第七章 死神の使命 四
第七章 死神の使命 四
やりづぇれな。正直戦いづらい相手だ。このジジイ、悪い奴じゃねぇ。立場の違いから敵同士になっただけだ。分かりやすくぶっ飛ばしたくなるような相手ならよかったのによ。まぁ、今さら止められるわけもねぇ。お互いにな。てめぇにも事情はあるんだろうさ。だがオレにもオレの、守りたい奴がいるんだ。
オレは数か月前から、分身を主軸にした戦い方をやめた。ボスには止められたが、あれだけの悪夢を見せられて、そのまま自分の戦い方を通す気にはなれなかった。感情論だけでそう考えたわけじゃねぇ。オレの分身は数を増やすほど弱くなっていく。あの戦い方は自分より格下を相手にするには強力だが、格上を相手にしたときには全く役に立たねぇことがもう実証されちまってる。となると消去法で結論はすぐに出る。
オレの頭の中には常にあいつがいた。どうすればあいつに勝てる?どうすればあの悪夢を打ち払える?真正面から殴り合うだけでは絶対に勝てねぇ。だから技を磨く必要がある。その為に考えた方法が、六本の腕だった。ボスにも助言をもらって、この戦い方へと行き着いた。攻撃・防御・反撃。この三つを同時に扱う戦い方だ。オレの肉体は大して強くねぇ。その辺の人間よりは遙かに強いが、戦士として見たら最底辺だ。だから「腕だけを分身させる」ことにした。オレの分身は数を増やすほど弱くなる。逆に言えば、少数ならかなりの強さを出せるんだ。それをさらに「腕」という部位だけに集中させた。
オレ自身の腕は、体の前で固め防御に集中させる。分身させた四本の腕を、攻撃と反撃に回す。オレ自身が殴るより分身の腕で殴った方が断然強ぇ。接近戦の為の体術は、元々戦士として覚えていたものに加え、ボスからも教わって形にした。あとは、それをいかに発揮出来るかだ。
死神は一瞬で距離を詰めると、オレの胸に単純な突きを打ってくる。ひたすらその連打だ。単純な技ほど強力だ。ただ力を真っすぐに、相手にぶち込む。……見える。さっきから、やけに視界がはっきりしてる。反撃に備えた二本の腕で、敵の攻撃をそらし、その勢いをそのまま相手に回し返す。初撃のときと同じだ。空に浮かせた敵の顔面に、渾身の一撃を打ち込む。次は遅れねぇ。敵を浮かせたその瞬間……。
「遅いぞ」
ジジイの丸太みてぇに太い脚が、オレの顔面に叩き込まれていた。この野郎、オレの反撃を読んでやがった。回し返した勢いを、さらに流れに乗せて返してきやがった。オレの上半身は地面に向かって垂直に折れ曲がったが、分身の腕で体を支え、飛び起きるようにして距離を取った。
「ふははは、反撃への反撃だ。やり返されぬとでも思っていたか」
「うるせぇな!!」
このまま回復を待つなんてことを、こいつが許すわけがねぇ。距離を取ったオレに、即追撃を入れようと接近してくる。上等だ、何度だってやり返してやるよ。敵はまた同じことをしてきやがる。正拳突き、ひたすらそれだ。さっきと同じ、その流れをそらし、相手に返す。空に浮かせた敵が反撃してくるなら、さらにそれを返してやる。案の定、このジジイは同じように蹴りで反撃してきやがった。次はそれを体を横にそらして回避しつつ、そのまま腕を振りぬいて反撃を狙う。
「ならば、これはどうする?」
反撃した腕を掴まれた。こいつ化物じみた腕力してやがる。空中に浮いた状態、そこから筋力だけでオレの体を強引に引き寄せて、オレを上にぶん投げやがった。位置関係が変わった。下にいるのは敵、上にいるのはオレ。先に着地したのは当然敵だ。宙から落ちていくだけの無防備なオレに、回し蹴りをぶち込もうと準備してやがる。
思考する暇なんてなかった。オレは無意識の内に、分身を二体作っていた。地上に一体と、自分の背後に一体。地上の分身はジジイの顔面目掛けて殴りかからせる。攻撃するための分身じゃねぇ、一瞬だけ敵の気をそらすためだ。敵が分身を殴り飛ばした瞬間に、オレは背後にいる分身に自分を投げさせ、地上へ素早く着地した。
「ふははは、よい判断だ。ただ逃げようとしたならば、私が跳躍し飛び蹴りを打ち込んでいたところだ」
「……てめぇ、さっきから何が目的だ?」
「貴殿の魂を試している」
「試して何がしてぇかって聞いてんだ」
「貴殿を見逃すか、刈り取るかだ。その判断をつけさせてもらう」
……何を言ってやがるんだ、こいつは。死神じゃねぇのか、てめぇの使命は。
「私と貴殿には、奇跡が起きようとも覆せぬ、圧倒的な力の差がある。貴殿の命を繋ぐか、狩るか。その命運は私が握っている」
「死神の使命はいいのかよ」
「命綱を握られているのは、私とて同じ状況だ。私ではカンスケには勝てぬ。すでに私は敗北が決定しているのだ。ならばより良き方向で、使命を果たすまで」
死神の使命ってのは、この世界の消滅を加速させることじゃねぇのか。根本の別の目的があって、世界の消滅はあくまでその手段に過ぎねぇってことか?そんなことを考えていたら、わざわざオレが聞かなくてもジジイが自分で話し始めた。ちょうどいい、話を聞くついでに呼吸を整えさせてもらうか。
「貴殿は、宇宙の崩壊後に何が起こるか、知っておるのか?」
「新しい宇宙が始まるんだろ。それぐらい知ってるに決まってんだろ」
「え、そうなの?」
隅っこから会話に挟まってきた、素っ頓狂な声が聞こえた。嘘だろ、知らなかったのかこいつ。
「ヤヨイはそんなの知らないし」
「ボスから聞いたはずだぞ」
「じゃあ忘れた。カンスケがこの世界を守ってくれるなら、崩壊後のことなんて覚えておく必要なくない?」
「……宇宙は崩壊した後、一点に収縮していくんだ。そして凝縮されていったエネルギーは、どこかの地点で爆発を起こし、そこから新しい宇宙が始まる。忘れんなよ」
「私達、死神の使命は『可能性を存続させること』なのだ」
……可能性。宇宙を存続させる為の可能性ってことか。
「宇宙を崩壊から救うことを願うのは、死神とて同じこと。数多の魂が積み上げてきた経験が、崩壊し全て無かったことになるのは悲劇だ。願わくば、崩壊と再生の繰り返しではなく、歴史の積み重ねを維持していきたい。そして宇宙の意思もまた、それを願っておるのだ。崩壊を望む者など誰一人としておらぬ」
「ならなんでオレ達の邪魔しやがる」
「カンスケは可能性を潰す存在だからだ。故に宇宙の意思は、その危険分子が存在するこの世界を、消滅させることに決めた」
ボスは魂を分解してエネルギーに変えてる。それを続けたら宇宙が崩壊したとき、新しい宇宙を始める為のエネルギー源が無くなっちまうってことか。情けねぇな。死神ってのは安全第一に動いてるってことかよ。崩壊した後、再生させることを最優先にしてるのか。失敗した後のことをなにより大事にするなんて、負け犬の考え方じゃねぇかよ。
「無限に繰り返す宇宙の中で、いつか本当に崩壊を乗り越える可能性が生まれるやもしれん。故に崩壊と再生の流れを、断ち切らせるわけにはいかぬのだ。しかし……」
「……なんだよ」
「私は、この世界にその可能性を感じている。消滅の対象となったはずのこの世界に、だ」
表情に曇りがねぇ。むしろ喜びすら浮かべてやがる。ただ、その可能性をボスに対して感じてるわけではないみてぇだな。もっと別の要因にそれを見出したのか。誰だ、そいつは……?
「後に貴殿達にも分かるだろう。ありえぬことが起きた。無の力が発生し、しかしそれが収まったのだ。私がここに攻め込む間際のことだ」
「……なに言ってんだてめぇ?」
「今は分からずともよい。死神の使命は『可能性を存続させること』だ。この世界がその可能性の芽だとするならば、それを摘み取ることは死神の使命に反している」
「で、オレもその芽の中の一つだって?」
「貴殿にそれを感じ取ることが出来ぬのなら、摘み取るまでのこと。輪廻の流れに戻ってもらおう」
言いたいことを好き放題話したら、さっさと構えを取りやがった。要は死にたくねぇなら力を証明しろってことだな。年寄りは無駄に話が長ぇ。さっさと要点だけ言えばいいのによ。まぁ、おかげで呼吸は整った。……いや、このジジイ、その為にわざわざ長話しやがったのか。
一個腹が立つのは、このジジイはご丁寧にオレを導いていやがることだ。さっきオレを上にぶん投げたのは、オレに気付かせる為だ。オレの分身の使い方、その応用。腹立たしいが利用させてもらうか。分身を直接的な攻撃だけに使うのでは、この先の戦いを生き残ることは出来ねぇってことだ。……オレはいつの間に、こんなに真っすぐになっちまったのか。それが悪手だと気付かされた。忘れんなよ、オレは「闇」なんだ。崩してきたものを、もう一度拾わせてもらうぜ。
戦士オクゼツ。途中から気が付いていたが、おそらくここ数カ月の間に、戦い方を大きく変化させたようだ。元々は力を分散させ、それを同時に扱う方法を用いていたのだろう。多数の分身による翻弄、奇襲。それが元来のこの戦士の戦い方であったはず。それを捨てたきっかけは、敗北だろう。さきほどからこの男の眼差しの先にいる何者か。それを超える為にそれまで積み上げてきたものを崩し、新たな方向へ舵を切る決断を下したはず。
有望な若者には、手を差し伸べたくなるのが年寄りの性かもしれぬな。それがもがき苦しむ弱者であるならなおのこと。己の弱さと向き合い、ひたむきにそれを打ち破ろうとする気持ちのよい情熱の火に、風を吹き付けてやろうではないか。その火は暴風に吹き消える程度の種火か。それともさらに激しく燃える炎へと成長するか。それはこの戦士次第だ。
「悪いなジジイ、甘えさせてもらうぜ。ヤヨイ、ここから出てろ」
「は?逃げろって?」
「今からめちゃくちゃやらせてもらうからな。お前も巻き込んじまう」
「……じゃあカンスケのとこ行くし」
女が私の顔色を伺いながら、退室していった。さて、何を始めるつもりか見せてもらおう。
「……十七人」
オクゼツがそう呟いた瞬間、多数の分身が出現し、一斉に私を包囲した。地上から頭上までを覆うように、ドーム状に十七人。中途半端な数に思えるが、奴にとって意味のある数字なのか。分身個々の力は脆弱だろう。私に傷を与えるほどの力は感じられない。ならば目くらましか。分身によって私の注意をそらし隙を生み出し、そこに本体からの攻撃を仕掛けるつもりか。甘い。脆弱な分身をいくら生み出したところで、私に隙が生じるなどと思うな。
「これからは、オレが前に出るぜ」
私の周囲に分身が配置されたとき、オクゼツは地面に這うように体を低く構え、まるで蜘蛛のような体勢を取った。そして凄まじい速さで、奴は飛んだ。両脚も追加した、計八本のバネの力。オクゼツは私に向かうのではなく、分身へと向かって跳ねた。分身はオクゼツをはじくようにして、さらに加速させ別の分身へ飛ばす。その分身もまた、同じように奴を加速させ別の分身へ。この分身達は加速装置か。
この加速は危険だ。直撃を受ければ、私とてただでは済まされぬほどの勢いに達している。ならば分身を破壊し、加速を止めるか。いや、意味のない行動だ。壊した分身がすぐに再生するだけのことだろう。面白い、単純だが対処が難しい。私が位置を変えようとしても、分身がそれに合わせ移動し再配置されるだけであろう。逃げられぬ包囲網を敷かれた。奴は私から、一つを除いて選択肢を奪い取った。
突撃の瞬間の反撃。それ以外に対処の方法がない。故にただ待たねばならぬ。奴が十分過ぎる加速を生み出すまで、ただ構え、それを待つだけの時間を取らされる。私が未熟であるなら、それだけで精神を消耗し、隙を見せていただろう。……周囲を疾走する残像の中から、風を切る音がした。来たか。破滅的な加速をつけたオクゼツが、私の正面から突撃を仕掛けてきた。あえて背ではなく正面から来るか。……これを受け止めるのは危険だ、一度流させてもらう。腕を回転させ、円の動きで衝突の勢いを流し……。
(●)
その瞬間、オクゼツと目が合った。だらりと伸ばした前髪の隙間から、奴は私を見ていた。
「汚ねぇやり方させてもらうぜ」
そうか、最初から衝突を目指していたわけではなかったか。オクゼツの背から生える四本の腕が、かぎ爪のように私の四肢に絡みついた。私とオクゼツの体は絡み合うようにして、地面を削り取りながら後方へと吹き飛んでいく。これで終わりではない、この男はさらに……。
「悪ぃなジジイ、オレだけ痛みを受けないなんて、仲間に申し訳なくてよ。わがままに付き合ってもらうぜ」
「ふははは、なんの話か分からぬな」
後方に控えていた分身が、私とオクゼツをはじき加速させる。これが最初から狙いか。私を拘束し、受け身を取れぬ状態のまま加速を続け、そのまま自分ごと地面に衝突させる気か。天と地の区別がつかぬほどの加速した世界の中で、私は腕力を頼りに強引にオクゼツの腕を振りほどく。……振りほどこうとするが、そこにさらなる腕が絡み付いてくる。どれだけ振り払ってもきりがなく、この腕は私を決して離さぬように生え続けてくる。
剛ではなく柔による拘束。硬い物体は砕けば壊れる。だが柔らかな物体は形を変え崩れることがない。レンガは叩けば壊れる。しかし粘土は壊れない。オクゼツ自身の体もそうだ。こやつは損傷をすぐに修復させる。なるほど、この拘束を振りほどくのは無理なようだ。
「オレは全身ばらばらになろうが再生出来るが、てめぇはどうだ?」
「弱者が慈悲など見せるな。それは優しさではなく甘さだ」
「いいから答えろ。てめぇが死んだとき、それを悲しむ仲間はいるか?」
「いる」
「なら……」
「ふははは、全力をぶつけてみよ。貴殿はまだ弱者であることを思い知らせてやろう」
「……後悔すんなよ、クラフォン!!」
おそらく天井付近から、私とオクゼツは共に地面へと墜落していった。大気との摩擦によって炎が生じ、まるで流星へと変貌した破壊力の塊。本来であれば即死するほどの勢いだが、衝突の瞬間にそれを相殺すればよいだけのこと。腕一本でよい。衝突の間際、右腕のみ拘束をふり払い、地面を殴る。ただそれだけのことだ。
「カンスケ!カンスケなにやってんの!」
「お、ヤヨイちゃん。盛り上がってきたね」
「早くオクゼツを助けに行かないと!」
倉庫への道の途中、おれは壁に背を預けて、オクゼツくんと死神の戦いを感じ取っていた。戦いがクライマックスを迎える間際、ヤヨイちゃんが来ておれの腕を引っ張って倉庫へ連れて行こうとする。
「大丈夫だよ。オクゼツくんは死神には勝てないだろうけど、十分力は示したはず」
「……いつから見てたの?」
「最初から」
「死神が分身して、本部と同時攻撃を仕掛けてきたんじゃないの?」
「あぁ、ごめんね。それはうそなんだ。死神は最初から分身なんてしてないよ」
ヤヨイちゃんはおれをにらんできた。騙したことより、オクゼツくんを危険に晒したことを怒っているのだろうね。
「大丈夫だよ、だって……」
おれが弁解しようとしたそのとき、爆撃でも受けたような轟音が本部に響いた。音が破裂する間際、急いでヤヨイちゃんの両耳を手で塞ぐ。普通だったら鼓膜が弾け飛ぶ音量だ。戦いの決着は着いたみたいだ。
倉庫へ行くと、というかそこはもう倉庫ではなく瓦礫の山になっていた。地面には深さ十メートルはあるクレーターが出来上がっていて、立ち昇る砂埃がその底を隠している。ヤヨイちゃんはクレーターの外側で待ってもらうことにして、おれは一人で底まで下りて行った。
「オクゼツくーん、無事かーい?」
「……ボス、こっちっす」
咳き込みながらおれを呼ぶ、オクゼツくんの声が聞こえた。だんだん砂ぼこりが晴れてきた。胸から下が無くなっているオクゼツくんが、仰向けになって倒れている。そしてその傍らには、右腕を失った死神が立っていた。
「死神となって五千年。これほどの傷を受けることは稀だ」
「化物がよ……」
「ふははは、貴殿の胸の中にいる者よりか?」
「……いや、あいつの方が上だ」
「ふはは、そんな化物がこの世界にいるというのか」
死神は笑うと、オクゼツくんへと手を差し伸ばした。オクゼツくんにも、まだ余力はあるみたいだ。胸から下を再生させると、その手を取り立ち上がる。でも若干ふらついてはいるな。余力はあるけど無理して立ってる。あれだけやってまだ立てるなら十分すぎるな。
「ボス、あざっす。イヤリングの意味が分かったっす。ボスは最初から、オレのあの戦い方を思いついてたんすね」
「後はおれの仕事だから。オクゼツくんは下がってていいよ」
「……ボス、このジジイなんすけど」
「残念だけど、見逃すわけにはいかないよ」
「……どうしてもっすか」
「未熟だな。貴殿は身内よりも敵の命を優先するのか」
「……オレ、あんたには、消えてもらいたくねぇよ」
「ふははは。長く死神をしてきたが、そんなことを言われたのは初めてだ」
「……礼を言うぜ。あんたはオレの恩人の中の一人だ」
オクゼツくんはそれ以上何も言わず、数歩あるくと気を失って倒れた。
「まずお礼を言わないとね。きみのおかげで、ずいぶんと彼は進化したよ」
「底知れぬ戦士だ。これでまだ羽化していない。この男にはまだこの先がある」
「最後にお茶でも飲もうか」
「馳走になろう」
ヤヨイちゃんにオクゼツくんの介抱を任せて、おれと死神は別部屋へ向かった。ヤヨイちゃんは終始不思議な目でおれを見てきた。敵であるはずの死神とお茶する状況が、全く理解出来ていない様子だったから、簡単にどういうことか教えておいた。
「死神と打ち合わせ済みだったんだよ。死神さんは、オクゼツくんを成長させる為に協力してくれたんだ」
これは死神の方から提案してきたことだ。当初は死神と一戦交えてみようと思ってわくわくしてたんだけど、無の力がその状況を変えた。
それは先刻、死神が本部へ来る前のことだった。おれは周囲のエネルギーの流れに仕掛けをして、ヤヨイちゃんが死神と五感を共有出来ないよう、偽の信号を出しておいた。オクゼツくんには悪いけど、ヤヨイちゃんが戦いを感知したら、彼も応援に来てしまうと思ったから。死神の力量がどれほどのものか、まずはオレ一人で確かめておきたかった。
だけど死神と相対したその瞬間、二つ続けて予想外のことが起きた。まず無の力の発生と消滅。そして死神がそこに、宇宙存続の可能性を見出したこと。死神はこう提案してきた。この世界に、宇宙を存続させる可能性の種があるなら協力させてくれと。その種を芽吹かせることが、自分に残された最後の使命だろうと。
「この世界では茶葉は貴重品でさ。相当いいことがあったときにしか、お茶なんて淹れなくてね」
なんの変哲もない机を間に挟み、私はカンスケと向き合っていた。私の前に、カップに入れた茶が差し出される。この場所は、かつて多数の人間が集う集会場だったようだ。敵と戦う為に建造された砦や城ではなく、ただの交流の場だ。私が今いるこの部屋も、壁の一面が窓になっている休憩所だったようだ。
「この世界がこうなる前は、ここからいい景色が見えたんだ。もう消えてしまったけど、川が流れていてさ。その両側に桜の並木があってね。春は絶景が楽しめたんだ」
カンスケはそう言いながら、茶をすすった。……私も茶の成分を調べずに一口飲んだ。今さら毒など仕込んでいないだろう。そんなことをする意味も理由もない。
「カンスケよ、貴殿の目的はなんだ?この世界の存続か?」
「おれはさ、ドラマが見たいんだよ」
……どうやら、本物の精神異常者のようだ。歪んだ笑みの中に、偽りの影が無い。この男は道化師ではない。狂った人間を演じているのではない。正真正銘の狂人だ。だが歴史というものは、こういった精神異常者が大きな転換点をもたらすもの。それが良い方向ならば英雄と呼ばれることになるが、この男はどうだろうか……。
「私は貴殿の実力を測り間違えた。正常な人間にそれが出来るとは思えぬ。貴殿の正体は何者なのだ?」
「おれは『救世主』だよ」
「……貴殿が、そうだったのか?」
「おれはもう、この世界で一万年以上生きてる」
真実だ。この男は嘘をついていない。「救世主」とは、その世界の魂がより良き経験を積めるように、人々を導く使命を与えられた存在だ。私達死神のように、宇宙から使命を与えられた存在。この男が、この世界の救世主だったというのか。しかしそれにしては、精神構造が破綻している……。
「どの世界でも救世主は、知的生命を導く、宗教の教祖となっている。しかし貴殿は……」
「あはは、そうだね。おれは自分が選んだ人間だけを救おうとしてる。救世主の使命を放棄してね。なんでだと思う?」
「……私には測りかねるな」
「絶望したからだよ」
カンスケはそう言うと、再び茶をすすった。……感情が読めない。あらゆる感情が飽和しているからだ。あまりに深い悲しみ、苦しみ、そして絶望。全てが煮詰まっているがゆえに、その感情の区別がつかない。
「もうさ、未来に絶望してるんだよね。おれも昔は、いくつかの名前とか姿を使って人類を導こうとしてたよ。でも進化するのは科学技術ばかり。人間という生物は、魂そのものは全く進歩しない。百年、千年、何年経っても、根本的には変化しない社会が継続されてきた。他の世界でもどうせそうでしょ?」
「……少なくとも、成長はしているはずだ」
「成長では駄目だ。必要なものは変質なんだよ。魂がどれほど研磨され、その輝きを増したところで、結局は石ころでしかないんだ。ただの石ころをどれだけ磨いても、宝石になることはない。魂そのものの本質が変化しない、進化しない。この宇宙を支えられるだけのエネルギーなんて、発生させられるわけがないんだよ。宇宙の崩壊を止めるなんて、どうやったって無理なんだ」
「その苦悩から逃れる為に、救世主の使命を放棄したと?」
「そう、輪廻の仕組みを否定して、宇宙の仕組みも否定して、おれが選んだ心優しい人間だけで、宇宙の崩壊を乗り越える道を選んだ。それが出来るかもしれない可能性を、師匠に出会って教えてもらってさ」
「師匠……?」
「あぁ、気にしなくていいよ。きみには関係ないから」
カンスケは鋭い視線を私に向けてきた。死神の使命を全否定した眼差しだ。死神はこの宇宙の元来の仕組みを守る為の存在。奴はそれを認めていない。
「貴殿はいつから、その道を歩み始めたのだ?」
「いつだったかな。もう覚えてないや。どこかのタイミングで、おれはもう役者をやめたんだよ。人類を導く教祖を演じることはやめた。ただの視聴者になることを選んだんだ」
……そうか、この男は。歪んだ笑み。無邪気であるのに邪悪なその表情。今ようやく、私はこの男を理解出来た。
「おれが導くのではなくてさ。その人が自分の意思で、力で、輝き成長するところを、おれは見たいんだ。信じさせてほしいんだよ。人間の魂はいつか、宇宙の崩壊を乗り越えるだけの変質を起こすってさ」
「それがお前の言う『ドラマ』か」
「一時は本当に全てに絶望しちゃってさ。慰めに漫画とかアニメばかり見てたんだけどね。だけど本物の世界の中に、ヒーローを見つけた。いや、現れた。さっきちらっと言った師匠なんだけどさ。魂の限界を超えることが出来ることを、その人が示してくれたんだ。だからおれなりの方法で、また一念発起したってわけ」
この救世主は、この宇宙の仕組みに、魂に、その全てに絶望しながら、まだ諦めていないのだ。苦しみ、歪み、狂い、それでもまだ、人を救うことを諦めていないのだ。「全」を救うことを放棄し、犠牲にし、「個」を救う道を選んだのだ。
闇に堕ちた救世主。それがこの男の正体だったのだ。
「惜しいなぁ。きみが死神でないなら、おれ達の仲間に誘ってるのに。オクゼツくんも、きみが消えてしまうのを悲しんでるしね。でも、なによりきみがそれを望まないでしょ?」
「私が従う主人は、王だけだ」
「だよね。きみの魂は分解させてもらう。この世界を崩壊から救うための糧になってもらうよ」
「自らが可能性の種になれるのであれば、本望だ」
ずいぶん長いこと、死神の使命を全うしてきた。いつの頃からか、その終わりをどう迎えることになるのかを、私は考えるようになっていた。魂そのものの寿命か。戦いにより散るのか。そのどちらかだとばかり思っていたが、このような形になるとはな。
しかし、悪くない幕引きだ。
「頼みがある」
「なに?」
「後に貴殿達は、死神の王と相対するであろう。王に伝えてもらいたい。私は己の生と使命に、満足して死んでいったと」
「うん、分かった」
「そしてもう一つ。オクゼツが目覚めたら伝えてくれ」
「うん」
「最期に貴殿を導けたことを、誇りに思う」
次回へ続く……




