第二章 光の石
第二章 光の石
今さらのことになるが、この世界では地球とは違う言語、文字によってコミュニケーションが成立している。地球という星の中ですら、土地によって異なる言葉と文字が使われていたのだ。別の世界ではなおさらのことだろう。わたしがこの世界に転生し、最初に直面した課題はそれだった。前世の記憶を持つわたしは、言葉の習得に苦戦したのだ。まっさらな状態で産まれてきた赤ん坊とは違って、元々持っていた言語情報が、新たな言葉を習得する妨げになってしまった。まぁ、ある程度で慣れて理解出来るようになったのだが。
「これは愛哀でしょ?」
「……本当に読めるのだな」
「こっちは麗冷」
「……なるほど。そういうことかもしれぬ」
「ちがうよ、そんなわけないよ」
ガンジイの村、今は滅びてしまったその村に伝わる文字。なんでそれが漢字なの?なんで地球の、それも日本の漢字?中国で使われている漢字とは違う。
「この世界は、お前がいた世界の未来、ということではないか?」
「……ちがう」
「お前が元々暮らしていた土地に、長い年月の果て、私の村が形成された。あくまで可能性の話だ」
「地球には太陽があった!闇人なんていなかった!」
「その謎を解き明かすことが、我らの目的だろう。しかし再び言うが、これは仮説に過ぎぬ」
そう、仮説。ただの「かもしれない」話だ。地球でなにか、とんでもない事件が起きて、太陽が消えて、闇人が現れて……。もしも本当にそうなら、わたしがしたことは異世界転生ではなく、タイムリープ。時間を跳んで生まれ変わったということになる。……少し落ち着こう。考えても分からない問題は?そう、先送りにする。可能性の一つとして、頭に留めておくだけにしよう。
わたしは思考を切り替える為に、当初の話題へと路線を戻した。
「……レイレイがいい」
「名の由来もあるが、聞かずに決めてよいのか?」
「聞きたい。レイレイでもう決めてるけど」
「私の部族では、その者の長所と短所から一文字ずつ取り、名を決めていた。成人を迎えたとき、最も近しい者が名を決め授けたのだ」
「じゃあ、ガンジイって名前も?」
「成人の後、友が授けてくれた名だ。……もう六〇年以上、昔のことだ。文字で書くとこうなる」
ガンジイは地面に「頑爺」と書いた。
「……頑固な、お爺さんってこと?」
「どちらも短所に思えるが、友いわく『爺』は長所だそうだ。文字の順序に決まりはない。先が長所でも、短所でも構わん」
「長生きしてね、みたいな意味かな」
「それに近い。この世界で老人になるまで生き延びるには、相応の強さを備えねばならぬ。私の強さを称えて、爺の一文字をつけたらしい」
「昔から強かったんだ」
「……そんなことはない」
ガンジイがほんの一瞬、悲しい顔をした。話題を変えた方がよさそうだ。
「それで、麗冷はどういう意味で考えたの?」
「お前からは気高さを感じる。決して卑しさや愚かさに堕落することのない、誇りの高さがあるように思える。故に『麗』とした」
「短所はまぁ、冷たいって意味だよね」
「他者ではなく、お前自身に対しての冷たさだ。お前は自身の未来に対し熱を、希望を持っていない故の『冷』。お前は自分自身を愛することが出来ていない」
短所は合ってる。自分という人間に、わたしは一切期待していない。これからもずっと、そうなんだろうと思うし。でも長所の方はどうだろう。気高さというか、偉そうな奴に従うのが嫌なだけなんだけれど。でもガンジイがそう考えてくれたなら、それでいい。
「愛哀の方は言わなくていいよ。わざわざ考えてくれたのにごめんね」
「そうか、ならば行くか」
ガンジイは理由を聞かずに、たき火の片づけを始めた。……わたしの昔の名前は、アイ。地球で母親に付けられた名前だ。それを思い出してしまうから、レイレイを選んだ。小学生のとき「自分の名前の由来を親に聞く」という授業の課題があった。母は悪びれる様子もなく、こう答えたのだ。
「名前を考えるのが面倒だったからよ。どうでもよかったし」
五十音順の最初の二文字。あ・い。カタカナの方が画数が少なくて楽だから、アイ。「あい」という名前自体はよくあるものだろう。愛ちゃんとか、藍くんなんかも探せばいそうだ。カタカナ表記の名前は珍しいかもしれないけれど。ちゃんとした意味があって、そう名付けたなら素晴らしいことだが、まぁ、わたしの場合はそういうことだ。
今度園子に会ったとき、名前が変わったことを教えないと。それに妹の名前はわたしが考えてあげよう。……園子という名前には、どういう意味があるのかな。いや、お互い家庭環境に問題があったわけだし、聞かない方がよさそうだ。
わたしとガンジイは、旅を再開した。あてのない旅だが、ガンジイによると人の暮らす場所は、だいたい察知出来るという。まず近くに水場があること。ある程度大きな森林があることなどだ。食料の確保には、それなりに豊かな自然環境が必須。そしてどんな村でも必ずたいまつの火が常に灯されている。高台から見下ろせば、すぐに分かるらしい。ガンジイいわく「まずは村を見つける。そして太陽の情報を集める。その繰り返しだ」とのこと。
ガンジイが予見した通り、しばらく歩くと川があった。わりと幅が広い川で、少々無理をすれば歩いて横断することが出来るくらい。ガンジイは川上に向けて歩こうと言った。川下には海があることが分かっている。わたしの村からまだそこまで離れているわけではないから。
「海の近くの村というものは、かなり稀だ。川上へ向かった方がよい」
「海には闇人がいないのに?てっきり海沿いに村が多いと思っていたけど」
「敵は闇人だけではない。人間もそうなのだ」
……略奪。いや、乗っ取られるということか。自分達で村を作ろうと思えば、相応の物資が必要になる。誰かが建設したものを、奪い取ってしまえば、手間もかからない。それにそこに村があるということは、そこが人の住みやすい土地であることの証明になっている。
「資源に恵まれた土地、あるいは安全な土地は、常に奪い合いの最中にある。私が知る限り、海沿いに集落を建設しようとする人間はいなかった」
「今まで旅してきた中で、一人も?」
「誰もが過去の経験から学ぶ。誰かが安全を求め海沿いに村をつくる。海では漁も可能で、食料の安定供給に繋がる。しかしその村はいつか必ず、流浪の集団に侵略される。一度は退けたとしても、それが何度も続いていくだけなのだ。やがて人々は疲弊し、海沿いに村をつくることをやめた。闇人ではなく、人間から身を守る為にだ」
わたしの村は、ひたすら幸運だったということか。わたしが生まれる何世代も前から、人間が侵略してきたという経験はなかったはずだ。それがあったなら、対人間用の設備がつくられているはず。闇人からの防衛だけでも面倒だというのに、人間からも自分達を守らないといけないとなると……。別の場所で暮らした方がいい。闇人への防衛策は単純。火を絶やさないだけで十分なのだから。人間に狙われない土地に移った方がよほど楽だろう。
「悲しいね」
「人と人が、争うことがか?」
「生きていくことが大変な世界の中で、それでも人間は競争をやめられないんだね」
「仕方がない。それが生き残る唯一の道なのだ」
ガンジイはこう語った。大前提として、自分達の村に、他の村の人間を流入させるというのは、限りなく困難なのだという。なぜなら物資は増えないが、人口が増えてしまから。人間が増えた分だけ、住居も日々の食料も追加で必要になる。それを用意出来るほどの余裕がないのだ。だから侵略は起きても、村と村とが手を取り合い、協力関係を結ぶことは基本的に発生しない。それをしたところで、村の中で争いが起きるだけなのだ。
人口の調整はあらゆる村での必須課題だろう。わたしの村でもそれ専門の「人口管理職」なんて役職があったくらい。閉じられた村社会の中、近親での交配をなるべく起こさないよう、子供をつくる相手も、産む数も管理されていた。増やさず、減らさず、人口を一定に保つ。そうやって遺伝子を後世へと繋げ、この世界で生き延びてきたのだ。
「太陽が見つかれば、世界は大きく変わるはずだ」
ガンジイはそう言った。ガンジイはその為に何十年も旅をしてきた。世界から闇人の脅威がなくなれば、農業に手を出せるようになる。そうすれば人口の増大に発展し、文明の進化へと繋がっていくだろう。いま農作物の生産に着手出来ない一番の理由は、たいまつの火の確保。つまり黒炎石の消費量の増大だ。それなりの量の野菜を育てる為には、相応の広さの土地が必要になる。そしてそれを耕すとき、播種するとき、育てるとき、収穫するとき、あらゆる場面で闇人に襲われないよう、火を掲げ続けなくてはならない。膨大な量の燃料、黒炎石が必要になってしまう。
わたしの村でも、黒炎石の残量は常に村人達の不安の種だった。黒炎石は人工的に増やすことが出来ない。自然の鉱物だ。洞窟から採掘している黒炎石は、いつ枯渇してしまうのか。そしてそのときが来たなら、新たな土地を求め、村を捨て移住の地を探さねばならない。せっかく耕した土地を、農作物を、手放さないといけなくなる。だから狩りが生活の中心となり、農業は発展しないのだ。
……そうか、そういった移民が、侵略行為を起こすのか。物資を求め、暮らしていた土地を捨て、闇人が闊歩する暗闇の中を彷徨い……。自分達が生き残る為に、理性を闇の中に置き去りにしてしまうのだ。
土地を耕し、食料の安定生産が可能になれば、暮らしはずいぶん楽に、豊かになるだろう。……でも、それでも結局、人間は奪い合いを、殺し合いを、やめはしないと思う。わたしはそう思うが、それを口に出しはしなかった。ガンジイはどう思ってるのかな。もしも「明るい」未来を想い描いて疑っていないなら、それを否定するようなことは言いたくなかった。
「黒炎石のにおいがする。採掘していこう」
「……黒炎石に、においなんてあるの?」
「私には感じられる」
川から少し離れた所に、地面に埋もれた黒炎石の塊があった。地面の上に”山頂部”が飛び出しており、その下には大きな塊が埋まっているようだ。ガンジイは手慣れた様子で、地面に穴を掘っていく。素手で土をかき出し、黒炎石を露出させると、斧で豪快に砕いた。わたしはガンジイが腰に付けている革袋の中から、小ぶりのものをもらって、その中一杯に黒炎石を詰めた。重さでいうと五キロくらい。この程度ならわたしも持てる。ガンジイもたたんでいた大きな袋を広げ、そこに黒炎石を詰め込んだ。……五〇キロくらいはありそう。それを軽々と持ち上げてかついだ。
「おそらくこの近くに村がある。これは交渉の材料に使おう」
それから三時間ほど歩いただろうか。ガンジイは何度も休憩しなくていいかと聞いてきたが、わたしは大丈夫と答え続けた。本当は足がすでに棒になっていたが、迷惑をかけたくない。ただでさえ、わたしは邪魔なお荷物なのだ。弱音なんて吐いてる場合じゃない。
「……奇妙な光が見えるな」
「なん光ぐらい先?」
「三〇〇光ほどだ」
ガンジイがそう言い、わたしは前方に目を凝らした。光、というのはこの世界の距離の単位で、一光がおおよそ、一メートルになる。百光ならだいたい百メートルだ。センチとかメートルに慣れてしまっているわたしとしては、換算が楽で助かる。
そんなことよりも……白い光?確かに前方に、白く光るなにかが見えてきた。黒炎石の火は、普通の火のように赤く燃える。しかしあの白い光は、まるで白熱電球のもののように見える。赤い火と違い、ゆらめくことがなく、まるで空間に固定されているかのように、一定の光を放ち続けていた。あの光が人口のものか、自然のものかを確かめるために、わたしたちは慎重に足を進めた。
そして目の前に現れたのは、石造りの巨大な箱のようなものだった。石の扉があり、人が出入り出来るようになっている。豪邸というには少々大げさだが、大金持ちが住んでいる屋敷くらいの大きさはある。高さは三階建てくらいで、真上から見ると縦に長い長方形の構造。窓が一つも無いので、外から眺めるだけでは、中の様子は一切分からない。建物全体が石で作られており、それ以外の素材は使われてはいないようだ。この建造物は住居というより、まるで中世の砦のような印象をわたしに持たせた。闇人ではなく、人間から身を守る為の場所だと思う。
だが闇人への防衛策もしっかりしている。なんといっても目を引くのは、石の台座の上に置かれた、白く光る石。台座は砦の周りをぐるりと囲むように設置されていて、これがたいまつの代わりになっているようだ。この光に闇人を遠ざける性質があるのだろう。周囲をうろつく闇人は、この光に近づこうとしていない。近くで見てみると、大きな電球のように見える。バレーボールくらいの大きさで、ガンジイなら片手で容易に持てるくらいだ。わたしが試しに触ってみようとすると、ガンジイに止められた。「得体の知れないものに触るべきではない」と。正論だ。
「誰か暮らしてるのかな?」
「光が灯っているのだから、人がいるとは思えるが。しかし、この光は異質だ。旅の中でこのようなものは見たことがない。お前が話していた、電気、というものか?」
「ううん、電気とは違うと思う。そもそも電源が見当たらないし」
「住人がいるのなら、これがなんなのか、ぜひ話を聞きたいところだ」
ガンジイは石の扉を何度かノックしたが、返答は無かった。ごつん、ごつん、と鈍い音が辺りに響くばかりで、人の気配が感じられない。
「力づくで開けられないかな?」
「まだ、中に誰もいないと確定したわけではない。軽はずみに、争いに発展する行為をするべきではない」
「ふふん、ならやっとわたしが役に立てるときがきたね」
闇視なら壁をすり抜け、向こう側を見ることが出来る。わたしは闇視を使い、石の扉をすり抜け、砦の中を確認してみた。まずは一階から見て回る。……真っ暗だ。城の中には一切の明かりが無く、荒れ果て人が暮らしている形跡がない。これでは扉を無理矢理開けたところで、得られるものは無い様に思える。
真っすぐ続く通路の片側に、石の扉が等間隔に並んでいる。念のために一部屋ずつ調べていくと、かつて人がいた形跡が見受けられた。二〇人から、三〇人くらいは、ここで暮らしていたのではないだろうか。結構な数のベッド、簡単な家具、それらの中には木造のものもあった。皿とかコップとか、食事に使うものも見つかった。だが、やはりどれも今は使われていないようだ。
次に二階を調べる。階段があったのでそれを上がる。天井をすり抜けてもよかったが、順序立てて一つずつ調べておきたかった。……一階と全く同じだ。真っ暗闇で人の気配は一切なし。手早く全ての部屋を見て回ったが、やはり重要な情報は無かった。せめて本とかメモ書きでもあれば、ここがなんなのか分かるかもしれないのに。
階段を見つけ、三階に上がる。ここが最上階のようだ。……一番奥の部屋、そこに小さな白い光が見える。近付いてみると、扉が開けっ放しになっていた。部屋の中、机の上に置かれた石から、白い光が外まで漏れ出ている。そしてその部屋の中にいたのは……。
狼男……?全身がふさふさとした、灰色がかった体毛に覆われ、その顔は狼のものだ。ごわごわとした革のマントを羽織っていて、童話の世界の中に見る、狼男そのものの外見。それが椅子に背を深く曲げて座り、ベッドの上に寝かされた、女性をじっと見つめていた。
女性の方は普通の人間だ。着ている服はどこにでもある革製のものだが、まるでお姫様のように綺麗な人だ。ほっそりとした顔に、やや大きい鼻が目立つが、それが凛々しさとして成立している。腰まで延びた金髪はややウェーブがかかっていて、この人の細く弱々しい体を、優しく包む毛布のようだ。
……わたしは今、アニメーションの世界の中にでも迷い込んでしまっているのだろうか。わたしが見ている光景はまるで「美女と野獣」みたい。この二人はどういう関係で、なぜここにいるのだろう。なんてことを考えていると、女の人が目を覚まして、体を起こした。狼男は椅子から立ち上がり、すぐにその傍らに寄り添った。
女の人は虚ろな表情でうつむいていたが、不意に顔を上げると……。目が、合った。空洞の瞳。感情の抜け落ちた死人のような眼差しが、わたしを正面から見据えている。
見えている?わたしが?闇視の最中の、魂だけの状態のわたしを見ることは出来ないはず。わたしはゆっくりと右に移動してみた。……目線をこちらに向けてくる。宙に浮いて天井付近を漂ってみた。……やはり、目線を向けてくる。信じられない。この人は、わたしが見えている。思い切って話しかけてみようか。
「こんばんは」
「……えぇ、こんばんは」
返してきた。声まで聞こえているのか。狼男の方は、困惑して女の人の顔を覗き込み、心配している。
「ここに入れてもらいたいの。いい?」
「えぇ、いいわよ。待っていてちょうだい」
女の人はふらふらとした足取りで立つと、テーブルの上の光る石を持って、そのまま部屋から出て階下へと向かって行った。壁に手をつきゆっくりと一歩ずつ進んでいく。今にも倒れてしまいそうな、危うい足取りだ。狼男が後ろから体を支えていなければ、彼女の体は砂のお城のように、ふとした拍子に一瞬で崩れてしまいそうだった。
わたしは肉体へ魂を戻し、ガンジイに見たものを話した。ガンジイがまず確認してきたのは、中にいた二人が武器を持っていたかどうか。それから扉から二メートルほど後ろに下がり、両手を上げておくようにと、わたしに指示を出した。相手に敵意が無いことを伝える為だという。
扉が開き、狼男と女の人が出てきた。狼男はこちらを見た瞬間に警戒し、牙を剝き出しにし、鋭い爪が指から伸びた。女の人の前に出て、彼女を守るように体を大きく開く。狼男はガンジイよりも、一回り大きい。身長二メートルぐらいはある。ガンジイは落ち着き払い、ゆっくりとこう言った。
「警戒させてすまぬが、争うつもりはない。この白く光る物体について、話を聞きたいだけだ。無論対価は用意しよう」
担いでいた大きな袋、その中の黒炎石を見せたが、狼男は警戒を解かない。その背後から女の人が顔をのぞかせて、わたしに「どうぞ、入って」と言った。狼男は驚き、なにか考えるところがあったのか、爪を収めると、わたしとガンジイに「中に入ってください」と促した。
わたしとガンジイは、一階の奥、少し広めの部屋へと通された。四人分の椅子と、テーブルが一つ。そこに白く光る石を置き、最初に口を開いたのは狼男だった。
「さきほどはすみません。こんな世界です。理解していただけると幸いです」
狼男はそう言って、わたしとガンジイに軽く頭を下げた。意外にも少し高めの声で、響きのよいテノール歌手のような発声だ。
「僕は妻と一緒に、ここで暮らしています。この『白光石』の研究をしていたのです」
「妻なのか。獣人と人間とが心を通わせるのは珍しい。素晴らしいことだ」
ガンジイがそう言い、柔らかな笑みを狼男へ向けた。こちらから訪ねてきておいて、突然質問攻めにするのは礼儀に欠ける。わたしとガンジイは先に旅の経緯を語り、狼男はその話に聞き入っていた。特にわたしの村を消した、闇の扉の話を、熱心に聞いていたように思える。ひとしきり話をした後、次に狼男が自分のことを話し始めた。
「僕の名はロイ。妻はアリーンといいます。お互いに情報を交換出来ればありがたい。……妻を助ける為に」
ロイさんはそう言って、アリーンさんへ目を向けた。彼女はこの部屋に入ってからずっとうつむいたままで、一言も発さない。……病気、なのだろうか。アリーンさんは、ロイさんの腕に頭を預けると、そのまま目を閉じて眠ってしまった。ロイさんは「少し席を外します」と一言断りを入れてから、アリーンさんを抱きかかえて部屋を出ていった。最上階の部屋に、アリーンさんを寝かせにいったのだろう。
わたしはロイさんが席を離れている間に、ガンジイに彼のことを尋ねてみた。
「獣人って言ってたけど。ああいう人は珍しくないの?」
「獣人はそう珍しくない。しかし、人間と獣人とが手を取り合うことは稀だ」
「……種族差別、とか?」
「いや、生存戦略によるものだ。人間と獣人との間には、ほぼ子供が出来ないのだ。ごくまれに『ハーフ』が生まれることもあるらしいが、私は見たことがない」
「共存しちゃうと、人口の制御が難しいんだ」
「獣人は人間と比べ、高い身体能力を有している。闇人を腕力でねじ伏せることが可能だ。その反面、人間に比べ寿命が短い。おおよそ三〇年前後だ。故に個体数が少ない。積極的に人口を増やさねば、すぐに絶滅してしまう。故に人間と共に暮らすことは、理に反しているのだ」
その後ガンジイから聞いた補足情報によると、獣人は、獣人同士ですら子供をつくることが難しいらしい。獣人の中にも多様な形態があり、ロイさんのような犬型のほかに、猫型、鳥型、馬型、などなど。同じ”型”同士でないと、子供が出来ないという。
「それでもロイさんと、アリーンさんが一緒にいるのは、もっと大事な理由があったから、ってことだね」
「この石。白光石と言っていたな。これが関係しているのだろう」
「研究してるって言ってたしね」
ガンジイが白光石を手に取り眺めた。さきほどロイさんが持っていたし、触れて危険がないことはもう分かっている。柔らかな白い光だが、これはなにをエネルギーにして光っているのだろう。まさか、自然発光しているのかな。だとしたらエネルギー革命が起きる代物だ。黒炎石の枯渇問題を解決してしまえる。
わたしも持ってみたいとガンジイにせがみ、両手の上にそっと乗せてもらった。熱さを感じない。むしろひんやりとしている。つるつるとした触感で、気を付けて扱わないと、手の上から滑り落ちてしまいそうだ。
「……声が聞こえたな」
「え、誰の?」
「女の叫ぶ声が聞こえた。上の階だ。さきほどのアリーンという女性、なにかあったのかもしれぬ」
……わたしには聞こえない。ガンジイは耳がいいから聞こえたのかな。闇視で見に行ってもよかったが、ガンジイと一緒に三階へ行くことにした。白光石を持って、その明かりを頼りに足を進める。すでに砦の構造は分かっているので、階段まで一直線に進んで、上階へ上がった。
二階に上がると、わたしにもアリーンさんの声が聞こえてきた。なにかに、怒ってる?いや、怖がっている……?そしてそれをたしなめる、ロイさんの声も一緒だ。三階に上がると、暴れるアリーンさんの姿が、影となって部屋の外に映し出されていた。ロイさんはアリーンさんを後ろから羽交い締めにして、彼女の体を抑えている。
ロイさんはわたしたちに気付くと、下の階にいてくださいと言った。ガンジイは、なにか助けになれることはないかと尋ねたが、ロイさんは悲しそうに、僕には分かりませんと答えた。
「妻はいつもこの調子なんです。さっきほど落ち着いていたのは本当に久しぶりのことで……。あなた達のなにかが、彼女を落ち着かせているのかとも考えたのですが……」
……闇視、だろうか。わたしは魂だけの状態になって、アリーンさんの前に立ってみた。するとアリーンさんは、突然落ち着きを取り戻し、叫ぶのをやめた。そして震える声で、わたしにこうすがり付いてきた。
「あたしの半分が、向こうにいるの……。ずっと、ずっと声が聞こえる。闇の向こうから助けを呼んでる。お願い、あたしの半分を取り戻して……」
まるでロウソクが燃え尽きる間際のように、突然強く、突然弱く、ゆらめくようにそう言うと、アリーンさんの意識は途絶えてしまった。ロイさんはベットに、優しくアリーンさんの体を寝かせると、なにをしたのかとわたしたちに尋ねた。わたしが試したことを説明すると、ロイさんは酷く険しい顔をして、心当たりがありますと、過去の出来事を話し始めた。
「レイレイさんの、魂と会話することが出来る力。それが、妻を落ち着かせたのだと思います」
「でも、アリーンさんは生きている人ですよ。なんで魂が見えるし、話せるのか……」
「……この研究所は一度、闇の扉に呑み込まれてしまったことがあるのです。扉が現れたその時、僕は狩りのため外へ出ていました。そして狩りから戻る途中、扉がここを呑み込んでいくのを見たのです……。僕はただ立ち尽くし、それを見ていることしか出来なかった。しかし扉はどんどん小さくなっていき、そしてそのまま消えたのです。研究所は元の姿のままここに残っていました」
「……じゃあ、アリーンさんは……」
「そうです。……妻は闇の扉に呑まれ、そこから生還した唯一の人なのです」
次回へ続く……




