第1話「転生したら、雷だった」
─ 地味で口数が少なくて、感情が薄いと言われた元会社員が——三十二年後、嵐の中で世界の果てに立つことになるとは、このときまだ誰も知らない。
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気がついたら、何も見えなかった。
正確には、見えてはいるのだが、情報として処理できなかった。
光。ぼやけた輪郭。やたらと大きい顔。
そして——耳を割るような産声。
(あ。これ俺が泣いてるやつだ)
思考だけはやけに冷静だった。
佐藤悠、享年三十二歳。過労による心不全、と診断されたはずだ。最後の記憶は、終電を逃したオフィスの蛍光灯。デスクに突っ伏したまま、気づいたら朝になっていなかった。
それが今、なぜか赤ん坊に戻っている。
(異世界転生、ってやつか)
ライトノベルでよく見た展開だが、まさか自分が当事者になるとは思っていなかった。
俺を抱き上げた女性——おそらく母親——は、金色に近い茶髪と涙に濡れた緑の瞳を持っていた。
整った顔立ち。貴族的な雰囲気。部屋の調度品も質が高い。
(悪くない転生先かもしれない)
などと思いながら、俺はもう一度盛大に泣いた。
赤ん坊の身体はまだ自分のものではなく、感情とは無関係に涙が出てくる。
それが少しだけ、おかしかった。
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時間とは残酷なほど早く流れる——赤ん坊にとっては特に。
気づけば三歳になり、五歳になり、気がついたら庭で木剣を振り回す七歳の子供になっていた。
俺の名前はアシュレイ・フォン・ヴァルナー。
ヴァルナー伯爵家の嫡男。
この「アルデナ大陸」と呼ばれる世界では、それなりに由緒ある家柄らしい。
父のカルロス・フォン・ヴァルナーは、寡黙で厳格な男だ。
滅多に笑わないが、息子の稽古を遠くから必ず見ている。それだけで、悪い父親ではないとわかった。
前世でいう「仕事一筋で不器用な親父」タイプだ。俺には少し、懐かしい感じがした。
母のエレナは——残念ながら、俺が四歳のときに病で亡くなった。
悲しかった。本当に。
転生してからの数年で、彼女が俺をどれほど愛してくれていたかは十分すぎるほど伝わっていたから。
けれど俺は泣かなかった。正確には、泣けなかった。
三十二年生きた記憶がある人間に、感情の処理方法を心得る術もある。悲しみを内側に畳んで、前を向くやり方を俺は知っていた。
それが周囲には「感情のない子供」に見えたらしく、使用人たちの間では「氷の若様」などと呼ばれるようになった。
(別に氷じゃない。ただ泣き方を忘れただけだ)
内心でそう思いながら、今日も木剣を振る。
「アシュくん、またそんなとこにいたの? もうお昼だよ!」
声とほぼ同時に、庭の端から小さな影が駆け込んできた。
蜂蜜色の髪が、初夏の風にぶわっと揺れる。
息を切らして走ってくるのは、エリーゼ・クロード。
隣の騎士爵家の娘で、俺より半年年下の幼馴染だ。
「……聞こえてたよ」
「じゃあなんで来ないの! お腹すかないの? 私はすごくすいてる!」
訴えるように丸い翠の目を向けてくる。
小麦色に焼けた頬に汗が光っていた。走ってきたのか、という以上に——暑い日に全力疾走する体力が、この子には一体どこから湧いてくるのか。
「エリーゼ、ヴァルナー家の庭に無断で入るのは——」
「お父様には許可もらってるもん。それより早く来て。コックのおじさんが今日、冷たいスープ作ってくれたんだって」
有無を言わせない笑顔だった。
俺は木剣を下ろして、小さくため息をついた。
「……わかった」
エリーゼは満足そうに「えっへん」と胸を張った。
幼いながらも、将来の片鱗というものはあるもので——
(…………いや、今は考えないでおこう)
俺は視線を逸らして歩き出した。
背中で、エリーゼが「アシュくんって絶対お腹すいてても言わないよね」とぼやいているのが聞こえた。
(空腹は言えない性分じゃなくて、君が来るのが毎回早いんだよ)
黙って歩きながら、俺は少しだけ口元が緩むのを感じた。
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十歳になった頃には、この世界のことがずいぶんわかってきた。
アルデナ大陸は、魔物と人間が絶えず争う世界だ。
「魔石核」と呼ばれる核を持つ魔物は、定期的に人里へ侵攻し、辺境の土地では常に討伐が必要とされる。ヴァルナー伯爵領はその最前線に近く、豊かな鉱脈を持ちながらも疲弊した土地だった。
そして人間の側には「スキル」がある。
十五歳に行われる「適性鑑定」で判明する先天的な才能で、レアリティは一般・希少・英雄・神話の四段階。英雄級以上は国が把握するほど希少だ。
(俺に何が出るかは……わかってる)
前世の記憶とは別に、幼い頃から指先に走る感覚があった。
雨が降る前日に、妙にぴりぴりする感覚。雷雲が近づくと、身体の芯から何かが応えるような気がする感覚。
それが何かは、まだ誰にも言っていなかった。
「アシュレイ。今日の魔法理論の課題は終わったか」
夕刻、書斎で父が問う。
俺は読んでいた羊皮紙から顔を上げた。
「終わりました。それと、第五章の補足として——農業への魔法応用について、いくつか私見をまとめてもよいですか」
「……農業?」
「この領地の食料自給率は低すぎます。魔物の侵攻で耕作地が荒れているのはわかりますが、土壌改良と水路管理に初歩的な土属性魔法を組み合わせれば、収穫量を一・五倍にできると試算しました」
父は少しの間、沈黙した。
「……十歳の考えにしては、妙に具体的だな」
「参考にした書物があります」
嘘ではない。ただ前世の記憶が参照元の大半だというのは、言っていない。
父は眉をわずかに動かしたが、否定はしなかった。
「まとめてみろ。読んでやる」
それだけ言って、視線を書類に戻した。
(やっぱり悪い父親じゃない)
俺は羊皮紙に向き直り、ペンを持った。
そのとき窓の外で、遠く雷が鳴った。
空が光る。一呼吸遅れて、腹に響く轟音。
俺は思わず窓の外を見た。
夕暮れの空に、白い光の筋が走っている。
(……あと五年か)
適性鑑定まで、あと五年。
俺が何者なのかが、この世界に知られるまで。
指先が、かすかに痺れた。
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「なあ、エリーゼ」
その夜。縁側に並んで座りながら、俺は空を見上げていた。
さっきまでの雷雨は嘘のように晴れて、星が出ている。
「なに?」
エリーゼが膝を抱えながら、同じ空を見ていた。
「強くなりたいと思うか」
「思う! 絶対騎士になるもん」
「理由は」
「アシュくんを守りたいから、かな」
さらっと言うので、俺は一瞬言葉に詰まった。
「……俺を?」
「アシュくん、強そうな顔してるけど、いつも一人でいるじゃん。絶対無理してると思って」
エリーゼは星を見たまま、少しだけ頬を赤くした。気づいていないふりをした。
「あと自分を守るためにも。か弱いお姫様はやだし」
「……そうか」
俺は再び空を見上げた。
雲の切れ間に、一本だけ細い雷が遠く光った。
(守られるより、守る側でいたいんだけどな)
声には出さなかった。
その代わり、少しだけ隣に寄った。
エリーゼは何も言わなかった。
ただ星を見ながら、微笑んでいた。
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地味で口数が少なくて、感情が薄いと言われた元会社員が——いつか嵐の中で世界の果てに立つことになるとは、このときまだ誰も知らない。
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