第8話 サヨナラ異世界、ただいま受験戦争【完】
【カイト視点】
異世界での生活が始まってから、ちょうど一か月が経った。
『加藤の自由都市』の広場には、大勢の人だかりができていた。
僕たち一家を見送るために、街の人々やエルフたちが集まってくれたのだ。
「師匠! 行ってしまわれるのですか……!」
鍛冶場の親方が、男泣きしながら父さん――タツオの足にしがみついている。
「ああ。まあ、後は教えた通りにやれば大丈夫だ。鉄の声を聞け、鉄の声を」
父さんはいつもの調子で、面倒くさそうに、けれど優しく親方の肩をポンと叩いた。
この一か月で、父さんが打った刀は街の宝となり、鍛冶場の技術レベルは数百年分くらい進化してしまったらしい。
一方、屋台の方では。
「いい? タレの継ぎ足しは絶やさないこと! 鶏肉は強火で表面を焼いてから、弱火で中まで火を通すのよ!」
「はいっ! マサミ師匠!」
母さん――マサミは、エプロン姿のエルフたちに最後の熱血指導をしていた。
母さんの『焼き鳥屋』は、今や都市一番の人気店だ。暖簾分けした二号店、三号店まで計画されているというから驚きだ。
そして、僕の『寺子屋』の生徒たちも。
「カイト先生、行っちゃやだー!」
「もっと算術教えてよぉ!」
獣人の子供たちが鼻水を垂らしながら泣いている。
僕は目頭が熱くなるのを堪えながら、彼らの頭を撫でた。
「みんな、よく頑張ったな。僕が教えた計算ドリル、最後まで終わらせるんだぞ」
別れの挨拶が一段落したところで、セリアが前に進み出た。
この一か月で、彼女はすっかり『エルフのリーダー』としての顔つきになっていた。
「カイト、タツオ殿、マサミ殿。……本当に世話になった。そなたらのおかげで、わらわたちはこの街で生きていける」
セリアたちエルフの一族は、日本へは行かず、この自由都市に残ることを決めた。
ここなら領主・清定さんの加護があるし、農業や屋台の仕事もある。平和に暮らすには最高の場所だ。
「元気でな、セリアちゃん。困ったことがあったら、いつでも呼ぶのよ」
「うむ! マサミ殿のカレーの味、一生忘れぬぞ!」
セリアはニッコリと笑うと、両手を広げて呪文を唱え始めた。
いよいよ、帰還の時だ。
「なんじ、境界をつなぎ、道をひらけ……『門』!」
セリアの体から溢れ出した魔力が、光の粒子となって渦巻く。
そして、空間に四角い亀裂が走り――。
ガチャリ。
見覚えのある、茶色い金属製のドアが現れた。
我が家の『玄関ドア』だ。
前回の反省を活かし、今回は一番頑丈なドアに繋げてもらったのだ。
「お膳立ては整ったようだな」
腕組みをして見守っていた領主の清定さんが、ニヤリと笑った。
「達者でな、最強の一家よ。また気が向いたら遊びに来るがよい」
「ああ、清定さんも元気で。……たまには歴史の教科書も思い出してあげてください」
僕が言うと、彼は「はっはっは!」と豪快に笑った。
僕たちは頷き合い、光の中に浮かぶ玄関ドアに手をかけた。
「よし、帰ろうか」
父さんがドアノブを回す。
眩しい光と共に、懐かしい日本の空気が流れ込んできた。
――バタン。
ドアが閉まる音が響き、視界が日常に戻った。
そこは、見慣れた我が家の玄関だった。
下駄箱の上には、宅配便の不在票が置かれたままだ。
「……帰ってきた、のか?」
僕はおそるおそる靴を脱ぎ、廊下へ上がった。
静かだ。
遠くから車の走行音が聞こえる。異世界の喧騒も、剣劇の音もない。
「あー、やっぱり家の畳は落ち着くわねぇ!」
母さんがドサリとリュックを下ろし、大きく伸びをした。
「さて、晩ご飯はどうする? 向こうで焼き鳥は食べ飽きたし、刺身でも買いに行くか?」
父さんも、すっかり「休日のサラリーマン」の顔に戻っている。
まるで、ちょっと長い家族旅行から帰ってきただけのような雰囲気だ。
でも、僕には一つだけ、確認しなければならないことがあった。
(一か月……向こうで過ごした時間は一か月……)
僕は震える手で、リビングのカレンダーを見た。
今日の日付は――。
「……うそ、だろ?」
異世界に行く前と同じ日付。
いや、正確には「深夜二時」に出発して、今は「早朝の六時」。
向こうでの一か月は、こちらではわずか四時間しか経っていなかったのだ!
「よ、よかったぁぁぁ~!! 浦島太郎状態じゃなかった!」
僕はその場に崩れ落ちた。
これで学校にも行けるし、受験勉強も間に合う。人生が終わっていなかったことに、僕は心底安堵した。
しかし。
次の瞬間、母さんの冷酷な一言が飛んできた。
「あらカイト、安心してるところ悪いけど」
「……え、なに?」
「あんた、異世界に行ってる間、一回も勉強してなかったわよね?」
「あ」
時が止まっていたとしても、僕の脳みその中身が増えたわけではない。
むしろ、剣術と算数の教え方ばかり上達して、英単語や歴史の年号はすっかり抜け落ちている気がする。
「受験まであと一か月……変わらないわよ? さあ、着替えて! 塾に行くわよ!」
「ひ、ひええぇぇぇ!」
平和な日常は、戦場よりも過酷だった。
僕は父さんから貰った刀――もちろん異世界製の本物、を部屋の奥に封印し、代わりに参考書を手に取った。
異世界に渡った一家。
その長男である僕にとって、最大の試練「大学受験」は、まだ始まったばかりなのだ。
(でもまあ……あんな経験したんだ。なんとかなるか)
僕は窓の外、昇り始めた朝日を見上げた。
その光は、あの森で見た光と同じくらい、希望に満ちている気がした。
「行ってきます!」
僕は参考書をリュックに詰め込み、勢いよく玄関ドアを開けた。
今度は、異世界ではなく、自分の未来へ続く扉を。
その一家、最強につき――これにて一件落着!
【完】
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