第七章 死神の使命 三
第七章 死神の使命 三
死神が本部に来やがった。過去に意識を飛ばすのはやめて、現在に集中しねぇとな。死神ってのがどれほどの強さなのかは知らねぇが、弱いはずがねぇ。相当な強さを持っていると考えて動いた方がいいに決まってる。
「死神の視界はもう消えちまったのか?」
「うん。やっぱり手練れだな。たぶんわざと近づいてすぐ離れたぞ」
「数は?複数で現れたことは?」
「いつも一人。同じ奴しか来たことないな」
ヤヨイの監視の範囲を探ってやがるのか?あえて本部に接近して、監視の目がどこまで届いているのか、オレ達の動向を見て判断するつもりか。そもそも死神は、こっちにヤヨイという偵察と監視の達人がいることを知らねぇ。だからこそ慎重に距離を詰めてくる。ヤヨイの言う通り、相当な実力者だ。攻め退きの判断が絶妙だ。来るときは大胆に来やがるし、退くときは一瞬で消える。しかも単独行動だ。状況判断と、行動の選択を任せられてる。死神が全体でどれくらいいるのかは知らねぇが、それだけそいつが信用されてる証拠だ。
「死神が現れるのは、これで何度目だ?」
「本部の周辺に来たのは十六回目。死神の狙いは間違いなくカンスケだな。カンスケが本部に戻ってきてから、死神が頻繁に来るようになった」
「ボスは死神の監視に気付いてるのか?なんか聞いてるか?」
「いや、なにも。でもカンスケが気付いてないわけないだろ。たぶん気付いた上で放置してる」
監視対象は闇側全体ではなく、ボス一人だけってことか?ボスの力は相当なもんだからな。……いや、そんなわけねぇか。おそらくこの世界の中にいる、他の危険分子も探っている。オレも気付かねぇうちに偵察されていたに違いねぇ。他にも監視されているとすれば……。
……何故だか分からねぇが、ガンジイが連れていた女。レイレイの顔が頭に浮かんだ。なんであいつの顔が真っ先に出てきたんだ。ムクよりも、ガンジイよりも先に、オレの直感がレイレイを想起させた。あいつは魂の扱いに長けた謎の存在だが、この世界の脅威に該当する奴ではねぇだろ。そういえば光側の連中はどういう扱いなんだろうな。あいつらは別世界の住人だから、監視対象ではないってことでいいのか。分からねぇな……。
「カンスケは、死神が現れても放置でいいって言ってたからな。ヤヨイ達はまだ動かないでいいぞ」
「ボスは死神を誘ってるのか」
「かもな。カンスケがどこまで考えてるかなんて分かんないし」
ボスがそう言ったならそれでいい。オレなんかじゃ遠く及ばねぇところにボスはいるんだ。なにか考えがあってそうしてるはずだからな。このまま死神は放置しておくことにするか。……オレもヤヨイも、別段気にするほどの相手じゃねぇと、死神に判断されてるのは気に食わねぇな。
「……あれ、お前さっきと耳飾り変わってるな」
「さっきカンスケがくれた。プレゼントだって」
「……ボスが、お前だけに?」
ヤヨイの右耳にだけ、真珠の耳飾りがつけられている。オレには……?オレはボスからプレゼントなんてもらってねぇのに……。ヤヨイにだけ……?
「殺意のこもった目で見てくるなし。このカンスケ信者め」
「なんでだ、なんでお前にだけ……」
「あ、オクゼツくん、さっき渡すの忘れてたよ」
後ろからボスに呼びかけられた。ボスは「ごめんねぇ」と手を振りながら走ってくると、オレに真珠の耳飾りを見せてきた。
「オクゼツくんにも、ヤヨイちゃんと同じプレゼントだよ」
「ありがとうございます!一生大事にするっす!!」
「オクゼツくん、自分よりもその耳飾りを大事にしちゃいそうだね」
「もちろんっすよ!絶対に壊れないようにするっす!」
「じゃあやっぱり、これはヤヨイちゃんにあげるね」
「え……?」
ボスはヤヨイの左耳に、耳飾りをつけた。ヤヨイの両耳に、輝く真珠。オレは……?オレに真珠はないんすか、ボス……?
「これからのオクゼツくんには、これは必要ないものだからね。昔のオクゼツくんにはあげてよかったんだけどね」
「どういうことっすか……?」
「忘れないでね、オクゼツくん」
「……なにをっすか……?」
「これからのオクゼツくんには、これは必要ないものだからね」
……ボスの目が本気だ。この行動には意味があるってことか。オレに耳飾りを渡さなかった理由がある。ボスは意味ありげに笑うと、そのまま来た道を戻っていった。
「どゆこと?意味分かんないし」
「……そうだな」
「残念だったな、プレゼントもらえなくて」
「いいや、最高のプレゼントをもらったぜ」
「は?」
「ボスが、オレのために、オレのことを考えて、あえてなにも渡さないでくれた……!形の無ぇプレゼントをオレはもらったんだ!」
「怖っわ、なんだお前」
「ボスぅぅ!一生ついていきますよおぉ!!」
「怖っっわ。どん引きだわ」
泣いちまいそうだ。いいや、泣かねぇ。この感動を涙にしてこぼしちまうなんて、そんなもったいないこと出来るわけがねぇ。……あ、そうだ。死神が現れたのを、一応ボスに報告しておかねぇと。
「あ、そうそう。おれが指令を出すまで、二人とものんびりしてていいよ」
オレが声をかけるより早く、ボスが通路の角から、顔だけ出してそう言った。……ボスは邪悪な笑みを浮かべていた。なにか企んでるようだ。おそらくボスの方から先に、死神にちょっかいかけるつもりだろうな。
場合によっては、突然死神との戦闘が始まることもありえるか。ボスはのんびりしていいと言ったが、本当にぐうたらするわけにはいかねぇ。いつでも戦いを起こせるよう、準備はしておかねぇとな。
……不気味である。先日から私の感覚は、楽観と困惑の天秤の上にあった。死神の王から、この世界に存在する、高エネルギー体の調査を命じられ、私はカンスケという男を調べていた。所見の印象では、それなりの実力者ではあるが、脅威には値しないように感じられた。だが時折見せる、私の全身に針を刺すような鋭い威圧感が、この男に対する評価を二転三転させる。
無の力に定められた者が誰なのかは、私達死神にも分からない。本人にすら分かっていない。無の力とは宇宙の意思によって、この宇宙から排除すべきと判断された世界に、突如生まれる爆弾のようなものだ。その力は一度起爆すれば、もう止めることは出来ない。その世界にいる魂ごと、全てを消滅させるまで、誰にも妨げることは叶わない。
私達死神の使命は、無の力に定められた人間を特定し、その力を暴走させることにある。カンスケはその候補の中の一人だ。そして対象外であったことが判明すれば、速やかに候補を殺害しその魂を転生させることも、死神の使命である。世界の消滅に、高エネルギーの魂を巻き込むのは宇宙にとって損害だ。出来る限りエネルギーを回収したい。
これまで十数回、私はカンスケを偵察しているが、未だに釈然としない部分が多い。奴は私に気付いているようでもあり、その反対のようでもある。私の経験上、そういった輩は前者であることがほぼであるが、この男に関しては全くの未知なのだ。しかしどちらにせよ、危険分子であることに変わりはない。私は数日前に死神の王へ、奴と戦う許可を得に行った。この世界で自らの魂を守る為の鎧、通称「方舟」を装着しない状態で戦う。方舟を装着している状態では、十全の力を発揮出来ないからだ。王はほんの少しの躊躇を見せたが、すぐに許可を出してくださった。
カンスケの実力は未知数であるが、私より上であることはないと結論を出した。実力とは非常時下ではなく、通常時にこそ現れるものだ。歩き方一つでも、その者の力量は憶測出来る。本人の無意識化にある体の扱い方や思考の速度を観察することで、自ずとそれを推し量ることが出来るものだ。カンスケの周囲にいる仲間も当然調査済みである。そこそこの力を持つ男が一人と、見た目は幼い女が一人。男の方は戦闘要員だ。幼少の頃より訓練されてきたことが見て取れるが、注意を向けるほどの者ではない。女の方は戦闘に関しては素人であることが一目瞭然であった。
そしてカンスケは、自身が先頭に立つ戦士ではなく、後方に控える司令官の面が強い。敵と正面から戦うことよりも、策を練り戦況を操作することこそ奴の本領であろう。とはいえ油断ならない相手だ。己の慢心こそ最大の敵である。私は方舟を乗り捨て、奴と直接戦う為の機をうかがっていた。
準備は整えた。カンスケの隙をいつ突くか、奴が根城にしている場所には監視の目があるのだろうか。私はあえて距離を詰め、すぐに退くという行動を繰り返した。相応の力を持つ者であるならば、私の接近に気が付いているはずだ。カンスケがこちらに直接出向いてくることはないだろう。配下の戦士をまずは送り込んでくるはず。
……不意に異変を察知した。カンスケが根城にしている建物から、小さなエネルギーの塊が飛んできて、私から少し離れた地点に着弾した。これは罠か?いいや、私を誘っているのか。本気で私を罠にかけるつもりであれば、わざわざそれを知らせる道理がない。……いや、それとも知らせたことがすでに罠の第一段階に入っているのか。しかし、カンスケが私の存在にすでに気付いているのであれば、ここで奴と戦いを始めるのも良い選択だ。この周囲に罠の類が存在しないことは、慎重に確認している。正面切っての戦いであれば、私の力の方が上回っているはずだ。
私はエネルギー着弾した地点を目指した。そこには私に向けられたメッセージが、地面に彫られていた。
『死神さん、お茶は好きかい?用意してあるから早く来なよ』
ふざけている。私が監視していることに、ずいぶん前から気付いていたというのか。数か月の間、奴は根城の外に出ていない。それなのにここにメッセージが彫られているということは、監視の初期、まだカンスケに対する厳重な監視を開始していない時点で、すでにこれを地面に記していたことになる。
どうするべきか、一度戻り、王へと相談するべきか。私が死神となってからすでに五千年、このような策を仕掛けてきた相手はいなかった。異常な存在だ。私がそう思案していると、地面のメッセージが発光し、別のメッセージへと変化した。
『あと言っておくけど、きみはもう戻れないよ』
……なんだ、これは。罠の類は仕掛けられていなかったはずだ。……いや、まさかこれは……。急ぎ周囲の空間そのものの物理変数を調査する。……やはりそうか、奴はこの周囲に限り、物理法則を書き換えたというのか。馬鹿な、ありえん。そのような力、王ですら不可能……。あらゆる宇宙において、物理の法則は不変である。この世界であろうと、別の世界であろうと、水は百度で気化し、零度で氷になるように、絶対に変わるはずのない法則が存在する。
奴はそれを、書き換えた。私が死神の世界へ戻るための道を、閉ざされた。……進むほかない。方舟の無い状態では、この世界にいるだけでエネルギーを消耗していく。こうして足を止めているだけで、私は力をすり減らしていくことになる。しかし、進んだところでだ……。私は、カンスケに勝てるのか……?否、やるしかない。今さら戦う以外の選択肢などないのだ。
カンスケと、相対することとしよう。
さてと、死神が攻めてくるなら、まずはどこから来るか考えておかねぇとな。まさか正面から突入してくるわけねぇだろうし。いや、そのまさかもありえるのか。相手が実力に自信を持っているなら、あえて真正面から乗り込んでくる可能性もあるな。どこにでもいるからなぁ、小細工を使うのは卑怯だと考えてる馬鹿がな。もしくはそんなことをする必要のねぇ、悪夢とかな。
「オクゼツくん、ちょっと予想外なことになった」
オレが工具室で周辺の地形図を見ていると、ボスがやって来てそう言われた。……いいことが起きたわけじゃなさそうだな。
「死神が分裂したんだ。相手の性格上、正々堂々と来ると呼んでたんだけどね。どうやらおれが、やりすぎてしまったみたいだ。相手の退路を断ったのはまずかったなぁ……」
「オレの分身みてぇなことが、死神にも出来るんすか」
「そう、二つのエネルギー体に分かれた。一つは本部を破壊しようとしているふしがあってね。それはおれが対処しに行くから、もう一つは任せるよ。相手が強敵なら無理はしないで。おれが行くまで時間を稼いでくれればいい」
「了解っす」
ボスはそう言うと、足早に去って行った。ボスの予想とは違う展開になったようだな。気を引き締めねぇと。ボスがそれを喜んでなかったってことは、厄介な状況になってきてるってことだ。オレはまずヤヨイの所へ向かった。あいつは普段、静かな所で精神を集中させて、周囲を監視してる。いつもの大倉庫にいるはずだ。
「ヤヨイ、状況が変わったぞ」
「どうした?こっちも報告に行くところだったけど」
「ボスに言われた。死神が二体に分裂したらしい。お前の力で視えてるか?」
「そうなの?死神の目線は視えてるけど、ずっと一人だけだ。それより死神の奴、急に本部に向かって突っ込んできたぞ。どういうことだ?」
さっきまで偵察を繰り返していた死神が、ここに来て突然方針を変えた、か。さっきボスがちらっと言っていたな、退路を断ったのはまずかったとかなんとか。捨て身の特攻を仕掛けてきたってことか。普段は冷静な強者がそれをするとなると、かなりまずいな。追い込まれた小物は大した脅威じゃねぇが、それが大物となると話が変わる。
「お前の力で視界を共有出来ないってことは、やっぱりオレの分身みてぇなものか」
「たぶんな」
ヤヨイの力は魂を捕捉するものだ。共有出来るのは本体の五感のみ。魂の一部分だけを切り離したものはそれが出来ねぇ。
「で、本体はどこに向かってきてる?ボスの方か?」
「……いや、違う。こっちだ」
「そうか。だろうな」
数秒後、激しい衝突音と共に、倉庫の壁に穴が開いた。どこぞの悪夢ちゃんかよ。なんで壁を壊して向かってくるかね。罠を警戒してるのか?
瓦礫を踏みしめる音が、かすかに聞こえる。強いな、こいつ。足音だけで只者じゃねぇのが分かる。そして砂埃の中からゆっくりと姿を現したのは、初老の大男だった。歴戦の老兵か。死神ってのは、この世界の人間と大して変わらねぇ見た目なんだな。ガンジイよりも大柄で、過剰な筋肉を搭載した体だ。戦闘特化。ただそれだけの為に鍛えられた筋肉の付き方だ。一つ違うのは、肌が赤褐色なところか。この世界にこんな肌の人種はいねぇ。身に着けてるのは、見た事ねぇ紋章の描かれた、革製っぽい胸当てと腰巻き。武器を隠す隙間は見当たらねぇな。
「まずはこちらから名乗っておこう。私はクラフォン。死神の一員だ」
「オクゼツだ。こっちに来やがるとはな。何が狙いだ?」
じっとオレの顔を見てきやがる。まばたきなんてしねぇよ。隙を見せるわけねぇだろ。しかしずいぶんと、いかつい顔つきしてやがる。「厳格」という言葉がそのまま顔に張り付いていやがるな。太い眉の下には、鋭い眼光の切れ長の目。大鷲を連想させるような狩人の眼差しだ。髪と髭はどっちも短く整えられてる。実直な性格してるようだな。となると警戒すべきは、武器や仕掛けではなく、奴自身だ。
「私は見誤った。私ではカンスケには勝てぬ」
「だろうな。じゃないとこっちに来る理由がねぇからな」
やっぱりそういう理由だったか。ボスには勝てねぇと判断したから、目的を変えた。おそらく当初の目的はボスの魂だったんだろうな。新たな目的は本部の破壊と……。
「戦力を一つでも削っておこうって魂胆かよ」
「それもあるが、お前達二人の魂には、それなりに大きなエネルギーがある。それを死神の世界へ送り輪廻に戻す。私の魂はもはや、ここから逃れることが叶わん。しかしお前達はそうではない。その肉体を破壊し、魂を取り出させてもらう」
敵が両方の拳を掲げた。相当自分の実力に自信があるみてぇだな。とっくに分かってはいたが、自分の肉体、体術を何より信頼してるわけだ。こういう奴にはオレの小細工が効かねぇ。自分に誇りを持っていて、言葉の挑発に乗ってきやがらねぇ。あいつみてぇにな。
じゃあ、始めるか。
「ヤヨイ、隅に引っ込んでろ」
「負けんなよ。カンスケが泣くぞ」
負けるかよ。オレがやられたら誰がお前を守るんだ。少なくとも、ボスが来てくれるまではやられねぇ。ここ数か月、ずっと特訓してきたんだ。その成果を実践披露してやる。
奇妙な男だ。カンスケが配下にしているこの男。魂の力は中堅程度、警戒に値する者ではないと考えていたが……。猫背で腕を前に垂らし、長い髪で表情を隠しているその容貌は、一見すると戦闘要員ではなく、組織員ですらない。その様は病に侵された病人のようだ。しかしこうして相対してみると、その内に決して無視出来ぬ炎が、いや種火がある。奇妙だ……。まるで消えかけのロウソクの火のように、不安定に揺らぎ、消えたかと思うと、突然大きな力の波を発する。
男は両腕を広げるような構えを取った。その体に半透明の黒い力が、まるでヘビのようにまとわりついていく。その色が濃くなっていき、背から四本の腕が生えている形となった。元の腕と合わせ、計六本。どの腕にも武器は握られていない。見た目に反して、格闘戦を好むのか。……いや、それにしては体の扱いがなっていない。構え、重心、両方に訓練兵のような未熟さが現れている。だが……。
やはり奇妙だ。見るからに未熟であるはずの構えの中に、攻め込んではならぬ何かを感じる。魂の輝きだけで実力を推し量ることの出来ない、未知の要素をこの男は持っている。男はじっと構えを取ったまま動かない。罠を仕掛けているのか?私が接近することを待っているのか。
「罠なんてねぇよ」
「ほう?」
「まずは一発、てめぇの力を受け止めてみるつもりだったがな。てめぇが来ないならこっちから行くぜ」
男はそう言うと、私へと攻め込んできた。なるほど、六本の腕にそれぞれ別の役割をさせている。二本を体の前で防御に、二本を固く握りしめ攻撃に、二本は緩く力を抜き私の反撃に備えている。だが、たった二本の腕で私の攻撃を防げると考えているのなら、読みが浅い。
私は拳を握りしめ、腰を使い体の軸を回転させる。そこに体重を乗せ、正面へと突き出す。基礎の正拳突きだが、この技一つで私は数多の強者を葬ってきた。男が私の間合いに入ると同時、その頭部へ目掛け拳を叩き込む。どうだ、お前に耐えることが出来るのか?
「遅ぇな」
男がそう言ったのを聞いたとき、私の体は宙を舞っていた。私の突きの勢いを流し切ったか。反撃に備えた二本の腕を巧みに回転させた。さらにその流れを利用し、私を中空へ浮かせ、空にいる私へ拳を突き上げる。床を支えに、全身の筋力を総動員させた一撃。未熟に見えていたこの男に、これほどの技量があったか。ならば力比べといこう。私は宙に浮いたまま腕力のみを使い、拳を突き放った。男が放った突き上げに、互いの拳を合わせるように叩き込む。どちらの拳がより固いか、勝負といこうか。
骨の軋む音が聞こえた。私ではなく、敵のものだ。拳がぶつかり合った瞬間、男は口元を歪めたが、突き上げの勢いを弱めることはなく、結果的に私の体は押し出されるようにして飛ばされた。力負けしたわけではなく、宙にいる私には体を支える土台がない。互いが体勢を整え、仕切り直しとなった。
「私の拳は遅かったか?」
「てめぇじゃねぇよ。自分に言ったんだ。てめぇを放り投げた瞬間に、その顔面にぶち込んでやるべきだったが、反応が遅れちまった」
……やはり奇妙な男だ。この男は私を前にしながら、別の敵と戦っている。それは己自身か。それとも己の中にいる別の何者か。あるいはその両者か。次は私から仕掛けるとしよう。敵は先の打ち合いで、私の腕力を思い知っている。私がその力を存分に振るうとき、臆することなく再びそれを受け止めることが出来るか。
「てめぇ、楽しんでやがるな」
「……私がか?」
「弟子の指導でもしてるつもりかよ」
言われて気が付いた。確かに私はこの状況を楽しんでいる。……無意識のうちに、経験で理解出来てしまった故だ。
「お前が弱いのでな」
「だろうな」
これだ。この男は自らが弱者であることを理解している。そして強くなろうとあがいていることを、それが可能な才を眠らせていることも、こうして直接相対したことで分かった。私は走り、勢いを乗せた拳を打ち放つ。ただそれだけでよい。技とは弱者が強者に抗う為の技術。圧倒的に格下であるこの男に対し、技など用いる必要はないのだ。
「……ははっ」
……笑った?この男、私が拳を放った瞬間に、余裕を見せた。私の拳は男の防御を崩し、後方へと吹き飛ばした。確実に二本の腕を粉砕したが、男はそれを気にしていないようだ。余裕を見せる根拠があるとすれば、こやつらは損傷をすぐに修復出来るからか。周囲のエネルギーを吸収しそれが出来ることは、偵察時に判明している。ならば回復などさせぬ。それをする隙間がないほどに、撃ち続ければよいだけだ。奇妙な印象はまだ消えぬが、警戒するほどの力がない相手であることはもう分かっている。ただひたすら、打ち崩せばよいのだ。
ここからは一方的な暴力となった。私が打ち続ける拳を、男はひたすら受け続けた。未熟である。最初の一撃、私の攻撃を流したのは素晴らしかった。だがその後、集中力がどこか切れてしまっている。腕を砕くたびに、痛みが男の表情をわずかに歪ませる。だというのに、やはりこやつは時折、笑みを見せる。なんなのだ、この男は……?防御を崩せはする。何度も、幾度も、すでにこの男の守りの腕を破壊した。だが、不思議と決定打が入らぬ。
不意に、男は私の拳をさばき、反撃を入れてきた。分からぬ。何故こうも不安定なのだ。私の攻撃を運よくさばくなど不可能だ。相応の実力がないと出来ぬ芸当のはず。しかしこの男は弱いのだ。初撃はさばかれた。その後は臆し、防御に回ったはず。しかし今、再び攻撃を流された。
……可能性の芽。なるほど、確かにこの男は底知れぬ可能性を眠らせている。本人が未熟である故に、その力の片鱗を時折感じさせる。しかし今はまだ、種火を燻ぶらせただけの弱者に過ぎぬか。
「弱ぇな……」
「それも己に対しての言葉か?」
「いいや、両方だ。お前も全然弱ぇよ。『あいつ』に比べたら、オレもお前もちっぽけなもんだ」
……つまらぬ強がりではないな。やはりこの男の胸の中には、私よりも遥かに強大な何者かがいる。それがこの不安定さの理由なのか?今目の前にある、この戦いに意識が向いていない。この男の眼差しは、一体どこを向いている。その視線の先にいるのは誰なのだ?
「あの悪夢に比べたら、お前は大したことねぇよ」
真っすぐに、私を見据えるその目に、力が宿った。魂の力が増大している。すでに相当な数の打撃を打ち込んだにも関わらず、むしろその力強さが増していく。
「拍子抜けだぜ。相当やべぇ奴だと思ってたのに、ただの面倒見のいいジジイが来やがった」
「故に、本気になれぬと?」
「オレはずっと本気だ。本気になってねぇのはてめぇの方だろ。力任せにぶん殴ってくることしかしてこねぇ。今から本気にさせてやるよ」
……面白い。この男は今まさに、羽化しようとしているのか。今この瞬間、この戦いの中で。私を餌に蛹を脱ぎ捨てるつもりなのか。幼虫が成虫に姿を変えるその狭間。それがこの実力の揺れ幅、不安定さの正体であったか。
「おい、オクゼツ。大丈夫か?逃げた方がよくない?」
「ここにいた方が安全だ。このジジイはオレをやる前に、お前に手ぇ出す気はないみてぇだからな」
「ヤヨイじゃないし。お前のことだし」
「ぶっ飛ばすぞてめぇ。オレがこいつより弱いから逃げろって?」
「うん。カンスケのとこまでなんとか」
「ふざけるな。誰が逃げるかよ。自分が弱ぇなんてこと分かってんだ。それでも逃げちゃならねぇんだ」
この男を包む力がより濃く、明瞭な輪郭を得ていく。不安定であった魂の揺らぎが、力強い鼓動を打ち始める。ならば羽ばたいて見せるがよい。進化したお前がどれほど化けるか、それを見せてもらおう。
「よい判断だ。私から逃げられるなどと思うな」
「てめぇじゃねぇ」
「……ふははは、そうか」
この男はただの弱者ではない。まだ未熟ではあるが、その魂は戦士の輝きを放っている。
「オクゼツといったな」
「なんだよ。ようやく本気になったか?」
「戦士オクゼツ。貴殿の魂、試させてもらおう」
次回へ続く……




