第1話 侵蝕Ⅰ
南門の内側は、昼でも薄暗い。
街の外壁は高い石で造られている。
分厚い石壁が日差しを遮り、通路には長い影が落ちていた。
湿った石の匂いが残っている。
空気は重く、あまり動かない。
通路の両側には兵士が立っていた。
革鎧。
槍。
門番の標準装備だ。
その兵士たちが、一人の男を見ていた。
男は足を止めない。
黒に近い茶髪。
短く刈られた頭。
目立つ外見ではない。
だが――
歩き方だけが違った。
静かだった。
重心がぶれない。
無駄がない。
門兵の一人が声をかける。
「用件を」
男は短く答える。
「呼ばれている」
それから名前を告げた。
その瞬間、兵士たちの顔つきが変わる。
道が開いた。
この門を自由に通れる人間は多くない。
まして
名前だけで説明が済む人間となれば、なおさらだ。
男は
西の森を担当する処理官だった。
男はそのまま奥へ進む。
通路の先に小さな部屋があった。
窓は小さい。
昼でも薄暗い。
中には机が一つ。
その前に老人が座っていた。
背中を丸め、机に伏している。
この国で転移の兆しを読み取る者。
男は部屋の中央で止まった。
何も言わない。
老人も顔を上げない。
部屋は静かだった。
外の空気よりもさらに重い。
ここでは余計な言葉に意味はない。
必要なのは
日時。
そして場所だけだ。
やがて老人が言った。
「三日後だ」
男は動かない。
質問だけを返す。
「場所は」
老人の手がゆっくり動く。
机の上には地図が広げられていた。
老人の指先が西の森に落ちる。
その周囲をゆっくり円でなぞった。
かなり広い。
転移の発生地点は正確には読めない。
兆しは分かる。
だが位置は曖昧になる。
それでも十分だった。
男は一度だけ頷く。
発生時期。
範囲。
必要な情報は揃った。
それで話は終わりだ。
男は踵を返した。
部屋を出る。
兵士たちは何も聞かない。
男は街を出た。
三日後。
西の森へ向かう。
⸻
三日後。
西の森は静かだった。
風は弱い。
湿った土と腐葉土の匂いが重なり、空気は重く沈んでいる。
鳥の声はない。
男は木々の間に立っていた。
風下。
匂いが流れない位置。
背後には太い幹。
左右には逃げ道。
革鎧がわずかに軋む。
腰には剣。
男の手はその柄に置かれていた。
転移は突然起こる。
兆しは読める。
空気が変わる。
ほんのわずかな揺れ。
湿度。
匂い。
皮膚に触れる違和感。
転移だ。
男の視線が細くなる。
次の瞬間。
世界が歪んだ。




