表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

掌編小説集

縫い目

掲載日:2026/02/02

 

 たぶん、わたしが最初に勃起したは、彼女の指を舐めたときだった。


 人形の手。

 細く、布でできた小さな手。


 舌にのせると、綿が静かにふくらんで、

 曖昧だった指先が唾を吸って沈んでいった。

 喉の奥にかすかに触れて、

 それが触れているのか、触れられているのか、わからなくなった。


 彼女がいつから家にあるのかはわからない。

 よくある市販の人形。


 目はボタンだった。白と黒の。ふたつ、少しだけ高さがずれていて、

 顔も、髪も、全部が粗くて、それなのに着せられている服だけが、

 妙に丁寧に縫われていた。


 ただ、口がなかった。

 喋らない顔。


 ワンピースを脱がせて、肩を抜いて、頭から引き抜くとき、

 肌色の布が、すこしだけ冷たくて、そこに自分の指の熱が移っていくのがわかった。


 乳首なんてついてないのに、縫い目に沿って指を滑らせると、

 布の奥に、やわらかい抵抗があった。


 ひっぱってるわけじゃないのに、少しだけ張って、

 綿の奥で、なにかが抵抗してるみたいだった。


 その感触から指が離れなかった。

 胸ではないのに、胸のかたちのように思えた。


 縫い目を親指と人差し指でつまみ、

 何度か、ねっとりと押し込んだ。

 指先に、じわっと熱が戻る。

 そこから、何かが滲み出す気がした。


 おかしいのは、わかっていた。

 でも、その“わかる”より先に、

 身体がその場所を知っていた。


 スカートをまくって、脚を開くと

 関節のない膝がすとんと落ちて、

 足の付け根に縫い目が走っていた。


 縫い目はほどけてない。

 けれど、その中に、自分の何かが入りそうな気がして、

 手を当て、撫でた。


 感じることのない人形に、

 自分の熱がだけが残って、

 その布の下に、誰かがいるような気がした。


 そう思ったとき、

 彼女が喋った。


「すき」って。

 いや、ほんとうは喋ってない。


 わたしは「うん」って返した。

 返しながら、そのまま彼女の脚を抱えて、

 勃起したクリトリスを、布の上からおしつけた。


 擦った。何度も擦った。


「すき」って、また聞こえた気がした。

 わたしは、その声にあわせて腰を押しつけた。


 そのあと、しばらく記憶がない。

 たぶん眠っていたのだと思う。

 暗いまま、目を閉じて、

 呼吸だけが、身体の中でふくらんでいた。


 それが、始まりだった。


 -----------------------------


 目を開けると、彼女は椅子の上に座っていた。


 裸の身体。

 毛先は少し荒れていて、指先には細かいひびがある。

 まっすぐ座って、膝をそろえて、目だけがこっちを見ている。


 人形じゃないのに、人形みたいに従順で、

 関節も筋肉もあるはずなのに、

 動くときは、わたしの手がそうさせたときだけ。


 こっち来てと言うと、

 ゆっくりと、脚が動く。


 わたしは彼女の胸に手を置いた。

 ちゃんと乳首のある女性の乳房。

 けれど、触れたときの感触は、

 あの布の縫い目と、たいして変わらない。


 乳首をなぞる。つまむ。

「すき」って、彼女が言ったような気がする。

 わたしは「うん」と返す。


 脚をひらく。 関節はある。

 けれど、動かすのはわたし。


 股のあいだに指をあてる。

 あたたかい。

 けれど、濡れていない。

 それでも、手を動かす。あのときと同じように。


 何も問わない。何も言わない。

 それでも彼女は、そこにいる。

 顔もある。声もある。


 けれど、わたしが向き合っているのは、

 彼女自身ではない。


 わたしの中に最初からいた誰か。

 その像が、彼女の輪郭と重なっているだけ。


 ただ、それだけのことだった。


 彼女がそれに気づいているかはわからない。

 拒まない。受け入れている。あるいは、受け入れているふりをしている。


 もしかすると、彼女の中にもまた、

 わたしではない誰かがいて、

 その像に、わたしが似ていただけかもしれない。


 そう思うと、わたしたちは、たがいに違う人間を抱いていることになる。

 それでも、触れている事実は残る。


 わたしは思う。

 これは、たぶん、恋だった。


 けれど、恋という言葉が指すものは、

 ふたりのあいだに生まれる何かではなかった。


 それは、記憶に近い何かだった。

 舌に残る布のざらつき、唾液にひろがる甘み、

 綿がふくらむときの鈍い手応え。

 わたしは、それを人形で知っていた。


 始まりは、わたしの中にあった。

 終わりもまた、きっと、わたしの中にある。


 相手が変わっても、

 季節が過ぎても、

 名前が違っても、

 そのかたちは変わらない。


 誰かに触れるたび、

 あの人形の味が、うすく浮かび上がる。

 思い出しているのではない。

 ただ、そのかたちに沿って相手が見えてしまう。


 やさしさも、理解も、

 もともとなかった。

 そこに触れたとき、

 わたしの中で何かが返ってきた。


 それを、わたしは愛と呼んでいた。

 もし、彼女が明日いなくなったとしても、

 わたしはまた、同じかたちの誰かを見つけるだろう。


 そしてきっと、そのときも言う。


「すき」


 その声が誰のものかなんて、

 もう、どうでもいい。


 わたしは、いつだって、同じひとを抱いているのだから。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ