縫い目
たぶん、わたしが最初に勃起したは、彼女の指を舐めたときだった。
人形の手。
細く、布でできた小さな手。
舌にのせると、綿が静かにふくらんで、
曖昧だった指先が唾を吸って沈んでいった。
喉の奥にかすかに触れて、
それが触れているのか、触れられているのか、わからなくなった。
彼女がいつから家にあるのかはわからない。
よくある市販の人形。
目はボタンだった。白と黒の。ふたつ、少しだけ高さがずれていて、
顔も、髪も、全部が粗くて、それなのに着せられている服だけが、
妙に丁寧に縫われていた。
ただ、口がなかった。
喋らない顔。
ワンピースを脱がせて、肩を抜いて、頭から引き抜くとき、
肌色の布が、すこしだけ冷たくて、そこに自分の指の熱が移っていくのがわかった。
乳首なんてついてないのに、縫い目に沿って指を滑らせると、
布の奥に、やわらかい抵抗があった。
ひっぱってるわけじゃないのに、少しだけ張って、
綿の奥で、なにかが抵抗してるみたいだった。
その感触から指が離れなかった。
胸ではないのに、胸のかたちのように思えた。
縫い目を親指と人差し指でつまみ、
何度か、ねっとりと押し込んだ。
指先に、じわっと熱が戻る。
そこから、何かが滲み出す気がした。
おかしいのは、わかっていた。
でも、その“わかる”より先に、
身体がその場所を知っていた。
スカートをまくって、脚を開くと
関節のない膝がすとんと落ちて、
足の付け根に縫い目が走っていた。
縫い目はほどけてない。
けれど、その中に、自分の何かが入りそうな気がして、
手を当て、撫でた。
感じることのない人形に、
自分の熱がだけが残って、
その布の下に、誰かがいるような気がした。
そう思ったとき、
彼女が喋った。
「すき」って。
いや、ほんとうは喋ってない。
わたしは「うん」って返した。
返しながら、そのまま彼女の脚を抱えて、
勃起したクリトリスを、布の上からおしつけた。
擦った。何度も擦った。
「すき」って、また聞こえた気がした。
わたしは、その声にあわせて腰を押しつけた。
そのあと、しばらく記憶がない。
たぶん眠っていたのだと思う。
暗いまま、目を閉じて、
呼吸だけが、身体の中でふくらんでいた。
それが、始まりだった。
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目を開けると、彼女は椅子の上に座っていた。
裸の身体。
毛先は少し荒れていて、指先には細かいひびがある。
まっすぐ座って、膝をそろえて、目だけがこっちを見ている。
人形じゃないのに、人形みたいに従順で、
関節も筋肉もあるはずなのに、
動くときは、わたしの手がそうさせたときだけ。
こっち来てと言うと、
ゆっくりと、脚が動く。
わたしは彼女の胸に手を置いた。
ちゃんと乳首のある女性の乳房。
けれど、触れたときの感触は、
あの布の縫い目と、たいして変わらない。
乳首をなぞる。つまむ。
「すき」って、彼女が言ったような気がする。
わたしは「うん」と返す。
脚をひらく。 関節はある。
けれど、動かすのはわたし。
股のあいだに指をあてる。
あたたかい。
けれど、濡れていない。
それでも、手を動かす。あのときと同じように。
何も問わない。何も言わない。
それでも彼女は、そこにいる。
顔もある。声もある。
けれど、わたしが向き合っているのは、
彼女自身ではない。
わたしの中に最初からいた誰か。
その像が、彼女の輪郭と重なっているだけ。
ただ、それだけのことだった。
彼女がそれに気づいているかはわからない。
拒まない。受け入れている。あるいは、受け入れているふりをしている。
もしかすると、彼女の中にもまた、
わたしではない誰かがいて、
その像に、わたしが似ていただけかもしれない。
そう思うと、わたしたちは、たがいに違う人間を抱いていることになる。
それでも、触れている事実は残る。
わたしは思う。
これは、たぶん、恋だった。
けれど、恋という言葉が指すものは、
ふたりのあいだに生まれる何かではなかった。
それは、記憶に近い何かだった。
舌に残る布のざらつき、唾液にひろがる甘み、
綿がふくらむときの鈍い手応え。
わたしは、それを人形で知っていた。
始まりは、わたしの中にあった。
終わりもまた、きっと、わたしの中にある。
相手が変わっても、
季節が過ぎても、
名前が違っても、
そのかたちは変わらない。
誰かに触れるたび、
あの人形の味が、うすく浮かび上がる。
思い出しているのではない。
ただ、そのかたちに沿って相手が見えてしまう。
やさしさも、理解も、
もともとなかった。
そこに触れたとき、
わたしの中で何かが返ってきた。
それを、わたしは愛と呼んでいた。
もし、彼女が明日いなくなったとしても、
わたしはまた、同じかたちの誰かを見つけるだろう。
そしてきっと、そのときも言う。
「すき」
その声が誰のものかなんて、
もう、どうでもいい。
わたしは、いつだって、同じひとを抱いているのだから。




