第六章 宇宙の意思 四
宇宙の意思 四
警告が鳴るとほぼ同時、明は走り出した。昔から言葉を出す前に手を出す性格であったが、こういった非常事態下ではそれが適切な選択であろう。私は明の後を追い、兵達が訓練をしていた広場へ向かう。この施設への出入口が、我らが通った扉しかないのであれば、現在危機にさらされているのは、訓練中の兵達だ。
「ここへの入り口は一つだけ。侵入者が来るならそこからしかないよ」
「この警告音はどの段階で鳴るようになっておる?」
「ここへ下りてくる階段のところに、赤外線センサーがあったでしょ。あれに正体不明のなにかが触れた瞬間。あのセンサーは闇人だとか動物は反応しないようになってるんだ。もちろん人間や獣人にも反応しない。それ以外の異質なエネルギーだけ感知するようになってる。例えばあなたが連れてきた三つ目の子とかね。元は闇側の連中を警戒するためのものだったんだけど、でも戦力が激減した今のあいつらが、ここを攻めてくるとは思えない」
「全く未知のなにか、というわけか」
この施設の入り口の扉は、内側からしか開けられぬようになっていた。金属製の重厚な扉だ。もしもそれをこじ開けることが出来る存在が、ここへ侵入してきたのなら……。さきほど麗冷が話していたことが、あの子の予想ではなく事実だったとしたら、早急に対処せねばなるまい。
「もし扉をこじ開けられたって、そう恐れることはないはずなんだけどね。明が訓練してきた兵達だよ。まだ子供とはいえ、闇人くらいなら簡単に勝てる実力はあるんだ。その兵が百人。敵が化物だとしても、数の暴力で圧倒出来るはずなんだけど」
「その百の兵でも太刀打ち出来ぬ脅威が現れたなら」
「……頼むよ、頑爺。あの子達を守らないと」
「無論」
重く響く打撃音が聞こえる。なにかがここへの扉を破壊しようとしておるのか。警戒が半分、そして安堵が半分だ。敵が麗冷のように、魂だけの状態でここへ侵入し、我らの魂を直接攻撃可能であったならば、対処があまりに困難であった。敵は物理的な力をもって、この施設を攻略する他ないということだ。
私と明が広場へ到着すると、全ての兵達がそれぞれの役割に従事していた。敵が突然現れる状況に備えた訓練もしていたのであろう。扉を抑え敵の侵入を阻ぶ者が二〇人ほど。残りは武器を構え、侵入してきた敵に一斉攻撃を仕掛けられるよう準備している。場合によってはあえて扉を突然開き、攻撃に転じることも想定しているわけか。
「司令!なにか、なにかが外から……」
「とにかく扉を押さえ続けて。敵の正体は不明だけど、侵入させては駄目」
「……いや、待て」
唐突に、打撃音が止まった。侵入を諦めたか?いや、そんなわけがない。覚悟を決めねばならぬ。
「全員、退避!訓練場内で警戒態勢!」
明がそう指示を出し、全ての兵が一斉に素早く散って退避した。よく訓練されておる。明の指示に疑問を持った者もいたであろうが、それによって行動を遅らせた者はいなかった。一か所にまとめて逃げるのではなく、個々が様々な方向へと逃げる。全滅を防ぐためにはそれが適切だ。
打撃音が止まったのは、攻撃の停止を意味していない。次の強力な攻撃への予備動作。力を溜め、最大出力を発揮する為であろう。沈黙に包まれた空気は、全身が震えるような強烈な轟音によって、混乱を内包した渦となった。その一撃によって、扉は乱暴に開け放たれ、謎の存在がそこに佇んでいた。
この存在はなんだ……?外観は人型だが、これが生物だとは感じられぬ。頭部らしきものはあるが、目鼻や耳は無い。しかし大きく裂けた口だけはあり、その口腔内は一切の光を通さぬように暗黒であった。それとは対照的に全身は白く、まるで闇人が真っ白に変色したかのようだ。闇人との違いは、全身が無数の「面」によって構成されていることであろう。人の形をした多面体、とでも呼ぶべきか。活動する無機質。我らとは根本的に異なるなにか。……正体がなんであれ、我らに敵意を向けていることは確実であろう。こちらから仕掛けるべきか、相手の出方を伺うか、どちらにするべきか。
「……司令、あたしが先手を仕掛けます!」
「駄目、動かないで!」
明がそう指示を出したが遅かった。兵の中の一人、最も敵の近くにいた者が突撃してしまった。よく訓練されてはいるが、実戦経験が皆無であることが仇となった。初めて眼前に現れた敵に対し、冷静さを失ってしまったか。困惑と興奮の混じった場の空気に呑まれてしまったのであろう。私は手斧を兵へと投げ、脚部の切断を狙ったが、兵はそれを剣で弾いてしまった。たった一人で駆け出した兵は、勢いに任せ剣を構え飛び掛かったが、結果は凄惨であった。振り上げた刃を下ろすこともなく、兵は一瞬で首を切断され、床を転がった頭部は敵に踏みつぶされて砕けた。
機能を停止した機械の体から、小さな発光体が浮かぶ。敵が元より裂けていた口をさらに大きく開き、その光を飲み込んだとき、兵達の雰囲気が一変した。困惑と興奮が、焦燥と恐怖へ。それが伝染し爆発する前に、明の指示が兵達の正気を呼び戻した。
「全員、撤退!さっさと逃げろ!」
兵達はそれを救いに、我先にと訓練場から退避を始めた。さきほど敵が飲み込んだ光、あれはおそらく……。
「化物だ。魂を食いやがった」
「私にも見えた。この施設内だからか」
「特殊なエネルギーでこの施設は覆われてる。そのエネルギーの影響で、魂が見えるんだ」
魂を食らう存在。闇とも光とも異なる怪物か。
「明、お前も下がるのだ」
「わたしも戦う」
「二度お前を失うなど御免こうむる。ムクを呼んでくれ」
「……あなたがあれに食われたら、わたしも後を追うからね」
明は多少躊躇したが、兵と共に撤退した。明は機械の兵達とは違う。魂だけの状態なのだ。戦いなどさせられぬ。不気味であるのは、敵が自ら動かぬことだ。周囲の動きに反応しているとも考えづらい。それならば撤退する兵達を追うはず。……先手を仕掛けるか。しかし攻撃するわけではない。さきほど投げた手斧を回収に向かう。私の動きに反応するか、沈黙を貫くか、敵の対応を観察する。
私はゆっくりと手斧へ歩を進めた。敵はこちらを常に正面に捉えている。私の動きに合わせ、体の向きを変えておる。まさか、待っておるのか。私が武器を拾うことを。だとするならば、敵には意思がある。無機質な印象を受ける存在であるが、その内側に明確な意思が存在しておる。……そうか、おそらくこいつは……。
「その体は、人形のようなものか。それを操る者が離れた場所に存在しておるのであろう」
私がそう問うと、敵は右手を上げて応えた。まるで友人に手を振るように、軽い動作で。おどけておるのか、元よりそのような人格の持ち主なのか。
「お前の望みは戦いか。それとも使命があるのか。前者ならば右手を、後者ならば左手を」
敵は両手を上げた。戦いを望む戦士であり、なんらかの使命をも帯びているか。厄介だ。この敵が本能にのみ突き動かされる獣と同様であったならば、知性を持つ存在よりはるかに対処が容易であったのだが。しかしどちらも同じこと。武力により解決。この結論に帰結するか。
「待たせてしまったな。始めるか」
敵が構えを見せた。……徒手による格闘戦の構え。ほどよく力の抜けた両腕、重心を悟らせぬ両脚、構え一つである程度の力量は察知出来る。手練れだ。相当数の戦いをくぐり抜けてきたであろう自信が見て取れる。それに驕ることのない隙の無さ。剛と柔を併せ持つ歴戦の猛者を予感させた。
「来い!!」
私の咆哮を合図に、火蓋が切って落とされる。ここまで続いた沈黙を着火剤にしたかのように、互いの武器が激しく火花を散らす。敵の攻撃は重く、同時に鋭い。鈍器と刃物を掛け合わせかのような体だ。そこに速度が乗算され、一撃ごとに腕に鈍重な痺れを生じさせる。
強い。だが、しかし……。敵の感情が読める。奴はこの戦いを楽しむ一方で、悲しんでおる。己の全力を出せぬことを。
「やめだ。退くのだ」
私がそう発すると、敵は動きを止めた。分かりやすく手を上げ「やれやれ」と動作で示してくる。
「その人形の体、どうやら思うように動かせぬようだな」
敵は右手を上げ気だるい様子で振った。本来備えた本体の力量を、まるで発揮出来ておらぬ。
「私もまだ少々の力しか出しておらぬ。お前の戦いには戦士の気高さがある。このような状況で戦い続けるのは、本意ではなかろう」
敵は数秒考えた後、訓練場の出口を指差した。ほぼ同時に、施設の奥からなにかが破壊される音が響く。敵は一人ではなかったか。どのような方法で侵入したのか。姿をくらましたか、別の入り口を無理矢理作り出したか。さらに敵は口を大きく開き、さきほど捕獲した魂を見せつけてきた。仲間を助けに行きたいのなら、魂を取り返したいのなら、戦えと。
敵は再び構えを取った。私も手斧を構える。この場は決着を付けねばならぬようだ。
わたしはナナゴウと、ミニちゃんと一緒に通路を進む。瞬間的に闇視を使い、常に進行上になにかがいないかを確認する。今のところ、なにも姿を見せないが、突然得体の知れない化物が飛び出してくるかもしれない。敵がなんなのか、それだけでも情報を持って帰りたい。
「ナナゴウ、この施設の入り口って、わたしたちが入ってきたあの分厚い扉だけ?」
「そうです。ですが、敵の正体が分からない以上、他の進入路もありえます。排熱装置なんかが危ないかと」
「ここから伸びて、地上に露出してるの?」
「細い管が何本も伸びています。人間が通れる太さではないですが、そもそも相手が人型である前提がないし」
「ミニちゃんみたいな、小型の生き物が大量に来る可能性もあるよね」
「怖いのよ~。恐ろしいのよ~」
ナナゴウは常にわたしの前を歩き、周囲への警戒を怠らない。右手に剣を持ち、左手はゆるく開いている。……この子、すごいな。ガンジイやムクと一緒にいると、強い人の身のこなしというものが分かってくる。この子は強い。もちろんガンジイレベルには届いていないが、十分目を見張るものがある。
「止まれ」
ナナゴウがそう言い、わたしは足を止めた。目の前には一本の長い通路。ここなら闇視を使うまでもない。通路の向こう端まで全部見えている。
「貴様に言っている。姿が見られていないと思ったか」
ナナゴウは剣の切っ先を正面に向けそう言った。……なにかが、通路の奥にいるのか?念のためその場で闇視を使ってみたが、視界に変化はない。わたしには見えないが、ミニちゃんになにか見えるか聞くと、光が曲がりくねっていると答えた。光を歪ませるなにかが、前方にいるらしい。うっすらと色をまといながら、なにかがこちらに近づいて来る。
……白い闇人?目がちかちかする。体は確かに白色なのだが、周囲の色が反射しているような、溶け込んでいるような、まるでカメレオンのように体表の色彩が変化している。大きさは通常の闇人と変わらない、わたしたち人間と同じサイズだが、どうやってここに侵入したのか。もしかすると、すでに入り口の分厚い扉は開けられてしまっているのか。そして姿を消したこいつが、こっそりここに潜入してきたとすると……。
「ナナゴウ、言わなくても分かってると思うけど」
「こいつには知能がある。貴様、そこで止まらぬなら攻撃する」
ナナゴウがそう言った瞬間、謎の存在は加速し突っ込んできた。ギンッと刃物同士がこすれる音がして、ナナゴウの剣と敵の両腕がぶつかり合う。この敵、普通の生物じゃない。体が金属のようなもので構成されている。しかし大きく裂けた口がある。有機物なのか無機物なのか分からない。今までに接触したことのない未知の存在だ。
「貴様、目的はなんだ?」
ナナゴウが切っ先を合わせたままそう問いかけたが、敵はなにも答えなかった。言葉の代わりにとでも言わんばかりに、腕をしなやかに振り回し、攻撃を続けてくる。まるで鞭のように体を使い、速さと重さを兼ね備えた一撃を何度も打ち込んでくる。この敵、戦い慣れてる。問答無用で襲ってくるということは、わたしたちの抹殺が目的なのか?
ナナゴウは防戦一方だが、剣さばきが落ち着いている。ちゃんと敵の攻撃を見極めて対処している。そして踏み込んだ一撃で、敵の片腕を切り上げ懐へ飛び込む。その勢いのまま大きく開いた口の中へ、剣を突き刺した。敵は一瞬ひるんだが、腕を振るいナナゴウを抱き込むように攻撃しようとした。
……したが、止まった。わたしと目が合った瞬間に、突然静止した。わたしのことをどう見て、どう判断したのか分からないが、敵は瞬時に身をひるがえし、通路の奥へと逃走していった。ナナゴウは敵の姿が見えなくなるまで、通路の奥から目を離さなかった。敵が完全に視界から消えても目を離さない。目線は常に敵が逃走した方向へ向け、そのまま後ずさりながらわたしの横まで来た。
「……あなたが凄まじい力を発することは、魔女様から伺っています。敵はそれを察知したのでしょうか」
「どうだろうね。あのままナナゴウが殺されてたら、この通路ごと、あの敵消し飛ばしてたよ」
「分からないことばかりですね……。あなたに救われました、礼を言います」
「でも情報は得られたよ。あの敵、命のある無機物だ。あれが生物ならナナゴウが勝ってたね」
「あれが生物だという前提の上で攻撃したのが、僕の間違いでした。今は戻りましょう。総司令官に報告しないと」
姿を透明化させる敵。おそらく光を屈折させることで、自身を見えないようにしている。ミニちゃんがそれを捉えたのは分かるが、ナナゴウはどうやって見破ったのだろう。
「僕は温度でものを見ています。外は闇に覆われた世界ですから。光ではなく熱で感知しているのです」
サーモグラフィーか。温度の高いものは赤く見え、低いものは青く見えるあれだ。
「魂にも熱ってあるの?わたしが闇視してたら見える?」
「魂に熱はありません。魂が発するエネルギーはそれとは異なるものです。ですがこの施設の中なら、魂は見えますよ」
ナナゴウに説明を受け、この施設内なら全員が魂を捉えることが出来ると知った。特殊なエネルギーフィールドとやらが、魂を可視化させているらしい。まぁそんなことはどうでもいいか。早く戻らないと。
わたしたちは食堂に戻り、マリアさんたちに見たものを説明した。どうやら敵はマリアさんも知らない存在らしい。もちろん園子とムクにも覚えがないようだ。
「敵の正体は不明だけど、大量に押し寄せてきたわけではないみたい。通路を突っ切ってマリアさんを装置まで連れて行った方がいいと思う。これ以上ここにいても、得られる情報はないかな」
「総司令官、僕もそう思います。なるべく早くソノコさんと避難してください。兵達の魂も連れて行った方がいいでしょう。この施設は破棄するしかありません」
「……分かりました。今は皆の安全を優先します。護衛を頼んでよろしいですか?」
わたしたちはムクを先頭に、ナナゴウを殿にして、光側の世界へ戻るための装置がある部屋へと急いだ。その道中、なにかが爆発するような音が聞こえた。……嫌な予感がする。そう簡単にここから逃げきることは出来ないかもしれない。
そして予感は的中した。装置のあるという部屋に行くと、そこにはバラバラにされた、大量の機械の兵達が転がっていた。まだ破壊されてない子もいるけど、全員がなにかしらの部位を欠損し、動くことの出来ない状態になっている。部屋の奥に見えるのは、もくもくと白煙を吐き出す、巨大な機械。無数の歯車を組み合わせた鉄の塊が、その大半を破損し原型を留めない姿になっていた。
その残骸の中で、明が一人槍を手に戦っている。敵はさっきの透明になるやつとはちがう。見た目は同じだが、サイズが違いすぎる。ガンジイよりも大きな巨人のような姿。丸太のように太いその腕を、力任せに叩きつけるその一撃ごとに、壁に亀裂が走り、床は陥没していく。明はたった一撃でも当たれば致命傷になるであろう攻撃を、全て紙一重で避け続けている。
「ムク、容赦しなくていい!ぶっ潰して!」
「ふんーっ!」
ムクが疾走し、明の背後から飛び出し、敵の懐に飛び込んだ。ムクが放った拳は、敵の全身をひび割れさせ、続いて放った二撃目で敵は粉々に砕け散る。……え、まさか終わり?
「油断しないで、こいつは死なない!」
明がそう言い、ムクは後ろへ飛びのいた。粉々になった破片が組み合わさり、元の形へ再生していく。不死身、だとでもいうのか。そうだ、こいつらは生物ではない。脳も、心臓も、血も肉も無い。なら一体どうすれば息の根を止められる?
敵は完全に再生し、攻撃を再開した。標的をムクに定め、ひたすら暴力の極致ともいえる殴打を繰り返している。ムクはそれを殴り返し、跳ね返している。あの怪物と真正面から殴り合ってる。明は後退し、マリアさんの前に立った。ムクの加勢に行く隙を伺っているが、両者の打撃のあまりの威力に、近づくことが出来ないでいる。
「どっちも化物かよ、ムクってあんな強いの!?」
「園子、なんか武器はないの?あれを消し飛ばせるようなやつ」
「な、ないよそんなの。アイの力で吹き飛ばせないの?」
「……ムクが近すぎる。一緒に消し飛ばしちゃう」
ムクに後退を呼び掛けるのは無理だ。敵の攻撃が激しすぎる。ひたすら反撃し続けることが、最善の防御策にもなっている状態なんだ。退こうとして攻撃を緩めた瞬間、敵の剛腕の餌食になってしまう。
ムクは全然負けてない。いいや、ムクの方が断然強い。何度も敵の攻撃を腕力でねじ伏せ、あの太い腕を粉々に砕いている。だけどすぐに敵は再生して攻撃を継続してくる。右手を砕いても、左手が襲ってくる。左手を砕けば、再生した右手が来る。それが延々と繰り返される、じり貧の状況だ。ムクだって無限に戦い続けられるわけじゃない。このままじゃ……。
「……わたくしが、力を一部消費しましょう」
マリアさんが一歩前へ出ようとしたが、ナナゴウがそれを手で遮った。
「司令、さきほど砕けた敵の頭部の中に、高熱を発する部位がありました。あれが弱点、核だと思います」
「どこの部分?」
「司令は危険を犯さないでください、魂だけなんですから。敵は僕が破壊します」
「そんなこと言ったって、あれをまた砕くなんてあなたには無理でしょ!?」
「いえ、やれます。園子さん、この体のリミッター解除をお願いします」
「駄目、そんなことしたら……」
園子が躊躇している。リミッター解除というのは、相応のリスクを伴うということだろう。……おそらく、体が壊れる程度では済まされない。魂にすら反動が及ぶような……。
「一秒だけです。一秒だけ、僕を信じてください」
「園子、わたくしからもお願いします。ナナゴウに危険が及ぶと判断したなら、そのときはわたくしがなんとかします」
「……音声認識起動。パスコード入力」
園子がそう言うと、ナナゴウの体が赤く、朱色に発光し始めた。胸の中心や、筋肉の形に沿った部位に、まるで蛇が這うようにして発光は全身へと広がっていく。
「パスコード。『光あれ』」
園子がそう発した瞬間、ナナゴウが姿を消した。速い。いや、速いなんてものじゃない。残像すら見えなかった。わたしが捉えることが出来たのは、ナナゴウの体が発している赤い光だけ。ナナゴウが立っていた位置から、敵の頭部へ向け一直線に赤い光の軌跡が伸びる。空間上にほんの一瞬だけ残されていた、その光の残滓を認識出来ただけだった。
敵はなにかを認識出来たのだろうか。腕を振り上げた体勢のまま、横向きに倒れ、その体は砂のように崩壊していく。その向こう側に、ナナゴウがいた。壁に突き刺さった剣と、串刺しにされた敵の頭部。ナナゴウの一撃は、どうやら敵の弱点を的確に破壊したようだ。
「パスコード入力、『執行完了!』」
園子がそう叫ぶと、ナナゴウの体から朱色の光が消えていき、彼はよろけながら手を振って「大丈夫」とわたしたちに知らせた。全員がほっとしたとき、園子が小さく何かを言った。息を漏らすような小さな喘ぎ。安心しきって言葉にならない声が漏れたのかと思ったが、そのときわたしは、わたしたちは、最悪の失敗を犯していた。
園子の胸から、鋭いなにかが突き出ていた。
数秒して、わたしはそれが園子の背中から胸に向かって貫通した、鋭い金属の塊なのだと分かった。見ているべきだった。監視しているべきだったんだ。全員が目の前にいる敵に意識を奪われ、自分たちの背後、部屋の入口から意識を手放してしまっていた。透明になるあいつが、まだこの施設内にいたんだ。
園子はわたしのすぐ隣にいた。園子と目が合う。彼女は微笑んでいた。困ったような、全てを諦めたような、悲しい笑みを浮かべていた。
「ごめんね」
園子は蚊の鳴くような声でそう言った。園子の胸を貫いていた敵の腕が抜け、彼女は前のめりに倒れる。無音。ナナゴウが、なにかを叫び走った気がする。明とムクが、わたしに逃げろと叫んでいた気がする。だけど全てに音が無い。全ての色が、音が、世界が、消えてしまった。
わたしはその時、たった一つの感情にのみ支配されていた。それ以外のなにもかもに、興味がなかった。
「お前、絶対にやっちゃいけないこと、したな?」
敵は目の前にいた。だけど動かなかった。わたしの体から、真っ黒な無数のなにかが伸び、こいつを締め上げていた。動こうとしたって、逃げようとしたって、そんなことさせない、許さない。なにが起きているのかなんて分からない。それにどうでもいい。ただ……。
「お前、殺す程度じゃ、済まさないからな?」
「無」が、わたしを包んでいった気がする。無は部屋中に充満していき、わたしも、わたし以外のものも、全てを虚空の中へと沈めていった。全てが視える。こいつが一体なんなのか。本体がどこにいるのか。なにをしているのか。なにが目的なのか。全てが理解出来た。だけどそんなこと、どうでもいい。
「消してやる」
お前の魂を、お前という存在を、あらゆる時間から、あらゆる世界から、完全に消してやる。
異様な何かを感じ取った。私と刃を交えていた敵もそうであろう。このまま決着をつけるどころではない。それ以上に壊滅的な、筆舌に尽くせぬ異常事態が起きている。戦いは止まった。もう戦いを続けてもなんの意味もないことを、敵も私も、本能的に感じ取っていた。
敵は口の中から魂を吐き出すと、私に向けそれを放り投げた。不思議な光の玉だ。手のひらの上にわずかに浮かび、決して触れることが出来ない。
「早く逃げるのだ。私はこれを止めねばならぬ」
敵は右手を振り、走り去っていった。得体の知れぬ存在であるが、私にはあれが明確な敵だとは思えない。
……麗冷。なにを起こしてしまったのだ。異様な力の発露。先日、闇の核を破壊したときのものとは違う。私の体を突き抜けていく、破壊とも死とも違う感覚。あえて言葉にするとしたら「無」だ。
「魔女よ、これもお前の干渉の結果なのか?」
「あら、よく私に気付けたわね」
私の背後から、魔女がゆっくりと歩み出て現れた。この状況の説明を求めたいところだが、魔女は通路の奥へと無言で進んで行く。麗冷の所へ行くのであろう。ならば私も共に行かねば。
「どうやら、お前にとっても不測の事態のようだな」
「そうね。これは私が干渉した結果ではなく、干渉出来なかった結果。さっきあなたが戦っていた相手は、私でも干渉出来ない存在なのよ。正確に言うとお互いに放置することが最善の相手。余計なことをしてくれたものよね」
「私はなにをすればよい?」
「彼女へ語りかけて。私にもあなたにも、それしか出来ないもの」
通路は黒いもやのようなもので侵食されていく。これは闇のエネルギーか……?いいや、やはり「無」だ。この世界から、空間そのものが消えてしまったような印象を受ける。
「これがあの子の力の本質。全てを無に帰す力。プラスもマイナスも、なにもかもをゼロにしてしまう。闇の核を破壊したときに見せた力は、この激流のほんの一部を、別方向に向けただけのことなのよ」
「なぜこのような力を、あの子に授けた?」
「私はこの力の扱い方を教えただけ。この力をあの子に与えたのは、全く別の存在」
「……あの敵が、そうなのか?」
「ある意味ではそうだし、ある意味では違うわ」
「今は緊急事態なのだ。明確な答えの提示を頼む」
「宇宙よ」
「……それが、答えなのか?」
「そうよ、言葉のままよ。宇宙が、あの子にこの力を与えた。この世界を消滅させる為にね」
次回へ続く……




