第1話 トイレの先は異世界、カレー(変な意味ではない)の味は魔法の味
【カイト視点】
深夜二時。受験勉強の追い込みで、僕の腹は限界を迎えていた。
夜食にと用意したのは、お湯を注ぐだけのカップ・カレーライス。スパイシーな香りが、疲れた脳みそを刺激する。
(よし、出来上がるまで三分。その間に用を足しておくか)
僕は台所を出て、廊下の奥へと向かう。
築年数の古い我が家には、なぜか小便器だけの「男子トイレ」と、個室の「女子トイレ、と母さんが呼んでいる洋式トイレ」が別々にある。
僕はいつもの癖で、手前にある男子トイレのドアノブを回した。
ガチャリ。
「…………は?」
ドアを開けた瞬間、僕の思考はフリーズした。
そこにあるはずの白い陶器の小便器がない。
壁も、換気扇もない。
そこにあったのは、鬱蒼と茂る、巨大な木々の森だった。
「!? &%#$『+*<>!?」
突然、森の奥から鋭い声が響いた。
何を言っているのか、言葉の意味はまったく分からない。けれど、その切羽詰まった響きだけで、緊急事態だということは理解できた。
ヒュンッ!
風を切る音と共に、ドア枠のすぐ横に矢が突き刺さる。
「うわっ!?」
僕がのけぞったのと同時に、一人の少女がこちらの廊下へと飛び込んできた。
月光のような金髪。ボロボロの白いドレス。そして、長い耳。
彼女は僕の足元に滑り込むと、必死の形相でドアを指さし、何かを叫んだ。
「@*+>? #$%!!」
(閉めろってことか!?)
僕は反射的にドアを思い切り叩きつけた。
バァン! と大きな音がして、異世界の森と矢の飛来が遮断される。
「はぁ、はぁ……何なんだよ、これ……」
心臓が早鐘を打っている。
足元には、見たこともない美少女――いや、エルフがへたり込んでいた。
彼女は荒い息を吐きながら、怯えたような碧い瞳で僕を見上げている。
「あの……大丈夫ですか?」
「……?」
彼女は首をかしげた。やはり、日本語は通じないらしい。
とりあえず、この状況で立ち小便をする度胸は僕にはない。
僕はエルフさんを刺激しないようにゆっくりと後ずさりし、隣の「女子トイレ」の方を指さした。
(悪いけど、これからは座ってすることにするよ……)
僕は心の中で男としての敗北を認めつつ、とりあえずエルフさんを居間へと案内することにした。
◇
居間のソファに彼女を座らせたものの、会話は成立しない。
彼女は警戒心を解かず、部屋のあちこちをキョロキョロと見回している。
その時。
――グゥゥゥゥゥゥ。
静寂を破ったのは、盛大な腹の虫だった。
エルフさんが、顔を真っ赤にしてお腹を押さえる。空腹は万国共通、いや、異世界・現実世界共通らしい。
「これ、食べる?」
僕は出来上がったばかりのカップ・カレーライスを差し出した。
スプーンですくって見せ、食べる真似をする。
彼女は怪訝そうな顔で、恐る恐るスプーンに顔を近づけた。
そして、湯気と共に立ち上るスパイスの香りを嗅いだ瞬間――その長い耳が、ピクリと跳ねた。
「……!」
彼女は僕の手からスプーンを奪い取ると、パクりと一口食べた。
瞬間、彼女の碧い瞳が大きく見開かれる。
「んーっ!!」
言葉は分からないけれど、その表情だけで十分だった。
彼女は猛烈な勢いでスプーンを動かし始めた。ハフハフと熱がりながらも、次々と黄金色のご飯を口に運んでいく。
頬っぺたにご飯粒をつけたまま、彼女は僕を見てニッコリと笑った。
その笑顔が、あまりにも無防備で、可愛らしかった。
(まあ、喜んでくれてるならいいか)
完食して満足げに息を吐くと、彼女は急に真剣な表情に戻った。
そして、僕に向かってスッと手をかざす。
「なんじ、われ、ことば、つうじ合わせん……『翻訳』!」
突然、彼女の体が淡い光に包まれた。
部屋の照明よりも柔らかく、神秘的な光が、僕たちの周りを満たしていく。
「え、ちょっ……光ってる!?」
僕が驚いて声を上げると同時に、光は一層強さを増し――僕の視界を白く染め上げた。
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