第2話 言葉が通じる! 地図で説明! 朝ご飯は焼き鮭!
【カイト視点】
視界を染め上げた白い光が、ゆっくりと収まっていく。
僕は恐る恐る目を開けた。
目の前には、少し疲れたような、でも満足そうな表情のエルフの少女が立っていた。
「……汝、我が声が聞こえるか?」
「えっ? あ、うん。聞こえる。めちゃくちゃ聞こえるよ」
僕は思わず耳を疑った。さっきまで記号の羅列にしか聞こえなかった言葉が、きれいな日本語として頭に入ってくる。
「ふう、成功じゃな。……あー、ほんとうに美味であった。あの黄金の煮込み料理は」
「黄金の煮込み……カップ・カレーライスのこと?」
「うむ。礼を言うぞ、異界の民よ。わらわの名は、セリア。エルフの里の長の娘じゃ。逃げるためにこの世界にドアをつなげたのじゃ」
彼女――セリアは、胸に手を当てて優雅にお辞儀をした。
ボロボロのドレス姿だけど、その仕草からは隠しきれない気品が漂っている。
「僕はカイト。受験生だ。……とりあえず、言葉が通じてよかったよ」
自己紹介を終えると、セリアは急に真剣な表情になり、テーブルの上にあった僕の裏紙とペンを指さした。
「カイト、これを借りるぞ」
彼女はサラサラとペンを走らせ、簡単な地図を描き始めた。
中央に森、その周囲を囲むように二つの勢力が描かれる。
「わらわがいた森は、いま戦火の最中にある。……『ドラゴン族』と『人間族』の戦争に巻き込まれたのじゃ」
「ドラゴンと、人間……?」
「うむ。人間族の帝国が、ドラゴンの力を求めて侵攻を始めた。森はその通り道になってな」
セリアは悔しそうに唇を噛み、地図上の『人間』と書かれた領域をペン先で叩いた。
「わらわを追っていたのは、人間族の兵士たちじゃ。奴らはエルフを捕らえ、奴隷や手駒にしようとしておる。……わらわは一族を逃がすために囮になり、森の最深部に逃げて『扉』を作ったのじゃ」
「それが、僕の家のトイレにつながったってわけか……」
ファンタジーな見た目に反して、事情はかなりハードだった。
彼女が最初、僕を見て「帝国の追っ手か」と叫んだ理由がようやく分かった。同じ人間だから警戒したんだ。
「カイトよ。悪いが、今宵はここに厄介になってもよいか? あちらに戻れば、また命を狙われるゆえ」
「それはもちろん構わないけど……」
時計を見れば、深夜二時半を回っている。
とんでもない美女のエルフさんと同じ部屋で夜を明かすなんて、思春期の男子には刺激が強すぎる。
「セリアは、このソファを使って。僕は毛布持ってくるから」
「かたじけない。……カイト、そなたは優しいのじゃな」
セリアはふわりと微笑むと、満腹感と安心感からか、すぐにソファで丸くなって寝息を立て始めた。
(……すごい一日だったな)
僕は彼女に毛布をかけ、自分の部屋へと戻った。
◇
「ちょっとカイト!! 起きなさい!!」
翌朝。
けたたましい怒鳴り声と共に、僕は叩き起こされた。
目を開けると、仁王立ちした母さん――マサミが立っていた。
「ふわぁ……何だよ母さん、まだ眠い……」
「眠いじゃないわよ! 居間に金髪の女の子が寝てるんだけど、どういうこと!? あんた、ついに二次元からお嫁さん召喚したの!?」
「あー……うん、まあ召喚に近いかな……」
「寝ぼけてないで説明しなさい!」
僕は半分引きずられるようにして居間へ連れて行かれた。
そこには、すでに起きて正座をしているセリアと、新聞を読みながら「ほうほう」と頷いている父さん――タツオの姿があった。
「あ、カイト。おはよう。この娘、言葉遣いは古風だが、いい子だぞ」
父さんはのんきに笑っている。
セリアは母さんの迫力に押されているのか、耳をぺたんと伏せて小さくなっていた。
「か、カイト……この家の者は、朝から元気じゃな……」
「ごめん、うちの母さん、声が大きいんだよ」
結局、朝食を食べながら事情を説明することになった(「トイレが異世界につながった」という部分は、母さんに「勉強のしすぎでおかしくなったの?」と心配されたので、適当にごまかした)。
食卓には、湯気を立てる白いご飯、味噌汁、そして香ばしく焼けた鮭の切り身が並んでいる。
「いただきまーす」
「い、いただきます……?」
セリアは僕の真似をして手を合わせ、見よう見まねで箸を持った。
慣れない手つきで、焼き鮭を小さくほぐし、口へと運ぶ。
「んっ……!」
再び、彼女の碧い瞳が輝いた。
「なにこれ、美味しい! 外側はパリパリで、中はふっくらしておる! それに、この塩気が白い穀物……『ご飯』と実に合う!」
「だろ? 日本の朝はこれに限るんだよ」
セリアは箸を動かす手が止まらない様子だ。
母さんは、そんな彼女の食べっぷりを見て、まんざらでもなさそうに頬を緩めている。
「あらあら、いい食べっぷりねぇ。昨日の残りのカレーもあるけど、食べる?」
「カレー! あの黄金の!」
セリアが目を輝かせた瞬間、僕は昨夜の男子トイレの惨状を思い出して、少し遠い目になった。
(これから、どうなるんだろうな……僕の受験生活)
エルフと焼き鮭と味噌汁の香り。
僕の非日常な日常は、こうして賑やかに始まったのだった。
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