第2話「石板が、光った」
人生には、逃げられない瞬間というものがある。
締め切り、上司の詰め、終電。
前世ではそういうものに何度も追い詰められてきたが——今日ばかりは、種類が違った。
適性鑑定。
アルデナ大陸において、十五歳で行われるこの儀式は、その人間の「スキル」を可視化する唯一の手段だ。魔法陣の刻まれた石板に手を当てると、スキルの名称とレアリティが光として現れる。一般・希少・英雄・神話の四段階。上位になるほど、光は強く、色鮮やかになるという。
スキルなしという結果も稀にある。その場合、石板は何も光らない。
(まあ、俺の場合は心配してないが)
十年かけて自覚してきた。指先に走る感覚、雷雲への共鳴、嵐の夜だけ冴える思考。これが何かは、もうわかっている。
問題は——それが何レアリティで出るか、だ。
「アシュくん、顔が怖い」
隣から声がした。
エリーゼが、俺の顔を下から覗き込んでいた。
五年前と変わらない翠の瞳。蜂蜜色の髪は今日は後ろで束ねられていて、すらりと伸びた首筋が見えている。幼かった頃の面影を残しながら、いつの間にかこんなにも——
(いや、余計なことを考えるな)
俺は視線を正面に戻した。
「怖くない」
「眉間にしわ寄ってる」
「考え事だ」
「緊張してるんでしょ」
図星だったが、認めるのも癪だった。
「エリーゼこそ、自分の鑑定は終わったのか」
「終わった! 【剣聖の素質】、希少級!」
胸を張って言う。
騎士服の胸元が、その動作に合わせてふわりと揺れた。
(……目のやり場に困る)
心の中で密かに思いながら、俺は咳払いをひとつした。
希少級は上出来だ。一般人口の一割程度しか持たない。騎士を目指す彼女には申し分ない結果だろう。それに——剣聖の素質、か。あの子が剣を握り始めたのは五歳の頃だったはずだ。雨の日も風の日も、ひとりで木剣を振り続けていた。結果はあの努力に応えたものだと思う。
「よかったな」
「ありがとう! でもアシュくんのが気になる。ずっと前から絶対すごいと思ってたもん」
「買いかぶりだ」
「そう?」
エリーゼはにこにこしたまま、俺の隣に並んで前を向いた。
長い列が、石板の置かれた祭壇へと続いている。
領内の十五歳が一堂に会する年に一度の儀式。貴族も平民も関係なく、順番に手を当てていく。
列の少し前に、見知った顔があった。
クレイン・マルダーという名の、平民の少年だ。
顔立ちは悪くなく、領内ではそれなりに目立つ存在らしい。問題は——エリーゼに対してやたらと馴れ馴れしいことだ。
「次、クレイン・マルダー」
鑑定官の声が響く。クレインが胸を張って石板に手を当てた。しばらくして、石板がぼんやりと薄緑に光る。
「【木こりの腕力】、一般級」
鑑定官が淡々と読み上げた瞬間、周囲からくすくすと笑いが漏れた。クレインの耳が見る見る赤くなっていく。エリーゼに向けていた余裕の笑みが、どこかへ消えていた。
(本人は武功を夢見ていたのだろうな)
内心では少し同情したが——【木こりの腕力】を笑う気にはなれなかった。食料が慢性的に不足するこの辺境で、肉体労働系スキルがどれほど価値を持つか。わかっていないのは本人だけかもしれない。
「ね、アシュくん」と、エリーゼが小声で言った。「クレイン君、すごく赤い顔してる」
「見るな。かわいそうだろ」
エリーゼは「そうだね」と素直に前を向いた。
「ねえ、アシュくん」
「なんだ」
「何が出ても、私は変わらないから」
さらっと言った。
俺は少し、返答に詰まった。
「……何を急に」
「急じゃないよ。ずっと思ってた」
エリーゼは前を向いたまま続けた。
「すごいのが出ても、普通のが出ても、アシュくんはアシュくんじゃん。それだけ」
それだけ、と言い切った。
俺はしばらく黙って、小さく息を吐いた。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
また眩しい笑顔が来た。
俺は視線を前に戻した。列が、少し進んだ。
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「次、アシュレイ・フォン・ヴァルナー」
名前を呼ばれたとき、俺は静かに一歩前に出た。
祭壇の石板は、大人の胸ほどの高さに据え置かれた黒い板だ。表面に複雑な魔法陣が刻まれており、鑑定官の老魔法師が厳かに立っている。周囲には貴族の関係者たちが固唾を飲んで見守っていた。
父カルロスが、列の外から腕を組んで立っている。
表情は、いつも通り動かない。
俺は石板の前に立ち、右手を当てた。
冷たい。
次の瞬間——
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光った。
いや、「光った」という表現では足りない。
石板が、弾けた。
眩い白光が祭壇全体を包み、その中心から金色と紫が混ざり合った稲妻の光が迸った。誰かが短く悲鳴を上げた。老魔法師が目を見開いて後退る。周囲の人間が反射的に目を覆った。
俺は、手を当てたまま動かなかった。
(……やっぱり、そうか)
光の中に、文字が浮かぶ。
【天雷の才覚】
レアリティ:神話
場が、静まり返った。
光が収まって、最初に声を上げたのは老魔法師だった。
「し、神話級……! 神話級スキルが、出た……!」
その一言で、堰を切ったように周囲がざわめき始めた。
「神話級だと? この辺境の伯爵家から?」
「雷系統か……しかも天雷の才覚とは。聞いたことがない」
「国に報告が必要だ、すぐに——」
声が、いくつも重なる。
俺はゆっくりと手を石板から離した。
石板には、うっすらとひびが入っていた。
少し離れたところから、エリーゼがこちらを見ていた。
驚いた顔をしているかと思ったが——
彼女は、にっこりと笑っていた。
(だから言っただろう。変わらないって)
俺は小さく息を吐いた。
「アシュレイ」
低い声がした。
父だった。
人垣を割るように歩いてきたカルロスは、俺の前に立つと、しばらく無言でこちらを見た。その目に何が宿っているのか、俺には読めなかった。
やがて父は、静かに口を開いた。
「よくやった」
たった四文字だった。
それだけだった。
けれど俺は、その言葉が思いのほか胸に染みるのを感じた。前世でも現世でも、父親というのは不器用なものらしい。
「……ありがとうございます」
俺も、短い言葉で返した。
父は短く頷いて、周囲に向き直った。
ざわめく人々を一瞥しただけで、その場の空気が引き締まる。さすがは辺境の伯爵、という迫力だった。
「本日の鑑定は滞りなく終わった。野次馬は解散しろ」
それだけ言って、歩き出す。
周囲の貴族たちが何か言いたそうにしていたが、逆らえる雰囲気ではなかった。
俺はその背中を見ながら、ひとつ思った。
(この結果が、どこかへ伝わるのは時間の問題だな)
国王。他の大貴族。神話級スキルの保持者は、この大陸でも両手で数えるほどしかいないらしい。放っておいてもらえるわけがない。
そしてそれは——面倒の始まりでもあった。
「アシュくん!」
エリーゼが駆け寄ってきた。
初夏の風に蜂蜜色の髪が揺れ、騎士服の裾がふわりとなびく。小走りでこちらに向かってくるその姿は——朝日の中に飛び込んでくるような、そういう眩しさがあった。頬はうっすら赤く、胸元は弾むように揺れている。
(……成長したな、まったく)
心の中だけで、そっと思った。
「すごかった! あんな光、初めて見た! 石板ひびが入ってたよ!?」
「そうか」
「そんなあっさり!? 神話級だよ!?」
「わかってる」
「わかってる、じゃなくて!」
エリーゼは俺の目の前に立ち、ぷくっと頬を膨らませた。
それからすぐに、表情が柔らかくなった。
「……おめでとう、アシュくん」
真剣な目で、言った。
「ありがとう、エリーゼ」
────────────────────────────────
その夜。
屋敷の書斎で、父と向き合った。
暖炉の火が揺れる中、カルロスはいつものように腕を組んで椅子に座っている。俺はその向かいに座り、静かに父の言葉を待った。
「今日の結果について、お前はどう考えている」
父が口を開いたのは、しばらく沈黙が続いた後だった。
「面倒なことになる、と思っています」
俺は率直に答えた。
「王都から使者が来るでしょう。神話級スキルの保持者を野放しにしておく理由が、国にはない。召し上げか、監視か、あるいは婚姻政策への利用か。いずれにしても、早めに手を打つ必要があります」
父は少しの間、俺を見た。
「……十歳の頃から変わらんな、お前は」
「買いかぶりです」
「いや」
父は首を振った。
「お前は昔から、物事を正確に見る。感情ではなく、構造で捉える。それは才能だ、アシュレイ」
珍しく長い言葉だった。俺は少し面食らいながら、答えた。
「父上こそ、今日は随分と言葉が多い」
「……鑑定の日くらいは、許せ」
そう言って、父はわずかに口の端を上げた。
笑った。
あの父が、笑った。
俺は思わず目を瞬かせた。前世込みで四十七年生きてきたが、こんな顔は初めて見た気がする。
「領地のことは、俺が守ります」
気がついたら、口から出ていた。
「神話級の力があろうとなかろうと、ヴァルナーの民は俺が守る。それだけは、約束できます」
父はしばらく俺を見ていた。
それから、静かに頷いた。
「信じている」
暖炉の火が、ぱちりと鳴った。
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書斎を出ると、廊下の窓から夜空が見えた。
雲の切れ間に、星が出ている。
遠く、かすかに雷が光った。
(さて)
俺は手のひらを見た。
石板にひびを入れた力が、まだ指先に残っている気がした。
神話級のスキル。国からの圧力。領地の問題。
やるべきことは山積みだ。前世で培った知識と経験を、これから全力で使っていく必要がある。
それでも——
「アシュくん」
振り返ると、エリーゼが廊下の端に立っていた。
「なんでここに」
「入れてもらったの。屋敷の人に頼んで」
悪びれる様子もなく、とことこと歩いてくる。
廊下の燭台の灯りに照らされた横顔が、昼間とはまた違う柔らかさを持っていた。蜂蜜色の髪がゆるく流れて、すらりとした肩のラインに落ちている。
(夜の灯りというのは、反則だ)
心の中で密かに思いながら、俺は目線をわずかに上げた。
「今日、すごい一日だったね」
「そうだな」
「アシュくん、少しだけ顔が柔らかかった。お父様と話してたとき」
見ていたのか、と思ったが、黙っていた。
エリーゼは窓の外を見た。
「私ね、絶対アシュくんの隣にいるって決めてるんだ。騎士として、ちゃんと強くなって」
「……俺の護衛でもするつもりか」
「そう!」
即答だった。
「神話級の人を守れる騎士って、かっこよくない?」
「俺が守られる前提なのか」
「アシュくんは頭はいいけど、自分のことは後回しにするから」
返す言葉がなかった。
図星だったからではなく——そこまで見えているのかと、少し驚いたからだ。
俺はしばらく黙って、窓の外の雷を見た。
「エリーゼ」
「なに?」
「強くなれよ。本当に」
エリーゼは一瞬きょとんとして——それからまた、あの笑顔になった。
「うん。アシュくんこそ」
夜空で、雷がもう一度光った。
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これが俺の、本当の始まりだった。
神話の力と、現代の知識と、隣で笑う幼馴染と。
その三つを持って——俺は、この世界に踏み出す。
カクヨムで先行公開しています。
頑張って執筆していきますので面白い、続きが気になると思っていただけた方は応援して頂けると嬉しいです。




