第3話「召喚状と、蜂蜜色の決意」
鑑定から一週間が経った。
表向きは、何も変わっていない。
朝に起きて、剣の素振りをして、父の書類仕事を手伝って、エリーゼが昼頃に押しかけてきて、夕方に魔法の自主練習をして、夜に読書をして眠る。
そういう日々が、七回繰り返された。
変わったのは——エリーゼが、以前より頻繁に来るようになったことくらいだ。
「アシュくん、今日の昼ごはん何?」
正午を少し過ぎた頃、庭の鍛錬場に顔を出したエリーゼが開口一番そう言った。
騎士訓練用の動きやすい服装で、蜂蜜色の髪を無造作に束ねている。
それでも——というか、だからこそ、という感じがした。飾り気のない姿の方が、この子の良さがそのまま出る。
「知らない。コックに任せてる」
「えー。じゃあ一緒に食べていい?」
「毎日来てるだろ」
「毎日聞くのが礼儀ってお母さんが言ってた」
エリーゼはそう言いながら、俺の隣に腰を下ろした。
鍛錬場の縁石に並んで座ると、肩が触れるくらいの距離になる。
初夏の風が吹いて、エリーゼの髪がほどけて流れた。柔らかそうな蜂蜜色が、陽光を受けてきらりと光る。首筋から肩にかけての曲線が、風でシャツが揺れるたびにわずかに見えた。
(……本当に、いつの間に)
十歳の頃と同じ笑顔のはずなのに、まるで別の生き物みたいに見える瞬間がある。
「アシュくん、顔赤い」
「日差しが強い」
「今日曇ってるよ」
俺は素振り用の木剣を手に取り、立ち上がった。
「腹が減ったなら先に食堂に行ってろ」
「やだ、アシュくんと食べたい」
そう言って、エリーゼはけらけら笑った。
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昼食の席で、エリーゼが俺の皿を覗き込んできた。
今日の献立は黒パンと豆のスープ、それから干し肉だ。領地の食卓としては標準的——というより、これでもまだ恵まれている方だ。
「アシュくん、それ全部食べてる?」
「食べてる」
「ほんとに? 口数が少ない日は大体ご飯も少ないじゃん」
「いつも口数は少ない」
「そうじゃなくて」
エリーゼはむっとして、自分のパンをちぎった。
「考えすぎてるときのアシュくんって、ご飯の味がしてないでしょ。絶対」
図星だった。
この一週間、頭の中は常に動いていた。神話級スキルの波紋がどこまで広がっているか。王都がどう動くか。領地をどう守るか。前世の会社員経験でいえば、大型案件を抱えて眠れない夜に近い感覚だ。
「……よく見てるな」
「十年以上隣にいるんだから当然でしょ」
エリーゼはそう言って、自分のパンを俺の皿の端に置いた。
「食べて。私は昨日コックさんにおやつもらったから平気」
「そういう問題じゃ——」
「食べて」
有無を言わせない目だった。
俺は黙って、パンを手に取った。
エリーゼは満足そうに自分のスープを飲み始めた。その横顔に、窓から差し込む薄日が当たっている。
(この子は)
俺はパンを齧りながら、ちらりと横を見た。
騎士服越しでもわかる、均整の取れた体つき。胸元は服の上からでも豊かな丸みがわかって、スープを飲む仕草のたびにわずかに揺れた。すらりとした腰のラインから伸びる長い脚が、椅子の下で行儀よく揃えられている。顔立ちは整っていて、笑うと目尻に小さなしわができる。
貴族の令嬢たちと比べても、引けを取らない。いや——あの子たちにはない、体の中から滲む活力みたいなものがエリーゼにはある。
(……俺は、この子が好きなんだろうな)
そう思うのは、今日が初めてではない。
ただ認めるのと、それをどうするかは、別の話だ。
「何見てるの」
エリーゼがこちらを見ていた。
「……何でもない」
「絶対何か考えてた」
「飯を食ってた」
「顔が違う」
勘が良すぎる。
俺は視線をスープに戻した。
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穏やかな一週間だった。
だからこそ——嵐の前の静けさだと、わかっていた。
書状が届いたのは、その日の午後のことだ。
「アシュレイ様。王都より早馬にて、書状が」
執事のゴードンが、盆の上に封書を載せて持ってきた。
封蝋には、見慣れない紋章が押されている。王家の紋章ではない。だが——それに次ぐ格式を持つ、宰相府の印だった。
俺は書状を受け取り、静かに封を開いた。
羊皮紙に、几帳面な文字が並んでいる。
内容は、簡潔だった。
『ヴァルナー伯爵家嫡男アシュレイ・フォン・ヴァルナーへ。此度の適性鑑定において神話級スキルを有することが確認されたため、王命により王都への出頭を命ずる。期日は本書状到達より三十日以内。詳細は追って通達する。 宰相府 筆』
俺は一度、紙を折り畳んだ。
(三十日か。思ったより猶予がある)
急いで潰しにかかるつもりはない、ということだろう。おそらく向こうも様子を見ている。神話級スキルの保持者をどう扱うか、宮廷内で意見が割れているのかもしれない。
(それはそれで、使える)
俺は書状を持って、父の執務室へ向かった。
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父はすでに知っていた。
早馬が到着した時点で把握していたらしく、執務室に入った俺を見た瞬間、無言で向かいの椅子を指した。
「読んだか」
「はい」
「どう見る」
俺は椅子に座り、一拍置いてから答えた。
「召喚自体は想定内です。ただ宰相府の名義というのが引っかかります。王命と書いてありますが、王が直接動いているわけではない。宰相が主導しているとすれば——国王陛下と宰相の間に、温度差がある可能性があります」
父は静かに聞いていた。
「行くつもりか」
「行きます。断れば、それ自体が反逆の意思と取られかねない。ただ」
俺は続けた。
「手ぶらでは行きません。向こうが品定めをするつもりなら、こちらも相手を見極める。それだけの準備をして行きます」
父はしばらく俺を見た。
「……護衛をつける」
「ありがとうございます。ただ、一人だけ、俺が指名してもよいですか」
父の眉が、わずかに動いた。
「クロード家の娘か」
「はい」
間があった。
「……あの娘は、希少級の剣士だ。悪くはない」
それだけ言って、父は書類に視線を戻した。
許可、ということだ。
俺は立ち上がり、一礼した。
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夕方、エリーゼを呼んだ。
屋敷の庭、いつも二人で話す縁側だ。
エリーゼは俺の顔を見た瞬間、表情を引き締めた。
「……何かあった?」
察しがいい。
俺は書状を取り出して、黙って渡した。
エリーゼは受け取り、目を走らせた。読み進めるにつれて、眉がわずかに寄っていく。読み終えると、彼女はしばらく書状を見たまま動かなかった。
「……王都への召喚」
「ああ」
「三十日以内」
「ああ」
「アシュくんひとりで行くつもり?」
俺は少し間を置いてから、答えた。
「護衛を頼みたい。お前に」
エリーゼは顔を上げた。
翠の瞳が、まっすぐこちらを見ている。
「……私でいいの? 騎士団の人とかじゃなくて」
「お前がいい」
即答した。
エリーゼの頬が、ほんのわずかに赤くなった。
「……それ、護衛として言ってる?」
少し間があった。
俺は縁側から立ち上がり、夕焼けに染まる庭を見た。
言うべきか迷ったのは、一瞬だけだ。
「護衛として頼みたいのは本当だ。お前の剣の腕を信頼している」
俺は続けた。
「ただ——それだけじゃない。王都に行くなら、お前と行きたい。隣にいてほしい。それが正直なところだ」
沈黙が落ちた。
エリーゼは何も言わなかった。
俺も振り返らなかった。夕風が吹いて、どこかで鳥が鳴いた。
「……アシュくん」
エリーゼの声が、少し違う質感を持っていた。
「それって」
「深読みしていい」
また沈黙。
それから——エリーゼが、吹き出した。
「なにそれ! そんな言い方する!?」
「……気の利いた言い方は得意じゃない」
「知ってるけど!」
エリーゼはわはは、と笑った。
俺はようやく振り返った。
彼女の頬は赤かった。それでも笑っていた。夕日に照らされた蜂蜜色の髪が、橙色に輝いている。
「行く」とエリーゼは言った。「絶対行く。どこまでもついていく」
それからにっこりと笑って、付け加えた。
「でも条件がある」
「なんだ」
「王都でおいしいもの食べさせて。ずっと行ってみたかったんだよね」
俺は思わず、小さく吹き出した。
「……交渉成立だ」
「やった!」
エリーゼが拳を握った。
夕暮れの空に、遠く雷が光った。
まるで、旅立ちを祝うように。
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その夜、俺はひとり書斎で地図を広げた。
王都までの道のり。経由する街。想定される危険。向こうで会うことになるであろう人間とその思惑。ひとつひとつ、頭の中で整理していく。
(神話級の力を持つ十五歳の田舎貴族が、王都に乗り込む)
前世の感覚でいえば、新卒が大手本社に呼び出されるようなものだ。ただし相手が握っているのは出世の可否ではなく、人生そのものだが。
(まあ——やることは変わらない)
情報を集めて、相手を分析して、最善手を打つ。それだけだ。
指先が、かすかに痺れた。
あの夕日の中で笑っていたエリーゼの顔が、頭の隅に張り付いて離れない。
(……出発前に、もう少し強くなっておかないとな)
俺は地図から視線を上げ、窓の外を見た。
夜空に、一筋の雷が光って消えた。
王都まで、馬で十日ほどの道のりだ。
準備期間は、二十日ある。
やるべきことは、山積みだった。
カクヨムで先行公開しています。
頑張って執筆していきますので面白い、続きが気になると思っていただけた方は応援して頂けると嬉しいです。




