなのに、それなのに、見捨てて他の女の所へ行くなんて。許さない。私はそれじゃあ、と去っていく彼を見て、
「ふふっ」
と笑った。嘲笑うように、愛を込めて。
「う、つき?」
部屋に入ってきた幼馴染は私を見て呆然としていた。腕に残った傷跡、ぐちゃぐちゃの部屋。そのうえ、私が愛していた、否、愛している彼と一緒にデートした時に買ってもらった服はビリビリに破かれていたからだろう。
「ふふっ、どうかしたの?」
嗚呼、私の目は酷く濁っているのだろう。自分でも分かっている。でも、もう止められないの。私は狂ったように笑い続けていた。
「なんで、そんなことに…… 拓也はどうしたんだよ!? あいつが本気で好きだって言うからっ……」
彼の名を呼んだ幼馴染。ああ、愛しい。あれから一週間が経ったのにも拘らず、私の心は彼だけが占めていた。
「拓也? ふふっ、別れちゃった」
幼馴染の目が見開かれた。どうしたの、私、ちゃんと笑えてたでしょ?
「兎月は、どうする気なの」
幼馴染は私の考えていることを察したらしい。分かりきっているだろうに、幼馴染は一本の心許ない藁にすがるように此方を見た。
「彼にね、後悔させるの。私なしじゃ生きていけないんだよって。間違えた選択をしたんだよって。そう思わせてからねっ」
殺すの。私はそうしないと幸せになれないから。彼を殺して私も死ぬの。
幼馴染はそんな私をきつく抱き締めた。哀しい目で。辛そうに。
「お願い、お願いだからっ……」
そっち側へ行かないで。幼馴染がそう言いたいのがよく分かった。でももう私の心には響かない。私の心に満ちているのは、彼への愛だけなの。
「あの人、拓也に、復讐しなきゃ……」
うわ言のように呟いた。幼馴染がやはり哀しげに離れていく。そして私に背を向けて、ドアの方へ消えていった。
カタン。キーボードを押すと景気がいい軽い音が鳴る。私だけしか居ない部屋にはやけに大きく響いた。取り付けられた真っ黒なモニターに写っているのは、彼。付き合い始めて一ヶ月から、今まで。全部で二年分、全てのデータが入っている。彼の家に行った時に設置したカメラ。始めは彼を守るために取り付けた、今では復讐のために使っている。
「ふふっ、あははっ」
部屋の端にあるコピー機が動き出す。ガタン、ガタンと。どんどん印刷されていく写真達。それはすべて彼が写ったもの。
私はカッターを腕に滑らせる。つぅっと真っ赤な血が流れ出た。私はそれを拭い取り、印刷した彼の顔に擦りつけた。
「許さないから、ふふっ」
私は彼の家に向かい、ポストに放り込む。そしてカメラに映らないよう気をつけてインターホンを押した。彼の恐怖に溺れていく顔が容易に想像できて、自然に笑みが零れた。
走って公園まで行って、ベンチに座る。ポケットからスマホを取り出し、彼の家に取り付けたカメラの映像を見る。あの音で気づいたらしく、彼は写真を見て顔を歪め、写真を握りしめていた。
『どうしたの?』
盗聴器から聞こえたのは知らない女の声。……ああ、こいつが。こいつが私の彼を奪ったのね。殺したい、とは思わない。だって、殺しちゃったら苦しんでくれないでしょ?
自分が狂っている自覚は、やっぱりある。でも止まらないのだ。そのことを後悔はしていない、むしろこれは正しいことだと感じてしまうの。
『なんでもないよ。それよりさ、優佳――』
もっと恐怖に陥れてあげる。君がもう耐えられないくらいの恐怖を味わってから、一緒に死のう?
「愛してるよ、拓也」
「これください」
花屋さんで一輪のアネモネを購入する。花言葉は――「薄れゆく希望」。私、貴方のことが本当に好きだったんだよ?
「あまり知られていませんがアネモネには毒が含まれているんです。気をつけてお取り扱いください」
「ありがとうございます」
知っている。茎とかを折ったら出てくる汁に含まれているのだ。まだ、彼が笑顔を向けてくれていた頃。教えてくれた。
拓也の家に帰る途中に寄る。そして、ポストに茎が少し折れるようにして挿した。じわっと汁がポストの受け口に滲んだ。
「好きだったんだよ。ねえ……」
今までずっと、心のどこかで戻ってきてくれるんじゃないかと思っていた。でも、そんなことは無かった。だから「薄れゆく希望」なのだ。私には貴方しか居なかったのに。
私と彼が出会ったのはネット上の出会い系サイトでだった。そこでの彼の名義は「taku」だったから、それで調べたらすぐに見つかった。
『takuと申します! 趣味は読書とハイキングです』
読書もハイキングも好きじゃなかった。だから初めてアカウントを見た時は声を掛けようとも思わなかった。でも、向こうが声を掛けてきて。会って話したら、すぐに好きになった。独りだった私を救い出してくれた。そう思ったのだ。
「そうだったのにね」
私は自分の名義も、顔写真も何もかもを変えて彼に一通のメールを送る。
『こんにちは! 結城莉々菜と申します。良かったら今度takuさんがお暇な日に会いませんか? 趣味が同じなので話してみたいと思って』
数分したら返事が返ってきた。
『勿論いいですよ! 趣味で話せる人少ないのでウレシイです! 来週の火曜と金曜は暇なので、どちらかでお願いしたいです』
……こんなに軽い人だったんだね。知らない人にすぐOKを出すほど。でも何故か、嫌いにはなれない。こんなひどい仕打ちを受けたのに、好きで好きで堪らないのだ。
『火曜なら私も空いています! 〇〇市の△△公園前で待ち合わせしましょ』
彼に復讐するまで、あと五日。心が躍った。
茶のウィッグを被り明るいミルクブラウンのカラコンを入れて、久しぶりにお化粧する。いつもとは違う明るい感じの。メイクというのはすごいもので、別人のように私を変えてしまう。……これなら彼も私が誰か分からないだろう。
「うん、いい感じ」
バッグの中に果物ナイフを忍ばせようと、キッチンから取ってくる。ライトの光が反射して、銀に鈍く光った。私はそれを丁寧にハンカチに包んで、バッグにしまった。
……今日がとうとうその日なのだ。彼を、誰よりも愛する彼と一緒に死ぬ日なのだ。嬉しさで笑みが込み上げてきた。
「こんにちは! 結城莉々菜です」
少し声のトーンを上げて笑いかけた。大丈夫、まだバレてない。
「俺は佐久山拓也です。今日はよろしく」
彼と喫茶店に入る。そして趣味の話を語りだした。
「ハイキング好きなんですよね?」
「はい、俺ハイキングが大好きで――」
○○高原の方に行ったと、そこが最高だったと話す彼。……私との初デートの時に行った所じゃない。
「私も行ったことあります! すごく良かったですよね。え、その時はお一人で行かれたんですか?」
「はい。一緒に行ってくれるような人が中々居なくて、どうしても一人に……」
嘘つき。一人じゃなかったでしょ。そうやって隠すんだね。私の存在ごと。
彼と過ごしていたら時間はあっという間で。空は血のような毒々しい赤に染まっていた。
「良かったら最後に、海に行きません? すっごくいいところ知ってるんです」
さあ、一緒に死のう?
「わ、行きたい! 山もいいけど海も好きなんだよね」
歩いたらすぐにそこへ着いた。彼が海に見惚れ、反対を向いた瞬間、私はウィッグとカラコンを外した。
「――拓也」
「どうし、」
言葉が止まる。私は恍惚とした笑いを浮かべた。……やっと、私を見てくれた。
「久しぶりだね、元気にしてた?」
「っ、どうして、お前が」
「貴方だけは愛してくれると思ってた。違ったんだね」
親は私を捨てて、その後入った施設では暴力を振るわれた。
『お前なんていらない』
そんなことばかりを言われた。ずっと、ずっと「愛」が欲しかった。私だけを愛してくれる人が欲しかった。
「……兎月の愛は俺には重すぎたんだよ! 俺じゃ受け止められない、苦しくなったんだよ……」
貴方もあの人達と同じなんでしょ? なのに何故か嫌いになれないの。好きなままなの。とっても苦しいの。
「……そうだね。そうかもしれない。でも私は、貴方のことを忘れられないの。辛くてたまらないの。だから、一緒に死のう?」
彼は怯えた顔で後退る。何か言おうとしているが、声にはなっていなかった。
「バイバイ。愛してたよ」
果物ナイフで彼の鳩尾を刺す。血が吹き出て、私の頬にべチャリと付いた。ああ、彼は居なくなったのだ。
「私も、逝くね」
自らにも彼を刺した果物ナイフを刺す。血が吹き出てきていたが、痛みは全く感じない。むしろ、幸せなくらいだ。
「あははっ」
視界が狭くなってゆく。最後に脳裏に写ったのは、いつかの日に彼が浮かべた笑顔だった。
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